~宿敵~ 思いの渦中
出撃する〔シーカー〕二隻は月の引力を抜け出して、宇宙へと飛び出していった。マスドライバーとブースターの推進力で一気に駆け上がった二隻の小型艇はすぐに月の観測領域から離れて行った。
「…………」
グレッグ・F・フォンセは静かに困った表情を浮かべて、霧散していくブースターの煙を追った。管制室の指揮官席に腰を預けながら、その手持無沙汰にあくびが出そうだった。
すると、管制官の一人が言った。
「フォンセ参謀。出て行ったのは、離反者の鈴燕華とハンス・ルゥ隊の隊員十二名です」
「そんなこたぁ、わかってる。それよりも、新造艦の配置はまだできないのかね?」
「いまだ調整中です。核融合炉で手間取ってるようです」
「裸足で逃げ出して、これか」
グレッグは呆れて肩を竦めると、管制官たちも乾いた笑みを浮かべる。
すでに、『ガーデン1』、『ローグ1』の軍備拡張を知っている状況だ。無益に人員を割いてまで、〔シーカー〕二隻を追うわけにもいかない。とにかく、態勢を整え来る決戦に備える方が得策だ。
この決戦に勝利すれば、衰弱しきった『地球平和軍』を叩くこともできるだろう。
しかし、グレッグの中にあるのは、そんな勝利方程式ではなかった。緩やかな頭の中にぽっかりと冷水でも注がれたように、現実問題が浮上してくる。
「今じゃ、ここの戦力もろくなものじゃないってのに」
離反した燕華とそれに従事する兵士たちの穴は、大きなものだ。彼らは精鋭部隊と祭り上げられ、その名に恥じぬ強さを持っていた。
そもそも、彼女の率いた部隊が『ローグ1』を一度は陥落させているのだ。隙をついていた。戦力も十分にあった。燕華たちだけの功績とは呼べないまでも、間違いなく、彼女らなしにスペースコロニーの奪取などできなかった。
それを手放すというのは、あまりに惜しい。
「出て行った〔シーカー〕と交信できるか?」
「はい?」
管制官の一人が素っ頓狂な声を上げる。離反者について、彼は触れたくないのだ。
「呼び戻してみようっていうんだ。でなきゃ、お前ら、アームウェアの特攻兵になるかもな」
「ご冗談」
「冗談で済めば、俺だってわざわざあの女に話をしようとは思わない」
グレッグは言って、手を振って早くしろと催促する。まだ光通信もレーザー通信も届く距離にあるはずだ。
諸々の事象を考えられたのは、彼に心残りがあったことに他ならない。
無意識のことだ。グレッグは離反した燕華の声や肌のぬくもりが急に恋しくなった。そのことを性と言うなら、彼はそれを全力で否定し、方便を並べて自分を抑制する。
管制官たちは一応彼の言うことが何か意図を持っていると推察して、チャンネルを合わせる。
しばらくノイズが続く。管制官が真剣な表情でコールを続ける。
「…………」
グレッグは自分が何をしているのか、急に客観的な見方が湧いて思わずシートを掴む指に力が入る。
「…………参謀。つながりました」
管制官の一人が淡々と言って、回線をグレッグの方へ回した。
「ああ、ご苦労」
グレッグはひきつりそうな声で言って、シートの受話器を手に取った。音声は管制室のスピーカーから流れた。
『どういう風の吹き回しだい、参謀殿ぉ?』
すぐに燕華の猫なで声が響いて、グレッグはふと妙な緊張から解放される。すっと救われる胸の内が、ゆっくりと冷たい空気を吸い込んだ。
「お前こそ、どういうつもりで部隊を連れ出した? すでにハンスに譲ったのではないのか?」
『いやね。みんな、あたしのことが好きみたいでねん。可愛いから、一緒に連れてくことにした』
剽軽に言う燕華の声に、グレッグも先ほどまでの寂しさなど吹き飛んでしまった。
こういう女なのだ。自由気ままに、誰に縛られるわけではなく、快活に過ごす。最後までそのスタンスを崩そうとしないのは、見上げた気位だ。
「お前らしい……」
