~護衛~ 心構え
入浴を済ませ、樹たちは真夜中の食事を取ることにした。明かりの灯った部屋の丸テーブルを囲んで、それぞれふたをした丼、底の深い大皿に目をやって、空腹を我慢している。
三人ともTシャツ、ショートパンツとラフな湯上りの格好をしている。しかし、彼女たちの体格如実がそのシンプルな服装に浮き彫りになっている。
「まんま、まだぁー?」
音が箸でふたを叩きながら言う。
「こらっ! 行儀悪いわよ」
彩子はぴしゃりと叱る。
すると、音は素直に、しかし、落胆の表情を浮かべて両手に持っていた箸を置く。
「随分と仲良くなったわね」
樹は覇気のない表情で、テーブルに置かれているキッチンタイマーに目を落としていた。疲れも出てきて、空腹感が意識を阻害している。テーブルには箸ではなく、代わりにフォークが置かれている。
「そう? ま、悪い子じゃないってのはわかるわよ。でも、話し方どうにかならないかしら?」
「音、おかし?」
「それよ、それ」
音が自分を指差して小首をかしげるのを、彩子も呆れ顔で彼女を指差して頷く。今になって、この幼稚な言葉遣いが歳不相応だと実感する。わざとにしては、手が込んでいるとも彩子は思うのだ。
「はぁ……。なんでこんな――――」
彩子が訪ねた瞬間、キッチンタイマーがけたたましく鳴り響く。すぐさま、樹が止める。
「できた?」
「ええ。どうぞ」
音の歓喜する声に、樹は優しく、弱々しく答える。
彩子はその樹の様子に不安を抱きながら、様子を見ることにした。
三人は薄皿の蓋を取って、ふあっと立ち上る湯気を見送った。その先で、少し香ばしい醤油の香りを漂わせた即席ラーメンが醤油ベースのスープとともにそれぞれの器にあった。一気に腹の虫が鳴る。
簡素な食事だが、今の三人にはちょうどいい。肉とかを食べる気にはなれなかったからだ。
「おいしそ。食べる、いい?」
嬉しそうに声を弾ませる音に、樹と彩子が頷く。
了解を得た音はにこやかに、箸を握りしめて、即席ラーメンを食べ始める。箸の持ち方がわからないのか、ずっと握りしめたまま、丼に顔を突っ込ませる勢いで顔を近づける。それから麺を丼の淵まで箸で運んで、麺を口に放り込む。俗にいう犬食いだ。
彩子はその光景に唖然として、持っている箸を落としそうになった。同い年の女の子が犬食いをしていることが、現実味を感じさせないのだ。
「あのさ――――」
彩子が何とか現実を受け入れて、樹に顔を向ける。
すると、どうだろう。樹は蓋にしていたお皿に麺を移しているではないか。またも、彩子の予想斜め上を行く状況に思考が追い付かない。
「ん? 何?」
樹は蓋にしていたお皿に麺をすべて移して終えて、一度彩子に向き直る。
「いや、変わった食べ方をみなさんなさるようで……」
「そう? わたしは箸使うの苦手だから、こんな風にパスタみたいに食べてるだけ」
樹はフォークと蓮華を上手に使て、麺を巻き上げて、口に運ぶ。一連の動作に彼女の気品の高さを感じさせる。
彩子はその実演を見て、
「あー。いたわ、そんな外人さん」
と言って、自分は箸を上手に使って即席ラーメンを啜る。この食べ方も、外人からすれば変な食べ方なのだろうかと妙な気分を味わう。
樹は一口目を嚥下して、何か物足りないと感じた。即席麺にはしっかりとスープの味がしみ込んでいる。だが、単調な味以上のものはない。そして、ふといつも乗せているアレがないことに気が付いた。
「忘れてた……」
そういって、樹はいったん席を立ち、台所をあさり始める。
彩子はその様子を一瞥して、食事に集中する。空だった胃に染みわたる感覚が、何とも心地いい。
しかし、いまだ背中を丸めてがっつく音が視界に入る。食いっぷりはいいのだが、やはりはしたない。
「音。そういう食べ方しちゃいけないって教わらなかった?」
音は訊かれて、一瞬箸を止めて、頭を振る。そして、またがっつく。
彩子は食い意地の張った子、と見切りをつけて自分の食事に戻る。
「二人とも、これいる?」
そうしている間に、樹がプラスチックの容器を持ってきた。その中には、薄く黒い物体があった。
「何よ、それ?」
「海苔」
樹は腰をおそして、容器の丸い蓋を外した。そこから、小さな長方形に切り分けられた海苔を取り出す。それを細切れにして、ぱらぱらと麺に振りかける。
彩子は一瞬、つけ麺みたいと思ったが、やっぱり樹は海苔の絡んだ麺をスープにはつけずに、口に入れる。
