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マシン・レコード  作者: 平田公義
第六章
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~賭けるもの~ 不祥事

 食堂はにぎわいを見せていたが、リーン・セルムットはその混み具合にイライラが増した。


 シュミレーションでも〔バーカム〕の感覚を掴めず、手足が痺れてさらに難しくなった。試作機とはいえ、製造元の趣味を疑う出来上がりだ。使えば使うほど、今までの培ってきた技能を削っているようで神経を切り刻まれる思いだった。


「あれの量産型なんて、使い物にならねぇだろ」


 リーンはしかめっ面でトレイを手に取って、長蛇の列に並ぶ。三列に分かれても、一番前のカウンターが人垣に埋もれて見えない。まったく前に進まない列に、数人の兵士たちが文句を言っていた。


 耳障りだ。叫んでばかりで、我慢することもできない連中が無性に腹立たしい。待機中とはいえ、自身の要求が常に通るとでも思っているのだろうか。


 リーンは独りよがりな考えを悶々と繰り返しながら、すっと背伸びして前列の状況を観察する。人が密集し過ぎて、前後左右で板挟みになっている人が目に入った。金髪の女性だ。彼から確認できる情報はそれくらいだった。


「…………? 妙だな……」


 全体を見渡せば、密集しているのは金髪を中心としたごく僅かな個所で、他は等間隔に並んでいる。行列とはいえ、仲間内で固まっているようにも見えない。それに、近くの人の頭がその個所とは見当違いの方向を向いている。あえて目的があるとするなら、避けている。


「…………」


 リーンは妙な胸騒ぎを覚えて、一度列から強引に離れる。数人の兵士が罵声を浴びせたが気にしない。今は確認しなければ気が済まないのだ。杞憂に終わるなら、彼は自分が愚かだったと反省するだろう。


 しかし、何もしないで後悔をするのは、ごめんだ。リーン・セルムットはそうした後悔の積み重ねをして、自身のちっぽけさを実感している。現実は人に猶予など与えず、決断を迫っている。正しい、正しくないなど関係ない。行動するか、否か。その選択が要求されるのだ。


 リーンは列の外側からゆっくりと前列のほうへ、並ぶ連中に睨みを利かせるようにして前進する。やはり、周囲は横入りか何かと思っているらしく、批判の声は増す一方だった。


 そして、彼は人垣の中にいる金髪の女性の正体を見た。


「コフィン……准尉?」


 リーンはぼやくように言う。別部隊になって、正直関係性はほとん破綻しているも同じだ。彼には彼の、彼女には彼女の立場や任務がある。同じ部隊に所属していたことがあった程度なら、積極的に接触する理由などない。


 だが、コフィンの怯えきった表情や震えながらも何かに耐えている様子を見逃すことはできなかった。いや、見逃してはならない事態にあった。周囲の男たちの手つきや立ち振る舞いが、それだ。彼らはその手を彼女のお尻や胸に伸ばし、愛撫している。下衆な笑みを浮かべ、自分たちで壁を作り、嫌らしい手つきは止まることを知らない。気づかれてないとさえ思っているだろう。その実、周りにいる兵士たちは認識している。それでも、男も、女でさえもその辱めを止めようとする素振りさえ見せない。


 リーンは頭の血管がぶち切れたような、憎しみと怒りの奔流が苛立った思考に鞭打つのを実感する。


「テメェら…………」


 鬼の形相で、唸るように吐き捨てるとリーンはずかずかと大股で、一番外側の男の肩を掴んだ。


「んだよ――――――っつ!」


 男が首だけをリーンに向けた瞬間、肩甲骨を粉砕しかねないほどの握力が襲い掛かった。まず、肉を抉る痛烈な痛みが思考を麻痺させ、骨をゆがませる鈍い痛みに身をよじる。


 コフィンを取り囲んでいた男たちもコフィンも、そして並んでいる兵士たちもリーンに瞠目した。特徴な赤毛がさらに炎のイメージを焼き付け、相手を威嚇する。ギラついた眼光が、当事者も部外者も関係なく射ぬき、牽制する。


