~狼煙~ 舞い上がる!
〔アル+1〕が眠る格納庫に侵入した樹たちは、脱出の準備をちゃくちゃくと進めていた。
凍結された格納庫は真っ暗で、三人は懐中電灯を手に取って、それぞれに散らばっていた。いくら凍結されたからと言って、ほんの数時間前に決まったことだ。『サテライト』のメイン・コンピューターに接続するのは、案外簡単に済んだ。
しかし、樹は〔アル+1〕の充電を初めて間もなくかかってきた通信に、焦りがこみ上げていた。
「二人とも、どうやらバレたみたい」
樹はコントロール・ルームで、〔アル+1〕の充電状況を確認しながら、被っているヘルメットの通信機を使う。
電力供給も機体の充電とコントロール・ルームのシステムを起動させるので精一杯なのだ。
「うそっ! マズイじゃない!」
彩子が懐中電灯片手に、〔アル+1〕の胸部ハッチから頭を出した。
彼女の大声に、樹たちは一瞬顔を顰めた。
「声、おおき!」
間髪入れず、音の大声も響いてきた。
ステレオのスピーカーでは、嫌に頭蓋骨を振動させる。
樹は頭を軽く叩いて、その不愉快さを追い出す。
「少し声のボリュームを落として、二人とも。それで、作業状況はどうなってる?」
「もう、おわた」
音が機体の頭部の影から、姿を現す。それから足を庇うようにして、もう一つの胸部ハッチに移動した。しかし、危なっかしい感じはない。片足ながらも、月の重力を熟知した軽快な動きを見せた。
「充電待ちってところよ」
彩子が音の報告を受けて付け足す。
「了解。彩子、電子戦はやれそう?」
「いくら理工系だって、できることとできないことがあるわ」
「あなたが理工系だっていうことの方が、驚きだけどね」
彩子はふくれっ面になって、操縦席に戻る。
樹がメインパイロットで、機体全体を動かすのはいい。音も〔AW〕を動かせないこともないが、クセがあるらしく彼女では技量不足だと判断された。
そこで残ったのは電子戦と火器制御の席なのだが、彩子は〔AW〕全般の知識が乏しい。今だって、樹と音から教わった基礎的な部分もあやふやだ。火器制御などできるはずもないし、電子戦なんて想像もつかない。
しかし、戦闘状況を予期している樹はこの割り振りを適当にしなかった。
音と彩子の技量を推し測って、決定された。
「もう…………。こういうのって、プログラミングと同じってことかしら?」
彩子はシートに座り、〔アル+1〕のメイン・コンピューターを立ち上げて、電子戦用モニタを呼び出す。
電子戦用モニタは、通常モニタとは別に光学画像が操縦者を囲うようにして展開される。U字出力装置が上下に別れ、その間に光学画像が映し出される仕様となっている。もちろん、画像それ自体は光の束なので、通常モニタを透過して見ることができる。
流れていく機体の状態を無視して、電子戦のマニュアルを開く。
「これくらい、やってやるわ」
その独り言は樹と音にも聞こえている。
だから、だろうか。
彩子なりの決意表明を聞けたようで、樹も音も安心できた。
口ではどうこう言っても、きちんとしているのが、彼女のいいところだ。
「音。あなたも、そろそろ――――」
樹が指示を出していると、後ろから警報音が鳴り響いた。
誰かがここに侵入しようとしているのだ。
パスワードを変えて、簡単には侵入できないよう細工を施したが、そんなの気休めでしかない。
樹は背後のドアを一瞥して、すぐにコンソールを操作した。
「二人とも、すぐにハッチ閉めて! 発進するよ!」
その早口な指示に、彩子と音は言いようのない不安を覚えて、すぐに実行した。
懐中電灯の明かりが格納庫内から消え、ついに〔アル+1〕の輪郭も暗闇に溶け込んでしまう。
青白い光を放つコントロール・ルームのディスプレイに目を走らせて、発進シークエンスを起動させる。
背後でドアをこじ開けようとする金属音が襲ってくる。
胸が締め付けられる。手元がミスタッチをしそうになる。
それでも、樹は最後に『サテライト』のメイン・コンピューターとこの格納庫のシステムを切断して、スタンドアローン状態に持って行った。これで、割り込み命令で止めることはできない。
瞬間、ゴウンッとカタパルトが脈動した。
『第八デッキへの侵入を開始いたします。整備員は直ちに退去してください』
格納庫内にオレンジ色の回転灯が光り、格納庫のおぼろげな輪郭を浮き彫りにした。配電、液体酸素など、接続されていたケーブルが次々と解除され、蛇のように宙でうねる。
次いで、巨大なエア・ロックが重々しく開き始める。
「ちょっと! 樹っ!」
彩子は起動した通常モニタの端っこに映るコントロール・ルームを見て叫んだ。
シートからの振動が滑らかになるのを感じながら、気持ちは焦りでギスギスになる。
「早く、早くっ!」
音もいまだ乗り込まない樹に母親の姿が重ねってしまう。
自己犠牲なんて、もう見たくない。
なのに、また自分は何もできないままで、嫌だった。
「もう少し――――。よし。あとはっ!」
樹は持っている懐中電灯を振りかざして、ディスプレイに叩きつきた。
液晶画面が突き破られ、その衝撃で電気が走り、小さな爆発が起きた。さらに、電気はコンソール・パネルの配線を焼き切って、隙間から煙を上げている。
