~護衛~ それぞれの事情
「あのさ、急にこんなこと言うのって変だと思うけど…………」
「何?」
彩子が恥らいながら、視線を泳がせる。
「なんで、あたしら一緒にお風呂入ってんの?」
「あなた一人じゃ、収集つかなくなったからでしょう」
「うぴゃーっ!」
樹は気にすることなく、目の前に座る音の髪についている泡を流す。
音がじたばたと手足をばたつかせる。右足の怪我はしっかりと治療され、今はお湯に濡れないようビニールで患部が保護されている。痛みも引いている。
一糸まとわぬ彼女たちは狭い風呂場で、汗を流していた。先ほどまで尋問を受けて、ようやっと解放されたのだ。現在樹が『ガーデン1』で借りているワンルームの宿舎にいる。『サテライト』の研究者だと確認されたが、『地球平和軍』は彼女たちを軟禁する名目で、宿舎に返すこととしたが。
湯船につかる彩子は縁にへばりつくようにして、音の長い長い髪の毛の先を洗っている。もともと、彩子が音の洗髪を頼まれたのだが、あまりの長さと音のお風呂嫌いが発覚し、一時風呂場が騒然となっていた。その収集を含めて、樹も一緒している。
お互い裸の付き合いというのにあまり抵抗がないようで、和気藹々と楽しんでいる風だ。
「ほら、暴れない。少しは身だしなみくらいちゃんとして」
「め、目、痛いぃ」
音は目元をぬぐいながら、抗議する。
樹は素知らぬ顔で、手にシャンプーをのせてまた音の髪を洗い出す。傷んだ髪の毛がすぐに泡が立ち、ふあふあと細かいシャボン玉が浮かんだ。
彩子はその手際の良さに感心しながら、樹の透き通った白い肌に目を奪われた。自分の肌はあまり綺麗とは言えなかったから、うらやましいのだ。おまけに、女性としての体の張りを見受けられる。だが、お風呂に入っても右目の眼帯を外すことはなかった。
「いいよねぇ、綺麗な肌で。よく見るとスタイルいいし…………」
「そう? わたしの肌って幽霊みたいだから好きじゃないけど。それにスタイルの良さなら、この子でしょ?」
樹は音の頭を指差しす。
音は顔に張り付いた前髪が嫌なのか、手でひとまとめにして目の前の姿見を睨んでいた。おでこの広さを確認するように、ずっと生え際のほうに視線が向いている。
「確かに……」
彩子は悔しそうに言って、音の濡れた豊満艶やかな姿態を眺める。遊女を連想させる肉感を持っていたが、彼女の幼い性格であまり女性の魅惑は感じられないが。
樹は中ほどまで洗った髪の泡をシャワーで流しながら、彩子のほうを横目に見た。
「…………」
「な、なによ?」
ぞわりと背筋に冷たいものを感じて、彩子は音の髪を上るように洗髪する手を止める。
「むぅ。まだー?」
音が疲れ顔で、姿見に映る樹に言う。洗髪で十何分もかかるとは思っていなかった。そもそも、体に髪の毛が張り付く感触がひどく不愉快だ。
「……小さいよね?」
「――なっ!」
彩子は思わず湯船から立ち上がって、手にしている音の髪の毛をもみくしゃにする。すらりとした体型があらわになる。胸元で、シャンプーが無意味に泡立てられた。
「あ、あんたね! 人をじろじろ見てから言うこと? いい? 人には言っていいことと悪いことがあるわ」
「ん? どうして、そんなに怒るの?」
樹は小首をかしげて見せて、シャワーをゆるめる。
「痛いッ、痛いぃ」
音は髪を引っ張られて、涙目になりながら訴える。
「ほら、痛がってる」
「あたしはここが痛いわよ」
彩子は泡の付いた手で、自分の胸を押さえる。あまり膨らみがなく、彼女のコンプレックスでもある。
樹はぼんやりした隻眼を向けて、うんと頷く。
「そう。そんなに気にしていたのね。わたしも同じよ」
「はぁ? あんたの方があんでしょうに」
「そうかな? 背は同じくらいに見えるけど――――」
「身長の話!?」
彩子の声が風呂場に反響する。
