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物資アイディア心の準備の五章


 二人でトラックを無事返却し、やれやれと深夜の帰り道を歩いていると途中の小さな児童公園の前であずきは突然立ち止まった。

「どうした?」

「ん~、ちょっと休憩しましょう~」

 休憩もなにもあと少し歩けば工場に着くのだが、こちらの意見を聞こうともせずに公園へと入っていくあずき。しかたなく後に続く。

 ブランコと滑り台と砂場しかない小規模な公園は周囲を民家に囲まれていて、この空間だけがぽっかりと取り残されたようだ。深夜の遊び場に子供の姿があるはずもなく、一日の役目を終えた遊具たちが静かに眠りについている。その中の一つ、古びたブランコにあずきが座ると錆びた金具がきぃと音を立てた。

「私、夜の公園って好きなのよね~」

 足をぶらぶらさせるあずきに習い、隣のブランコへと腰掛ける。すると公園の全体を見渡すことができて、この空間の小ささが強調されたような気がした。

「そうか? 不審者の巣窟だろう」

「ミもフタもないことを言うわ~」

 呆れたような声。きぃきぃと軋む鎖。

 それからしばらく黙り込んで、あずきは再び口を開く。

「……公園っていうのは子供たちが遊ぶための場所でしょう~? 子供たちがいなかったらこんなブランコに意味はなくて、ここはただの空き地でしかないわ~。だから子供たちが遊ぶ時間、日が昇っている間だけ、公園は公園でいられるの。それ以外は存在しないのと同じ、公園は死んだ状態になるのよ~」

「………………」

「……聞いてる~?」

「いや、小難しい話をするんだなと思って」

「変かしら~?」

「変ではないけどな、お前って頭を使うのは嫌いそうだ」

「これは考えることじゃないわ、そう感じるだけよ~」

 ふーん、と生返事を返してから右手にある滑り台へと視線を移す。

 誰も使っていない滑り台。子供が遊ばない滑り台。子供がいなければ有っても無くても同じこと、それはつまり存在していないのと同じこと、か。それは少しだけ寂しい考え方ではないだろうか。

 そんなオレの心境が伝わったのか、あずきは小さく笑うとブランコをこぎ始めた。ゆっくりと前後に振れ、金具の軋む音が公園に響く。

「……でも、たまに気まぐれで私たちみたいなのが来ると、そのとき公園はまた存在を取り戻すわ~。望まれて、だからブランコに座らせる。そうして公園は、遊具は再び意味を成すの~。私たちは今、消えていた空間を蘇らせたようなものなのよ~」

「オレたちが休憩に使ってるから、公園も意味を持ったって?」

「その通り~」

 ぎーこ、ぎーこ。上がったり下がったりを繰り返すあずきに釣られるわけではないが、座ったまま三歩後ろに下がってみる。そしてふっと足を離してみると、重力に引っ張られてブランコが振り子運動を始めた。

 夏の夜の涼しい風を切って前後に揺れる、ただそれだけのことなのにちょっと楽しくなるから不思議なものだ。無駄に漕いだりはしなくていい。たまに少しだけ足を振るだけで十分。

「………………」

「………………」

 ぎーこ、ぎーこ。月明かりと外灯が照らす公園で二人、言葉も交わさないまま子供みたいにブランコで遊んでいる。

 しばらくそうしていると、ふいにあずきが口を開いた。

「猫たちは……」

「ん……?」

 前後に揺られながら、ぼんやりと前を向いたままの会話。

「猫たちがあんなに集まって、しばらくしたらエサがなくなっちゃうような状況になって、あげくトラックで連れて行かれちゃうような目にあって、……誰が悪いと思う~?」

「それは……、前の工場の持ち主、柏さんじゃないのか」

「その通りよ~。猫好きが猫にエサをあげることが悪いとは言わないけれど、それを最後まで続けないのは無責任。でもそれができないならできないで、その時はきっぱりと止めるべきだわ~。自分の命が危ないと分かったなら、柏さんはそこでエサをあげるのを止めなければいけなかったの~。それでどんなに心が痛んでもね。機械まで作って自分が死んだ後もずるずるとエサをあげるなんて、そんなのただの甘えでしかないわ~。猫のことを考えてるとは思えない」

