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ふりだしへ戻るエピローグ


 受身とったから、とかあずきに言った手前とても恥ずかしいのだが、右足が折れていたりした……。いちおうヒビが入っただけということになっているものの、『骨と骨が薄皮一枚でつながってる状態だね、ははは』と微妙にシャレにならないセリフを医者が吐くような状態らしい。それってイコール折れているということではないのだろうか。

 八月中旬の現在、柏制作工場の猫たちは移転を無事に済ませ、すでに工場の解体作業も始まっているらしい。

 オレは足のせいでリタイアしてしまったものの、他の三人はあの後もしばらく後始末に追われて作業を続けていた。空き地に呼び寄せたのはいいが、そこでまたずっとエサをあげ続けては柏さんの二の舞となり意味がないため、七輪で焼いたアジのサービスは二、三日で終了。その代わりにベルトコンベアに残っていたキャットフードを裏山にばら撒いたという。人間から貰わなくても山でエサを探す、そんな動物として当たり前のことを猫たちには思い出して貰わなければならないからだ。

 聞いたところによると、最初の頃は空き地に集合してしまっていた猫たちも日を重ねるごとに数を減らしていったらしい。空き地に行ってもエサはないのだと学習したこともあるのだろうが、どうやらなるとが率先して山へと帰化した結果なようだ。桜も言っていたが、あの集団でのなるとのポジションはかなり強力で、ボス猫なるとが行動すれば他の猫たちも追随しようとするのだろう。

 あと、これがオレたち四人には最大のウィークポイントだったのだが、九鬼建設会社からのお咎めは今のところなさそうだ。トラックの無断借用に始まり、セキュリティを破っての不法侵入、桜を殺しかけた無免許運転(二人分)、そして瞬間接着剤を用いた敷地の占拠などなど、この若さで多数の前科を持つところだったが、九鬼社長は見て見ぬフリをしてくれたらしい。猫のためならどんな処罰も受けてやろうと覚悟していたとはいえ、正直心の中ではビビりまくっていたのだ。なんとか高校退学の不名誉も回避することができそうだし、いやはやほっとした。ちなみに瞬間接着剤で固めまくったあの門だが、和三のマッドサイエンティストパワーでなんとか引き剥がせたらしい。


「つまるところ、これがなきゃ完璧だったってことか」

 オレンジ色に染まる病院のベッドでひとり、ギプスと包帯でぐるぐる巻きにされた右足に文句をつける。

 骨にヒビが入っただけなら入院することもないだろうと思っていたのだが、なんだかんだでもう一週間寝たきり生活を強いられている。十メートルの高さから落ちたと正直に言ったのがまずかったらしく、足のほかに異常はないか徹底的に調べられる運びとなってしまったのだ。

 せっかく合気道部が活動を再開したというのに練習には出ることができず、それどころか当分はドクターストップが解除されなさそうなのでげんなりしてしまう。輝かしい夏休みの予定は再び白紙へと戻ってしまっていた。

 六人部屋の最奥、窓から下界を見下ろせるなかなかのポジションにベッドはあるものの、高校二年生が一週間を過ごすには病院なんてヒマすぎる。同室の入院患者はお向かいのベッドに一人いるだけで、かなり高齢なそのおじいさんはたいてい待合室でぼーっとしているので病室にはオレ一人のことが多い。

 窓からの景色は初日で見飽きたし、家族や友人の見舞いも最初の頃だけでここ数日はなくなった。命になんら関わりのない骨折という診断結果は周囲の同情よりも呆れを買ってしまっているらしい。

 兎にも角にも、いかに暇をつぶすかが最近の最重要命題となっていた。

「……雑誌でも買ってくるか」

 夕暮れ時とあっては昼寝もできず、かといって枕元に積んである文庫本はすべて読んでしまった。しかたなしに松葉杖へと手を伸ばそうとしたところで、ふいに病室のドアが開かれた。

 ひょこ。

「あ……?」

 廊下から現れたのはなにやら団子のような丸い物体。その下にはおまけのように人間の体がついていて、実に気だるそうな顔でふらふらと病室に入ってくる。

 六つあるベッドをぐるりと見渡し、そいつは両手をぶらぶらさせゾンビのようにこちらへと向かってくる。面会終了ぎりぎりの時間だが、どうやら三日ぶりの見舞い人が来てくれたらしい。