自然とグレッグの口からそんな言葉が漏れ出した。
管制官たちが不振の視線を向けたので、取り繕って咳払い。
「だとしても、離反した者が戦力を奪うのは見過ごせないな」
『彼らの意志だ。もう、「新人類軍」の歯車でも捨て駒でもない。そのことを、椅子に座って考えるだけのお前ではわからないでしょうね』
燕華の凛とした声に、険が籠った。怒りを持っている。
グレッグは顎を引いて、口どもる。周りは素知らぬ顔で、この通信内容を録音し続ける。何かの役に立つのではないか、と機械的に記録しているだけだが。
続けて、淡々とした声が響く。
『わたしたちは、「新人類」というものが新しい時代を築いていくものだと思っていた。が、切羽詰まれば、仲間すら見捨てる。〔イリアーデ〕がいい例だろう? その時に、わたしたちも死ぬはずだった』
「結果は生き残った。ならば、お前にはまだ働けるだけの力がある」
グレッグは燕華の気持ちを察することなく、事務的に告げる。
無線の向こうで息を飲む声が聞こえたが、彼は気にすることなく口を開く。心中にある感情を押し戻すように頭痛が起きて、それをコントロールしようと弁解の言葉が浮かんでくる。
「すぐにでも引き返せ。そうすれば、まだ月の防衛ラインへ戻れる。俺たちは勝てるんだよ」
『…………。変わらんな、少尉』
燕華の呆れたような声。もの寂しげな影があっても、彼女のカマかけだとグレッグは思った。
駆け引きをする。彼女の意志か、自分の意志。どちらが上であり、必要なことなのか。虚しいやり取りだとしても、グレッグには地球に巣食う族議員たちを絶やさなければならない。その覚悟はこの戦争が始まる以前から決めていたことだ。
彼は『地球平和軍』での地位を確立して、下賤な輩を潰せるだけの力を手に入れたかった。権力を欲して、それ自体が組織の持つ悪癖の根源だと知っては悲嘆にもくれた。まだすべてを見通せるほど年齢を重ねていなかった。
だからこそ、『新人類軍』の運動は素晴らしいものだと彼は心酔した。『地球平和軍』の悪癖を嫌というほど味わった。
「だったら、どうした?」
駆け巡っていた思考が、グレッグを冷徹にさせる。通信相手を引き戻すのは有益であると決断しながら、失敗したときの処世術を考えている。
燕華からの通信に数秒の空白生まれて、彼女の凛とした声が帰ってきた。
『どうにも……。戻るつもりもないからねん。適当に『地球平和軍』の連中をかき乱してやるさ』
「…………」
グレッグはその彼女の言葉を信じる。
それは鈴燕華としてではなく、元『新人類軍』の精鋭隊長たる〔AW〕操縦者としてだ。特攻を仕掛けて、戦力を削ってくれるならそれでいいと思ってしまった。
「通信を切れ」
グレッグの冷たいことばを最後に、管制官は通信を切った。
受話器を置いて、彼は深く息を吐き出した。頭の中の頭痛は止んでいた。何かを名残惜しく思っていたはずなのに、胸の中は深い海底のように静かだった。そこには一筋の光も刺さない。
グレッグ・F・フォンセの表情から、迷いや戸惑いはなかった。
通信が切れれば、あとは無情なノイズだけだった。
燕華は〔シーカー〕の操縦室で、インカムを副操縦士に返した。
「大概なものだな。あの男も……」
ひとり呟いて、腰に手を当てる。空いている手を天井につけて、無重力で浮かぶ体を支える。スイッチの類に触れないよう注意を払いながら、フロントガラスに映る真っ暗な宇宙を見る。
この深淵の宇宙に出て何年が経っただろうか。
星が煌びやかに輝き、後ろへと流れていく。いつの間にかそれが当たり前になっていた。宇宙が生活圏になっている事実に、妙な感慨があった。
いや、ここでの暮らし自体を苦だと思わないのだ。一つ壁を隔てた先は一瞬にして人を殺す空間だというのに。
「いや、あたしもだね」
燕華の独り言に操縦士たちは一瞬目を向けるも、すぐに針路を修正して正面に『ローグ1』のシルエットを捉える。
