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マシン・レコード  作者: 平田公義
第六章
43/152

~賭けるもの~ 話し合いと博打

 (いつき)彩子(あやこ)は食堂に向かう途中、数人の軍人とすれ違う。そのたびに、食堂で軍人同士で一悶着あった、と噂する声が聞こえた。


 食堂に向かう通路を歩きながら、(いつき)たちは顔を見合わせる。ドックより幾分か乾いた空気と熱気を縫うように当たる冷風が作業着を着た彼女たちにはちょうど良かった。


「何か、あったのかしら?」

「さぁ? でも、食事できないと嫌だ。お腹すいたもん」

「心配はそこなんだ…………」

「失礼ね。先生にこれを届けることは忘れてない」


 (いつき)は淡々と言って、手に持っている革製のカバンを叩いて見せた。この中に、エポッヘ社から預かった実験兵装の資料が詰まっている。紙片の資料とはなかなか贅沢で、野暮ったいもので、運ぶのにも変に筋力を使う。


「わかってるわよ。てか、先生さんはもういるのかしら?」


 呆れ気味に言って、彩子(あやこ)は人差し指を頬に当てる。食堂で落ち合う約束なので、もしかしたら騒動の原因を知っているかもしれない。


「まさか、当事者になってたりして……」


 彩子(あやこ)は冗談交じりにつぶやいて、苦笑いを浮かべる。


「あの面倒臭がりの人が?」


 (いつき)もアリスの性格を察して、同じく口元を緩める。


 そうして、二人が食堂に足を踏み入れて瞬間、ガシャンッと何かを殴ったような音が鳴った。


「それが誠意? 上官なら尻拭いの一つもできるだろうに」


 聞き覚えのあるハスキーボイスに、(いつき)彩子(あやこ)は思わず立ち止まって、声がした方向に視線を走らせる。


 自動販売機が立ち並ぶブース近くの席。そこには男五人を前に、呆れた風に髪を掻くアリス・ジェフナムの姿があった。しかも、(いつき)にしてみれば、横並びに座る男の中に、あの優男、ヤッシュ・カルマゾフの姿までもあった。そこに階級はなく、アリスが主導権を完全に握っていた。


「先生さんが説教してるよ。あはは……」


 彩子(あやこ)が乾いた笑みを浮かべながら、力ない笑い声を漏らす。悪ふざけの一言が、まさか半ば当たっていることに呆れる。アリスが説法を解く姿は別段珍しくないが、男を相手に、それも一方的に説教している姿は妙な違和感を感じさせる。彼女が若く、相手がそれなりに歳を重ねているせいかもしれない。


「あ! (いつき)彩子(あやこ)っ」

(おと)。それに、えっと……コフィン・コフィンさん?」

「はい。お久しぶりですね、サナハラさん、ミナモリさん……」


 一口大のサンドウィッチがのったトレイを運ぶ(おと)と手持無沙汰な様子のコフィンが、(いつき)たちの前に来た。コフィンの表情は沈みきっており、目元は赤く腫れて頬には涙の跡が見て取れた。


 (いつき)彩子(あやこ)はコフィンの様子に妙な胸騒ぎを感じた。もしかしたら、アリスが説教をしている相手と何か関係しているのかもしれない。でなければ、(おと)と一緒に行動するとは考えにくいことだ。


「ねぇ。何があったの?」


 彩子(あやこ)はゆっくりと、自身に言い聞かせるような英語をしゃべった。彼女なりの心遣いだが、聞いている側にしてみれば(おと)のぶつ切り会話より聞き取りにくい。それでも、コフィンにはしっかりと伝わった。


「え、えぇと……」


 おどおどと視線を泳がせるコフィン・コフィン。


 そこに、アリスがコフィンのほうを向いて声を張った。


「准尉、こっちに来なさい。ん? (いつき)彩子(あやこ)か」


 アリスが(いつき)たちの存在に気付くと、一瞬驚いたように目を見開いた。だが、すぐに厳しい顔つきになると、淡々と告げる。


 一瞬、ヤッシュが(いつき)のほうを見て、うずうずしていた。(いつき)の存在は、彼にとって絶対的であり、気にしないなどできるはずもなかった。


「悪いけど、三人でそれでもつまんで待ってなさい。あと、リーン軍曹の様子も見ておいて」

「リーン軍曹?」


 (いつき)はヤッシュのことなど目もくれず、その言葉を疑問に思って周囲を見渡す。近くで椅子をいくつも繋げてその上で横たわるリーンがいた。うなされているのか、瞼を固く閉じ、歯を食いしばっている。寝汗もひどく、憔悴している。


