~交渉~ 周りは敵だらけ
歩くたびに響いてくる頭痛は、樹の体力を着実に奪っていた。
知らない場所。見知らぬ通路。聞きなれぬ独特な音。そして、鉄の臭い。足のマグネットシューズを伝って、電流でも流れ込んでくるかのように、頭が右目が爆発しそうな痛みを誘発させる。
「はぁ……、はぁ……、んくっ」
樹は右目を押さえて、その場で立ちすくむ。足は床についていても、体は無重力の中で浮かんでいる状態だ。左目も一緒に閉じた瞬間、カチッと頭の奥で何かが鳴った。
『————、成功——、です』
「な、に? これ?」
樹の視界が急に砂嵐のようにざらつき、まるで映画を見ているような感覚に陥る。いや、白昼夢にうなされているのほうが適切か。
彼女は、現在の時を見ているのではなく、過去の記憶をその右目で見ていた。
白い照明と影が二つ。手足の感覚はなく、うつろな視界と聴覚だけ。しかし、耳の奥を乱暴に引っ搔く雑音が神経を削っていった。
『こ、————。ど——、説明——』
聞こえてくる英語のイントネーション。だが、擦り切れた記憶のテープではそこまでが限界だった。
気づいた瞬間には、どこかの病室だった。荒い色彩だが、先ほどよりもはっきりとした世界。と、自分の前に手鏡が差し出されたのに気付いた。
「これは、覚えてる……」
樹の意志を受け取ったように幻覚の中の小さな手が動く。そして、自分の顔を見た。
そこには、顔のほとんどに包帯を巻いた幼い自分の姿があった。何も知らない無垢な左の瞳が、じっと鏡の中の自分に問いかける。
『何、これ?』
『包帯を取ってもいいよ』
誰の声だろうか。考えるよりも早く、小さな手は包帯の結び目を探して丁寧に解いていく。するすると布が掠める音が耳に残る。
「やめて。見たくない……」
樹は自分の口で言っているのか、頭だけで言っているのかわからない。
しかし、咄嗟に開いた左目に現実の鮮明な色が入り込んで、気持ち悪くなる。通路と白いベッドに落ちる包帯の映像が重なって、体が傾きだす。お腹のあたりに感じていた重心が徐々に、右へと移っていく感触があった。
自分の浮かんでいると気付いたのは、まだ自分の体の位置を把握できたからだ。過去の両手の動きとは違う現在の腕がまるで肩から生えた第三の腕のような空虚な感覚をしていた。通路の手すりを掴むのと、過去の小さな手が再び手鏡を取るのは同時だった。
「いや、いや、いやぁああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」
それは、現在と過去の樹の絶叫。耐え難い現実が獰猛な手となって、頑なに頭を固定し続ける。
過去の映像に映る髪の毛の代わりに縦に刻まれた大きな縫い跡と、悍ましい卵のような右の義眼。幼心でその人ならざる感触を得た瞬間だ。
映像が急転し、右耳が放った手鏡が割れる幻聴を聞いた。
左耳では通路に残響する自身の叫びが。
もうどちらが現実で過去なのか、樹はわからなくなりそうだった。記憶の中をぐちゃぐちゃにかき回されて、自分の歳すら曖昧になりつつあった。
だから、がむしゃらに足をばたつかせて、床につけると走った。右目に見える映像を払いのけるように右腕を奮った。そうすることでしか、現実の時間を何とか体と意識に叩き込めないからだ。
『君は選ばれたんだ』
そんな幻聴まで聞こえ出した。
樹は通路の壁にぶつかっては、またよろよろとおぼつかない足で走り、ぶつかっては走るを繰り返す。体中を打ち付けても、右目の幻想は消えない。
被っていた制帽がとれて、悲しく通路を漂う。
右目には、一人の老人の姿。知っている。この右目を与えた人間、樹の父親、アーノルド・ジャンクロフォードだ。幾分か若い彼は厳しい視線を向けて、言い放った。
『お前には金がかかっている。その分の成果を上げろ。これからは、俺の見える範囲で生活してもらう』