「……そうだけど、でも柏さんの気持ちも分からなくはないだろ。一匹にあげて他の猫にはあげないっていうのは、難しい」

「その結果がこれじゃないの~。自分のキャパシティーを超えたことはしてはいけないのよ。それが命に関わることならなおさらね」

「………………」

 エサをあげるだけとはいえ、動物の命を左右する行動であることには変わりはない。それを一旦始めた以上、その動物が死ぬまで続けないのはルール違反。安易に食事を得られる環境を与えるということは、その動物から自力で生きていく力を奪うことだからだ。

 一人の老人が何百という猫にエサを与え続けるのは不可能。にもかかわらずエサをあげることを止めなかった柏さんにあずきは腹を立てている。それはオレだって同じ。

 さらに、柏さんは自分の死後もベルトコンベアによってエサやりを続けようとした。そこにもあずきの怒りは向いている。いくらエサを貰っていたとはいえ、集まっていたのはもともと野良だった猫ばかり。しばらくエサをあげなければ再び自力で探すこともできるはずで、柏さんがいなくなればエサをくれる人がいなくなり、それで終わりだったはず。なのにあのベルトコンベアがあったせいで猫たちは解散の機会すらなくしてしまったのだ。

 ずるずると工場に留まり続けた結果が、今日の出来事である。

「でも、柏さんだけ責めるのも違う気がするな。九鬼建設会社のやり方は乱暴すぎる」

「それも正論ね~。そもそも猫を処分しなきゃならないオプション付きの土地を買うことそのものが、動物を実に軽視した行動でしょう~。きっと猫付き物件だから安く買うことができたんでしょうけど、そんな取引するのもどうなのかって思わない~?」

「それは確かに」

 あの土地を買うなら猫の処分もしなければならないことは明らかだったのだから、九鬼社長は初めから猫を保健所送りにするつもりだったのだろう。所有権を手にした時のために前々から用意をしてきたからこそ、今朝あれだけの手際で作業を進めることができたのだ。そこに猫に対する慈愛なんてものは一切なくて、あるのはコストと利益の勘定だけ。どうしたってあの社長のことは好きになれそうにない。

「かといって建設会社が間違ったことをしているなんてことは誰にも言えないわ~。前にもいたけれど、これは当然の流れなんだからね~。さらに言うなら、猫を処分する保健所だって決して悪の組織なんかじゃなくて、必要だから当然のように設けられているだけ。柏さんの行為だって人情としては当然のことなわけで~、私たちが猫を助けたいって首を突っ込むのも致し方ないことよね~」

「……? 言ってることはわかるけど、じゃあお前は一体誰の味方なんだ?」

 あずきの主張はまるで、みんな悪くてみんな悪くないと言っているように聞こえるが……?

「誰の味方でもないわよ~。あえて言うなら猫の味方かしらね~。だれが悪いとか、誰が正しいとか、そんなの関係ないのよ~。だいたい、猫たちがそんなこと考えてると思う~?」

「考えては……、いないだろうな」

「でしょう~? 猫のため、なんて言ってもね、結局は人間のやることなんだから猫にとってはどうでもよかったりするのよ~。でもなにをしたって一緒なら、せめてそんな『人間のやること』から関係のないところに連れてってあげたくなるのは人情でしょう~」

「人間とは関係のないところ?」

「全部に人間が関わってると思うのは人間の傲慢だもの~。猫だって馬鹿じゃない、誰もエサをあげなくなればそれからは勝手に生きていくわ~。私がしようとしたのは人間の勝手な都合から猫を遠ざけることなのよ~」

「あ……」

 猫を可愛がること、猫を排除すること。そんな人間の都合から猫を開放するために、あずきはわざわざあの廃工場を目指した。人間のしたことは人間が始末をつけなければならないけれど、それに猫を巻き込むことはなにか違うと思ったからなにか別の手段をと考えたのだ。

 夜の公園、月明かりの下でゆっくりと前後するブランコ。重力に揺られながらあずきはまっすぐ前を見てそっと微笑んだ。

「夜の公園は人間が接しないせいで存在を失うけれど、それは人間が人間のために作ったものだから。でも猫は、たとえ人間がまったく気がつかないところにいたって生き続けるわ。彼らは、彼らだもの」

 エサをあげるのも人間の勝手。保健所送りにして安楽死させるのも人間の勝手。でもそんなことに関係の無いところで猫たちは生きていける。それはそうだ、人間と猫は別の動物なのだから。



