~決戦~ 月面降下
月に降下するのは、大気圏突入と比べればまだ安易なものだ。
しかし、それは星の力、引力や軌道計算がしっかりとでき、なおかず自機の速度に無理をしていなければの話だ。
その点で言えば、〔アル∑〕は急角度で月の表へと落下していた。アフターバーナーで無理やり突撃したままで、十分な減速ができなかったのだ。幸い対空砲火はなく、視界の端に爆散する機体の輝きが見える程度だ。
「速度減衰させてっ! このままだと、月面に激突よ!」
激震する操縦席で彩子は叫んだ。震動するのは、月に向かって足を延ばし、全スラスターを稼働させているからだ。
まるで急こう配の坂をソリで下るような姿勢。脚部のサブ・スラスター、背中のメイン・スラスターが推進剤を燃焼し、粉雪のように舞っていく。
「やってるけど————」
樹はウィンドー表示された速度を見てぞっとしながら、スロットルレバーとラダーペダルを操作する手足に力を込める。
敵の本拠地である『サテライト』近くに降りるためにはこうするより他ならなかった。裏側に降りてしまったら最後、今の〔アル∑〕の機動力では表側につくのに何時間とかかる。
地球の六分の一の重力でも、地べたを這いずるようでは地球の移動と変わらない。
ノイズ交じりの空では月面までの距離すら怪しい数値になっている。彼らが拠点防御に戦力を割かなかったのか、わかった気がする。
しかし、放物線を描いて落ちる〔アル∑〕の正面には、クレーターがくっきりと識別できる高度にまで落ちていた。
「一か八か……っ! 音、マルチ・ハープーン準備! 急停止をかける」
「正気っ!?」
「あい、わかった!」
三人は正面からぶつかってくる負荷に肺が潰れそうになりながら、伝達事項を叫んだ。
こんなところで、失敗するわけにはいかない。送り出してくれたフォースたち、今戦っている人たちがここで決着をつけようとしているのだ。そして、一刻も早く戦闘を、戦争を終わらせたい。
その意思が一気になだれ込んで、反対していた彩子も機体の姿勢、慣性を少しでも和らげるように電子戦用モニタで計算する。
月面まで、残り数百メートルを切った。対する速度はマッハ数換算で二・一。超音速戦闘機並みのスピードだ。それをワイヤーとスラスターで殺そうというのだから、操縦者殺しにも等しい。
それでも、三人は〔アル∑〕の性能に賭けた。この戦争を共に歩んできた、何よりも信頼してきたこの機体ならば。
〔アル∑〕は寝返りを打つように機体を反転させ、月面を正面にする。高速で月の肌色の地面が上へと流れていく。
「スラスター、全開っ」
ドンッとメイン・サブのスラスターが噴射され、樹たちの体を下から突き上げる。背骨に杭を打ち込まれたような鋭い衝撃とともに、速度が一気に下がった。それでも、危険な速度を脱していない。
「マッハ二を切ったわ……。マルチ・ハープーンの射程が」
彩子は歯を食いしばりながら、〔アル∑〕と月面の相対距離を見てうめいた。
ダメだ。射程外だ。あと少し降下すれば、確実に打ち込むことができる。
しかし、音は見覚えのある月面を睨んで、マルチ・ハープーンの照準を合わせる。とにかく機体を支えるだけの地盤強度がなければ、すぐにも引っこ抜かれてしまう。そして、彼女には砂丘のようななだらかな月面からごつごつとしたクレーター地点に入った瞬間、トリガーを引いた。
「————っ」
樹は音の判断を最良のものと信じた。
〔アル∑〕のマルチ・ハープーンのワイヤーが急速に伸び、ギリギリのところでクレーターへと命中。スパイクが展開された。
今度は体が投げ出されそうな衝撃。固定されているパイロットスーツが、体にめり込む。
マルチ・ハープーンの銛はしかし、〔アル∑〕の速度の前に抜けてしまった。虚しく、月面を這いずるスパイクが、弱々しいブレーキを掛ける。
しかし、〔アル∑〕の落下速度はマッハを切ったばかり。このままでも月面に叩きつけられ、バラバラに砕かれてしまう。
スラスターがオーバーロード寸前の赤黒い火を上げた。ノズルが溶け出しているのだ。
樹たちの胸の中で、死という意識が心臓を鷲掴みする。
「————くっ」
次の瞬間、さらなる急ブレーキがかかった。
クレーターの縁に、銛の返しが引っ掛かったのだ。むろん、勢いすべてを殺せるはずもなく、スパイクは砕けてしまったが、その一瞬の減速が活路を開いた。
「姿勢正してっ! 急降下してるっ」
彩子は可能性に食らいつくように叫ぶ。
伝播する焦燥感と加速する思考。
樹と音は目の前に迫る地面を見て、目を見開きそれぞれがスロットルレバーとラダーペダルを操作する。言葉などいらない。やらなければならない行動はたった一つ。
〔アル∑〕は急角度の落下から一気に機体を翻すと、右腕部で抱えていたビーム・ライフルを地面に向ける。同時に、左腕部に装着していたシールドを解除し、屈んだ脚部の下へ敷いた。
ガツンッと脚部のフックがシールドを噛み、姿勢を正す。
さながらサーフボードに乗ったばかりの人間だ。
あとは波が来るだけ。高速落下に負けないクッションと同時に機体を運んでくれる激流だ。
「いっけぇえええええええええっ!!」
音が咆哮し、ビームを月面に放った。エネルギーパックの許すかぎり、銃身の耐えうる限り射撃を続ける。
次の瞬間には月面のレゴリスを巻き込んだ爆発が下から吹き上がってきた。