その瞬間、燕華の中でふっと懐かしさが湧いてくる。
『ローグ1』は彼女たち『奴隷階級』にとってホームだった。そこでは、人として罪を償いながら、冤罪を訴えながら生きていた。そして、誰かを好きになることも。
そんな思い出が蘇って、ふっと笑みがこぼれる。
「死に場所にはいいところのようだ」
燕華は頭痛のする頭を軽く叩いて、そうつぶやいた。
「あの子たちがいれば、もっといいんだがねん」
数千キロ離れた『ローグ1』の米粒大のシルエットと睨み付けて、決着をつけたい相手を思い浮かべる。
「敵が近づいてるっての?」
「そういうことみたい」
『ローグ1』のガレージで整備していた樹と彩子は慌ただしくなる人の動きを見送りながら、〔アル∑〕の整備を急いだ。
二人は機体の首元に集まって、タブレット端末を顔を突き合わせるようにして見る。
「回路のケーブルは簡略してるけど、モーターはどうするのよ?」
「今取り寄せてる。すぐにでも、音に取りつけしてもらう。音っ!」
「あーいっ!」
樹が大声で呼ぶと、肩部のバリアブル・バーニアを整備していた音が近寄ってくる。三人とも整備用のつなぎだが、実質的な作業の多い音はオイルで黒ずんでいた。綺麗な頬にもオイルの跡がついており、束ねた髪もべとついて見える。
ふっと油のにおいが立ち込めて、彩子は身を引いて顔を顰める。
樹の方は音の手を取って、足をつけさせるとタブレット端末を見せる。
「できそう?」
「うーん……。わかんない」
自信なさそうに眉を下げる音は頬に人差し指を当てる。整備はできても電子回路や伝達系の計算まではできない。
そうこうしていると、彼女たちの前にパイロットスーツを着たフォース・ロックが流れてきた。
「おいおい。敵が来てるんだぞ」
「まだ〔アル〕の整備ができてないんですよ。今だって、中途半端な状態で————」
「肩を見ればわかる」
フォースは軽やかに〔アル∑〕のブレードアンテナに手をかけて、進路を変えて彼女たちの前に降り立つ。
しかし、厳しい顔つきが緩むことはなく、強張った声で言う。
「お前たちは整備をすぐにでも済ませろ。来ている奴らは厄介だぞ」
「やかい?」
「ああ。赤い機体の部隊だ」
音の声にフォースが一層の緊張を持って伝える。
樹たちは目を丸くして、固唾を飲んだ。敵は赤い〔ミリシュミット〕だ。準備中とあって『地球平和軍』にとっては意表を突かれた攻撃。敵も同じく総力戦を挑もうとしているところで、攻撃を仕掛けてくるとは考えにくかったからだ。
「俺とセルムット曹長で、先発に出る。お前たちはコフィン准尉と組め」
「准尉は?」
「あいつも機体の弾薬補給で手間取ってる。おまけに銃身の回復持たなきゃならん」
「大丈夫なんですか?」
彩子は心配で声を張った。
それには、フォースも笑顔で少しでも安心させようとした。
「何、無理はしない。敵も二個小隊規模。長期戦は考えにくい」
「それでも、赤い機体には気を付けてください」
「わかってる。俺だって、あいつは見たからな」
フォースは無精ひげを摩って、虚空を見る。一度見た赤い〔ミリシュミット〕の戦い方を思い起こしているのだ。
すると、『ローグ1』全体に召集のベルが鳴り響き、先発隊を急かす。
「時間がない。敵の強さを知ってるなら、早く来いよ?」
「そのつもり。彩子は回路チェック。音はモーターの調整、急ぐよ」
樹の号令のもと彩子と音が返答して、各々の持ち場に散った。
フォースがその迅速な動きに満足して、〔アル∑〕を蹴って自機の駐機している格納庫へと急いだ。
樹たちはフォースとリーンの操縦者としてのセンスを信じていたが、どうしても拭いきれない不安と譲れない思いがあった。
赤い〔ミリシュミット〕を越えなければならない。
三人の中でその決意が現実味を帯び始めて、〔アル∑〕の整備を急いだ。