 地面に足をついてずずずとブランコを停止させると、あずきはおもむろに立ち上がった。

「私たちの目的は猫をあの工場から追い出すこと~。でも明日にはまた九鬼がトラックを連れてやってくるでしょうね~。もしまた猫たちを奪われるようなことがあれば、今度はこんな簡単に奪還することなんてできるワケがないわ~。最悪すぐに保健所送りになるかもしれない」

「つまり、もう猶予はないってことだな?」

 休憩はこれで終わり。工場に戻ったら準備すべきことが山のように待っている。猫たちを人間の都合から開放するための、最後の用意。

「夜が明けたら、決戦よ~」



 猫たちが一日ぶりの食事を終えて各々にくつろいでいる。その顔はどれも幸せそうで、今日あった出来事なんてみんな忘れてしまっているのではないかと思えるほどだ。

 そんなまったりとした空気の流れる柏制作工場にありながら、給湯室だけはまた違った空気感を漂わせている。

 ぼろいイスを四つ並べてそれぞれに座り、切れかけの蛍光灯の下で行われているのは作戦会議。明日また襲い来るであろう九鬼建設会社の魔の手から猫たちを守るため、栄養ドリンク片手に徹夜覚悟で議論を交わす。

「とりあえず~、瞬間接着剤をたくさん。これは必須よ、必要不可欠~」

「でもそんなことをしたら後が大変なような気もするけど……」

「後のことなんか今考えることではないわ~」

 携帯電話のディスプレイによると現在深夜の三時過ぎ。にもかかわらず活発な話し合いが行われているのは大変すばらしいことだが、しかしこの時間帯には一つの問題がある。いくらオレたちが眠気を吹っ飛ばして活動したところで深夜は深夜。世間一般では眠りにつく時間だ。

「なぁ、このへんに二十四時間営業のコンビニなんてないからな、言っとくけど」

 どんなに見栄を張っても田舎にカテゴライズされるこの町のコンビニは、悲しいことに十時には軒並みシャッターを下ろしてしまう。たとえそれが大手フランチャイズでも例外ではなく、この時間に必要な物資をそろえるのはなかなか骨の折れる作業になる。

「でも私の地元のコンビニは二十四時間営業よ~?」

「いやだから、こっちは違うんだって言ってるんだ」

「だから~、私の地元なら開いてるって言っているのよ~」

「………………」

「あんだすたん~?」

「……お前、もしかして」

 うっすらと笑みを浮かべる団子頭。その脳みそを覗いてみればきっと、必死で自転車をこぐオレの姿が浮かび上がっているに違いない。

「一応ほら、最中君はスポーツマン枠で採用されているわけだし~?」

「……ちなみにオレの家には自転車が四台あるぞ」

「へ~、じゃあ和三君も行ってきてちょうだいな~」

「うむ、まかせておけ」

「がんばってね~」

 ひらひらと手を振るあずきに行く気はゼロ。しょうがない、最寄のコンビニまで自転車なら三十分あれば着くだろう。



 瞬間接着剤やガムテープなどの必要物資、それと夜食や飲み物などを買い込んだコンビニ袋をかごに入れて自転車を漕ぐ。

 誰ともすれ違うことのない深夜の道路。外灯がぽつぽつとしか設置されていないため道全体が暗く、自転車のライトを頼りにした心もとないサイクリングだ。

「しっかし、人使い荒いなぁ……。飲みたい紅茶がないからって別のコンビニに行かせるか普通」

 出発前、あずき桜の両名からとある銘柄の紅茶を飲みたいと言付かったものの、いざコンビニに着いてみるとその商品は残念ながら売り切れていた。とりあえず似たようなミルクティーを買ってその旨を電話で報告すると『え~』とのブーイング。しかたなく他のコンビニを探すハメになったという次第だ。しかも二軒目三軒目にもその紅茶はなく、四軒目でようやく手に入れたという無駄手間っぷり。

 両腕をハンドルに乗せつつあずきの暴虐っぷりに文句を言うと、隣に併走する和三が愉快そうに笑う。

「わはははは、それに付き合う最中クンはなかなかのお人好しだ。別にいいと言っていた桜クンのぶんまで買い直したのだからな」

「どうせ片方を買い直すんならもう片方も買い直したって変わらないだろ」

 努めてそっけない返事を返してみるが、和三はふふんと鼻で笑う。

「謙遜することはないだろう。そもそも、ただ道案内を頼まれただけだったのにこんなことにまで付き合っている時点で、君のお人好し度は百%を越えている。断ってもよかったというのに、どうして参加することにしたのだね?」