「ふざけるなぁっ!!」
叫んで、樹は過去の父親へ怒りをぶつける。しかし、殴りかかりたい相手は左目には見えず、とにかく近くにあった壁につくとそこへ思い切り頭突きした。
ドッと鈍い音が頭蓋骨を伝い、脳髄に痛みをわからせる。ぐらりと歪む両方の目の映像。額からくる鈍い痛み。樹には、もうその『痛み』という感覚だけが自分を取りとめていると信じた。
「あなたのせいで、お母さんは寂しい思いをしたんだ。わたしも、ずっと寂しかった。こんな目なんかいらない。わたしから一番大切な人を奪ったあなたなんかっ!! 死んじゃえばいいんだっ!!」
力なく血濡れた額を壁に押し付けて、肩をゆらして息をする。熱い吐息。粘つく口内と唇を伝う唾液。
気持ち悪い……。苦しい……。
そう思った瞬間、また右目の映像が切り替わり今度はモノクロに見えるカーテンの向こうで、アーノルドと誰かが話し込んでいた。カーテンの隙間を縫ってみたその先には、敵の首領であるモーガン・ジェムの姿があった。
カチリッ。
頭の奥でまた何かがかみ合った。それは、以前に見た演説放送、それ以前の宣戦布告で見たモーガン・ジェムに対する既視感が気のせいではないと告げる確信の音だ。
「あの男と敵の首領が、会ってる? それを知っているの、わたしは?」
辛うじて蘇る樹は壁に背中を預けて、額に手を当てる。ぬるりと広がる生暖かい感触を何とか意識知ることができた。
確信の先にあるものは、不安と疑問の嵐だ。
樹は荒い呼吸を繰り返しながら、左目に見える通路と右目の映像を見る。頭が熱暴走したように熱くなる。体までもが重たくなっていく。
『彼女はいずれ、優秀になる。そういう風に手を施した』
『目をくれたことには礼を言っておく。だが、使い物にならないようなら————』
『わかっている。わしも慈善でやったことではない』
『何が目的だ』
蘇る過去。
樹は次の言葉を思い出して、全身が凍っていく感覚に見舞われた。
『彼女を譲ってほしい。いずれは、大きな担い手になる』
モーガンの言葉が、樹の意識を焼切ろうとする。
がちがちがち、がりりがり、ガリガリィイイイイイイッ。
目の奥が一気に熱くなり、不協和音を鳴らした。それは呻きだ。慟哭だ。悲鳴だ。訴えだ。樹を蝕む働きかけが諦めろと体の奥へと細い腕を伸ばしているのだ。
映像の中で、アーノルドが厳しい顔を浮かべる。侮辱を受けたと彼は感じたのだろう。
『ふざけるなよ、老体。あいつは――――』
瞬間、過去のアーノルドが樹の方を見た。
樹は頭を振って、その幻覚を止めたかった。しかし、彼の唇が動いて言葉を紡ごうとした。瞬間、下っ腹を鷲掴みにされて、臓腑を引きずり出されそうな倒錯を感じた。無理やり腸を引きちぎり、掴まれたそれが乱暴に握りつぶされながら、這い上がってくる幻覚が激しくなる。
「やめて、もういいっ。わたしは、誰の人形でもないっ。勝手に決めつけないでよっ!!」
樹はお腹に指を食い込ませ、空いている手で右目を抑える。右目の奥の方で、ずるずると艶めかしい音が鳴った。左目の通路は漏れ出した涙で歪みんで見えた。
「こんなところで出くわすとは、これもそちらの差し金かな?」
唐突に、男の声だった。さらさらと流れる様な英語はイギリス英語だろうか。
聞いた覚えのない声に、樹の頭がギチッと何かを噛んだような音を立てる。次には右目の上映は消えていた。
樹の体からふっと力が抜ける。あまりの幻覚に、その虚脱した姿は着飾った人形のように見えるだろう。
「だ、れ……?」
「ああ、聞いてないか? 『新人類軍』の者だ」
「しん、じんるい————、新人類っ」
樹はうつろな表情から一変して、恐怖に顔を歪めた。
過去と現在の出来事が一斉に彼女に牙をむく。過去にモーガン・ジャムが自分を養女にしようとしたこと。そして、潤んだ瞳の向こうで歪んで見える六つの影が今の敵『新人類軍』の者。
