分かれ道
冬の冷たい空気を持って、『ガーデン1』の一角にできた慰霊碑はさらに冷たい色を持っていた。
気象コンピューターが作り出した曇天の空は今にも冷たい雨を落としてきそうで、しかし、どこから堪えるように居座っている。
「ごめんなさい。いろいろと立て込んでて、挨拶が遅れました、先生」
慰霊碑が敷かれた庭園に、コートを着た少女たちがいた。
佐奈原樹、皆守彩子、詩野音だ。落ち着いた面持ちは、以前にもまして大人びて寂しげだった。
石畳のように埋め込まれた慰霊碑には、戦争で死んでいった人々の名前が刻まれている。誰かの死体が埋まっているわけでも、ゆかりの品物があるわけでもない。
ここで起きたことを忘れないために、残された寂しさの塊。それを癒すように、周りには飾られた花々の植木があり、春を待つように濃い緑を深めている。
樹は屈んで、持ってきた炭酸水のペットボトルを慰霊碑に置いた。花束やドッグタグ、様々な食べ物に交じって、色々な人がここを訪れたと教えてくれる。
「戦争、終わったんですよ。もう、二か月も前の話ですけど……」
樹は少し伸びた髪を耳の後ろへ掻き揚げて、冷たい石に刻まれた恩師の名前を見つめる。
後ろで寒そうに白い息を吐く、彩子と音はこみ上げてくる感情を抑えるので手一杯だった。
「敵はみんな、もう助からないそうです。やってきたことへの代償だって思います」
樹は目を細めて、敵であった『新人類軍』のその後を思った。
残存した人々は、抵抗などせず、自らの敗北を真摯に受け止めていた。軍事裁判で数人の幹部が極刑に処されて、協力者の人々も刑罰が下った。
しかし、それは人が裁いた結果であって、『新人類』は自ら施した脳手術によって衰退の一途をたどることとなった。制御チップによる脳抑制は深く、それが結果として脳機能を破壊している。外科手術による救済は不可能で、誰も助けることはできない。
成功しなれば意味のない改革だった。だから、彼らは生存戦略を諦めて、滅びの道を歩む。
『新人類』という幻想を抱いて、ヒトとは違うと誇示するように。
「これで…………、よかったんですかね」
つぶやいて、込み上げてくる涙を必死にこらえる。
悔しさがあった。憤りがあった。すべてを投げ出すように消えていく敵を罵ってやりたかった。
そうする権利を樹たちは持たない。同じように多くの屍を超えてきた彼女たちは、そのことと向き合ってこれからを生きていく。
例え断罪されなくとも、贖罪していく生き方を選んだ。
身に染みる冷たさに、体が震える。
「樹…………」
彩子がそっと樹の肩に触れる。
自分を責めるのは無意味なことだ。寂しげな瞳が小さな樹の背中を見る。
「だいじょぶ、だよ」
音が努めて明るく言った。
苦しいことに立ち向かうのは勇気がいる。そのことを三人は知っている。だから、いばらの道であろうと進む。
「だいじょぶ……」
自分に言い聞かせるようにつぶやく音。
樹はそっと隻眼にたまった涙を拭って、ゆっくりと立ち上がる。
「そうだよね。みんなで、乗り越えようって決めたもの」
そういって樹は振り返って、彩子と音を見た。
と、その背後に大柄の男性が歩いてくるのが見えた。庭園のアーチをくぐって、その人は三人の少女たちに目を向けた。
壮年の欧米人、栄誉指揮官を授与されたレミントン・バーグだ。
樹の視線に気づいた彩子と音も振り返って、レイントンを見据える。
簡素な軍服はこの寒い季節には寒々しく映った。
「ん? お前たちか……」
レミントンは彼女たちに気付いて、立ち止まる。こぼれる白い息が彼には似つかわしくなかった。どこか哀愁の漂うその風貌は、気のせいではない。
この場所に足を運ぶ者特有の雰囲気だ。
「中佐も挨拶ですか?」
「そんなところだ」
レミントンの言葉は淡々として、興味のない風だ。
