~初任務~ 直前の空気
ちょっとした不祥事の処理を任される気分は、あまり心地よくない。それは他人のしりぬぐいであって、組織全体を揺るがすようなことではないからだ。
今回の任務に選ばれたことに、ハンス・ルゥは少なからずの不満があった。
「すまない。私の不注意で、手間をかける」
発進直前。マスドライバーのプラットホームで、ハンスたち四人の兵士たちを集めて、ゲイルは謝罪した。マスドライバーの二本の超伝導レールの間には小型輸送機〔シーカー〕とそれに四機の〔ミリシュミット〕が取り付いていた。両脇をカタパルトで固定し、発射させるのだ。
閑散としたプラットホームは寒々しく、特殊ガラスの向こうに見える地球が暗い宇宙にぽっかりと浮かんでいる。
「いえ。これも任務ですから」
この任務の小隊長を任された男が言った。
彼の言うとおり、任務ならばしかたないと誰もが割り切った。だが、目の前にいるゲイル・マークスはそれなりに優秀な船乗りのはずだ。実直な彼が見落とすということは、よほど大したことではないのだろう。ハンスを含めた隊員たちはそう思っていた。
ゲイルはばつが悪そうに笑みを浮かべる。
「そう言ってもらえると助かる。問題は『地球平和軍』にも動きがあることだ」
「戦闘になるんですか?」
一人の隊員が興味本位で尋ねた。極力戦闘は回避した方がいいという判断からだろう。
ゲイルは隊員を見て、真剣な顔つきになる。
「おそらく。動向は不明だが、予想進路では〔リンカー〕の残骸が浮かぶ宙域を通る。鉢合わせになる可能性は十分にある」
「まさか、奴らもブラックボックスを?」
ハンスが言った。
自分たちの任務も、沈めた〔リンカー〕のブラックボックスの回収。ゲイルが見落とした不祥事でもあり、回収作業をしなかったのは、ブラックボックスが破壊されたと思っていたからだ。加えて、『ガーデン1』襲撃時の損傷に予想以上に意識を割いていたこともあった。
〔リンカー〕の航行記録を知らない『地球平和軍』が、ブラックボックスを欲しがっていても不思議はない。被害者がどこの誰かよりも、『新人類軍』に参加した研究者を割り出したいだろう。とにかく、敵の勢力を知りたいはずだ。
ハンスたちが敵の立場になって考えれば、それが自然だ。
ゲイルは一度頷いて、隊員たちを見渡す。
「確証はない。しかし、ブラックボックスの記録は敵にとっても有力な情報だ。その前に何としても、回収を頼む」
「了解っ!」
隊員たちは背筋を正して、はっきりと返答する。
こちらが持っていても利益はないが、敵に渡れば不利益になる品物ほど、面倒なものはない。こんなことで命を投げ出すほど、彼らも入れ込んではいない。回収、最低でも破壊が彼らの目的だ。
樹たちは小型輸送船〔シーカー〕に乗り移って、目標空域を目指していた。アリスの宣言通り、三人はリーンからげんこつを一発ずつ喰らい、最悪のスタートだった。
とはいえ、長い時間が経ち、痛みも引いて、緊張が緩みきっていた。各々配給されたタブレット端末に目を落として、暇を持て余している。
「あれ? 彩子、何してるの?」
樹は暇つぶしのゲームを打ち切って、視界の端に見えていた彩子に顔を向ける。一人だけ、イヤホンをして完全に外部との交信を絶っている。しかも、タブレット端末を見つめる真剣な眼差しは、学者肌な感じがする。
彩子は樹の呼びかけなど聞こえるはずがなく、指先で画面をスライドさせ、もごもごと口元を動かしている。
「あーやーこーっ」
音も暇つぶしとばかりに、樹の前に体を乗り出し、彩子の頬に人差し指を当てる。ぷにっとした肌の張りをグローブ越しからもわかった。
それでも、彩子の表情は変わらず、タブレット端末に集中している。