「…………」


 コフィンがその様子を心配そうに見つめていると、さらにアリスにどやされて肩をピクリと跳ねる。三つ編みも尻尾のように揺れる。


「ごめんなさい。セルムット軍曹のこと、お願いします」


 言ってアリスたちが陣取る席に歩いていく彼女の姿を、(いつき)彩子(あやこ)は不安そうなまなざしで送った。罪悪感。今のコフィン・コフィンからはそんな負の感情が伝わってくる。


「ねぇ。(おと)はなにか知ってるの?」

「あい……。とりあえず、席、つく」


 彩子(あやこ)の日本語に対して、(おと)もぎこちなく答えて着席を促した。


 (いつき)たちは案内されるまま、状況も飲み込めず一旦リーンが寝る傍の席に座った。アリスたちの方でもコフィンがアリスの隣に着席して、何やら込み入った話をしだす。遠くから聞こえる声が、彼岸の向こうのような静かで現実味を感じさせない。


「何か、あたしたち浮いてない?」

「まぁ、人少ないし。でも、この時間って混雑してると思ったんだけど……。一悶着でこんなシビアな雰囲気になっているなんて」


 (いつき)彩子(あやこ)も自然と声量を落として、会話する。少しでも大人たちの会話を聞くためだ。リーンの容態や、コフィンの雰囲気、アリスの不機嫌さ。それらを統合しても、現状わからないことだらけだ。むしろ、なぜこうなったのかと知りたい気持ちが逸る。


 二人の向かいに座る(おと)はサンドウィッチを一つとって、一口頬張る。それから、テーブルに乗り出して、ちょいちょいと手招きする。耳を貸して、というサインだ。


 三人は頭を突き合わせるようにテーブルに乗り出して、ひそひそと話しだす。


「あのね。ぐんそ、あの人、助けよとした」

「コフィンさんね」

「それが何で、こんな大事になってるのよ?」

「その、あの……、痴漢だって」


 (おと)が言いにくそうに、言葉を絞り出す。


 それだけで、(いつき)彩子(あやこ)は罪悪感を持ったし、怒りを覚えた。きりきりと胃が締め付けられる感触が駆け巡る。二人の顔も自然と険しくなっていた。


「まさか、軍曹はその痴漢に返り討ちにあったの? 最低っ」


 (いつき)は吐き捨てるように言って、胃を落ちつけようとサンドウィッチを一つ口に運んだ。


「ううん、ぐんそ、せんせに殴られた。勘違いだたて、せんせ言てる」

「つくづく報われない人ね」


 彩子(あやこ)がリーンを一瞥して、心の底から同情した。助けようとしたのに、よりにもよってアリスに殴られたとあってはかわいそうだ。それだけ、当時の現場は騒然としていたのかもしれないが。


 (いつき)も同情の念を抱いて、腰を下ろす。横に置いた資料にも目を向けて、渡すタイミングがいつになるのか不安になる。今はそんな場合ではないのだが、どうしても目を通してくれと頼まれた以上、責任があった。


「とはいえ、戦争中だっていうのに破廉恥な人っているものね」

「しかも真昼間よ? ああでも、通勤時とか混雑してるときに狙われやすいのと同じ原理か」


 彩子(あやこ)はサンドウィッチを手に取って、同じく腰を下ろす。


「どゆこと?」


 (おと)も席に戻って、背後のアリスたちのほうを気にしながら問うた。通勤時、と言われれば彼女にとっては採掘場へ行く月面走行車の車中のことだ。そこには隣り合ってこそすれゆとりのある空間だった。だから、彩子(あやこ)のいうことが理解できなかった。