彼の視線はこの虚無な庭園を眺めて、どこかに思いをはせているようだった。死後の世界があるのなら、そこを思っているのかもしれない。
「殺風景だな……」
「冬だもの。花だって色づかないわ」
彩子は不敬だと知りながら、ポケットに手を突っ込んだ。冷たい指先を揉みんで暖を取る。
もう彼に敬意を払う必要はない。軍人ではないのだ。しかし、完全に関係を発ったわけではない。微妙な距離感を双方は持っている。
レミントンはそっと視線を下ろして、見上げてくる樹たちを捉える。
「いろいろとご苦労だった。これからも、よろしく頼む」
「その前に、休暇をもらうけどね。〔アル〕の記録はちゃんと世間に公表するから」
「わかっている」
樹の言葉に、レミントンは小さく頷いた。
彼女たちはこれから、宇宙開発事業に協力する。贖罪の選択は、新しい時代をつくる担い手であり、次の時代への語り部として、『地球平和軍』に協力をしていく。
英雄の地位など入らないと断言して、軍隊を抜けた少女たちだからこそできること。
統合政府はこれまで通りのやり方をすることになるだろう。人を支配し、私腹を肥やしていくだろう。
それでも、宇宙というフロンティアに希望を紡ぎだす必要はあるのだ。そのためには、この戦争の記録を多くの人に知ってもらわなければならない。ひた隠しにされてきた過去を掘り返そうとも、現代の権力に圧力をかけられようとも、知らなければならない。
今を生きる人には知る道理があるのだから。
「人は変わらねばならない。組織の悪癖にのまれないためにも、一つ結果を出さなければならない」
「ここ、たくさん人、住む。楽しいところ、する」
音はにこっと笑って、抱負を口にした。
まだまだ一般人を受け入れられる態勢ではないが、いつか生活圏を宇宙にまで伸ばす。その準備をして、多くの問題に取り組んでいく。
樹は腕時計を見て、ほっと息を吐いた。
「そろそろ、時間」
樹の言葉に、はっとなる彩子と音。それから、一度振り返って慰霊碑を見た。
そこに刻まれたアリス・ジェフナムの名を見て、微笑みかける。
見ていてくれるかな。笑ってくれてるかな。少女たちは面影を手繰り寄せるようにして、心のうちで願った。
「それじゃ、行ってきます」
「機会があったら、また来ますから」
「せんせ、ありがと」
三人は思い思いの言葉を口にして、ゆっくりと庭園を出て行こうと歩き出す。
そして、レミントンを横に通り過ぎながら、
「さようなら、中佐」
「オリジナルのこと、よろしく」
「ばいばい」
挨拶をかける。
彩子は『オリジナル』、人工知能のことを言った。今は『ローグ1』の管理システムと同調をしているが、そのうちには一度地球に移転することになる。
「ああ。今は休め、英雄」
レミントンは小声でそう返した。
冷たい空気はこの場所には厳しい。冬の空気はまだ続く。
『ターミナル03』のモジュールには、まばらな人影があった。
宇宙服を着ている人もいれば、軍服を着ている者もいる。別れを惜しむ人がいる。再会を誓い合う人もいる。その場所は少しだけ人の温かみがあった。
無重力の中で次の便を待つ樹たちは窓枠から見える地球を仲良く顔を突き合わせて見下ろしていた。
樹と彩子は宇宙服で、音は作業着を着ていた。
「いやぁ、済まないな。どうにも土産物に困って」
「隊長。浮かれすぎじゃないですか?」
「好いじゃないですか。ご家族似合うんですから」
そこへ、遅ればせにやってきた宇宙服を着たフォース・ロックと軍服に身を包んだリーン・セルムット、コフィン・コフィンが来た。
彼らは談笑して、和やかな雰囲気がある。
樹たちは窓から顔を離して、三人を出迎える。
「怪我の方はいいの、曹長さん?」
彩子が悪戯な笑みを浮かべて、問いかける。
すると、リーンは鼻で笑って、睥睨する。
「お前らほど軟じゃねぇんだよ」
