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一退一進の三章


 結論から言えば、オレたちの考えは甘かった。

 翌日の朝早くから工場まで行ってみると、そこには先客がいたのだ。

「……最悪だ」

 柏制作工場前には早朝にもかかわらず一台の大型トラックとワゴン車が停められており、その車体にはどちらも『九鬼建設株式会社』の文字がプリントされている。ワゴン車の横には見覚えのある男の姿。

 そして敷地内にいる百以上の猫、そのすべてが異様なほど騒ぎ立っているのが聞こえてくる。

 駆け寄ってみると、スーツの男がこちらに気づいて鋭い眼光を向けてきた。

「……なんだ、お前たちか。こんな朝っぱらから何の用だ」

「そちらこそ、一体何をやっているんですか」

「見て分からないのか」

 男に促されて門の中を覗く。

「……っ」

 敷地内には作業着姿の男たちが数名、その手には大きな網が握られている。そして殺気立つ猫たちが固まっている箇所に、作業員の一人が網を放った。

 覆い被さるようにせまる網。数匹は飛びのいてそれを避けることができたが、十以上の猫が絡め取られていく。もがき暴れるその足や首にますます網は巻きついて、数十秒もしないうちに全ての猫が身動きを取れなくなった。

 体を床に打ち付けて、全身の毛が抜けていく。それでも身をよじって叫び、近づいてくる人間を精一杯威嚇してみせる。

「……ひどい、みんな怖がってるよ……」

 猫たちの叫びを全て聞き取り、桜は耳を塞ぐようにうずくまった。

「これは、あんまりではないのか……?」

「何を言っている。こんなところでこんな数の猫が生きていけるはずがないだろう」

 網から外され一匹一匹トラックへと運ばれていく猫たちを、その男は冷徹に眺めている。

「食料が底をつけばすぐに全滅、病原菌が繁殖すればそれでも全滅。そしてその不衛生な環境から発する異臭、病気などはすべて人間の生活へと影響を及ぼすのだ。それは人間にとっても猫にとっても看過できる問題ではない。そもそも、こんな環境になるまで放って置いた前の地権者にこそ文句を言うべきだろうが」

「だからって、こんなやり方はないんじゃないですか……?」

 トラックにはすでに多くの猫が詰め込まれているはずだが、その中からは鳴き声が一切聞こえてこない。荷台に近づいた作業員たちがマスクを付けているところを見ると、おそらくガスか何かの薬物で眠らせているのだろう。

 こみ上げてくる怒りに、両手をぐっと握り締める。

「もっといい方法があったんじゃないですか……?」

「猫いらずをばら撒かなかっただけいいと思え。偽善者面した動物愛護団体の連中がうるさいんだ、こちらとしては最大限譲歩している。だいたいだな、こんな面倒ごと好きでやっているワケじゃない。我が社の貴重な予算と時間をこんなことに費やしているのだから、慈善活動もいいところだ」

「………………」

 再び網が投げられ、猫が捕まる。

 工場外の猫たちはすでにほぼすべてがトラックへと送られ、中のほうも残っているのはごくわずかなようだ。網で一度に捕まえられる数も減り、作業員のうちの数名は給湯室やキャットウォークまで踏み込んで残った猫を捕まえにかかっている。

「……オレたちは猫たちをなんとかこの工場から追い出そうとしてました」

「それはご苦労だったが、もういい。今後は敷地内に一切立ち入るな」

「オレたちならきっと、もっといい方法で実現できたと思います」

「だからどうした。それを昨日までにやっておいてくれたならこちらも助かったところだが、結局は役に立たなかった。なら黙って私たちに任せればいい」

「……っ」

 思わず目の前の男を殴りそうになる。殴って、そのトラックの扉を開け放って猫を全部逃がしてやりたい。そうできたらどんなにいいだろうか。しかし、その手は和三に止められた。

 分かってる。ダメだ、そんなことしたってどうにもならない。……けど、このまま何もしなければ猫たちはどうなるのか、それも分かりきってる。必死に叫んで網から逃れようともがく猫たちを、なにもせずに見ているだけなんて耐えられるわけがない。

 そこで、それまで黙っていたオレたちのリーダーが歩み出る。

「あなた、お名前は~?」

「ん?」

 普段と変わらない間延びした声とゾンビ姿勢。誰より激昂していてよさそうなあずきは、しかしごく冷静な様子でじっと男の目を見つめていた。

「あなたの、お名前はなんですか~?」

「……九鬼だ」

「なるほど社長さんですか~。ところで、どうして保健所に依頼しなかったんです~?」

「そんなこと教えてどうする」

「なにか後ろめたい事情でも~?」

「く……」

 九鬼建設株式会社社長、九鬼はあずきを疎ましそうに睨みつける。

「……数が多すぎて保健所が渋っただけだ。なにかと理由をつけて断ってきたんだ」

「ははぁ、すると一時的に猫たちをどこかに隔離しておいて、その後すこしずつ保健所に手渡していく予定なんですね~」

「………………」

 九鬼は答えないが、その表情からしてあずきの指摘は正しいのだろう。それはそうだ、百匹以上の猫を一度に保護することを保健所がすんなり許容できるわけがない。処分するまでの間にしばらくは面倒を見なければならないことを考えると、どう考えても施設のキャパシティーを超えてしまうからだ。