 そして団子頭は隣の空きベッドの前で止まったかと思うと、おもむろに靴を脱いで布団へとダイブした。

「おいこら」

「……あら~、最中君じゃないの~」

 我が物顔でベッドを占拠したあずきは挨拶のつもりかしれっと手を上げる。

「そこは空きベッドなんだから降りろ。看護婦さんの手間が増える」

「だって~、ここまで来るのにもう体力使い果たしちゃったのよ~……」

「……確かお前んちってこの病院からわりと近くなかったか?」

「病院ってなんだか気疲れするじゃない~? この独特の空気が私のライフをがしがし削っていくのよ~」

「ああ、そう」

 はふ~ん、とかため息を漏らしながら屍のように転がるあずきだが、こいつが気疲れとはまたなんとも似合わないことを言うものだ。普段から死にかけているくせに。

「なによ~、人がせっかくお見舞いにきてあげたというのにその態度は~」

「いや、それはまぁ、嬉しいけど。めちゃくちゃヒマしてたところだし」

「でしょう~? だろうと思って、はいこれお土産~」

 あずきは持参したレジ袋をぽんぽんと叩いて見せるが、こっちのベッドまで手を伸ばす気はないらしい。仕方ないので松葉杖を差し出してその先に袋をぶら下げさせるとどうやらそれは雑誌らしく、ちょうど買いに行こうかと思っていたこともあって不覚にも感動した。

「気が利くなぁ、どうしたんだ、って、これは……」

 前言撤回、感動は吹き飛んだ。

 三冊ある雑誌の表紙を飾るのは愛らしい猫の写真ばかりで、タイトルは『ねこねこ日記』、『猫と暮らす毎日』、そして『週間CAT』……。悪意以外なにも感じないチョイスである。

「……あれだけの数を相手にした後で心から猫を愛でられると思うのか」

「逆によ、逆に~。あんなに猫がいる環境からこんなところに来ちゃったら物足りないんじゃないかと思ったのよ~。禁断症状って言うの~?」

「猫がいなくてホッとしてたところだっての」

「まぁ、人の好意はありがたく受け取っておきなさいな~。ちなみにエロ本っていう選択肢もあったんだけど~、考えてみたら今の最中君はナースに不自由してないわけだし、やっぱりこっちかな~と。あ、でも、ナースだらけの中でナースのエロ本を読むって言うのもオツかもしれなかったわね~」

「担当の看護婦さんに見つかったらシャレにならないから止めてくれ」

 男の看護師さんをよく見かける昨今にあって、オレの担当は若い女の人なのだ。もしそんな本を発見された日には致死量の採血とかされかねない。

 


 夕日は赤みを増し、二人しかいない病室は茜色に染まっていく。

 あずきは隣のベッドで横になり枕に顔をうずめたまま動かないが、せっかくいいところに来てくれたのだから何か他愛ない話にでも付き合ってほしいところだ。そう思って声を掛けようとして、しかし先手を取られた。

「……ねぇ」

「ん?」

 枕のせいでもごもごとくぐもった声。

「……足は、平気なの?」

「ああ、折れてはいないらしい。カルテの上ではな」

「ふーん……」

 事実上の完全骨折扱いだが、なんとなく隣からの声が心配げに聞こえたので言わないでおく。あずきが語尾を延ばさない口調になったのは、オレが工場の屋上から落ちた時以来だからだ。