「それは……」

 改めて訊かれるとなんと答えていいものか首を捻る。ヒマだったからというのはあったと思うが、しかしわざわざ面倒ごとに首を突っ込みたいレベルのヒマさでもなかった。ちょっと面白いことがあればいいなぁ程度に思っていたところに飛び込んできた規格外の出来事。それを了解してしまったのは……。

「……あずきを見てたら、なんとかしなきゃっていう気になったんだ」

「ほほう?」

「あいつはぱっと見あんなのだけど、猫を追い出すんだって言った時はすごく真剣な感じが伝わってきて、それを見たらオレも真剣にならないとなって思ったんだ。なんていうか、あずきに釣られたっていうか」

「うむうむ」

「……いや、なんかしっくりこないな。間違ってはないと思うんだけどな」

「ふーむ、でもあずきクンに釣られたというのは分からなくもないぞ、最中クン」

「……………う」

 なんだか恥ずかしくなったから、同じ質問を問い返してやろう。

「そういうお前だって人のことは言えないだろ。わざわざそんなモン買いこんでさ」

 和三が乗っているオレの父親の自転車、そのかごにはコンビニで買い占めたみかんが袋一杯に入っている。コンビニのしょぼい青果コーナーでそれを見つけた和三はすぐさまあずきに電話を掛けて思いついた作戦を伝えると、棚のみかんをあるだけ全部買い物かごへと放り入れたのだ。

「別に言われてないのに自分から提案したってことは、お前もかなり乗り気ってことだろ」

「あー、まぁ、僕の場合はトラックで桜クンを殺しかけた前科があるのでな……」

「……一応反省はしてるのか」

 突如としてどんよりとした空気をまとった殺人未遂男。きっとこの先しばらくは引きずることになるのだろう。自業自得だが。

「でもそれだけじゃないんだろ? お前だって最初からあずきに付いていく必要はなかったんだし、むしろなにも知らされてなかったのによく従ったよな」

「それはそうだがな。しかしあずきクンはこの僕をマッドサイエンティストとして必要としてくれたのだ、断る理由など一つもないし、むしろ感謝せねばならんくらいなのだ。それに僕も感じたのだよ。彼女なら僕の能力をすばらしいことに使ってくれるという、直感を。それは嬉しいものだ」 

 隣を走る白衣の男は言葉通り、嬉しそうな表情で前を向いている。その横顔はちょっと意外かもしれない。

「直感って、非科学的なこというんだな。そんな曖昧な言い方じゃなくて何%だとか言いそうなのに」

「なにを言う。ロボットに心を持たせることがマッドサイエンティスト界では悲願の一つなのだぞ? 心の機微を理解できないようではやっていけないのだ。それにあずきクンが示す行動の実直さのようなものは、彼女が普段見せる人柄と相反するがゆえによりストレートに伝わってくる。この場合の直感とは百%と同義語だぞ」

 だから彼女は生徒会長向きなのだ、と和三は言う。

「自然と人を導くことができる人間だからな、彼女は。わがままで気分屋だがその行動指針はぶれることがないし、その指針も的を得ている。やりたいことをまっすぐにやるという真摯さがあるから、上下関係を抜きにしても彼女に着いていこうという気になる。あれはある意味のカリスマなのかもしれんな」