 しかし民間企業である九鬼の会社で猫を処分することは認められないはずだから、最終的にはどうしても猫を保健所へと引き渡す必要がある。猫を殺すことは器物破損罪にあたるし、なによりそれが世間に知られればもうまともに営業できなくなることは火を見るより明らかだ。だから廃工場の土地をすぐに利用するために、一度どこか別の場所へと移動させようとしているということだろう。

 と、そこに作業員たちが網を抱えて戻ってくる。その網に捕まっている二匹の猫は必死の抵抗を続けるが、作業員たちはそれを無視してトラックへと網ごと放り入れてしまった。

「社長、今のでおそらく全部です」

「そうか、これでひとまず敷地内の調査ができるな。ご苦労だった、いったん戻るぞ」

「はい」

 二人の作業員はトラックへ、残りはワゴンへと次々に乗り込んでいく。

 そして九鬼もワゴンへと向かおうとしたその時、ふいに立ち止まって作業員の一人を呼びつけた。

「おい、塀の上を見ろ」

「なんですか? って、あ、すみません見逃してたみたいです」

 がらんどうとなった柏制作工場の塀の上、そこにはまだ一匹の猫が残っていた。

「なると!」

 耳が三角形に欠けたそのトラ猫は、低くうなりながら九鬼を睨みつけていた。

「すみません、すぐ捕まえます」

「いや、一匹くらい残っていたってなにも変わりはしない。さっさと帰るぞ」

 そう言って車に乗り込もうとする九鬼だが、次の瞬間また立ち止まる。その目の前になるとが立ちはだかったからだ。

「こいつ……」

「ウゥゥゥゥゥ……ッ」

 全身の毛を逆立てて威嚇するなると。桜でなくともその言葉の意味は理解できる。

 今にも飛び掛りそうな気迫に九鬼は思わず後ずさった。

「おい、やっぱり網を持ってこい」

「は、はい!」

 作業員はワゴン車へとかけ戻る。

 するとふいに、オレの隣にいたあずきがなるとのほうへと歩き出した。

「あずき……?」

 なるとはじりじりとその足を進め、いつでも九鬼に噛み付ける位置でうなり続ける。すこしでも九鬼が動きを見せればすぐさに襲い掛かってしまいそうだ。

 そんなトラ猫を、しかしあずきは両手でそっと抱きとめた。

「ふぎゃううううっ!」

「なると~」

 当然のように暴れるなるとだが、あずきは放そうとしない。腕を噛みつかれても、あずきはじっと堪えて放さない。

「……っ」

「あずきっ、お前なにしてんだ! 早く放せ!」

 慌てて駆け寄ると噛み付かれたその肌から血が出ているのが分かる。引き剥がそうとなるとの首根っこを掴むと、どういうわけかその手をまたあずきが掴んだ。

「最中君、なるとを放しちゃダメ……。絶対、よ~?」

「ああ、分かったから、お前は早く手を放せ! 血が出てるじゃねぇか!」

「よ、よろしく~……」

 あずきが手放したなるとを逃がさないよう、首と手足を両手で押さえつける。それでも暴れるなるとだが、次第にその力は弱まって大人しくなっていった。

 なるとが押さえられたのを見届けると、九鬼はあずきの腕から流れる赤い血へと目線を動かして顔をしかめた。

「……なにを考えている」

「はは~、言っておきますけど、今のはじゃれていただけですから~。こんなの怪我のうちに入らないので、安心して帰っちゃってくださいな~」

「……?」

 スーツ姿の男は不審げな表情を浮かべたが、すぐにワゴンへと向かい運転手に声を掛ける。

「おい、行くぞ」

「はい」


 トラックとワゴン車が砂利道を去るのを見届け、開放されたなるとは工場へと戻って行った。その姿はどこか寂しげに映ってしまう。

「ふえ~……」

「あ、あずきちゃん、大丈夫!?」

 先日買った消毒液や包帯を取り出して、桜は大急ぎであずきの手当てを始めた。よく見れば腕の噛み跡以外にもツメによる引っかき傷がいくつも出来ている。

「いたいわ~」

 ぼけーっと訴えるその声はぜんぜん痛そうに聞こえないが、普通に考えて痛いだろう。呆れて思わずため息が出た。

「まったく、無茶するなよ……」

「本当だぞ、一体どうしてあんなことをしたのだ。その怪我を負う必要は〇%だったではないか」

「え~、なんとなく~」

「なんとなくって、ダメだよあずきちゃん、猫に付けられた傷はばい菌とかで危ないんだよ!」

「は~い」

 とぼけたように頷くあずきだが、あんなことをした理由はだいたい予想がつく。

「まぁ、なるとがあの社長に怪我させてたら、……まずかっただろうな」

「え?」

「どういう意味だ?」

「……ちぇ~」

 ばれたか、とでも言いたげな顔でそっぽを向くあずき。図星だったらしい。

「あの猫たちは、この工場に集まってただけで別に悪くないだろ? 新しくここを利用しようとするには邪魔だっただろうけど、他に害はなかったんだ。でも、あそこで九鬼に襲い掛かってたら、どうなってたか」

「……あ」

「そうなったらなるとは人を襲った『害獣』だ。保護なんてもちろんされないし、即駆除されてもおかしくない。九鬼なら、なるとだけでなくて他の猫たち全部に対して害獣のレッテルを貼りかねないし、そしたらもう猫たちの結末は動かせなくなる」