「え? だって混雑してると人がぎゅうぎゅうになるでしょう? そういう時、こっちからも犯人特定しずらいのよ」


 彩子(あやこ)は苦い経験を思い出して、サンドウィッチを強引に口に放り込んだ。力任せに噛み砕いて、嚥下する。


「そう考えると、軍曹はよく気付いたよね。結果は散々だけど」

「そそっ。ぐんそ、一人、倒してた」

「え? あそこにいる連中だけじゃないの?」

「一人、怪我ひどくて、お医者さんのところ、行た」

「喧嘩強そうだもん、この人」


 三人の中で、リーン・セルムットの印象は悪態をつく子悪党程度だった。しかし、話を聞いてみると意外と正義漢なんだ、と印象を改める。だからと言って、口の悪さを許容はしないが。


「う、うぅ――――」


 すると、リーンがおぼろげに目を開いて、体を動かす。当然、狭い座席から転げ落ちて、床にうつぶせになった。素早く、(おと)が屈んで彼の安否を気遣う。


 アリスたちの方も、会話をいったん区切ってリーンの様子を窺った。とくにコフィンは彼の覚醒にほっと胸をなでおろしていた。よかったと口元が自然と動く。


「ぐんそ、起きた?」

「ああ――――、ッ痛ぅ」


 リーンは側頭部を押さえながら、ふらふらと立ち上がる。隣で背の低い(おと)が長身のリーンを支えて、席に誘導する。まるで、兄を労わる妹のようだった。(いつき)はその様子を見て、席を立つと自動販売機のブースに移動した。何か、飲みものを用意した方がいいだろうと思い立ったのだ。 


「なんか、(おと)。大人っぽくなったわね?」

「そかな? よく、わかんない」


 彩子(あやこ)は向かいの席に着く二人をみて、そう思った。正確には、(おと)のしゃべり方が微妙に違って聞こえた。前までは片言風だったが、今は流動的な滑らかさを持っていた。それに、少しばかり顔つきも子供のような無垢なものから、少女が見せる特有の優美さを持ち始めていた。


 そこまで思って、彩子(あやこ)は隣のリーンを気に掛ける。


「大丈夫、軍曹さん?」

「ん? 何だよ、英語できんじゃねぇか」

「まだまだ、だけどね」


 リーンが痛む側頭部を押さえながら、空いている手で顔に浮かんだ汗を拭う。なんだかんだいっても、少女たちの先輩だ。彼なりに、彩子(あやこ)(おと)の変化は察していた。


 一方で、アリスたちが話す背後で、(いつき)はどのカップジュースにするか迷っているフリをしていた。リーンに飲み物を持っていくのはもちろんだったが、少しでも会話の内容を聞いておきたかった。


 後ろの(いつき)のことが気になるのか、大人たちはそわそわして視線を泳がせていた。ヤッシュだけはじっと(いつき)の後ろ姿を、まるで芸術品でも眺めるかのように見入っていた。


「さて、君たちの処遇はバーグ中佐に報告するとして、問題は彼女」


 アリスは眠たげにあくびを噛み殺して、さっと全体を見渡した。当然、ヤッシュの視線がどこに向いているかも承知していた。実行犯である三人はうつむいて、アリスを直視しようともしない。それが罪の意識からならいいが、ただの小うるさい若輩者と思っている節もあった。


 それを証明するように、呼び出された小隊長の男が大声を上げる。えらの張った顔つきと焼けた肌が、食パンぽいな、とアリスは思った。


「おいっ! こっちは一人病院送りにされてんだぞ。謝罪はないのか」

「何度も言わせないで、中尉。こちらはそんな気ない」


 アリスは左端に座る小隊長の男に向かって、きっぱりと言った。これは男女間の問題だ。いまさら、リーンの不祥事だと掘り返す内容ではない。


 小隊長の男は顔を震わせて、あからさまに敵意をむき出しにしていた。彼のほうがアリスより歳が一回りも上なら、階級も上だ。なのに、アリス・ジェフナムという女は恐れるどこか、彼の地位を失墜させるかのような気迫を持っていた。