錯乱しそうな樹に、一人の人物が近寄って頬に触った。ひどく冷たい手だ。
歯の根が合わずがちがちとカスタネットのようになった。
目の前に映る人影が黒髪の女性だと気付いた時、戦慄く口が自然と漏らす。
「お母さん……っ?」
「ん? ねぇ、ほんとにこの子があの機体の操縦者かい? 随分とまぁ、生身じゃ何もできないようだねん。おでこも怪我してるし」
粘着質な声音。
その声を樹は記憶の奥底から手繰り寄せている間に、女性の体が後ろへと下げられ、目の前に別の背が割って入った。それは、彼女を守ろうとする背中だった。
「まだ条件は成立していない。離れろ」
「ベル、俺が話をつける。下がれ」
「はいはい。戦ってるときは、もっと頑張ってたのに」
「本当にこいつが、新しいリーダーになれるのか?」
大きな背中の向こうで、三人の影がおかしそうに笑っている。
「大丈夫だ。まず、落ち着いて話を聞いてくれればいい」
「お前の双肩に未来がかかっている。できないようなら、私が代わりに決めてやろう」
両隣には見知らぬ男。背の高い男と肥った男。
「————ひっ」
急にお尻のあたりを撫でられた感触が走り、樹の意識は完全に現在に戻ってきた。
樹は胃を裏返されたような気持ち悪さに襲われ、駆けあがってくるものを抑え込む。血の付いた手で口を塞いで、鉄の味が苦々しい口内に広がる。幸いにもそれがいい抑えになってくれた。
大きな背中はレミントン・バーグだ。だがやはり、その先に控える三人組は見知らぬ人間だ。『新人類軍』のヒトとみてよさそうだ。
状況を理解するよりも早く、髪をオールバックにした敵の男が一歩前に出て一礼する。それはまるで執事のように礼儀正しく、慇懃な所作だった。
「お初にお目にかかる。自分はグレッグ・F・フォンセ。『新人類軍』で参謀をさせてもらっている。此度あなた様、イツキ・サナハラをお迎えに上がった次第」
「気取ってやんの」
「黙ってろ、女狐」
グレッグが肩を上下させる女性に叱責を飛ばした。
すると、褐色肌の男が続いた。
「君が、次の指導者として選ばれた。同行する意思はあるか?」
「選ばれた……。ぐっ」
再度、息を吹き返したように右目の過去の映像が蘇る。いや、今度は違う。面と向かって、見えるモーガン・ジェムが独白している映像だ。こんな光景を、樹は知らない。
『君はこの右目によって、正しい世界を見ることになるだろう。その時、わしがいるかどうかは現時点ではわからない』
「何を、言ってるの?」
「言葉通りだ、サナハラ一等兵」
樹が血の付いた右手で頬を撫でているのを見ては、そばにいる小太りの男が悠々と言ってのける。彼らには、モーガンの独白など聞こえていない。
また、今の樹にも現実の状況を逐一確認する余裕はなかった。ただそこにあると認識するので手一杯だ。
『じゃが、君には新しい可能性をその目とともに与えた。多くの者を統率する思考、合理的な思想。新しい人となるべき、働きかけを』
「君が彼らについていけば、停戦条約が結べる。そうなれば、戦争は一旦幕を閉じる」
「戦争を、終わらせられる」
樹は辛うじて聞こえたその言葉に反応して、左目に小太りの男を捉えた。そこでようやく、その人物が『地球平和軍』の新しい最高司令官、ローマス・マッケンガンだと知った。
そんなことはどうでもよしと、『新人類軍』の女性が腰を曲げて、目線を下げる。
「正確には一時的に止められる。時間を置いてから、あとで本気でやりあいましょうってことよ」
「軍備を整える時間稼ぎをしたいんだよ、連中はなぁ」
陰湿なローマスの口調に、樹は顔を顰める。
『人間とは、堕落する生き物だ』
目の奥のモーガンが冷淡な口調で告げる。
『それを導くのは、もはや人間では不可能になった。だからこそ、上位存在が必要なのだ』