それから、しばらく呆然と立ち尽くすと顔を真っ赤にして湯船に体を沈める。会話の意図を読めなかった自分が悪いのか、言葉足らずの樹が悪いのか。どちらにしても、なんだか恥ずかしい。
しかし、髪を乱暴に扱われた音はむぅと頬を膨らませて、彩子を睨みつける。完全にご立腹だ。
「……だったら、低いって言いなさいよ」
彩子はようやく言葉を紡いで、はらりと音の髪が彼女の手から離れる。
その隙をついて、音が髪を手繰り寄せる。乱暴な扱いをされれば、防衛に入るのはあたりまえだ。だが、彩子に対する怒りは収まらない。何かいい方法はないかと、お風呂場を見渡す。
すると、部屋の方から電子音が鳴り響いた。電話だ。
いち早く樹が反応して、持っていたシャワーを床に置く。
「先に上がるけど、ちゃんとこの子にリンスしてあげて。髪が傷み放題だから」
「はいはい、わかりましたよ」
樹がお風呂場を出ていくのを彩子は見送る。やっぱり、彼女の白い肌がうらやましかった。
音は刹那のひらめきで、床にあるシャワーを手に取って蛇口の温度を冷水に変える。小悪魔的な笑みが浮かび上がる。
「さて、ちゃっちゃと済ませましょう。何かのぼせてきたし」
彩子は湯船から上がって、音の後ろに跪く。思わずため息が漏れだし、うなだれる。
すると、チャンスとばかりに音が振り向きざまにシャワーを彩子に向ける。
「痛かたッ! ほふく、する」
「はぁ!?」
彩子が驚きと同時に顔を上げた瞬間、顔面に冷水がぶちまけられる。
「うわっぷ! 冷たいじゃないの! やめなさい、コラッ! 悪い子っ」
あまりの冷たさに一気に頭が冴えた彩子。冷水を浴びせられ、体の芯が軋む感じがした。体温が奪われ、震えだす。だが、それ以上の対抗心で音とのシャワーの取り合いもつれ込んだ。
音はきゃっきゃ笑って、取り合いを楽しんだ。
樹は背後の騒がしい声を聴きながら、バスタオルで全身を拭いていた。
こうして、はしゃいでいられるだけの元気が戻ってよかったと思う。厳しい状況が続き、精神的な疲労もようやく癒され始めたのだ。それでも、樹がそうであるように、彩子も音も心の奥底では決して癒されない傷を負った。
血の臭いと死体の山、そして人を殺めたこと。音はさらに肉親の死だ。
どうにか今は自分の中で整理をつけて立っていられる。だが、考え出すと底が抜けたように崩れてしまいそうだった。
樹はいまだ鳴り続ける電子音に、嫌気がさしす。下着を着よう、と脱衣所にある棚に手を伸ばすが、頭から離れない電子音に断念する。
「間が悪い……」
バスタオルを体に巻きつけて、樹は脱衣所を出る。まだ湿った髪から、水滴が落ちる。体にもまだ水滴が残っている。
廊下に出た瞬間、フローリングの床に足を滑らせて転倒しそうになる。だが、樹はどうにか態勢を立て直して、緩んだバスタオルを胸元で押さえる。
「はぁ…………」
安堵のため息をついて、樹はバスタオルの直して、部屋に移動する。ワンルームの部屋は暗く殺風景で、丸い小さなテーブルと光画テレビが一台、申し訳ない程度に置かれている。主人の帰りが少ないため、ところどころ埃が積もっている。
樹は部屋に入ってすぐの壁についている電話の受話器を取って、うるさい電子音を黙らせる。
「もしもし?」
『脱出者の一人だな』
受話器の向こうから、英語で高圧的な声が聞こえた。挨拶もない。名乗りもしない。ただ、電話越しの相手が樹たちよりも立場が上だという高慢さを持っているのはありありと伝わった。
樹はその人を見下した声に、口を尖らせる。
「ええ、そうだけど。それで、あなた誰?」
英語で返して、相手の反応を窺う。少しの間が置かれた。
『私は「地球平和軍」宇宙特務部隊のレミントン・バーグだ』
「あっそ」
樹はその自己紹介の仕方に、仲良くなれないなと直感した。
電話の相手、レミントンは彼女の態度に同じ感想を抱いただろう。
「何かご用?」