「いいじゃない。当事者についての懲罰は禁固刑で合意でしょ? 生易しいものよ。准尉のお人よしに感謝するべきじゃない」

「それとこれとは話が違う。あの男はどうなんだと言ってるんだ?」

「それこそ、違う話よ。今は、彼女の今後について話しましょう? 文句なら後で、聞いてあげるわよ」


 アリスも、そろそろ話の本筋を理解していない男どもを相手にするのが面倒になってきた。先ほどから、自分の要求だけを突きつけてくる。仮にも小隊長なら、もっと状況を飲み込むべきだ。『地球平和軍』の腐敗の一端か。こんな尉官がいて、本気で『新人類軍』を倒せるのだろうかと心配になる。


 小隊長の男は部下の一人を睨みつけて、恨みの矛先を変えた。


 (いつき)はそんなグダグダした話し合いに見切りをつけて、適当なカップジュースのボタンを押す。背後に刺さる視線に背筋が泡立つ感覚があったのも、ここを離れたい理由の一つだ。ヤッシュの存在が原因だ。まさにお貴族様をしているのが腹立たしかった。


「さて、准尉はよりにもよって同じ部隊の人間に恥辱を受けたわけだが、このことについて君の意志は?」


 アリスが隣のコフィンを見て、発言を促した。


 コフィンはびくりと肩を震わせると、視線を泳がせてぼそぼそと話しだす。


「え、えと……。もうしないと誓ってくださるなら、わたしはそれで…………」


 その発言に、アリスも(いつき)もどこまでお人よしなんだか、と呆れて肩を竦める。加害者と被害者が同じ部隊にいるのは、今後の戦闘にも影響してくる可能性もある。加えて、ふとした拍子に今回のことを思い出すかもしれない。


「思い切って、除隊するのもありじゃない?」

「それは――――、できませんよ。わたしも、軍人の端くれです。やらなければならないことは、承知しているつもりです」

「…………」


 コフィンはそこだけは、なぜかはっきりと強く言った。戦争や義務感以外にも、彼女は『地球平和軍』という組織に属している意義を知りたかった。親の七光りで入隊したので、言われるがまま操り人形のように人生を送っていくのだろうと諦めてもいた。その中で一人の人間として何ができるか、自分の意味を知りたいと思うようになっていた。


 アリスは困って髪を掻き毟ると、ふとその手を止めて振り向いた。


 (いつき)もちょうど出てきたカップジュースを持って、立ち去るところで彼女の視線をすぐに気付いた。


「そういえば――――、エポッヘ社から預かった資料、今持ってきて」

「はい? いいけど……」


 (いつき)は困惑しながら、足早にその場を離れて、彩子(あやこ)たちの席に戻った。


「何? どうしたのよ?」

「資料持って来いって。あ、これ飲み物」

「悪ぃな……」


 リーンにカップジュースを渡すと、(いつき)は資料の入った革製のカバンを持った。ずっしりとくる重みに、一瞬顔を顰める。


「しりょ? せんせ、ひつよ、言てた?」

「わかんないけど、必要なんでしょ」


 (おと)の言葉にこたえて、(いつき)は重たいカバンをアリスのところへ運ぶ。


 その様子をアリスを除いた人たちが、不思議そうに眺める。アリスだけが、得意顔をうかべるとあくびをした。余裕綽々といった風体で、(いつき)にはだらしない姿に見えた。


「はい。これが、預かってきた資料」

「ご苦労さま。んっ!? 結構重い?」


 横に回ってきた(いつき)からカバンを受け取ったアリスが、その重さに驚いた。中身を確認すると、その正体が贅沢な紙片の束であると気付いて納得。電子パットさえ使えば、ここまで大量な紙を使わなくて済んだものを。


 アリスはコフィンたちが訝しんでいる中で、資料を取り出して中身を流し読みした。


「なるほど、ね。面倒な品物をまぁ」


 言って、流し読みをやめるとその資料を、隣のコフィンに向けた。


「え、えっと――――」

「読んでみて」


 短いやり取りを経て、コフィンはおずおずと資料を手に取って中身を確認する。内容は次期支援火器の概要や図面、操作モジュール等の詳細が記載されている。他にも、反応装甲リアクティブ・アーマーの改良型や電子戦(EW)装備の新しいモデル、さらには次世代機の構想まで記載されている。