「それさ、味しないんじゃないかしら?」
「大丈夫――――」
樹は容器の蓋を掴んで、平面部に張られているラベルを見せつける。
「――味海苔だから」
「ラーメンに、味海苔…………」
『意味あるの、それ?』と言いかけて、彩子はつっこむのをやめた。食べてるものが違うと割り切ろう。
「ごちそさま」
音が丼を置いて、宣言する。見ればスープまで残さず完食している。満足げに頬を紅潮させて、はたと視線が樹の手元に止まった。
「ん? どうしたの?」
「それ、なぁに?」
樹は手にしている蓋を一度確認して、テーブルの下に置いたプラスチック容器と入れ替えで取り出す。
「味海苔。食べる?」
「食べるっ!」
「そのまま食べるものじゃないと思うんだけど」
彩子が忠告する目の前で、差し出された容器から数枚の味海苔を音は引き抜く。それから、金平糖の時と同じく物珍しそうに観察してから、一枚の角を噛む。
何とも不思議な味だった。甘辛い味に、ぱりぱりした歯ごたえから、ふやけた舌触り。やはり食べたことのない味と食感に一度口から離して、まじまじと睨みつける。
「どう?」
樹が何気なく聞くと、音は心底楽しそうに笑った。
「おいし。大好き」
そういって、味海苔を一枚一枚丁寧に食べ始める。
彩子はその様子に微笑んで言う。
「そっか。ちゃんと食べて、地球に帰る体力つけとかなくちゃだもんね?」
その一言に、樹はどきりと鼓動が高鳴った。作戦参加のことを忘れていた。それを二人にも伝えなければならないのに、何をのんきに食事に興じているのか。一人、心のうちで罪悪を抱く。
暗い表情を浮かべて、食が進まなくなった樹を見て、音が声をかける。
「樹、だいじょぶ? お腹、痛い?」
それを聞いた彩子は訝しんで、箸を置く。
「まさか、あの時の――――」
「違う。違うから…………。ただ、二人に言わなきゃいけないことがあるの」
樹は徐々に気弱になって、尻すぼみになってしまう。
彩子と音は一度顔を見合わせて、真剣な眼差しを送って話を促した。樹の一人で背負い込む癖を、ここに来るまでに痛いほどわかっている。たとえ、彼女がどう思おうとやはり二人にとってそれは、望ましい行動ではない。できるなら、樹の力になりたいと思う。
樹は戸惑いながらも、電話の内容を話した。自分たちが敵の工作員だと疑われていること。それを解消するために明朝決行される作戦に参加して、功績を上げる条件が出されたこと。
聞いている彩子と音、話している樹も『地球平和軍』のやり口に腹が立つ。だから、『新人類軍』が粛清を謳うのかと納得する。それが正しいわけではないが。
「なるほどね……」
樹の話を聞き終えて、彩子が開口一番に言った。
音はむぅと頬を膨らませて、むかつくと訴えている。
「わたしの勝手で承認したから、二人が無理する必要ないから……」
樹が申し訳なく言う。自分の責任だと、三人分の責務を背負いこもうとしている。
彩子はその態度に内心憤りながらも、思わずため息が出た。どうしようもないな、と。
「それ言っちゃったら、あんたが無理するでしょう?」
「だって、わたしは――――」
樹は口を半開きにして、徐々に閉口する。言うはずの何かが、途絶えてしまう。まるで、内側からの力がないかのような、外側の力で動いていたような感じ。自分がひどく空っぽな存在に思えてしまう。
そこに、味海苔をお皿に置いた音が言う。
「音、行く」
音の出した答えに、樹も彩子も驚かない。むしろ、やっぱりと予想できていた。
「戦い、怖い。でも、母、殺された。死ぬ、ダメ。だから、音も……」
『同じように……』と続けようとして音は口を閉ざす。
言い切ってしまうのが、急に恐ろしくなった。自分がやろうとすることが、母親を殺した人と同じだというのをはっきりとさせてしまうから。加えて、母親を殺されたというもっともらしい理由を盾に復讐することが、自分を満足させてくれるとは思えなかった。大切だった人は帰ってこない。それを埋めるかのように、虚しいことに身を投じて逃げているみたいだ。
音は聡明だった。昔あった事故のショックで幼児退行しても、彼女の思考は十六歳の子と変わらない。そして、何より彼女にとっての幸せを知っていたから、難しく考える。
難しい顔をする音に彩子は何を思ったのか、そっと微笑んで見せた。
「何よ、あたしなんかより悩んじゃって」
「むぅ。彩子、ひどい」
彩子の一言に、音は憤慨する。