「リーンさん、失礼ですよ」
コフィンがむくれて、彼の背中を叩いて見せた。
リーンは硬直して、苦い表情になる。ジワリと浮かぶ涙が、彼の痛覚を想像させる。
「い、てぇ……」
「ほら。無理しちゃダメなんですからね」
コフィンの強気な態度にリーンは弱ったように眉をひそめる。
コフィンはようやく声の張りを取り戻して、生き生きとした雰囲気を纏っていた。強くなったというよりも、リーンを理解しているという感じだ。
フォースはそんな二人を見て、けらけらと笑い転げる。
「アッハハハ。女の尻に敷かれたな、曹長。しばらく俺も離れるが、あまり羽目を外し過ぎるなよ? もののはずみってものがあるからな」
その言葉に、コフィンは顔を真っ赤にして、何言ってるんですかとおどおどしている。
リーンの方は彼女よりか冷静で、怪我がありますからと皮肉った。
樹たちはそんな戦友を見て、笑顔を浮かべる。しばらくこの空気は味わえない。苦難を乗り越えた人々と別れるというのは、思った以上の切なさをもたらす。
それを隠すように、音がぱっと樹と彩子から離れて、コフィンのもとに抱き着いた。それから、振り返って支えられる。
「だいじょぶ。二人の面倒、音、見る」
「できるのかしら? いっつも、甘えてたあんたに?」
彩子は腰に手を当てて、覗き込むように体を折る。
「音が面倒を見る発言には、誰も追及しないの?」
「ま、惚気てる二人よりかはしっかりしてそうだ」
フォースが樹の横について、ニタニタと笑みをこぼす。
その発言の方が癇に障ったらしく、リーンとコフィンが鋭い視線を上司に向けた。心外だと言わんばかりの剣幕にフォースもおどけて、肩を竦める。
しかし、その一方で音は徐々にその瞳に涙を貯めていた。
「だたら、彩子、残る。樹も」
鼻を啜って駄々っ子のように言う彼女に、樹と彩子は顔を見合わせる。
彩子は姿勢を戻して、壁に手をついてバランスを取る。
「いい加減にしてよ。もうお守りはごめんなんだから」
「わたしは二週間くらいで帰ってくるから」
二人の冷徹な言葉に、音は目を瞬かせて涙の雫を飛ばす。
煌めく涙は情けない自分がいる証拠。いつまでも、二人によってはいけないのに、やはり別れるのは辛い。『サテライト』から助け出されて、一緒に歩んできた日々は大切で大事で心の支えだった。
その日々も終わりを告げてしまう。
嗚咽を漏らす音をそっとコフィンが優しく抱きしめる。
「ちゃんと送り出してあげないと、お二人が困りますよ?」
「いつまでも、ガキじゃねぇんだ。お前にだって、色々とすることがあんだろうに」
リーンの刺々しい言葉に、音は首を振る。
「わかてる……。ちゃんと、する。だけど、さみし……」
「別れは必然的にあるもの。だけど、再会だってわたしたちが作り出す。絶対にかなわないことじゃない」
樹はこみ上げてくる寂しさを押さえて、言葉を紡ぎだす。
別れるのは、樹だって寂しい。いくら必然的な出来事でも、親しい友と離れるのは身を切り裂かれるような苦しさがあった。
それでも、彼女は地球に帰る。
彩子だって、それは同じこと。
「そうよ。また会いましょう」
彩子は目元を隠すように俯いて、震える声を必死に押さえた。別れが一時でも、もしからしたらと思わずにはいられない。
地球と宇宙との物理的な距離は、人の絆すら離してしまいそうで、自分の中でも忘却してしまうのではないかと恐怖するのだ。
瞬間、『ターミナル03』にアナウンスが流れる。
『これよりランデブーに入ります。ターミナルが揺れますのでご注意ください』
別れの時はもうすぐそばまで来ていた。
地球からのシャトルは刻一刻と近づいて、『ターミナル03』とのランデブーに入っている。
樹たちは何を言えばいいだろうかと視線を泳がせて、思考する。何か気の利いた、お互いを勇気づける魔法の言葉を探る。