 誰もがその資料に興味を受ける中、アリスがこともなげに質問する。


「扱えそう?」

「え? えーっと…………、理論が通ってないところが――――」


 自信のないコフィンの返答に、アリスはしかし不敵に笑って見せた。


「ふぅん、そうなの。うちの部隊、エポッヘ社の機体に乗ってる人いないから、あたしにはわからかったわ」

「でも、わたし、〔ギリガ〕しか乗ったことありませんから、詳しくは――――」

「なんだ、それは僥倖。同社の機体の搭乗者なら、色々特色も知ってそうね」


 アリスは心底驚いて、コフィンのとぼけた顔を見た。


 それから、彼女は勝ち誇ってヤッシュに目を向ける。


「というわけで、准尉をあたしの試験小隊へ編入させたい。どうだろう?」

「――――っ!」


 コフィンは目を見開いて、その提案がどれほど素晴らしいか実感した。彼女とて、気にしないで同じ部隊に所属するのは、やはり不安だ。だからと言って、下士官である彼女だけでは変更できない。どこか筋の通った理由で、別部隊から推薦されなけば。


 (いつき)も驚いて、息を飲んだ。


 しかし、ヤッシュの呆けていた顔が急に険しくなる。それも当然。部下を失うと、小隊の戦力が低下する。加えて、彼の部下の失態や彼の評価が一気に落ちるのは明白だ。

 

「しかし、コフィン准尉の意見も聞かないと――――」


 コフィンを試す言葉。彼女が簡単に自分の意志を出さないことを、ヤッシュはわかっていた。観察力はそれなりにあるようだ。


 コフィンは弱虫な部分が喉から出かかって、一瞬生唾を飲みこんだ。これが最後のチャンスになるかもしれない。自分が変われる第一歩になるかもしれない。


 そして、コフィン・コフィンは決意した顔つきになった。


「わたし、ジェフナム少尉の部隊で頑張りたいです」


 その一言に、誰もが目を見張り、(いつき)は喜びに頬を紅潮させ、アリスは勝ちを確信して頷き、ヤッシュたちは小娘の手のひらで踊らされたことに憤りを覚える。


「カルマゾフ少佐。どうか、編入の許可を願います」

「ま、バーグ中佐の報告がてら推薦してもらうけど」


 頭を下げるコフィンの横で、アリスはさらに追い打ちをかけた。ヤッシュの意見など必要ない。虎の威を借る狐と言われても、なんら問題はない。実際、そうでもしなければ通らない提案だ。


 もちろん、試験小隊の扱える実験兵装の幅も広がり、より早く量産にこぎつけることができる。


「女狐……」

 

 ヤッシュが忌々し気につぶやいた。階級も下なら成り上がり風情の女に、ここまで好き勝手にされ、彼のプライドを深く傷つけた。自分のほうが何不自由ない体制を用意できるのにだ。アリス試験小隊は常に忙しいうえ前線に投入される。方やヤッシュの小隊は後方の護衛が主だ。命の危険性が少ないところだ。


 すると、黙って聞いていた小隊長の男が、えらの張った顔を真っ赤にして声を荒げる。


「ふざけているのかっ! たかが痴漢騒動で、貴様が好き勝手していいわけないだろうっ!!」


 瞬間、アリスと(いつき)、離れている彩子(あやこ)(おと)もリーンも、一斉に小隊長の男を睨みつけた。その気迫たるや、敵の包囲網にさらされたような緊迫感を持っていた。


「たかが? それが人の上に立つ人間の言葉?」


 アリスが濁った半目を据える。確かに、この問題は男には理解しがたいものだろう。それを咎めるつもりはない。それでも、理解しようとも気にかけることすらしない彼の態度は度し難いものだ。


 小隊長の男は年下のアリスや隣で立つ(いつき)の気迫に押されて、目を背ける。


「わかった。一旦、中佐への報告は保留にする。かわりに、准尉の実力テストも兼ねて賭けをしよう」

「何?」

「ちょうど午後、シュミレーション訓練をすることになっていてね。過去の戦闘記録から作成された敵を相手に。でも、それだと物足りないと思わない? そこで、加害者たち四人と准尉を含めたあたしの部下たちと勝負しましょう」