樹は二人のやり取りに違和感を覚えたが、すぐに彩子が真剣な表情を向けてくる。
「戦争って、この子のように失うことなんだよね、究極的にはさ。でも、あたしは――」
自虐的に言って、彩子はすっきりした面持ちで樹を見据える。
樹はその瞳に強い意志を感じた。
「――奪ってでも、失ってでも、苦しんでも、抗いたい。初めはさ、ドンパチしてるところに突撃する二人の気持ちなんてわからなかったわ。今だってそう。でも、それに立ち向かわなきゃ、あたしはまた友達を置いていってしまうから、戦わなくちゃ……」
彩子はほんの数日間にあったことを思い出して、口をゆった。だが、彼女の覚悟の表れなのか、贖罪なのか。樹も音もわからない。
「彩子……、音……。本当にいいの?」
これが最後の確認とばかりに、樹が慎重に言う。
彩子と音はそんな彼女にはにかんだ笑みを浮かべる。心配いらないよ。大丈夫。優しいね。暖かな感情が籠っていた。
「じゃないと、三人で地球にも生きて帰れないでしょう?」
「え…………」
「一緒、違う?」
「あぁ…………。うん、そう」
樹は戸惑いながらも、喉につっかえていた言葉を出す。そして、三人が思うところは同じなのだとやっと理解する。
ここにいる友達を守りたい。彼女たちの短い時に得た確かな絆。運命に挑む力なのだ。
それから、彩子が頬を朱に染めてぶっきらぼうに言った。
「当たり前でしょう。軍隊なんかのために、あたしは動かないんだから。二人だから、頑張るのよ」
「あー……」
「彩子、変」
二人の言葉に彩子はさらに顔を真っ赤にして、伸びきったラーメンにがっついた。
作戦開始までの短い休息。招集をかけられた軍人たちは、それぞれ時間をつぶしている。あるものは仮眠をとり、あるものは軽食を、またあるものは家族や恋人の写真を眺めて黄昏ている。
作戦それ自体は難しく考えるものではない。応援部隊の支援、それだけだ。敵との交戦状態に入れば、味方の護衛を最優先とした内容は演習にもあった。それでも、死地に赴くことには変わりない。
リーンは『ガーデン1』居住区内にある『地球平和軍』の基地食堂にいた。広い食堂は半分ほどが暗闇に覆われており、深夜営業らしく厨房に立つ人影も少ない。それでも、ぽつぽつと人がいて軽い食事を楽しんでいる。冗談交じりに、最後の晩餐だのと聞こえた。
「…………」
リーンは眠気覚ましのコーヒーを口に含んで、その苦味に顔を顰める。慣れないことはするものではない、と思う。それでも、この苦味ならなるほど、眠気も飛ぶなと納得した。
「なぁ、おい。別にいいだろう?」
自動販売機が並ぶスペースの方から、そんな男の声が聞こえた。
「あ、あの、そういうのはちょっと…………」
「……? コフィン准尉か?」
聞き覚えのある声に、リーンは何気なくその方を振り向いた。
視線の先で、背の高い男が縮こまっているコフィンに言い寄っていた。男の背は並んでいる自動販売機よりも高く、ナナフシのような細さだ。その彼がコフィンを覗き込むように屈んでいる。コフィンも女性としては背の高い方だが、この男を前にしては小さく見える。
男はなめまわすようにコフィンの体を上から下へ、下から上へと眺めて言う。
「はぁん。したことないの?」
「えと、ふしだらでは、ありませんか?」
コフィンは語気を強めて言うが、自動販売機で買った携帯食の箱を持つ手に力が入る。しかし、彼女の弱腰姿勢はリーンからでも見て取れた。
男が、一歩コフィンに詰め寄る。その表情はひどくつまらないものを見ているような、さみしげな眼をしていた。少しだけ間をおいて、男はすっとコフィンから身を引いた。
「けっ! くだらねぇ女だ」
コフィンはほっと胸をなでおろして、男が去っていくのを見送る。それから、どこの席に座ろうかと食堂を見渡した。何気なく向けた視線の先で、一部始終を見ていたリーンを目があう。
「――あ」
コフィンは自然とリーンのもとに足を運んだ。一人で黙々食べていても、さみしいだけ。彼女はそう、さみしいのだ。
リーンはあからさまに面倒そうな顔を見せたが、視線を手元のコーヒーに向けて一口。
「あの、いいですか?」
向かいの席に回るコフィンに、リーンは素っ気なく言う。
「別に許可とることじゃありません」
「それでは、失礼します」
コフィンはゆったりと席に着く。一応、階級はリーンが下だが、兵歴は彼のほうが長い。とても微妙な立場で、お互い敬語がしみついている。