音は彼女の無反応さに、寂しくなる。指先を離して、無重力に体を預ける。ふわりと浮かぶ体を樹が抱きかかえるように抑える。
「まったく、何をそんなに……」
樹は彩子のタブレット端末の画面に視線を落とした。
そこには、英文と簡単なイラストが大々的に表示されており、画面の端っこに小さく『アメーバにもわかる! 英会話、日常会話&ビジネス会話編』というロゴがあった。
「…………」
「? 何? どした?」
硬直する樹に、音が心配そうに見上げる。樹の表情はよく見えなかったが、呆れてものも言えないような心情が伝わってくる。
「こういう手の参考書って、実用性を疑うのよね……。しかも、アメーバって」
「――――ん? あれ? どうしたの?」
そこで彩子が二人の視線に気づいて、イヤホンを取った。タブレット端末を軽く叩いて、動作を停止。
「何よ。じろじろ見て」
「これ、何?」
音が彩子の膝元に乗っているものを指差して言う。
彩子はなにか納得いったように微笑む。
「ああ。英会話の教材。先生さんが、君は英語の勉強をしなさいって入れといてくれたのよ。意外とすんなりできて、いい感じ」
彩子の自信に満ち溢れた声に、樹も音も何も言い返せなかった。少しでも英会話ができないと、ここにはいられないという彼女の生真面目さが窺える。
その生真面目さゆえか、集中力がずば抜けている。彼女の知識量は未知数だが、飲み込みの速さは十二分にあるだろう。
「でも、アメーバ……」
「アメーバ……?」
「人を単細胞生物みたいく言わないでよ。もうっ」
彩子はふくれっ面になって、イヤホンを耳にする。それから、また画面を軽く指で叩いて、勉強に戻る。すぐにとは言わなかったが、徐々に画面の英文を追う作業から、自然と英文を口ずさむようになっていった。
「すごい、かも?」
「彩子って、天才なんじゃない?」
樹はそうつぶやく。天才という言葉は軽々しく使いたくないのだが、今の彩子は『天才』と呼んでも申し分ない素質を感じられた。
妙な力というのか、雰囲気が普通の女の子とは違う。今目の前にしている彼女は、本質を根本から分解して、深く理解しようとしている。
音も樹の膝の上に寝そべりながら、彩子の真剣な眼差しに気圧される。
「ったく、たるんでやがる」
リーンは彼女たちから少し離れた席で、腕組みをして座っていた。殴った拳がまだ名残惜しそうに痛む。新兵の面倒を見れるほど、寛容ではない。というより、後輩を持ったことのない彼にしてみれば、行動の鈍い邪魔者程度の認識だ。
すると、前方の操縦室からアリスが流れてきた。相変わらずの半目と目元のくまが彼女の疲れを象徴している。
「リーン軍曹。君宛にメールだ」
「? 俺に?」
リーンの横についたアリスが手に持っていた紙片を差し出す。ひどく面倒そうな所作。まるで、ミスをした部下を窘めるかのような瞳が、彼を見下ろしている。
リーンは差し出された紙片を受け取り、その文面に目を通す。
「あのバカ少佐からの苦情よ。気にしないで、今は任務に当たりなさい」
「ケッ。誰があんなガキに手を出すかっての。馬鹿にしやがって」
リーンはちんけな文面に怒って、紙片をくしゃくしゃに丸める。メールの差出人であるヤッシュ・カルマゾフが、いかに無能なのかよくわかった。これで少佐階級だというから、『地球平和軍』はどうかしている。
すると、リーンたちの会話を聞いた樹が頭を上げて、ゆっくりと席を立つ。聞き逃せない内容を話しているとわかったからだ。
寝そべっていた音が慌てて、起き上がり自分の席に着いた。
「成り上がりが嫌いなのよ、お貴族様は。でも、この場合はちょっと違うか」
「ん? あんたも、引き抜かれたのか?」
リーンは初めて、アリスが自分と同じ立場だったことを知った。気怠そうな外見に似合わず、腕は確かなのだろう。
アリスが気まずそうに顔を顰める。