 アリスの提案に、誰もが驚いた。賭け勝負をしようと。同じ『地球平和軍』同士で。


 だが、(いつき)たち、アリス試験小隊の面々は上等と言わんばかりに、闘志を燃やしている。彼女たちの実力は、お世辞にも完璧とは言えない。戦いの心得も、機体のクセも掴めず、燻っている。それでも、初めて闘争に正しい理由を見つけて志を同じくした。


 小隊長の男はただの身の程を知らない自信家程度の認識を持って、告げる。


「いいだろう。こちらも、訓練を積む必要があったしな。俺たちが勝ったら、今回の件は不問。お前にも、あの赤毛の男にも身の程を教えてやる」


 その三文台詞に、アリスは肩を竦めた。育ちの良さが、目に見えている気がしてならない。


 ヤッシュも部下たちに一瞥くれて、アリスに言う。


「こちらも了解だ。それから、もう一つ条件がある」

「却下。図に乗らないで、少佐。部下の不祥事をもみ消すのと、あたしとリーン軍曹への恐喝で十分だろう。まさか、(いつき)をものにしたい、なんて小さいこと言わないよね?」


 その一言に、ヤッシュの部下がくすくすと笑った。


 ヤッシュは図星を突かれて、口籠り身を引いた。


「では、決定。一時間後、ドックで会いましょう。ああ、わかってると思うけど、あたしたちが勝ったら、准尉は編入。ついでに、加害者には宇宙漂流刑を受けてもらうから」


 アリスは立ち上がって、資料の入っていたカバンを手にした。それにつられて、コフィンも立ち上がって資料を彼女に渡す。すでにコフィンの中では、アリス・ジェフナムを直接の上司だと思って接する。


「少尉は出ないんだな?」

「もちろん。言ったでしょ、あたしの部下たちが相手だって」


 ヤッシュの臆病な最終確認に、アリスは毅然として答える。部下の実力を過大評価してではない。面倒だからでもない。


 どうにも(いつき)たちは燻っているからだ。リーンの暴力や(おと)の訪問から、アリスなりにそう推測した。だからこそ、倒すべき相手を定め、力を伸ばす必要がある。才能云々を語るところではなく、どれだけ自分を高められるか。


 アリスは眠そうにあくびをして、(いつき)とコフィンを引き連れる。それを見たリーンたちも席を立って、彼女の後について行き、食堂を出ていく。


「やることはわかってる?」

「もちろんっ」

 

 (いつき)が言う。


「やってやるわよ」

「勝つっ!」


 彩子(あやこ)(おと)が続いた。


「あの連中はぜってー潰す」


 リーンが握り拳を作る。


 その様子に、コフィンは頼もしさを感じる反面、申し訳ない気持ちになった。自然とその足は止まり、廊下で立ち尽くしてしまう。


「すみません。ご迷惑をおかけして……」


 コフィンの言葉に、アリスたちは足を止めて振り返る。彼女の人の好さは病的だ。他人のために考えを巡らせるのはいいが度が過ぎている。


 アリスが何か気の利いた言葉をかけようとした時、(いつき)が言った。


「迷惑じゃない。わたしは許せないから、勝負するの。それに負けたら、失うことになる。そんなの、絶対ヤダ!」


 心からの言葉。戦争の中で、(いつき)たちは命が失われる瞬間を見てきた。それに比べたら、今回の賭け勝負はお遊びだ。そんな遊びでも、負ければアリスやリーン、コフィンが傷ついてしまう。


 彩子(あやこ)(おと)が頷く。負けられない、とまっすぐいた瞳が訴えかける。


 アリスとリーンは彼女たちの小さな背に、自分たちの過去を見ているような気がした。何かを守るために戦う。そんな単純なことさえ、見失ってしまった。だが、(いつき)たちの可能性を信じたいとも思った。理想ではない、確かな目標として掲げた信念なら貫い生きてほしいと。


「……時間がないよ。向こうで軽食を取りつつ、少しでも機体に慣れておきなさい」


 アリスはコフィンに向かって、そう命令した。


 コフィンは少しの間呆然と五人を見て、うれしそうに微笑んだ。自分を受け入れてくれる場所があると実感した。


 そして、一歩大きく踏み出した。

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