『単刀直入に言う。君たちは明朝より開始される作戦に参加してもらう。無論、拒否権はない』
「ふぅん。偉そうな割に自分たちで何とかしようとか思わないの?」
『君たちは、敵の工作員である嫌疑がかかっている。それをなくすためにも、作戦の成功をもって身の潔白を証明してもらいたい』
そういうこと、と樹は部屋の壁に背中を預ける。人を信じるよりも、疑うほうが楽な世の中なのだ。電話の無機質な声が、何よりも世間というものを信じていないと感じさせる。
「証明のために、一体何人の血がほしいわけ?」
それが、樹の思うすべてだ。
あの感覚。敵の〔ミリシュミット〕を斬った時、人の声が無線に割り込んできた時のどうしようもない心の痛み。あの血の巡りが狂った感触を味わいたくないのだ。それが人殺しの業なのだろう。正しい、正しくないではない、当然の痛み。
受話器から喉が鳴る音が聞こえた。
『撃墜数がどうこうではない。こちらの部隊を守れるかが問題だ。味方のことを考えろ』
「わたしは、あなたたちの味方じゃない。かといって、『新人類軍』とかに加担する気もない。関係ないことに、わたしたちを巻き込まないでよ」
楽しげな笑い声が暗い部屋まで届き、樹の受話器を握る手に力が入る。樹はともかく、彩子と音にそんな義務はない。
『単なるわがままだ、それは。全体を見れば、関係ないでは済まされないぞ』
「巨視的な見方って便利……」
樹は皮肉屋の態度を改めない。受話器の向こうにいるレミントンの顔など知らないし、おべっかを使う理由もない。疑わしきは罰せずの精神を見せてほしいところだ。
レミントンは一度、大きなため息をついて念を押すように言う。
『子供の言い訳をずっと聞いているわけにもいかない。いいか? ここで君が了解しないなら、外で待機している兵を突入させ、君たちを別の場所に留置する』
「…………」
樹は受話器から伝わる本気を感じ取って、玄関の方へ顔をのぞかせる。見張りがついているのは知っていた。しかし、いざ言われると得体のしれない人たちが玄関を抑えている状況は怖いことだ。加えて、樹はバスタオル一枚、彩子と音は裸だ。身を守るにも、軍人相手に体一つで抵抗できるはずがない。もし男の人に裸を見られたら、羞恥と屈辱で心に傷を残すことだろう。
『返答は?』
受話器の向こうから、冷徹な声を響く。
樹は緩み始めたバスタオルを胸元で押さえて、一度大きく息を吸った。
「……、わかった」
屈辱だ。こういう選択をしてしまった自分がとても矮小だと思う。目頭が熱くなる。
樹はこの宇宙に出て、家族から離れて一人前になれたと思っていた。だが、現実は大人と対等に扱われない、苦難をともにした人も守れない子供だと実感させられた。
『よし。招集時間は――――』
受話器の向こうから業務的な内容を聞いて、樹は敗北とともに受話器を戻した。
作戦を終えた宇宙間航行重巡洋艦〔イリアーデ〕は、月の『サテライト』と交信していた。妨害の発信はしていないため、衛星経由で通信が可能だ。
「被害はアーム・ウェアが十二機大破、二〇機以上が損傷。本艦も数名、死者を出してしまった」
『ま、それだけで済んだなら上等だろうよ』
「すまないが、フォンセ大尉。通信が傍受されることはないだろうな?」
『「ガーデン1」にか? 聞かれたって遠すぎてノイズにしか聞こえねぇよ。妙な奴らに逃げられても問題にならなかったし、大丈夫だろ』
〔イリアーデ〕艦長、ゲイル・マークスは通信相手のグレッグ・F・フォンセのいやらしい笑顔をが映し出された立体モニタを睨んだ。
「妙な奴ら? 反乱分子か?」
『んや、どうだろうね。一応駆除は一通り終わった後だったから、微妙だな。避難船に乗り遅れたのなら、かなりのドジッ子だよ』
その一言に、緊張が解けた〔イリアーデ〕ブリッジに笑いが起きた。反乱分子、つまるところ『新人類軍』に参加表明しなかった『奴隷階級』たちのことだ。彼らは密告の危険性と創始者、モーガンの思想に従わないという理由で、殺されてしまったのだ。