「新人類とか言って、偉そうにする理由はいないでしょう」
「言ってくれるぅ」
樹はモーガンに対して発言したつもりだったが、漏れた言葉はそのまま『新人類軍』側への挑発となった。
慌てて、横にいるもう一人の男、調査船団長が制する。
「挑発するな。彼らへの同行は君の自由意思に任せるが、穏便に済ませたい」
「我々もできることなら、穏便な処置を願いたい」
グレッグが盗み聞きして、手を後ろ手に組んで仁王立ちする。
「彼女はこの組織の悪癖を見て、学び、少なからずの反発心を持っていると感じられる。我々に対し、怒りの気持ちもあるだろうが、こう思っているのではないだろうか? 人は堕落し過ぎた、と」
『人の上に立つ者は、正しき精神を持つ者だ。慈愛と畏敬を持ち、物事を機械的にこなせるインテリジェンスが必要なのだ。だから、わしは————』
「だから、我々は―———」
樹の目に映る二人の男が重なり、同じ口の動きをして見せる。
『「君を正しき指導者に選んだ」』
「あ、ああ……」
重なった言葉の重みを、樹は否応なく実感した。
この戦争は自分が右目を新たに得てから、決められていた事実なのだと。そして、今まで積み重ねてきた自身の知識は、これに利用されるためにあったのだろう。
足元が抜け落ちていく感覚。頬を押さえていた手が、ゆっくりと離れていく。肌についた血は乾いて、真っ赤な文様のようになっていた。右目の駆動音が止んで、映像が消えた。
「君を敵に渡すのは不本意なのだが、これ以上の損害を出さないためにも英断してほしい。ん? わかるだろう? 賢い君なら」
ローマスが不躾に樹の肩に触れる。彼の本心はさっさと敵に譲って停戦条約を結びたいという欲望だけだ。停戦が認められれば、統合政府より高い評価を得られ、前線から離れられるという保身的考えがあったからだ。
「君の思う通りでいいんだ」
そういう船団長の顔にも迷いの色が窺える。視線が右往左往しているのが、何よりの証拠だ。彼とて、戦争への参加は願い下げだ。が、軍備を整える時間がほしいのだ。帰ってきたばかりで、旧式の機体しか船団は保持していない。正面からぶつかって、絶対に勝てる保証がない。
「サナハラ一等兵、どうする?」
ふとレミントンが振り返って、そう問うた。
樹には周り全員が敵にしか思えなかった。
お前さえ犠牲になれば、すべてうまくいく。『地球平和軍』も『新人類軍』も、誰も佐奈原樹がほしいのではない。
便利な歯車がほしいだけ。
「…………」
沈黙が流れ、じれったそうに髪の毛を弄る『新人類軍』の女性が口を開いた。
「あたしとやりあった時の威勢はどこに行ったんだい? 先生の仇を取りたいんじゃないのか?」
「鈴さん、何もここで————」
「固いことを言うなよ、ハンス」
「せん、せい……。その、声————っ!! あなたはっ」
褐色肌の男、ハンス・ルゥに咎められる女性、鈴燕華はにんまりと口元を歪めて見せた。勝ち誇ったように、あざ笑うかのように。
樹の心の中で、何かが弾けた。
視界に入ったレミントンの腰にあるホルスターに手を伸ばし、自動拳銃を奪い取ると彼の前に出た。突き動かす衝動に任せて、銃口を燕華にまで向けた樹だったが、安全装置を外したところで動きが止まってしまう。
それは周囲にいる人たちもそうだ。彼女の突発的な行動に、理解が追い付かなかった。
「赤い機体の操縦者っ。先生を殺した、あなたが!!」
「そうさ。あたしが憎いんだろ、嬢ちゃん。この鈴燕華がさっ」
燕華が一歩前に出る。同時にハンスがグレッグを庇うように前に出た。
「よせ、サナハラっ。ここで発砲すれば、これまでの話もパァだ」
ローマスが懇願するように絶叫する。しかし、レミントンと船団長は冷静に身を構えて、事の次第を見守ることにした。彼女の選択なのだと割り切って。