「えっと……」
コフィンは何を話そうか迷って、言いよどむ。こうして話す機会も少ないのだから、この居た堪れない雰囲気を少しでも和ませておきたい。そう打算的に考えても、本心はずっと引っ込み思案でうまく切り出せない。
すると、リーンはそんな視線を泳がせているコフィンに、下士官として、話を切り出す。
「先ほどはありがとございました」
「え……?」
「爆発する避難船から自分を助けてくれたじゃないですか?」
リーンは言って、コーヒーを口にする。
コフィンはぱぁと表情を明るくして、一生懸命に答える。
「い、いいえ。そんな、当然ですよ。わたしも戦闘中に、たた、助けてもらいましたし……」
「あれは違いますよ。アーム・ウェアの戦闘において、仲間を見捨てるなんて軍人の恥です」
「あ、えぇ――――、えぇ。そうですよね」
それで話は終わってしまった。
コフィンは気まずそうに視線をあちこちに向けて、手持無沙汰に携帯食の封を破った。それから、いい話題も見つからず、小麦粉の塊のような携帯食を一口大に割って、口に運ぶ。見た目通りというか、ぱさぱさした舌触りとほんのりと漂う酸味が食べ物として受け入れられた。
その向かい側で、リーンも気まずそうにコーヒーを一気に飲み干す。自然な感じでこの場を立ち去りたいのだ。
「それじゃ、自分はこれで。今回の作戦もよろしくお願いします」
「あ――」
腰を浮かせるリーンに、コフィンは思わず手を伸ばす。
「なんですか?」
手を宙に固定しているコフィンに、リーンは一度浮かせた腰を席に落ち着かせる。
「あ…………。あのっ」
「はい」
「リーン軍曹は、その、子供好きですか!?」
「…………はい?」
リーンの口調が明らかに怪しんでいた。
コフィンは言ってから、何言ってるんだと後悔と羞恥にさいなまれる。だが、せっかくの機会を失ってはいけないと話を続ける。
「えっと、脱出者の子たちが作戦に加わりますから、意見を聞いてみたいなぁっと」
「……はぁ。自分でよろしければ」
リーンはコフィンのあたふたした様子に疑問を感じながら、しばらく考え込んだ。
その間に、コフィンはコフィンで気持ちを落ち着かせる。何を緊張する必要があるのだろうか。ただ世間話に花を咲かせて、仲良くなりたいだけだ。
だが、変にリーンを意識しているのは、仲間意識だけではない。まだ、彼女も自覚していないし、リーンは歳も近いしもしかして、と思う時もあったが、現在はないかと割り切っている。
リーンは自分の考えをまとめて、コフィンを見る。正面に捉えた彼女はやはりまだ幼さを残しており、愛らしい雰囲気がありありと伝わってくる。
「やはり、脱出者を前線に立たせるのは容認しかねます。容疑がある以上、味方にあらぬ不安を与えることになりますからね」
「ええ。わたしも同意見です。しかし、本人たちはどう思うんですかね」
「何を、ですか?」
「戦上に立つということについて、です」
コフィンは穏やかに言って、軍人らしいしゃんとした顔つきになる。
リーンはこういう時、女性が強い存在だと感じてしまう。感性の違いというのか、もっと内面的な部分を掘り下げてくる。
「それは、自分からすれば、国や人を守るためです。脱出者たちも同じようなものではないかと」
「そうでしょうか? 彼女たちは容疑をかけられ、上層部の判断で動かされています。従うか否かはおいて、何のために傷つき、傷つけるかを決断できないのではないでしょうか」
「傲慢です、そんなの。戦争が始まっているというのに」
「平和の時が長かったですから。簡単じゃありませんよ」
コフィンはさみしげに視線を落として、一口大の携帯食を食べる。
リーンは彼女の言うことが、理解できなかった。全体を見たとき、脱出者たちにも親兄弟はいるだろう。その人たちを守る力があるのなら、戦って守るのが筋というものだろう。そのために敵を撃破することは誇れることだろうに。
「女はそうやって、個人を大事にする……」
「え? 何か?」
コフィンが弾かれたように顔を上げて、質問する。
リーンはすっと席を立つ。
「いいえ。自分は仮眠をとりますので、失礼します。では、のちほど」
「え、ええ。よい夢を……」
コフィンの戸惑う声を振り払うように、リーンは空の紙コップをくずかごに放って、食堂を後にする。
コフィンはリーンとの距離を感じて、一人さみしく残りの携帯食をさっさと食べた。