 だからこそあずきはなるとを止めた。自分が負った怪我も「じゃれていただけ」と言い張った。九鬼を守るためなんかじゃなく、なるとを庇い、猫たちを助けるために。

「そうだろ? あずき」

「さあね~」

 それでもシラを切って気のない言葉を返すあずきは、もしかしたら昨日自分がした決断を後悔しているのかもしれない。打つ手がもうなかったとはいえ、帰ろうと言ったのはあずきだったのだ。それは誰の目から見ても仕方のない判断だったが、本人がどう思っているかは本人にしか分からない。

「………………」

 下を向いてしばらく呆けていたかと思うと、ふいにあずきは小さく口を開いた。

「……ねぇ、保健所にある犬猫を処分するための装置の名前、知ってるかしら~?」

「装置? 和三、知ってるか?」

「いいや。だが確か、ガスで処分するのではなかったか?」

「そう、二酸化炭素を送り込んで窒息死させるのね~。そしてその装置の名前、……ドリームボックスっていうのよ」

 ドリームボックス、つまり夢の箱。動物たちを処分する為の装置にはそぐわないその名前に、あずき以外の三人は思わず息を飲む。

「実に、……悪趣味なネーミングセンスではないか」

「夢見るように死んでいくとか、そういう意味なのか?」

「………………」

 あずきは答えずに、トラックの走り去ったほうをじっと睨みつけた。そこには普段のだらけた表情などではなく、明らかに別の感情が浮かんでいた。

「……お前、もしかして怒ってるのか?」

「………………」

 

 そしてあずきは本当に小さな声で、ぽつりと呟いた。

「……冗談じゃないわ」



 九鬼たちが戻ってくる前にと工場内を見て回ったが、どうやら残った猫はなるとだけらしかった。敷地外へと逃げた猫も多少はいるはずだが、ほとんどが連れていかれてしまったということに変わりはない。

「昨日も見た風景だがな、ここまで心象が違うとは……」

 もぬけの殻となった工場を見て和三は呆然と立ち尽くし、あずきと桜も似たような表情で目を伏せた。

 一度追い出してもまた戻ってきた溢れんばかりの猫たち。しかし今その姿はここになく、あるのは一台のベルトコンベアと抜け落ちた猫の毛ぐらいなもの。白黒茶色グレーに埋め尽くされていたこの敷地に猫たちが戻ってくることはもう難しい。

「こうなると、本当にただの廃工場だな……」

 錆びた鉄骨、穴の開いた壁、古びた機械。歴史を刻んだこの建物が急激にその実態を露にしていく。主が死に、売り渡された工場。そんなどこにでもある光景だと言うのに、なぜか見ていられなくなって目を閉じる。

 自分でも矛盾していると思う。だってオレたちは猫を追い出そうとしていたのだ。もちろんあずきに引っ張られてやり始めたことではあるけれど、今気がついた。はっきりした理由はわからないけどオレだって、いやきっと桜と和三だって本気でその目標を達成しようという気になっていたのだ。

 柏のおじいさんが用意したキャットフードには限りがあり、それを継ぎ足すことはできても根本的な解決を導くことはできないと分かった。このまま放っておけば全ての猫が野垂れ死ぬことだってありえると分かったから、なんとかしなければと思ったのだ。いつのまにかこれはあずきのワガママでも何でもなく、オレのやりたいことになっていたのだ。

「………………」

 そして今、こうして工場から猫の姿がなくなったのだから四人の成すべき事はこれで終わり。閑散としたただの廃工場、猫がいなくなった廃工場、こんな光景が最終目標だったのだから、これで目的は達成された。……だというのに、どうしてこんなに寂しく感じるのだろうか。

「あ、……なると」

 桜の視線の先、そこには壁の穴から入り込んできたなるとの姿。欠けた耳をぴんと立て、静まり返った広い空間をきょろきょろと見渡している。

「にゃーぉ、にゃーぉ」

「あいつ……」

 桜に聞くまでもない、なるとは他の猫たちを探していた。

「にゃーぉ、にゃおーぉ」

「お、おい……っ」

 人間たちには目もくれずにトラ猫は工場中を歩き回る。壁際に捨てられた鉄くずの山、何も置かれず空っぽの本棚、給湯室やキャットウォークなど隅から隅まで歩いてゆく。

「にゃーぉ、にゃーぉ……」

 しかしその鳴き声に答える猫はおらず、なるとは最後にあのベルトコンベアへと歩み寄った。そして操作パネルの上に飛び乗って、一際大きく声を上げる。

「にゃあーーーーーーっ!!」

 なるとが猫たちを集め、一斉に食事を取るときの合図だ。いつもならまるで洪水のように集まってくる猫たちで埋め尽くされるベルトコンベアだが、今回に限ってその姿はない。

「にゃあーーーーーーっ!!」

 二度目。答える声はなく、集まる足音もない。打ち棄てられたこの廃工場のど真ん中、そこにぽつんと置かれたベルトコンベアと一匹の猫。それ以外にはなにもない。

「にゃーーーーー……っ」

 三度目の呼び声は建屋に虚しく反響し、なるとはそれっきりもう鳴くのを止めた。

 もう一度だけあたりを見渡して耳をぴくりと動かしてみるが、それでも他の猫はどこにもいない。だから、押せば大量のキャットフードが流れてくるその大きなボタンに触れようともせずに、なるとはとすんとパネルから飛び降りてそのままどこかへと行ってしまった。

「なると……」

 これこそオレたち四人の最終目標、目指していた光景。

「……そんなわけないだろ」

「最中君……?」

「そんなわけないだろ……、いくらなんでもこれは違う」

 気がつけば両手を強く握り締めていた。

 こうじゃない。結果が同じでもその過程があまりにも違い過ぎる。オレたちは猫のためにと思ってたんだ。なのになんだ今のなるとの声は、なんであんなに悲しそうな声で鳴いていたんだ。