すると、リーンが面倒そうに赤毛の髪を掻き毟って、言った。
「しみったれた連中だな、おい。こういう時は、行ってらっしゃいでいいだろうが」
それには、樹たちも彼に注目して、瞠目する。彼の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかったし、何よりそんな言葉が似合わない。
リーンは注目を浴びて、顔を赤らめると鼻をらなしてそっぽを向く。
隣りのコフィンは短くなった髪に少し触れて、改めて樹、彩子、フォースを見る。もっとも、フォースは気遣うような視線を向けて、顎をしゃくった。お前の番だろ、と。
「また、会いましょう。必ず、お迎えに行きますから」
コフィンは言って、微笑んだ。
樹と彩子は呆けて、自分たちは大きな勘違いをしていることに気が付く。
帰る場所がなくなっているのではないかという不安。自分たちが次に宇宙に訪れるとき、見知った人たちがいない別の場所になっているのではないかと恐れていたのだ。
それは、音が遠くに行ってしまうような錯覚を覚えさせた。
と、音はすっと手を差し出して、赤く腫れた目で二人を見つめる。無理をしてつくる笑顔が引くついて、一生懸命だった。
「樹、彩子、ありがと。たくさん、たくさん、ありがと……」
「こちらこそ、ありがとう」
樹は壁に一度手をついて、体を音の方へ流す。それから、しっかりとその手を握り締めた。
強く握り返される手は、互いの強い絆を思い出させる。
「ほらっ。彩子」
愚図る様に浮いている彩子の手を樹は引っ張って、その手を音の手を重ねる。
「あ、あたし、こういうの苦手なのよ……」
彩子は目に涙を貯めて、震える声で言った。
樹と音は思わず苦笑する。
すると、鈍い連結音が響いた。空気を震わす重低音が肌をピリピリさせる。
「そろそろ時間だ」
フォースが周囲を見て、催促する。
円陣を組むように集まる少女たちは互いに、目配せして、頷く。
「行ってらっしゃい。待てるから」
「お土産、期待しててよ」
「あたしは、あたしは……。何かおいしい味海苔でも買ってくるからぁ」
彩子の発言に、音は目を見開いて、樹は呆れた。
ほろほろと涙の雫を浮かべる彩子は、耐えられないとばかりに一足早くドッキングモジュールへと流れていく。
「ちょっと、彩子! 荷物とヘルメットっ!」
樹は慌てて、固定していた二人分の荷物とヘルメットを引っ提げて彩子を追いかける。
その慌ただしい二人に、リーンとコフィンは肩を竦める。
「ちったぁ落ち着きたかと思えば、これか」
「切り替えるのって、そう簡単じゃないと思いますよ」
「ま、年頃の子供ってのは難しいものだ。それじゃぁな。お前らも達者でな」
リーンとコフィンに軽く手を振って、フォースが保護者のように樹たちを追う。
多くの人が彼らが向かう方向へ流れていく。
音は小さくなる樹たちの背中を見つめて、小さく手を振った。
「行ってらっしゃい……」
アメリカ、アトランタ空港は多くの観光客でごった返しだった。
夜の時分とだというのに、賑わいを見せている。暖房の利いた空港内でも、窓の近くから漂う冷気は冬の空気を持っていた。
樹、彩子はコートを着込んで、フォースの見送りをするために出入り口のゲート手前まで来ていた。
「どこも、クリスマス休暇だからな。そりゃぁ、賑わうさ」
フォースが彩子の挙動不審な目配せを見て言った。
「わざわざ見送りする必要もなかったんだがな。国際線のゲートとは逆だって言うのに」
「どうせ時間はあるんです。短期間でしたけど、お世話になりましたから」
樹の声に、フォースはそうかと軍用のコートを少し引き寄せる。引っ張るスーツケースに視線を配りながら、雑多なの中に気を巡らせる。
「俺の方こそ、光栄だったさ。これからも、頑張りな」