一人、ゲイルだけが険しい顔つきで何か引っかかっている。
「どういう奴らだった?」
その言葉を待ってましたと言わんばかりに、グレッグが文字化けした文の羅列を送りってきた。暗号文だ。しかし、データ量が多い。
「解析できるか?」
「少し待ってください」
ゲイルの指示を受けて、クルーの一人が送られてきた暗号文を解析する。解析はすぐに済んで、文字化けしていた文が、別の形態を取る。それはやがて一枚のスクリーンショットになった。
少女の顔写真が一枚。まだ幼さを残す彼女の右目には、海賊を連想させる眼帯と雪のように白い肌が印象的だった。
「これは?」
『「サテライト」を逃げ出した奴の一人かもしれない女の子だよ』
グレッグのひょうきんな調子に、誰もついていけなかった。いきなり脱走者は女の子です、といわれてもうまく納得できない。
「この子が? 嘘だぁ」
「こんなかわいい子が、そんな脱走劇ができるなら、俺たちだってできるって」
クルーの間で、そうした侮った考えが充満する。
「喧しいっ!! 敵を過小評価するのは軽率だぞ」
ゲイルは声を張り上げて、ブリッジの空気を引き締める。雑談が目立ち始めていたクルーたちが口どもる。それだけ、彼の発言力は強いものだ。
グレッグもハトが豆鉄砲でも喰らったような顔をして、ゲイルを見ている。
「逃げられたのなら、この子はどうやって『サテライト』を出た?」
『え、あ、ああ。その日に凍結されたデータ収集機に乗って』
ばつが悪そうに答えるグレッグ。
その言葉に、ゲイルは目を細めて、静かに言った。
「あの機体、〔アル+1〕か…………」
『そう。それだよ、それ。つーことは、やっぱり出くわしたか』
「そのせいで、一人犠牲が出た」
『問題じゃねぇよ、そういうの。それに追撃しなかったのは閣下のご命令だ』
「何?」
ゲイルはグレッグの言葉に耳を疑った。
閣下、モーガン・ジェムがそんな軽率な判断を下したのが信じられなかった。
グレッグが続ける。
『閣下も「ローグ1」攻略で急いでたからな。妙な脱出者は三人いたいずれも子供だったという報告が入ってる。ちょいと読み違えたんだよ』
「しかし……」
『放送見たろ? 「ローグ1」は制圧できたんだ。細かいことは気にするな』
グレッグはゲイルにそういって、やはりひょうきんに笑った。中年になったからか、大概のことは結果を見て過程を計るようになった。今回も、『ローグ1』制圧と〔イリアーデ〕の被害を見て、問題視することではないと判断。
ゲイルはその言葉に、自身の技量不足と結論付ける。小さなミスが左右するときもあるから、艦長としてやらなければならないことだってある。
「了解した。そういえば、『ローグ1』の大部隊が『ガーデン1』に移動しているそうだな」
一度話題を変えて、今後の活動に気合いを入れる。
『それなら、今、追撃に入ってる。奴ら地球に近い航路を取って、行方をくらませたつもりらしいが、救難信号出しっぱなしですぐに割れたよ』
グレッグの呆れ口調に、ゲイルが、ブリッジにいる全クルーが同調した。そういう保身に駆られて、闇雲な行動に打って出た『地球平和軍』には、やはり愛想がほとほと尽きた。
「追撃部隊だけで、大丈夫か?」
ゲイルの一言に、ブリッジが作業を止めてしまった。だが、時間的に考えて増援として加わることはないだろうとすぐに考え直す。
『問題ねぇよ。向こうは逃げるので必死。閣下も大部隊を動かしてまで、討伐する気はないらしい』
「…………」
『この戦争は悠長なくらいがちょうどいいんだよ、わかれよ艦長』
グレッグはそう言って、業務的に貴殿の帰還を心より待っていると付け足して通信を切った。
ゲイルも今は納得するしかない。だから、『サテライト』への帰還を最優先とした。