 猫を追い出すの意味が違う。それはこの工場から猫を消すのではなくて、あの猫たちに新しい居場所を与えるため。これからもずっとのんびりぐうたらと過ごさせるため。

「そう、違うわ~」

「あずき……」

「こんなのは違うわよ~。猫を保健所送りにするためにみんなを呼んだのではないわ~。そんなことのためにあなたたち精鋭を選び抜いてここまで来たのでは断じてないわ~」

 あずきはオレたち三人の前へと歩み出ると、びしっと人差し指を突き出した。

「私たちのやるべきことは、まだ終わってなんかいないのよ~」



 和三の調べたところによると、九鬼建設株式会社は社長の九鬼洋一を筆頭に近年成長を続けている建設会社であり、市町村からの発注を受けて土木工事などの公共事業を広く手がけているらしい。柏制作工場跡を資材置き場に使うくらいなので本社はそう遠くなく、歩いても三十分程度で着く距離に本社は位置している。

 そして実際に歩いてみると、やっぱり三十分ぐらいだった。

 日も沈んですっかり暗くなった夜の十二時、コソ泥のように身をかがめて移動する怪しい高校生四人の姿がそこにはあった。……もちろんオレもその一人である。

「思ったよりおっきいわね~」

「あの九鬼という社長はなかなかのやり手らしいが、なるほど頷ける」

 道路を挟んだ反対側から建設会社の三階建て本社を眺める。敷地面積はぱっと見ただけでも柏制作工場の三倍はありそうで、その周囲をのっぺりとした白い塀が囲っている。就業時間はとっくに過ぎているのだろう、門はしっかり閉じられており、建物の灯りはすべて消えている。そしてそっと耳を澄ましてみると、かすかに猫の鳴き声が聞こえてくる。

「いるみたいだな」

「うん、猫が鳴いてるね」

「もう少し近づいてみるわよ~」

 人も車の通らない静かな道路を渡り、九鬼建設会社の正面入り口へと肉薄。四人の姿勢はますます低くなる。

 なるべく足音を立てないようにゆっくりと歩いていると、うしろからつんつんと突かれる。まさか誰かに見つかったのかと振り返ってみると、手のひらを口に当てて笑みを浮かべるあずきの顔。

「うふふ~、スパイみたいで楽しいわね~」

「なにを楽しそうに……」


 門の隙間からそっと中を覗いてみる。

 広い土地を贅沢に使っているようで、敷地の半分はなにもないアスファルトの空間となっており、門から三十メートルほど離れた場所にようやく本社の建物が見える。そして灯りの消えた入り口のすぐそばには見覚えのあるトラックが停められていた。

「あった、今朝のトラックだ」

「間違いはないのか? 建設会社なら同じトラックを何台持っていても不思議ではないが」

「いいえ~、多分当たりよ~。ほら、その隣のワゴンまで同じじゃない~」

「それに見ろ、トラックならあっちにまとめて停めてある。あの一台だけ離して置いてあるってことは、間違いない」

 これで猫たちがここに連れてこられたということは疑いようがないだろう。ひとまず門から手を離して他の三人と顔を寄せ合う。

「でも問題は猫ちゃんたちがどこにいるかだよね」

 桜の言葉に全員が首肯する。

 なぜ九鬼がわざわざ自社へと猫を連れ帰ったのか、それは保健所が受け入れを拒否したからだ。だからと言って勝手に野に放つようなことをすれば、それがたちまち噂となり会社の信用は地に落ちることになってしまう。だから九鬼は自分のところで保持しておくしか方法がない。

 しかし一時的にとはいえ百匹以上の猫を維持しておけるような設備を保健所ですら持っていなかったのだから、ごく普通の建設会社である九鬼建設が猫をもてあますのは目に見えており、一匹一匹ケージに入れられて……、というような対応がされているとはまず考えられない。ならばどこかにまとめて閉じ込めていると考えるのが自然だが、じゃあそれはどこなのかと言えば見当がつかない。

「百匹の野良猫を社内に持ち込むなんてことはしないでしょうね~。鳴き声とかで仕事にならないでしょうし、毛とかでいろいろ汚れちゃうもの~」

「しかしこの声の聞こえ方から察するに、屋外に柵を作ってあるだけという可能性は七%程度だ。そもそもそんなことをすれば近隣から苦情が来て然りというものだ」

「建物の中じゃないけど、外でもないってことだよね? なんかなぞなぞみたいだけど……」

 確かにあの三階建て本社は建てられてからまだそんなに経っていなさそうだし、綺麗な社屋に猫を入れたくはないだろう。なら他の場所と言うことになるが、見る限りこの敷地内にある建物は社屋と小さな物置だけ。物置はとても猫全部を押し込められるようなサイズではないから除外して、ならどこだろうか。

 そもそもあれだけの猫をトラックから出してどこかに移動させるというのはかなりの手間がかかるはずだし、そこで逃げられてしまうリスクだってある。となると……。

「なぁ、もしかしてまだあのトラックの中なんじゃないか?」

 いつかは保健所に連れて行くのだから、そのときにまた積み込む手間を考えると猫たちはトラックの中に入れたままのほうが格段に楽ではないか。

「出してないってこと~?」

「そんな……、あんな狭いところにずっと押し込められてるなんて、真夏にそんなことしたらみんな死んじゃうよ」

「いや、今朝見た限りだとあのトラックの荷台はちょっと改造してあるみたいだったぞ」

「うむ、僕の見立てでは内部に空調設備があったようだな。放っておけば蒸し焼き状態になりかねないトラックの荷台で猫を死なせないための冷房だろう。そしてこれは推測だが、猫を大人しくさせるための薬剤を充満させる役目もあったという確率は八十%以上だ」