「そのつもりよ」
彩子は赤く腫れた目を向けて、ニカッと笑った。
フォースもそれには思わず苦笑する。友人との別れに泣いていたかと思えば、元上官の時になれば涙ひとつ見せないのだ。
フォースは最後に、樹と彩子を見比べて両手を二人の頭に置いた。
「元気でな」
それだけ言って、彼はスーツケースの柄を握り直し、ゲートへと歩いていく。ひどくあっさりした挨拶だ。
ぽつんと雑多の中に立ち尽くす樹たちはその大きな背中を見送る。
「あ、あの人……」
「どうしたの、彩子?」
彩子がある一点を注視して、樹はその視線を追う。
フォースの背中の向こうに映る、ゲートの向こう側。車椅子の女性と二人の子供が大きく手を振っていた。
「奥さんとお子さん、迎えに来てるんだ」
「車椅子の人?」
樹の問いかけに、そう、と吐息のように彩子は答える。
その証拠にフォースは片腕を上げて、小走りに近寄っていく女の子を歓迎している。声は聞こえない。どんなことを言っているのか、わからない。
だけど、フォースに抱きかかえられてきゃっきゃする女の子の笑顔は何よりも輝いて見えた。
「そういえば、もうすぐクリスマスだっけ?」
彩子がつぶやいた。
日本人にとってはイベントの一つだが、外国籍の人にとってはもっと特別な意味を持っている。風習の違いを見ているようで、彩子は落ち着かなかった。
フォースは車椅子の女性のもとにつくと女の子を下ろして、軽く抱擁し合った。
出迎えてくれる家族がいるのだ。ちゃんと帰る場所があって、守る人たちがいる。
「そろそろ、行こう。隊長さんも、やっと帰ってこれたんだし」
「見物するのも、なんか悪いわよね」
言いつつ、二人は国際線のゲートへ向けて足先を向けて、一度振り返った。
そこには、自分たちと同じように頭に手を乗せられている男の姿があった。口を尖らせて、嫌々感のある表情には不思議と嫌悪する感じはなかった。
家族なんだ、と二人は思って歩みを再開する。
日本の空気もまた冬のさなかだった。
ぎりぎりのフライトプランで一度は欠航も危ぶまれたが、樹たちはどうにか成田空港へ足を踏み入れることができた。
時刻は朝の八時ごろ。
空を覆う曇天についに、国際線の航空が制限され始めていた。クリスマスを海外で過ごそうとしていた
旅行客たちが空港で足止めを喰らって、そこここであふれかえっていた。
「国内線も、見合わせか……。しばらく、足止めくらいそう」
彩子は電光掲示板を見て、がっくりと肩を落とした。
樹は彼女に付き添って、休憩所のソファーに腰を下ろしていた。
「ちゃんと藍崎教授に連絡した?」
「したわよ。そしたら、東京銘菓を頼むって。あんたの恩師はマイペースでいいわよ」
「お世話になるんでしょう?」
「そうだけどさぁ……」
彩子は頬を膨らませて、手前においているスーツケースを見た。その柄にひっかけてある土産袋を見てため息をつく。
「なんていうか。ありがたいんだけど、ねぇ」
彼女はしばらく種子島基地に厄介になる。
見込みのある才女だったがために、技術に磨きをかける修行に出かける様なものだ。断らなかったのは単純に身寄りなどなかっただけ。親戚方は犯罪者を養っていく自信がないとのこと。両親は服役。
冤罪となっても、彩子の帰る場所はこの日本にはない。だが、この島の土を踏んで生きて行こうと彼女は決心し帰ってきた。
「いろいろ、思い出すちゃうわ」
「そのうち、なれるよ」
樹はそう言って、電光掲示板にあるデジタル時計を確認して立ち上がる。
彩子は何気ない視線を向ける。そこには、どこか覚悟していた風の輝きがあった。
「そろそろ、電車が出るから」
「そっか————、そっか……」
彩子は俯いて、つぶやく。
「飛行機は、自分で何とかするから。樹はほら、新幹線の予約があるんだし」
「…………」