樹は痛む頭に顔を顰めて、左目に力がこもる。
すると、グレッグが言う。
「いいだろう。君が指導者として、彼女が有害であると判断したなら殺しても構わない。そうすれば、我々の組織にも馴染み易かろう?」
「…………っ」
仲間の言う言葉ではない。もはや、彼らにとって命までもが大切ではないような言いようだ。
しかし、心が命ずる。
燕華を殺し、アリス・ジェフナムの仇を取れ、と。
そして、燕華も妙に熱い息で言う。
「かまわないよ、あたしは。それが次の世界のためだって言うんなら、撃ってみなよ。そうすれば、みんなが幸せになれる世界を嬢ちゃんが作ってくれるんだろう? 戦争もない、差別もない世界をさ」
樹は震えるレティクルの先で、悠然と立つ燕華が怖くなった。
〔MB〕同士の戦いでは、絶対に負けないと奮い立っていた気持ちはない。ただ、生身の彼女を討つことが途方もなく怖い。血肉をぶちまけて死んでいくのを見たいのではない。それは、人間としての境界を踏み越えてしまう行為だと思うからだ。
〔アル∑〕で敵を屠っていた時とは違う。私怨で、憎悪で目の前の人を殺すのだ。
「統合政府は貧しい地域に教育の場ができるのを恐れた。なぜだか、わかるかい? 下僕同然に、何も知らされず畜生として働く人間がほしいからだ。そして、政治屋を政治犯として捕まえて、宇宙に捨てたんだ。嬢ちゃんなら、わかるだろう? 幸せを築くのには知識は絶対不可欠だ。次の世代へと可能性を伝えなきゃいけないんだ。だからっ、ここであたしを撃ってみろっ!」
息を荒げて、燕華が自らの胸の内を伝えた。それは、樹が指導者となった時、叶えてほしい願いでもあった。この少女になら託せると戦場で交えた剣劇を信じて、引き金を引かせようとする。
しかし、樹の左目に宿るのは怒りではなく、悲しみの涙。
「わたしに、わたしに————ッ! そんなこと、押し付けないでよっ!」
目の前にいる敵は確かに、アリスの仇だ。だが、今後ろにいる軍人よりも、志の高い目標をもっている。いい人だとは言わない。残忍な猛者だ。それでも、彼女の願いは清らかに誰かを救いたい一心。
英雄を望んでいるかのような言葉。
樹はとめどなく溢れる涙を目を瞬かせて弾くと、銃口を自分の右目に向けた。
もう嫌だ。誰かに利用されるだけの命なら、この場で潰えた方がマシだ。絶望の淵に立たされて、周りすべてが敵の中で彼女の心は脆く、崩れ始めた。
その場にいる全員が息を飲み、レミントンが腕を伸ばす。グレッグも船団長も飛びかかる。
しかし、樹の指は先ほどよりも軽く、引き金を絞って————。
「いつきぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!!!」
「——————っ!?」
通路に木霊する彼女を呼ぶ声。
樹の指先から力が抜けて、レミントンとグレッグが取り押さえる。もはや無抵抗に、床にたたき伏せられて、拳銃を奪われる。
樹はしかし、今を見る左目で向かってくる一人の少女の姿を捉えていた。
「彩子…………」
その言葉をつぶやいたとき、右目の奥で何かが力任せに切れる音がした。瞬間、樹を支えていた何かが崩れて行った。
「樹、何馬鹿なことしてんのよっ。馬鹿っ!! あんたらも、どきなさいってのっ」
必死に涙をこらえて、皆守彩子が取り押さえるレミントンとグレッグを押しのける。
樹の目にたった一欠けらの心が熱く、涙のしずくが浮かんだ。
「医務室覗いたら、もう出たって言うし、叫び声は聞こえるしで————、ああんもうっ。怪我だってしてるじゃない」
そういって、彩子は強引に樹を起こして、強く手を握った。
すると、腰を抜かしていたローマスが彩子に言う。
「貴様、でかしたぞ。これで、停戦条約が結べる。『新人類軍』の使者たち、さっさと連れていくといい」