 ただでさえ揺れなどのストレスがかかる荷台に押し込めれば猫たちがケンカを始めてしまうかもしれない。その怪我の責任は九鬼に問われる可能性もあるのだから、ならば薬品で眠らせておくほうがずっと安全だ。

「じゃあ~、いま猫の鳴き声が聞こえるということはその空調が止まっているということかしらね~」

「たぶんそうだろうな。もう夜で涼しいから換気さえすれば冷房の必要はないだろうし、あのトラックはどう見てもエンジンが止まってるから空調も使えないだろ」

「ふーむ、するとやはりあのトラックに猫たちが囚われている可能性は九十%オーバーだな。これは手間が省けたではないか」

 和三はにやりと笑い、白衣のポケットから様々な工具を取り出して見せた。

「あたしたちに大変なことは社長さんたちにとっても大変だったってコトだね」

「最難関が初めからクリアされているとは~、これは私たちに運がむいているようねぇ、うふふふ~」

 そう、一番の懸案事項がすでに解決された今、迷う理由なんて無くなった。猫を工場から追い出すために、猫を工場へと呼び戻す。オレたちはオレたちが目指す目標に向かって行動するだけでいい。

「じゃあ、始めよう」



 まずは敷地内に侵入すべく、和三が門のセキュリティを破りにかかった。

「ふむ、民間の警備会社にすべて任せているようだな」

 どこからどう見ても不審な和三が発見されないように、オレは敷地内を、あずきと桜は道路の左右を見張れるポジションに立つ。

 わざわざ門から入らなくとも塀を乗り越えれば侵入することは可能だが、なにしろ帰りは百匹の猫を連れて行かなければならないのだ。遅かれ早かれ門を開ける必要はある。

「よし、これで完璧だ」

 ものの三分ほどで和三は防犯装置を無効化したようで、門を開けてしばらく待ってみても警報が鳴る様子もない。四人は滑り込むように敷地内への侵入を果たした。

「第一印象は最悪だったけど意外とすごいんだな、お前」

「ふははは、このマッドサイエンティスト葛和三を止めたくばスイス銀行ばりのセキュリティを用意しろというのだ、ふあははは」

 どう聞いたってマッドサイエンティストというより泥棒のセリフだが、ともかく心強いことに変わりはない。暗がりで目立つからその白衣を脱げとは言わないでおこう。

 門の中からもう一度確認してみるが、敷地内に人の気配はない。もしかしたら常駐の警備員がいるかも知れないと思っていたが、片田舎の建設会社はそこまで防犯に厳しくないらしい。これはさらに運がむいているようだ。

 念のため足音をたてないようにトラックへと近づいてみると、やはりその内部には猫たちが閉じ込められているようだった。裏へ回り込むと荷台の扉は開かれており、その代わりに猫が逃げられないように網が張られていた。

「にゃ~」

「うにゃ~」

 荷台の中は縦五つに区切られており、それぞれは猫がようやく立てる程度の高さしかない。そして各段には猫がすし詰め状態で押し込まれており、覗き込んできた人間に気がついた数匹が小さく声を上げた。

「狭いから出せって。ご飯ももらえてないみたい……」

「だろうな。百匹分の猫のエサなんてそうそう用意できないだろ」

 柏のおじいさんほどのお人好しでなければ全部の猫にエサをあげようなんて思わないだろう。ましてやこれから処分しようという猫のために九鬼が金と時間を使うとは考えづらい。

「どうだ、和三」

「ふははは、このマッドサイエンティスト葛和三を止めたくばベンツばりのセキュリティを用意しろと言うのだ! 安心しろ、こんな車のキー程度、ものの五分で複製して見せるわ!」

 どう聞いても車上荒らしのセリフを吐きつつ、和三はトラックのキー刺し込み口を念入りに調べている。そして溝のないまっさらな鍵に薄く粉を振りかけたかと思うと、それを刺しごみ口にあてがったり放したりを繰り返した。

「すまないが、誰か手元を照らしてくれないだろうか」

「ケータイのフラッシュでいいかな?」

「ああ、十分だ」

「はい。ねぇ和三君、それってなにしてるの?」

「うむ? これは初歩的なピッキングの方法で、粉についた微妙な跡を見極めて鍵の形を作っていくのだ。単純で時間もかかるが、適応範囲が広いのだぞ」

「ふーん、泥棒みたいだね」

「……マッドサイエンティストと言ってくれ」

 ちょっとしょんぼりな声でかりかりと鍵を削っていく和三。いいぞ桜、もっと言ってやれ。

「それより~、この車二人乗りみたいだけどどうしましょうか~?」

「え、えっと……」

「……できればオレは乗りたくない」

 精一杯あずきから目を逸らして主張してみる桜とオレ。だって怖すぎる。

 この猫奪還作戦の最もリスキーなところ、それは猫を奪う時ではなく、奪った猫を工場まで連れて帰る時だ。百匹オーバーの猫を手で運ぶには何十往復もする必要があり、それでは夜が明けてしまうからトラックを使って運ぶしかない。しかし、この四人は全員が十八歳未満。大型免許はおろか普通自動車の運転すら許されていない年齢なのだ。……なのだが、そこに和三がふふんと手を上げた。曰く、僕は運転できるぞ、と。