「痛くはないの」

「動かせばそりゃ痛いけどギブスしてるから問題ないし、松葉杖があれば意外と不自由なく移動できるもんだ。これでも合気道部部長だからな、体力も人並みにはあるさ」

「でも部活は当分できないのよね」

「それは、片腕無くてもなんとかなるけど片足が使えないと合気道やるには致命的かもな。でも筋トレくらいはできるだろ」

「そう、なの……」

「……?」

 ぼんやりとした呟きに一体どうしたのかと不安になる。なんというか、らしくない。

「なぁ、もしかしてお前こそ体調悪いんじゃないか? 内科にでも寄って帰ったらどうだ」

「べつに……、具合なんて悪くないわ」

「じゃあなんで……」

 と、それまで枕に埋もれていたその顔が今度は完璧に向こうを向いてしまった。そしていっそう小さな声であずきはこんなことを口にする。

「……私が、無理やり参加させちゃったから」

 消え入りそうな擦れた声に思わず耳を疑った。

「………………」

「私が協力させちゃったから、そんな……、怪我までさせて。その……、ごめんなさい」

「……おいおい、どうしたんだよお前らしくもない。こんなのオレが落ちたのが悪いんだし、お前が謝る必要なんて……」

「私って、いつもこうなのよ。人を無理やり巻き込んで、桜ちゃんや和三君にも迷惑かけて。……どうしてこんなやり方しかできないのかしらね」

「………………」

 泣いてこそいない。しかしいま隣にいる女の子は普段のあずきからは想像もつかないほど落ち込んでしまっているのは明らかで、思わず言葉に詰まった。

「本当に……、ごめんなさい」

「………………」

 道案内をしただけだったはずが半ば強引に猫を追い出す手伝いをさせられたのは事実。そしてその最中に屋上から落ちてこの様になったのも事実で、もしちゃんとダンボールに受け止められていなかったらもっと酷い結果だったかもしれないということもまた事実だ。

 しかし、それは違う。

「なぁ、あずき」

「……なに?」

「徹夜した夜とその朝にさ、どうしてあずきの誘いを断らなかったのかって二人に訊いたんだ。何も知らずに着いてきたとは言え、途中で帰ってもよかったはずなのに最後まで付き合ったのはどうしてかってさ」

「それは……、二人とも優しいからでしょう。猫を放って帰れるような人間じゃないもの」

「もちろんそれもそうだけど、二人が話してくれた理由はそんなんじゃなかったんだ。猫を助けたいってよりも、別の理由で参加してた。なんだと思う?」

 分からないわ、と向こうを向いたまま呟いたあずき。その背中に最高の賛辞を贈る。

「お前だったからだ」

「……?」

「詳しくは本人たちに訊いてくれ。でもこれだけは言っておくな。あいつらは猫のためじゃなくてお前のために働いたんだ。お前の魅力に惹かれて、お前の助けになりたくて、だから二人は最後まで帰ろうとしなかったんだよ」

 そしてそんなことを話しながら、ふと自分の理由にもたどり着いた。そうだ、オレだって同じことだった。こんな雑誌をもらっても嬉しくもなんともない、猫のことが好きでもないオレが参加を断らなかった理由、それはやっぱりあの二人と同じなのだ。

「オレだってそうだ。だから迷惑かけたなんて言うな。無理やりじゃない、お前じゃなかったらみんなすぐに帰ったさ。オレたちは帰ろうと思えばいつだって帰れたのに、自分たちの意思で留まったんだ」

「……あ」

「バカやって入院したオレのためにわざわざ見舞いに来てくれて、その責任を感じてごめんなさいなんて柄にもないセリフを言って、そんなあずきだから、きっとオレもお前に付き合ったんだよ」

 我ながら恥ずかしいことを言うが、これでいい。猫を追い払った功績で一番称えられるべきなのは大福あずきなのだ。こいつが落ち込んでいる理由なんて一つもありはしないのだ。

「………………」

「な?」

「……そう、ね」

 顔を背けていたあずきはゆっくりと体を起こし、一つため息をついてからこちらを向いた。そしてまっずぐな瞳でこう言った。

「……コクられてる気分だったわ」

「勘違いだ」

「え~、即答~? そこは顔を赤らめて『ち、ちげーよ、ふざけんなこのバカ……』、とか言って欲しいところだわ~」

「………………」

 あっという間に普段のあずきに戻っていた。



 後日、退院するオレを桜、和三、そしてあずきの三人が出迎えてくれた。

 空は快晴、心地よい風が吹く午前中のことである。

「退院おめでとう、最中君~」

「ありがとう、でもどうしたんだみんなそろって」

「ふふん~、実はここから電車で三十分の位置に猫屋敷があるってウワサを仕入れたのよ~。これからみんなで行くんだけど、どうする~?」

「げ……」

 これにはさすがに躊躇した。



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