「まぁ、ね。正直、ここに配属された時点でかなり嫌われてるみたいだけど」
「すみません。メール見せてくれませんか?」
樹が二人の間に割り込むように、シートを伝って流れてきた。まるで、海底の岩を伝って泳ぐかのようだ。
リーンは嫌そうにむっつり顔になったが、くしゃくしゃにした紙片を無造作に投げつける。別に見られて困る内容でもないし、樹にも損はないはずだ。
「気になるの? 許婚のメール」
「そんなんじゃないっ」
アリスの茶化しに一喝して、樹は投げつけられた紙片を取って、広げる。それからしわを伸ばして、文面に視線を走らせる。
「ふぅん。そういう関係かよ」
「あたしたちには、わからない世界よ」
アリスとリーンは読むのに集中して、惰性で体が流されていく樹を目で追った。
樹の表情がみるみる険しくなる。激しい怒りと憎悪がかわいらしい顔を鬼の形相へと変貌させる。
「あの下衆野郎……」
怨念のこもった声を漏らして、樹は背中から壁にぶつかり、バウンド。ゆっくりと戻ってくる。
「ほら、そう怒らない。寿命を縮めるわよ」
「だって、ここまでしつこいと気持ち悪いよ」
「確かにな……」
樹がシートを使って体を押し、アリスの横についた。体は浮かんだままで、メールをこれ見よがしに叩いた。
リーンは彼女の持つ怒りに共感できた。抱いている大きさは違うだろうが、生理的に受け付けない感触は同じだろう。
「でしょう。あんな男、目障りなだけ」
「荒れてるわね。これは重症」
アリスは樹の手から紙片を奪って、一度流し読みをする。
「隊の士気にかかわるなら――――」
そういって、びりびりと紙片を破った。
樹とリーンがその様子をまじまじと観察する。
「来なかったことにしよう。どうせ、セクハラやパワハラで直訴したって親の権力を引っ張ってくんだし。内容なんか忘れなさない」
アリスはそう言って、後方に流れて行った。
音が興味津々にその後ろ姿を見た。
アリスはそこにある備え付けてあるゴミ箱のふたを開け、細切れにした紙片を放り込み、ふたを閉じる。あとはスイッチ一つ押して、紙片は宇宙へ排出。
「さて、作戦の最終確認をしよう」
アリスは気を取り直すように前に進む。その途中、英会話に没頭する彩子の頭を軽く触れる。
「? 今度は何?」
彩子はイヤホンを外して、前を行くアリスの後ろ姿を凝視した。触れられた感触に違和感を覚えながら、電子パットから手を放す。
全員の視線がアリスに注がれる。
「今回の最優先事項は〔リンカー〕のブラックボックス回収よ。各員散開して、捜索して。発見次第、報告を忘れないように。捜索が終われば、実験に入る」
アリスは手元の腕時計を一瞥して、頷く。もうすぐ到着予定時間だ。
「そろそろ時間ね。各員、準備して」
その気怠い声に、誰もが一瞬唖然となった。先ほどの会話の流れから一変して、いきなりの出撃命令。リーンだって、その転身には驚くばかりだ。
だが、樹と音はリーンよりも早く、パイロットスーツの点検を始めていた。先ほどまで怒り心頭だった樹が、状況をうまく呑み込めていない彩子の傍に移動して説明している。少しは冷静になれたらしい。
説明を受けた彩子も慌てて準備し始める。その慌てた様子は、何かを恐れているようにも見えた。
弛緩しきっていた雰囲気が、引き締められる。
リーンには、女特有の行動原理なのかと目を疑った。
「ほら、パイロットスーツの点検よ」
瞬間、リーンの脳天を揺さぶる鈍い一撃が襲った。アリスの平手打ちだ。
リーンは頭を押さえて、横に立つアリスを睨みつけた。なるほど、樹たちはこの一撃を恐れて、そそくさと準備に入ったわけか。
「子供のしつけってやつかよ」
「何か言った?」
気怠そうな声が頭上から聞こえ、リーンも慌てて準備に取り掛かった。