「————っ!」
「バランサー、役に立ってよ――――」
樹は〔アル∑〕がその爆発をシールド全体で受け止められるよう制御し、彩子がそれをサポートする。地上で海を滑った時の経験をフルに活かす。
吹き上がる焼けた砂粒がシールドを押し上げる。ビーム・ライフルの照準は徐々に後ろへ向けられ、追い風を生んだ。
〔アル∑〕はプログラムにない完全独自の即席動作にぎこちなさが窺えた。マルチ・ハープーンを収容しつつ、荒れ狂う爆発に乗ろうとする。
操縦席はまるで嵐の中の難破船。上下左右からくる衝撃が三半規管を壊そうする。手元まで歪んで見えて、三人は自分の体に鞭打つ。
高速で降下していた〔アル∑〕はぎりぎりのバランスを保ちながら、爆発を波にして進撃する。爆発をかき分け、ビームの残留が横間をする抜ける。
ちりちりと焼ける様なノイズがかすかに響いた。
〔アル∑〕はスラスターによって姿勢を維持し、丘陵地となっている地面に一度弾んだ。
バァンと焼け焦げ、薄くなったシールドから来る衝撃が樹たちの脳天を貫く。しかし、自動反応で脚部が屈伸し、バランスを保つ。
そして、二度目の着地はそのままレゴリスを巻き上げて滑走する。
「くぅ——」
樹は〔アル∑〕の排気口、排熱機構、果てはスラスターノズルまで絞って、レゴリスの侵入を防ぐ。そうでもしなければ、レゴリスによる悪性の腫瘍を残すかわからない。
〔アル∑〕はスラスターすらなくなり、いよいよバランサーだけが頼りだ。彩子が必死に重心を調整し、樹が機体を制御する。
「樹、前っ」
音が見据える先。拡大表示したウィンドーに本拠地『サテライト』の巨大なマスドライバーの影が映り込んだ。
三人はもう敵地のど真ん中にいるのだ。
気持ちが高まる。あとひと踏ん張りで、すべてに決着がつく。
「行くよっ」
樹は緩やかな振動に触発されて、号令をかける。
減速しだした〔アル∑〕はぐっと腰をかがめて、メイン・スラスターを開いて跳躍する。シールドはもう使い物にならない鉄板も同然で、すぐに切り離した。ビーム・ライフルのエネルギーパックも同じだ。
残る武装も少ない。早くに拠点を制圧しなければならない、と三人の意識が集中する。
その遥か頭上ではいまだに戦闘の火が瞬いている。
〔フェイク・アル〕の上陸はおおむね良好だった。
ヤッシュの技能以前に、『新人類軍』の防衛線の崩壊が可能にしたのだ。加えて、〔フェイク・アル〕は宇宙機動に優れた機体。多少の無理でも、蓄積された戦闘データ、戦艦の航行データによって月への着陸軌道を修正してくれる。
「やはり、防衛陣に戦力を割いたか」
ヤッシュは言って、つまらない月面の景色を眺める。
月面に降りた途端攻撃の手もなくなった。本拠地の防衛はかなり薄いものだと予想できる。
「敵のボスを倒せば、俺だって」
ヤッシュは興奮する頭で、目と鼻の先に見える『サテライト』へと進んだ。
彼は英雄の子孫だ。その血が騒ぐとばかりに、過信した実力で挑もうとする。機体も英雄にあやかったもの。何を恐れる必要があろうか。
ヤッシュ・カルマゾフはその中で樹のことを思い浮かべる余裕があった。彼女の小さな背と毅然たる態度。決して自分に愛想を振りまくことなく、ひたすら自身に磨きをかけていた。自分と同じ立場になろうと努力しているのだと思った。
それは高貴で、美しい姿だ。
その体を抱くことを想像して、自分の男らしさを顕著にする。戦争が終われば、今度こそ一緒になれると確信している。
そして、今現在の状況に戻ると、強く操縦桿を握った。
バッテリーの残量、推進剤にも余裕は残されていない。すぐにでも爆撃をかけて、離脱する必要があった。
瞬間、ノイズだらけのセンサーが何かを捉えた。
「なんだ? 敵か?」
ヤッシュは気が狂いそうな機体の負荷に耐えながら、正面に出てきた巨大な影を視認する。
禍々しい人型。推定三〇メートルはある〔AW〕だ。しかし、〔アル∑〕のような勇猛さはなく、ただ厳かに命令を実行する機械らしい冷たさがあった。
〔フェイク・アル〕は一度飛行をやめて、月面へ巨大な脚部を降ろした。不安定な背部のメイン・スラスターは尻尾のように垂れ下がり、サブ・スラスターが重心を保とうと微弱な噴射をする。
ヤッシュは無線のチャンネルを調整しつつ、目の前にたたずむ機体を見据える。
「お前がここの守護神か? フンッ。名前くらいは聞いてやる」
彼の慢心は今に始まったことではない。
今同型と思しき機体は、まさに最後の敵。倒すことで、戦争終結を運ぶ幸運の鳥にも思えた。
と、無線に声が届いた。
『くだらない野心を持った人間。その己の小ささをなぜ、わかろうとしない』
しわがれた声。悲嘆にもくれた口調は重々しさがあった。
ヤッシュにはノイズに塗れた声を誰とは判断がつかない。
「偉そうに講釈をたれても、お前たちが戦争を仕掛けた時点で悪は決まってるんだ」
『悪……』
「決着をつけさせてもらう」
ヤッシュは心の赴くままに、〔フェイク・アル〕を動かした。
彼の野心を吸い取って、〔フェイク・アル〕は一気に敵機へと突っ込む。ビーム・ライフル二丁を構えて。
敵機は虚しそうに装備した盾と銃を構える。
炎のような〔フェイク・アル〕と氷のような敵機〔アッシュ・バスター〕との戦いが切って落とされた。