「カリスマって、はは、あいつには似合わない言葉だな」

 そんな言葉を使えるのは、せめてあいつが背筋を伸ばして両目を見開くようになってからだ。しかしまぁ、和三の言うことに一理あるかもしれないとは思うけれど。

 と、ふいにポケットに入れてある携帯に着信が入る。桜からの電話のようだ。

「どうした?」

『あ、最中君? もしかして自転車漕いでる真っ最中かな』

「いや気にするな。それよりなにかあったのか?」

『ううん、そうじゃなくて。ちょっと遅いから大丈夫か確認しろってあずきちゃんがね。急ぎすぎて事故になんてあったらダメだからってあずきちゃんがね』

 と、携帯越しになにやらごにょごにょと聞こえるあずきの声。余計なこと言わなくていいのよ~、とかなんとか。

「はは、心配してくれてどうも。あと五分ぐらいで着くだろうって伝えてくれ。それと、二人が言ってた銘柄のお茶はちゃんと見つけたから楽しみにしてろ、ともよろしく」

『あ、もしかして探してくれてたから遅くなっちゃったの? そこまでしてくれなくてよかったのに、ごめんね』

「気にすんな。その代わりオレらにもちょっと味見させてくれ」

『うん、わかった。それじゃあ気をつけてね』

「おう」

 携帯を切り、再びポケットへ。

「なんと言っていたのだ?」

「ん? オレたちが遅いって生徒会長が心配してくれたそうだ」

 にやりと笑って見せると、和三も愉快そうに笑い声を上げる。

「ふははは、さすがはカリスマだ! こんないいタイミングで部下の身を案じてくれるとは、信頼度三十%増しではないか!」

「じゃあ、ちょっと急ぐか」

 二台の自転車はスピードを増し、夜風を切って廃工場を目指す。今は少しでも早くリーダー様にお茶を届けて差し上げたい気分なのだ。



 午前五時。すでに夜は明けつつあり、薄水色の空気が工場内を包み始めている。

 夏休みに限らず長期休暇というものは生活リズムが崩れやすいものだがそれでも徹夜なんて滅多にしないし、もしや日の出なんて見るのは元旦以来じゃないだろうか。

「ふぁ、さすがに眠くもなるな……」

 工場裏手、敷地と小山との境界線になっている塀の割り増し作業に区切りをつけて背伸びをする。

 もともとこの場所の塀は一メートル七十センチ程度なので猫なら難なく上れてしまう高さだ。しかし今回はここを越えてもらっては困る事情があるので、給湯室に積んであったダンボールとガムテープを駆使して塀をさらに高くすることにした。風が吹けばめくれる程度の脆弱な壁だが、そこは猫が上ろうとしなければいい。見た目がしょぼいのも目を瞑る。役割さえ果たせばいいのだ。ちなみに使用したダンボールにはでかでかとキャットフードの商品名が書いてあるが、つまり柏さんは猫のエサを箱買いしていたということらしい。

「ほんとに猫バカ……」

 呆れつつもダンボールを残してくれていたことには感謝して次の場所へと移動する。

 空き地に面した壁は割り増しの必要がなく、正面に関してはダンボールが足りないため断念。よって、あとは敷地と柏家との間を補強すればこの作業は完了だ。

 ダンボールの束を抱えながら柏家側へと移動すると、五、六匹の猫が工場の壁に寄り添うようにくつろいでいるのを発見。そして人間が一人しゃがみこんでいるのも発見。

「桜?」

「あ、最中君。おつかれさま」

 なにをしているのかと近寄ってみると、桜のそばには大きなトラ猫なるとが丸まって目を細めていた。どうやら桜も職務を全うしているところだったようだ。

「桜もおつかれ。大丈夫なのかアレルギーは」

「あ、あはは、平気だよこれくらいー」

 とか言う桜。しかしその三秒後にはつつーと鼻水が垂れ、赤面しつつティッシュを取り出した。

「……ずず、ごめんなざい、ウソづきまじた」

「いや、いいけどな……」

 やはり猫アレルギーの桜にとって、なるとを付っきりで監視するというのは荷の重い役割だったようだ。

「でも見失わなければいいわけだし、もうちょっと離れててもいいんじゃいか?」

 しかし桜はうーん、と困った顔を浮かべる。

「最初はもうちょっと離れてたんだけど、ぐす、なるとちゃんってば突然とんでもないところに移動するから一回見失っちゃって……。ずず……」

 なるほど、気ままな猫を監視するのも楽ではないということか。

「これからこっちの塀やるけど、もしうるさくしてなるとが逃げたらごめんな」

「うん、大丈夫。しっかり見てるからがんばって」

「任せた」

 裏手に比べてこちらの塀は長いため、ダンボールが足りるかちょっと微妙なところだ。よって門に近いほうは後回しにして、より猫を通したくない裏山側からダンボールを貼り付けていくのが得策と見た。

 ダンボールを一枚取ってはガムテープで乱暴に固定し、また次のダンボールへ。ブロック塀にガムテープを貼るのはこれがなかなか難しい作業で、コツを掴むまでは貼った先から剥がれていってしまうのだが、自分もなかなかに上達したものだ。ひょいひょいとくっ付けていく自分の手際になんだか悲しくなってくる。