「そいつから離れろ。どいつもこいつも、人を何だと――――」

「離せよっ」


 瞬間、肩を掴まれていた男が強引に肘鉄を、リーンの顔面に入れる。


 リーンは反応できず、もろに喰らう。口の中で、血の味が広がる。その拍子に、男の肩から手を放して一歩後退る。視線は男たちに向けたまま、鋭い光を輝かせていた。


 肩を掴まれていた男は忌々しげに、痛む肩を回しながらリーンに歩み寄る。


「俺が何したってんだよ。ええっ!」


 余裕のない、焦った表情。自分に正当性があると言い聞かせている顔だ。掴みかかってきたお前が悪いと。妄想甚だしいと。自己中心的な思考が、ひしひしと伝わってくる。


 周りはどよめいて、コフィンに手を出していた奴らでさえ、関係ない装いを見せる。


 苦い血の味と過去の記憶がリーンの中で弾ける。刹那、彼の手は槍のごとく伸びて詰め寄った男の無駄に長い髪を引っ掴んで、振り下ろした。


「――――っひ」


 男の小さな悲鳴と、周囲から沸き立つ呻き声。

 

 それらの声を耳にするより早く、リーンは男の顔に膝蹴りを決める。顔面を埋没させる勢いで放たれた渾身の一撃。なにかが鈍く砕ける音がした。


 男から悲鳴らしい悲鳴はなかった。痛みを感じたのはほんの一瞬だったろう。だが、痙攣する四肢がその鮮烈さを物語っていた。


 リーンは目元を引くつかせながら、汚物でも捨てるかのように男の髪から手を放す。軍服の膝にはべっとりと血と唾液、ついでに鼻水と涙の跡が残った。捨てられた男の顔は鼻が潰れ、前歯の何本かが折れていた。


 にぎわっていた食堂の雰囲気が、一気に凍りついた。厨房で調理をしていた兵站もカウンターに乗り出して、その惨状を目の当たりにしていた。


「あ、あぁ…………」


 コフィンが混乱したように倒れた男を見て、口元を戦慄かせる。


 すると、怒りに燃えるリーンの顔が列のほうを向いた。誰もが息を飲んで、体を硬直させる。関係あるなしではない。本能的に、リーン・セルムットの危険性を悟ったのだ。


「そこのテメェら……。何突っ立ってんでよ、えぇっ!」


 リーンはコフィンの後ろ左右を見て言って、ずかずかと詰め寄る。


 コフィンを含めて、近くにいる兵士たちから血の気が失せていく。痛めつけられる、と当事者たちは思ったのだろう。後退しようとするが、足は動かず上体だけが仰け反る。


「何やったか、わかってんだろうな!? それがどんだけひでぇことか――――――っ」


 コフィンの目の前に立った時、リーンは背後に迫ってくる気配に気づいく。が、鈍い衝撃が走ったかと思えば、彼の視界が真っ暗になった。


「面倒を増やして……」


 そんな言葉だけが、リーンの頭に残った。



 リーンの側頭部を拳銃のグリップで殴りつけた背後の人物、アリス・ジェフナムは心底呆れかえっていた。食堂に入ってみれば、赤毛の男が殺気を放って人を襲わんと迫っているではないか。膝から崩れ落ちる自身の部下に情けなさを感じつつ、どういう経緯があって和気藹々としていただろう食堂が静まり返っているのか知りたくなった。