「何よ、カエルオヤジ! 黙ってなさいっ」
激昂する彩子は相手が自分たちの上司だと知りつつ、罵声を浴びせる。
それには、燕華をはじめ、この場の全員がよく言ったと思った。
ローマスは目をぎょろつかせて、怒りをあらわにする。
そこに遅れて、フォース・ロックが駆けつける。その手には、樹の制帽が握られていた。
「船団長殿? これは一体、どういうことです?」
フォースはしっかりと床に足をつけつつ、一瞬の隙も見逃さない視線でざっと周囲を見た。
船団長は手首を回しながら、一歩退いたグレッグたちを睨んだ。
「詳しい話は、知らなくていい」
「しかし、どうやら自分の部下が危険な目にあったようで、詳しく話を聞かせてもらいたいですな?」
フォースは彩子に肩を借りて、抜け殻のように立つ樹を見て言った。ここに来るまでに、悲鳴やら怒鳴り声を聞いており、ただならない予感はしていた。それでも、この事態は予想以上のものだ。
「詳しくも何もないよ、オジサン」
と、先ほどまで銃を向かられていた燕華が茶目っ気たっぷりに肩を上下させる。先ほどまでとは違って、落ち着きを取り戻しており顔色もよくなっていた。
グレッグはこの場にいる全員を見渡す。諦めたように、決意したように、その瞳は気怠く細くなる。
「停戦条約はなしだ。彼女は見ての通り、とても厳しい状態だ。それに、ベルを撃たなかった」
ハンスはどこか安堵したような表情を浮かべつつ、グレッグの横についた。
「指導者であるならば、不必要なものは排除できなければならない。それができないのならば、認めるわけにはいかないな」
「それじゃぁ…………」
ローマスは血相を変えて、グレッグを見る。
彼は気怠そうにその口を動かす。
「ほかの約束事は守るよ。だが、同時に宣告しておく。我々が月に帰還した後に、書簡を持たせた使者を送る。そして、その六時間後、この資源惑星を攻撃する」
「ちょっと、何勝手なこと言ってんのよ、あんた」
「うるさいなぁ。俺はお前さんの敵だ」
彩子はそこで目を見開いてグレッグ、燕華、ハンスを見比べる。自分の前にいるのが、戦争の相手だと認識するのに少々の時間を要した。
そうしているうちに、グレッグたちはすたすたと歩きだす。
「どこに行くつもりだ?」
レミントンが三人の背中についていきながら問う。彼の後を船団長が追いかける。
「帰る。もう話し合いの要件はないだろう? 見送りはいいって。どうせ、何もしないからな」
「そちらが、攻撃を仕掛ける場合にはこちらも迎撃手段に出る」
グレッグの面倒そうな声とは別に、ハンスのはっきりとした物言いがレミントンたちに本気のほどを伝えた。
と、燕華が立ち止まって、一度振り返る。グレッグたちもそれに倣った。
「ねぇ、イツキ・サナハラ。それと、そっちの嬢ちゃん」
「…………」
彩子が鋭い眼光をいるのに対して、樹は胡乱な瞳を向けている。覇気を感じられない。糸を失った操り人形のようだ。
「また戦場で逢おうじゃないか? 次は容赦なく殺しにいなよん」
「あんた、何者よっ」
「鈴燕華。嬢ちゃんたちの言う先生を殺した赤い〔ミリシュミット〕の操縦者。覚えておいてねぇ」
彩子が目を向いて怒りに体を戦慄かせる中、燕華は優雅に歩き出した。
「どうして、伝えた? 油断を誘うのか?」
グレッグが後ろにつくレミントンと船団長を気にしながら問いかける。
「別に。ただ、どういう相手を殺すのか、わかってもらいたかっただけよん。こっちもどんな子か、知ちゃったし」
燕華はおかしそうに返答して、肩越しにもう一度樹を確認する。
彩子と樹はフォースに見守られながら、まだ『新人類軍』一行を見ていた。まるで姿を焼き付けるように、じっと。
燕華も次に会うのが楽しみになりつつ、頭痛のする頭を押さえる。
そして、樹はぐったりとうつろな表情のまま…………。