「なぁ、桜」

「なに?」

 ちょっと気になったので訊いてみることにする。

「お前はなんであずきに付いて来たんだ? こんな怪しげな集まり無視すればよかったのにさ」

 すると、桜は一瞬きょとんとした表情を浮かべてすぐに微笑んだ。

「あはは、なんでだろうね。あずきちゃんのことは生徒会の人ってぐらいしか知らなかったから突然誘われてびっくりしたけど、不思議と断る気はしなかったの。あずきちゃんってなんだか小さな子供みたいじゃない? 頼られたら助けてあげなきゃって思っちゃうんだよ、最中君もそう思わない?」

「子供……、なるほどそれも分かるような気がするな。和三のやつはあずきにカリスマがあるだのって言ってたんだけど」

「へー、カリスマかぁ。そっか生徒会長さんだしね、人を惹き付けるなにかを持ってるのかも。でもあたしにとってあずきちゃんはそんなカッコいい人じゃなくて、どちらかというとカワイイ人なんだけどなぁ」

「……え」

 思わずガムテープを千切り損ねた。あれがカワイイ……? それは賛同しかねるが、まぁ感性は人それぞれか。

「最中君はどうして?」

「んー、自分でもよく分からないんだ。猫をなんとかしなきゃとは思うけどさ、それだけかっていうとなんか違う気がする」

「そっか、でも最中君がいなかったらあたし達なにもできなかったよ。参加してくれて感謝感謝だね」

「それは桜のほうこそだろ。和三もそうだけど、二人は役立つスキルを持ってて選ばれたんだからさ。……和三のほうは若干から回りしてるけど」

「えへ、ありがと。でも最中君だってあずきちゃんに選ばれたじゃない。あのとき道を訊いたのがたまたま最中君でよかったよ」

「はは、そんなこと言われたらがんばらなきゃならなくなるな」

 こちらの照れ隠しに桜はえへへ、と笑って見せた。

「うん、がんばってね。あたしも鼻水には負けないから!」

 さて、もうあまり時間はない。この塀を一気に片付けてしまおうか。



「みんな~、ちょっと集合~」

 午前七時、あすきが全員を門の前へと招集した。その手には真っ白なおにぎりが握られており、ごはんつぶを付けたほっぺたはもぐもぐと動いている。

「おいこら、なに一人で食ってんだ」

 完徹でも朝飯時になれば腹が減る。さっきからぐるぐると文句を言っているこの腹に変わって団子頭に鉄槌をくれてやろうかと思ったところで、すいっとお皿が差し出される。お盆かと思うほどの大皿にはたくさんのおにぎり。

「はい~、柏さんからの差し入れ~」

「柏さんから?」

「なんか頑張ってるみたいだったから、とのことよ~」

「おお、なんてありがたい……」 

 夜通し動き回っていた音が柏家にまで聞こえてしまっていたのだろう。ご迷惑おかけしたというのにそのうえ差し入れまで貰ってしまうとは、感謝。

 まだ温かいおにぎりを手に取り、ありがたく一口。うまい。

「うむ、美味だ! 味蕾が興奮を隠せないほどにな!」

「こんなにいっぱい、感謝しなくちゃね」

 さらにあすきは手に持っていた水筒のフタを開け、他三人にガラスのコップを配った。

「お茶も貰ってきたから飲むといいわ~」

 それぞれの器へと注がれる麦茶。至れり尽くせりとはこのことか。

「柏さんには一通り説明して了承ももらってきたし~、そのうえおにぎりまで頂いちゃったら、これはもう頑張るしかないわね~」

「てことは、借りてこられたのか?」

「もちろんよ~」

 あずきが視線を送ったのは足元に置かれたビニール袋。なら、必要なものはとりあえず全てそろったということだ。

「すると、あとは僕の仕事が終われば、ということかな?」

「その通りね~。順調かしら~?」

 まかせておけ、と和三はどんと胸を叩く。

「マッドサイエンティストは逆境にこそ強いものなのだ。そうだな、あと三十分もらえるか。それで仕上げてみせる」

 現時刻は七時過ぎ。九鬼建設会社から猫が消えたことはすでにバレていてもおかしくはない頃合いだが、あと三十分ならなんとか間に合うだろう。もしこちらの準備が整うよりも早く到着された場合に備えて対策も打ってあるのだ、焦ることはない。

「じゃあ三十分後、いよいよやってやるわよ~!」

「おお!」


 そうして、大福あずき一行の猫追い出し作戦は実行へと移される。



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