「まぁ、和三君は当然として~、あと一人はどうしようかしら~?」

「べ、別に和三だけでもいいんじゃないか?」

「そ、そうだよ、無理に二人乗らなくても。ね、最中君」

「でもせっかく空いてるんだしわざわざ歩いて帰らなくても~」

「オレは別に歩いて帰るのは平気だから。トラックとか別に乗りたくないから」

「じゃあ最中君乗って~」

「乗りたくないって言ったけど!?」

「だってこのへんは最中君の地元なワケでしょう~? 道とか詳しいからナビできるじゃない~」

「お前らだってここまでの道くらい覚えてるだろ!」

「万が一よ~」

「あ、あたしもそれがいいと思うな……」

 さっきまで仲間だった桜があっという間に手のひらを返し、多数決での勝ち目が無くなる。と、和三が不思議そうな顔でこちらのやり取りに口を挟んでくる。

「もしや、僕の運転に不安を感じているのか? そんな可能性が五%ほど見え隠れしているのだが」

「分かった、お前のその何%とかいう計算がまったくアテにならないことがよく分かった。一万%だバカヤロウ」

「な、どういうことだ。僕は飲酒なぞしていないぞ? なにしろまだ十七歳なのだからな」

「十八歳未満だから嫌なんだよぉ……」

 今晩になってようやくそのスキルを発揮し始めたマッドサイエンティストだが、どう考えたって車の運転経験はゼロ。その助手席とはつまりハーネスのない絶叫マシンのようなものだ。

「僕はマッドサイエンティストだぞ、安心するがいい。なにせ将来は直立二足歩行ロボットの運転だってしなければならないのだからな! トラックごとき目を瞑ってでも運転できないようでどうするのだ」

「頼むから目は開けておいてくれ」

「ふはは、物のたとえだ。……お、手ごたえありだ」

 そう言うと和三は作りたての鍵をドアの穴へと挿入し軽く回すと、がこん、という小気味いい音とともにロックが解除された。コイツは狂った科学者になどならなくとも犯罪で食っていけると確信する。

「このキーでコンテナの扉も閉められるはずだ。最中クン、試してみてくれ」

「ああ」

 運転席へと乗り込んだ和三から鍵を受け取り、再びトラックの後方へと回る。五段に仕切られた荷台から猫たちは顔を覗かせており、そのどれもが不安に怯えているような目でこちらを見ている。

「あぉーん……」

 力のない鳴き声。この猫たちはおそらく丸一日エサを与えられていないはずで、いくら野良とはいえ毎日ベルトコンベアからエサを供給されていた猫たちにとってこれは辛い状況だろう。

「……ちょっと待ってろよ」

 一刻も早く工場へと帰して安心させてやりたい。あそこにはなるとも待っているし、当面の食料はベルトコンベアに用意されているのだ。無理やり連れてこられてこんな場所に閉じ込められて……。今こいつらに必要なのは、あのボロい廃工場だ。

 コンテナの扉を閉めようとしたその時、一匹の黒猫が威嚇の声を上げ始めた。

「フゥーーーッ!」

 そしてそれに釣られるように他の猫たちも声を荒げて毛を逆立てていく。

「お、おいっ!」

「ウゥーーーッ!」

「シャアッ!」

 網の目から一斉に伸ばされた手のせいで扉を閉めることができない。しかも騒ぎ声が近隣住人に聞きつけられたらこの侵入がバレてしまいかねず、そうなったらこの猫たちに未来はない。

「頼むから静かにしてくれ! お前ら保健所行きなんだぞ!」

 猫たちは鳴き止むどころかいっそう興奮し、がたがたと網を揺さぶりだした。あるものは網に噛み付き出し、あるものはこちらを引っ掻こうと腕を伸ばす。

「フゥーーーッ!」

 そしてツメをむき出しにしたその腕を、人の手がそっと包んだ。

「……さ、桜」

「大丈夫だよ、落ち着いて」

 桜は最初に興奮し始めた黒猫の手を握り、ツメを立てられても気にすることなくその瞳を覗き込んでゆっくりと話しかける。

「……ごめんね、人間が勝手にあなたたちを捕まえて閉じ込めて、怒るのは当然だよね」

「ウゥゥゥゥ……」

「でもね、あたしたちは絶対に怖くしないから。あなたたちの味方だから。お願いだから、信じて欲しいんだ」

「ゥゥ……」

「ね?」

 桜は猫の言葉を聞けるだけで意思を伝えることはできない。だというのに、まるで桜の言うこと理解しているかのように黒猫は大人しくなってゆく。終いにはやさしく握られたその手を不思議そうに見つめ、自分がつけた傷跡をぺろぺろと舐め始めた。

「うん、ありがとう。早く向こうに戻ってなるとと一緒にご飯食べようね」

「にゃお」

 黒猫は返事をするように一度鳴いて網から離れた。そして釣られて騒ぎ始めた他の猫たちもみるみる静かになっていく。

「……お前、猫の言葉も話せるようになったのか?」

「なに言ってるの、日本語だったでしょ? ずず……」

 猫に触ったせいで鼻水が垂れてきているが、それでも桜は舐められた手を嬉しそうに見つめた。

「えへへ……、ずず、言葉が通じなくたってね、優しく接したら分かってくれるものなんだよ、きっと」



 結局あずきに言われるままに助手席に座り、まっさきにシートベルトを締める。万が一にも外れたりしないよう、なんどもなんども引っ張ってその強度を確認しない限り和三にGOサインなど出せるはずがない。