これでここからの操作も受け付けなくなった。とはいえ、樹はこの爆発で思わず後退ってしまう。背後のドアに背中をぶつけて、不味いと顔を顰める。
樹はすぐに反動を利用するようにして、まっすぐに走った。そう、まっすぐにだ。
「――――っ」
遠ざかっていく〔アル+1〕を追って、彼女はコントロール・ルームの窓ガラスを突き破って、跳躍。ガラスが盛大に音を立てて砕け、ゆったりと宙を舞う。
樹は月の重力とは違う、内側に働く浮遊感を覚えた。落ちていく感覚が外側で停滞している。意識が先行し、妙な高揚感が心臓を動かす。
しかし、遠ざかっていく機体に樹の跳躍が追い付かない。このままでは、取り残される。
「――っ!」
刹那、背後でさらに大きな爆発が起きた。
爆風が樹の体に襲いかかり、一気に〔アル+1〕の肩部まで吹き飛ばす。
樹は態勢を崩して、機体の縁に腹を思い切り打ちつける。
「――――っぐぶ」
腹の底から湧き上がる痛みに耐えて、樹は這うように頭部の操縦席を目指す。
だが、彼女の近くで何かが弾けた。銃弾だ。
「あれが敵?」
彩子は通常モニタに映るコントロール・ルームの人影を言った。
「ぁあ……」
降り注ぐ銃弾から逃れるように、樹は機体の後頭部に一度回った。おなかの鈍痛が気持ち悪く、呼吸まで苦しめる。
幸いというべきか、銃弾が彼女を傷つけることはなかった。
「樹、だいじょぶ?」
音は樹が機体に取り付いたのを確認している。だが、彼女の息遣いが危険なものに感じられた。
銃弾の雨は、すぐに巨大なエア・ロックが閉じられていくと同時にその数を減らしていった。
「…………、うん」
樹はエア・ロック内に入ったのを見て、ヘルメットのバイザーを下げてパイロットスーツの生命維持装置を作動させる。
シークエンスに入っている以上、操縦する樹が何もできないではすべてが水の泡だ。
「動かなきゃ……」
そう自分を鼓舞して、樹は頭頂部にあるハッチに移動する。
ハッチを開けるのとカタパルトが停止したのはほぼ同時だった。
『減圧、開始します』
ヘルメットのスピーカーからご丁寧に減圧の知らせが舞い込んできた。
樹はすぐに操縦席に体を滑り込ませ、ハッチを閉じる。
瞬間、空気が抜ける轟音が鳴り響いた。
「大丈夫? どこか怪我してない?」
「そういうのは――――、あとにしてっ」
彩子の心配を振り払うように言って見せたが、無表情な顔に脂汗が流れる。
彩子と音は、彼女の声だけの強がりが胸に痛かった。
「発進準備、よし。二人とも、バイザー下げて」
彩子と音は返答して、すぐにバイザーを下す。
その間に、樹は苦いものを口の中で味わいながら、次々と操縦席のスイッチを入れ、前面の通常モニタを起動、機体をフル稼働させる。
〔アル+1〕の四つのセンサーアイが発光する。
〔アル+1〕の操縦席の内装は三つともほぼ同じだ。シートの左右にスロットルレバーやコンソールパネルが設置され、シートの延長にラダーペダルがある。
通常モニタは前面に半円状で展開されている。ちょうど、ドームの内側を真正面に見ている感じだ。おかげで、足元から天井左右と、広い視界で見ることができる。
違いを挙げるなら、搭乗ハッチの位置と電子戦用モニタくらいだ。
『減圧完了。これより、第八デッキに移動します』
エア・ロック内の減圧が終わり、天井のエア・ロックが開かれた。その先は真空の宇宙で、残留していた空気が一気に持って行かれた。
カタパルトが上昇し、巨大なトンネル式デッキに〔アル+1〕が姿を現す。緩い傾斜がかかったデッキは、空へと延びる橋のようだ。
「いい? 一気に加速をかけるから、歯食いしばって」
樹は左右と背面、四基のバリアブル・バーニアを展開させ、火を入れる。
プラズマ化した推進剤がノズルから吹き出し、加速の瞬間を待つ。
彩子と音は、その振動を受けて緊張が体中を駆け巡る。樹に返事をする余裕もなかった。
デッキの天井に釣り下がっている発進ランプが、赤い点滅を開始する。
緊張の時間。
「――――、いくよ!」
樹のつぶやいた瞬間、発進ランプがすべて青色に変わった。
すかさず、バーニアの出力を上げ、リニア・カタパルトの加速に乗っかる。
〔アル+1〕の巨体が一気に前進する。暴力的な発進だ。その影響は、操縦者たちに強力なGとなって、襲いかかる。
正面からくる負荷に、体がシートに押しつけられる。それでも、樹たちは耐えるしかない。
だが、ほんの一瞬で出口に到達して、〔アル+1〕は宇宙に放り出された。
機体は優雅に舞い上がり、閃光を暗い宇宙に引いていく。
「――――っ。次っ」
〔アル+1〕は一気に残ている胸部のバリアブル・バーニア二基を展開する。リニア・カタパルトの加速だけでは、月の引力は振り切れない。だから、さらに加速をかける必要があるのだ。
樹は六基すべてのバリアブル・バーニアにアフターバナーをかけて、最終加速をする。
六基のバリアブル・バーニアが六弁の花びらのように、華やいで光った。
〔アル+1〕はグンッと速度を上げて、上昇していく。
すぐにも、月面が遠ざかり、『サテライト』の影もわからなくなっていた。
その衝撃で、三人の意識が混濁する。自分の見ている景色が白昼夢のように感じられた。
しかし、〔アル+1〕はそんな樹たちを守るように、月の周回軌道へ乗ることに成功した。