「せんせ。この人、気絶」


 その背後で、倒れている顔面の歪んだ男の前にしゃがみこんでいる詩野(うたの)(おと)の姿もあった。彼女たちは英語で淡々と、状況を探るように会話をする。


「どうせ、これにやられたんでしょ。はぁ……。責任誰がとると思ってるの」


 アリスは拳銃を腰のホルスターに収めて、頬を掻いた。ただでさえ厄介者扱いな上、どこぞの隊員に暴力をふるったとあっては、始末書では済まされないだろう。


「あー。状況、誰か説明してもらえます?」


 アリスが半目を周囲に向けていると、コフィンが力なく膝から崩れて、気絶しているリーンにそっと触れる。躊躇いがちで、何をしたらいいのかわからない。そんな彼女の不安な感情を示唆していた。


 アリスはコフィンの様子に気づくと同時に、じりじりとこの場を離れようとしている人物の存在を感知していた。リーンの目的などわかるわけがない。状況が少しずつ緊張から解かれて、落ち着きを取り戻しつつある。


 すると、(おと)が倒れているリーンの前でしゃがみこんで、正確にはコフィンの前に跪いて、彼女に話しかけた。


「どしたの?」

「あ、あなた…………」


 コフィンは顔を上げて(おと)を見つけると、うるうると瞳に涙を浮かべる。


「わ、わたし……、わたしっ」

「赤毛さん、いじわる?」

「違いますっ! セルムット軍曹は、わ、わたしを助けようと――――」


 コフィンが悲鳴にも似た声を上げると、狼藉を働いた兵士が肩を揺らした。


 アリスはすぐに反応して、そのうちの一人に詰め寄る。太ももをリズミカルに叩きながら、面倒そうな口調で問うた。


「何か、知ってる? まぁ、君に聞かなくとも彼女が話してくれるだろうけど。他の二名もその場に止まりなさい」


 この場を離れようとする二人の兵士の影を捉えて、アリスはぴしゃりと言い放つ。事情を知っていそうな人物を取り逃がすわけにはいかない。でないと、部下にも自分にも悪評が付きかねない。


 アリスが動きを制止している間、(おと)は言いにくそうなコフィンの隣に回り込んで耳打ちしてもらった。周囲に目を配らせて、そっとコフィンが(おと)の耳にささやいた。


 その内容を聞いた(おと)の顔つきがみるみる険しくなり、彼女の受けた屈辱が痛いほど共感できた。男には絶対理解できないだろう心の痛み。女だからこそ、わかる不快感や恐怖。


 話を聞き終えた(おと)は吊り上った眉のまま、コフィンに言った。


「わかた。代わり、言う。だいじょぶ?」

「…………」


 コフィンは力なく頷いて、一筋の涙を流した。自分がもっとしっかりしていれば、こんなことにはならなかっただろう。事実を話せるだけの勇気があったら、(おと)にも頼まなかっただろう。だが、それを口にするのはとても怖くて、思い出したくないことを喚起させそうだった。


「で? どうだった?」


 アリスは(おと)に目を向けずとも、彼女が立ち上がる衣擦れの音を耳にした。


 (おと)の小さな体がアリスの横につくと、アリスに咎められている三人を指差す。忌々しそうに、コフィンの意志を傷つけてしまうことを覚悟して言い放つ。


「この人、痴漢したっ!」


 この場の空気が、一気に氷点下まで凍りついたように張り詰める。


「…………なるほど。君たち、ここに上司を呼べ。迅速にな」

「な――――」


 三人が息を飲む声に、アリスは濁った半目を向ける。その濁りが、いつもの寝不足とは違う、不快感と憎悪で黒ずんでいた。


「今後の処遇を決めてもらわなければ、ならないでしょう? さっさとしなさい。あたしは、とても機嫌が悪いの」


 底冷えする怒りの声。とても理性的であり、感情を無理やり押し殺している雰囲気に、誰もが不発弾を前にしている気分になった。


 それからの流れは至極淡々として、無関係を装う兵士たちがいたたまれなくなって食堂を後にしていく。アリスも(おと)は彼らが素知らぬ顔をして去っていくのを腹立たしく思いだながら、リーンとコフィンに気を回した。目撃者の一人もいるだろうに。


 最終的に、残ったのはほんの数人だった。

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