「はっはっは、そう硬くならないでくれたまえ」

 和三のほうはミラーだの座席の高さだのを調節しながらごくリラックスした様子。自分だけビビってるのもなんだか悔しい気もするが、コワいもんはコワい。けどコワいのは横に座るこいつのせいなのであって、やっぱり悔しい。

「べ、別に硬くなってなんてねーし? ちょっと安全確認しただけだし?」

「まぁ、助手席の死亡率は高いというから気持ちは分からなくもないが」

「なんでそこだけでたらめな何%とかじゃなくて『高い』なんだよ!? リアルで怖くなるから止めろ! あああ、助手席ってエアバックないのか」

 くだらない見栄もあっという間に消滅。マジでコワい。

 外から窓を叩かれたので開けてみると、あずきがにょきっと顔を覗かせた。

「準備おっけーよ~。外には誰もいないみたいだし、今がチャンスだわ~」

 外を見張る桜も門のそばで手を振っている。覚悟を決めるしかないようだ。

「く、くそぉ……。か、和三! 命預けるぞ!」

「うむ!」

 大きく頷いた和三はキーを回してエンジンを駆動させる。そしてギアをドライブにチェンジし、サイドブレーキを解除した。

「……へぇ」

 想像よりもスムーズなその手つきに思わず感心する。運転できるというのは本当のようで、ならもうちょっとこっちもリラックスしていいか……、とかそんなことを思った矢先、運転席から変な声が聞こえてきた。

「よよよよよし、いくゾ!」

「……は?」

 嫌な予感がして和三の顔を見てみると、真っ青。脂汗を流して顔を引きつらせている。

「……お、お前?」

「ぶ、ぶぶ、ブレーキを放スぞ? すー、はー、すー、はー、……放す! 放した、放したぞ、どうだ放してやったのだふはははは!」

「お前運転できねぇだろ!?」

 全身の血の気が失せた。それでも鉄の塊はゆっくりと動き出す。

「――って、うわぁ!? 動いた!? ぼぼぼ僕はアクセル踏んでないぞ! ぼぼぼぼ暴走か!? 機械の人間に対する反乱か!?」

「まてまて落ち着け! オートマはブレーキ放すと動くんだよ! マッドサイエンティストならそれくらい知ってるだろ!」

「ふわははははは、笑止! クリープぐらい知っている! あれだろう、コーヒー等に入れるたんぱく質の豊富な白色のやや粘性のある……」

「とりあえずブレーキ踏め! ちょっと止まれ!」

 と口にしてから嫌な予感がよぎった。ブレーキと間違えて思いっきりアクセルを踏もうとする和三をあわてて制止するが間に合わず、次の瞬間強烈なGに襲われる。

「ぐわっ!?」

 シートに体が押し付けられ、悲鳴のようなエンジン音が耳を突く。

 アクセルを限界まで踏み込まれたトラックは急発進し、最悪なことに桜のいる門を目指して突進し始めた。

「ば、バカ! 早く止めろ! そっちはブレーキじゃねぇ、アクセルだ!」

「あああアクセル!? それはあのフィギュアスケートの!」

「もういい黙ってろ!」

 フロントガラスから見える光景に絶句する。トラックの進行方向には立ち尽くしている桜がおり、このままでは確実に轢いてしまう――っ!

「くそっ!」

 とっさにハンドブレーキへと手を伸ばし、力の限り引き上げる。

「止まれえええっ!」

 鉄を引き裂くようなブレーキ音。慣性によって前方へと吹き飛ばされそうになり、シートベルトが食い込む痛みに思わず目を瞑った。

「~~~~~~っ!」

 永遠に続くかと思われた制動距離を経て、数十トンもの鉄の塊はようやくその動きを止めた。

「………………」

 ばくんばくんと心臓が早鐘を打ち、全身に冷や汗がにじみ出る。

 爆音は過ぎ去り、あたりはしーんと静まりかえっている。このままあの世行きという事態だけはどうやら回避できたようだ。

 ダッシュボードに体を預け、おそるおそる目を開ける。するとフロントガラス越しに桜と目が合った。

「……………あ」

 その距離およそ五十センチ。その距離の意味するところに改めて全身の血が引いていく。目と鼻の先で九死に一生を得た桜は呆然としているが怪我はなさそうで、思わず安堵のため息が出た。

 ずでっとアスファルトの上に転がり出て、地面の安心感に思わず感動。

「ぶはぁっ! の、乗れるか、こんなトラック……!」

「生きてる~?」

 あずきもとたとたと駆けつけてくる。

「これはとんだ絶叫マシンだったわね~。どちらかといえば絶命マシンかしら~? ふふふ~」

「面白くもなんともねぇよ!」

「おおお、もも最中クン!? 僕を置いて逃げないでくれ!」

「うるせえ! もう車動いてねぇだろうが! なんだったんだ最初の余裕は!?」

 のんきに笑うあずきと、相変わらず車内でじたばたもがく和三。トラックは完璧に停止しているのになにを動揺しているのか。覗いてみると、バカがシートベルトに絡め取られていた。