「それから——、それからさっ。よろしく伝えておいて。こっちも教授さんに言っとくから。何かあったら連絡ちょうだい。それから、それから……」
「うん。ありがとう、彩子」
樹はここに長いしてはいけない、と目を伏せて、自分のスーツケースを掴むと彩子に背を向ける。
彩子は一人悶々と思考を巡らせる。
言いたいことは山ほどあった。だけど、また語り合える日を信じている。その時まで胸にしまっておけばいい。だけど、ここで言っておくべきことがあるはずだ。
人の雑多がひどく大きく聞こえた。
彩子はぱっと顔を上げて、歩き出そうとする樹の背中を見つめる。
「あのさ。色々、ありがとね。あんたがいなかったら、あたし、ここにいないわけだし」
樹は一歩踏み出すのをやめて、しかし、顔を向けてくることはなかった。
彩子はそうしてもらえて、少し気が楽だった。今はもう、涙を流して、精一杯の笑顔を作るって取り繕っているのだから。こんな情けない姿を二度も見られるのは、正直恥ずかしい。
「忘れないわ、この半年を。これからもよろしくね」
「…………うん」
くぐもった声が帰ってきて、彩子は歩き出す彼女を見送る。
「行ってらっしゃい」
そう口にして、心の底から微笑んだ。多くを語ることはなく、だけど、これからも続くだろう絆を信じて、彼女は今を生きる。
昼過ぎの駅前のロータリーを抜けて、記憶の中の町を辿る様に樹は歩いていた。
幼少期、母親に育てられた小さな町だ。頬を刺す冷たい風が吹き抜けると、寒さは一層増して体を凍えさせる。
「たしか、このあたり……」
樹は石畳の冷たい街路を歩いて、周囲を見渡す。古風な平屋の家が立ち並び、暗い雰囲気があった。時期的にはクリスマスだというのに、華やかな雰囲気などない。
人通りも少なく、車通りもほとんどない。
記憶の中にある寂れた光景を重なって、時が止まっているのではないかと疑ってしまいそうだ。
ころころとスーツケースを引っ張り、緩やかな坂道を登っていく。どれくらい帰ってないだろう、とふと思い起こしては、ここに来るまでの年月をさかのぼる。
友と別れ、戦争を経て、寂しい研究時代をすごし、そして、帰ってくるのはここの愛おしさだった。
だが、年月を経て、彩子と音、そして多くの人たちとの出会いがあったからこそ、ここに帰ってこれたのだ。
「…………」
坂道を超えると、少し先に屋敷があった。白壁を隔てた向こう側に立派な邸宅の屋根があり、広い敷地を持っていることを知らしめる。
白い息を吐いて、樹は歩き続ける。
ずっと先にはこの屋敷の門があった。記憶が正しければ、ここが自分の生まれ育った場所だ。
その門の前には一台の漆黒の自動車が止まっていた。今から発射するのだろうか、ハザードランプをつけている。
寒気がさらに増す。
樹は立ち止まって、ぎゅっと手に力を込めた。
すると、門の向こうから二つの人影が現れた。
「樹……っ」
「…………」
二人は、樹の両親はぽつんと立ちすくんだ娘の姿を見て、驚いた表情をした。
しかし、母の結喜・ジャンクロフォードは破顔して感涙を流す。戦争から帰ってきた我が子の姿は何よりも代えがたい至上の喜びだ。
厳しい表情を浮かべるスーツの老人、アーノルド・ジャンクロフォードはただじっと睨み付けていた。何か声をかけることなかったが、その視線を外すことはなかった。
樹はふっと肩の力を抜いて、自然と口は動いていた。
「ただいま」
空からちらほらと白い雪が降り出した。
その中を樹は駆けす。たくさん話したいことがある。たくさんの伝えたいことがある。
一人の少女は離れていた家族のもとへ、帰ってきた。
これにて、『マシン・レコード』完結となります。
長々しいお話にお付き合いいただき、ありがとうございました。感想、質問、改善点ありましたら、よろしくお願いします。