「助けてくれ最中クン!」

「……お前しばらくそこで頭冷やしてろ」



「おっそいわね~……」

「し、しかたないだろ」

 隣を歩く桜や和三と同じペースで道路を走るトラック。助手席にはあずきが座り、ハンドルを握るのはオレ。ただしアクセルは踏んでいない。

 ギアをドライブにしてブレーキを放すだけでオートマ車はゆっくりと進むわけだが、今このトラックはまさにその状態。歩行者にも追い抜かれる牛歩戦術で夜の車道を進んでいる。幸いにも深夜の田舎道には他の車も人通りもゼロであるため、どんなにとろとろ走っても咎められる心配はない。

 九鬼建設株式会社の門を出てからすでに十分。にもかかわらずまだ振り返れば社屋が見えている。

 窓を開け、車道を歩く桜に話しかけてみる。運転に余裕が出てきた証拠だ。

「桜、怪我はないのか?」

「あはは、死ぬかと思ったよ」

「その定番のセリフも当事者が言うと現実味があるな……」

 さっきは本当にギリギリでセーフだったが、サイドブレーキを引くのがわずかでも遅れたらと考えるとぞっとしない話だ。後ろをとぼとぼ歩く和三は、反省の意を込めて白衣を頭から被っている。

「え、エンジンがかかった途端に、もし僕がミスをしたら猫たちと最中クンを巻き添えにして死ぬのだと考えてしまって……、もう恐ろしくてしょうがなかったのだ……」

「気にすることはないわ~、運転手にとってそれは不可欠な意識よ~?」

「程度ってあるだろ……」

 なぜ自動車を運転するのに免許が必要なのかということを改めて思い知った夏の夜だ。

「それにしてもおっそいわね~。ちょっとくらいアクセル踏んでもいいんじゃないかしら~」

「ば、バカ言うなこのスピード狂め! 車がどれだけ恐ろしい凶器か分かってないからそんなことを言えるんだ!」

「スピード狂って……、いまこれ時速四キロも出てないじゃないのよ~。なのになんでそんなにガッチリとシートベルトしてるわけ~? いらないでしょ~」

「外すな! それは命綱だ! 絶対に外すな! 死にたいのか!」

「……死なないわよ~」

 町中が寝静まった深夜の道路を、猫を積んだ大型トラックが走る。そのスピードは亀より遅く、歩いて三十分の距離にその倍近い時間をかけてしまったほどだった。



 窓から射し込む月明かりに照らされながら、なるとは再びベルトコンベアへと飛び乗った。

 操作パネルの上から辺りを見渡せば、集合の令をかけるまでもなくそこには百余匹の猫が集結している。白い猫黒い猫、大きい猫小さい猫、一度は連れ去られたすべての猫たちが今ベルトコンベアのそばへと戻ってきていた。

 丸一日食事にありつけずお腹を空かせているはずの猫たちだが、騒ぐことはせずただ静かにトラ猫の動きを見つめ、トラ猫もまたすべての猫たちの顔ぶれを確認していく。

 そしてなるとは厳かにボタンへと足を掛け、それを合図に猫たちの遅い夕食は始まった。


「なるとちゃん、なんだか嬉しそう……」

 工場の外からその様子を見守っていたオレたちもそろって安堵の表情を浮かべる。九鬼建設株式会社から猫たちをトラックごと連れ戻し、ようやく工場内へと放してやった頃にはすでに深夜の二時を回っていた。普段ならとっくに眠りについているはずの時間ということもあって、ほっとした途端に睡魔が襲ってきている。

「ふぁ……」

「ちょっと最中君~、あなたは眠くなるの禁止よ~」

 普段から眠そうな目をしているあずきはあくび一つせずにこちらの肩を叩く。

「しょうがないだろ、時間が時間なんだから……」

「なに言ってるのよ、これからトラックを返却しなきゃならないっていうのに~。運転するのはあなたなんだから、居眠り運転なんて許さないわよ~」

「……そういえば返さなきゃいけないんだよな、これ」

 工場前に停めてあるトラックをげんなりと見つめる。

 敷地に勝手に侵入してトラックを持ってきた時点でこれはもう立派な窃盗罪だ。ついでに言えば不法侵入と無免許運転のおまけつきで、表沙汰になれば退学も覚悟しなければならないレベルの悪行を働いていることになる。いくら猫のためとはいえちょっとやり過ぎの感もいなめないので、せめてこのトラックだけはきちんと戻しておかないと言い訳もできなくなってしまう。

 しかし、そう考えると更なる懸案事項が一つ。

「……これ、どうするんだ」

 細い砂利道をぎりぎりで進んでここまできた大型トラック。この先にUターンできるような場所はなく、つまり車道に戻るためには……。

「バックしなきゃだわね~」

「む、無理だ。前進だけでも神経すり減らしたって言うのに、バックとか無理すぎるぞ……」

「大丈夫~、まっすぐなんだからハンドル切らなきゃいいのよ~」

「がんばって最中君。あたしたちが後ろから合図出すから、きっとなんとかなるよ」

「そうは言ってもトラックは運転席から後ろが見えないからな……」

 後ろを振り返っても荷台があるだけ。進行方向が見えないなんて目を瞑って運転するようなものだ。

「僕が運転を代わってやろうか」

「お前は反省という言葉を辞書で引け。……はぁ、やるしかないか」

 諦めて運転席へと乗り込み、これを戻しておけば窃盗罪には引っかからないんじゃないかという微かな希望だけを胸にエンジンをふかす。猫が勝手に逃げたんじゃないですかー?ととぼける為には、やらなければならないやらなければならない。

「……よし!」

 気合を入れてサイドブレーキを解除、そして始まるノーアクセル運転の後半戦。



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