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試行錯誤の二章

「あんなものがあったら、それは猫たちも集まってくるわけだわ~」

 ずぞぞと坦々麺をすすりつつ、あずきはのんきに呟いた。

 オレたち四人は柏制作工場から一旦離れ、とりあえず昼食を取ることに。この近くにファミレスなんて贅沢なものはないので、住宅地にぽつんと店を構えているこの中華料理屋『丸伍』をチョイス。料理好きのおばちゃんが趣味半分でやっているような庶民派の店である。

 昼飯時だというのに店はほとんど貸しきり状態で、オレたちはカウンター席にずらりと並んでそこそこおいしい中華料理を食べている。ちなみに自分はマーボー丼をチョイス。

「あのベルトコンベアを調べてみたが、中にはかなりの量のキャットフードが貯蓄されていたぞ。あれだけの量なら当分はなくなることもないだろう」

「いったいなんの工場だったのかしらね~? まさか自動エサやり機を作ってたわけでもないでしょうけど~」

「うむ、あの機械はなにかの流用品である可能性は八十%だ。おそらく元は普通のベルトコンベアで、それを誰かがああいうふうに改造したのだろうな。といっても、人間のメンテナンスなしで稼動し続けていることを考えれば完成度はかなり高いと言えるぞ」

 工場内に唯一残されていた謎のベルトコンベア。猫たちが集まっている理由はそれに間違いないだろうが、かといってどうすれば問題解決に繋がるのかは分からない。単純に機械を壊すなり撤去するなりすればよさそうなものだが、それでも猫たちはあそこを去ろうとしないだろう。一度食事にありつけると学習してしまえばそこから動かなくなるのは当然のことで、エサを封じても根本的な解決になるとは考えにくい。

「なぁ、あずき。猫たちを追い出すことが目的って言ってたけど、もっと具体的にはどうしたいんだ? 下手に追い出してもまたすぐに戻ってくるだろうし」

「そうね~。理想はどこか別の場所、例えばあの工場の裏にあった山とかに移住させてあげたいんだけど……、今はとりあえずあの敷地から『追い出す』ことだけを考えてちょうだい~」

「……?」

 あずきの意図がいまいち汲めず、さらに追求しようとしたところでカウンターの奥からバイトのお姉さんがにょきっと顔を出した。

「なになにー、なんの話をしてるのかな? ちょっとおねーさんに聞かせてごらんよ」

 いい退屈しのぎだとでも言わんばかりに首を突っ込んでくる目測二十代後半のアルバイター。客が少なくてヒマだったらしい。

「べつに大した話では~」

「若い男女がこんな場末のミセでなにを話し合ってるのか気になるじゃないさ。ほら、揚げ団子おまけするから話してごらん」

 お姉さんは店の奥をちらりと盗み見てからタッパに入った上げ団子を皿へと移し始める。店主のおばちゃんに無断でそんなことしていいのだろうか、というか場末とか言っちゃっていいのだろうか。

「はいこれ情報提供料―。店長には内緒だヨ?」

「どうも~」

 揚げ団子みたいな髪をしたあずきは嬉しそうに頭を下げるがその直後、めんどくさいからお前が話せ、という意思のこもった目配せをなぜかオレに向けてくる。断っても聞かなそうなので、一口だけ水を飲んでからしぶしぶ話を引き継いだ。

「……あのー、柏制作工場って知ってます?」

「柏? あー、むこうにあったぼろっちい工場ね。たしかウチのテーブルが壊れたときに直してもらったわー。工場なんて言ってたけど、実際には頼まれたものを作ったり持ち込まれたものを直したりしてただけだわよ。でもけっこー前になくなっちゃったよ?」

「今は廃墟って感じなんですけど……、どうして潰れたのかは聞いてないですか?」

 するとお姉さんはやーねぇ、と井戸端会議中の主婦のように右手で空を扇いでみせる。

「地域の修理屋さんみたいだったしそうそう潰れたりはしないわさ。あれよ、おじーさんがもうトシだったから。今はもう亡くなっちゃったけどねー、柏さんっていう人のいいおじーさん」

「亡くなってるんですか」

「けっこう最近だったでしょ、お葬式。今はおばーさんが一人で暮らしてたと思ったけど、でもあそこはほら、道から外れてるじゃない? このミセのお客さん情報ネットワークにもあんまりひっかからなくてねー。あの一帯は柏さんの土地だから、工場がなくなってからは行く理由もなくなっちゃったし? でもなに、君らはそんなにあの工場に興味あるのかな? ははん、廃墟探険?」

「はは……」

 やっぱりそう思うよな。

「その廃工場に猫が、……ちょっと尋常じゃない数の猫が住み着いちゃってて、いろいろ問題になりそうだしなんとかしたいなー、と彼女が思い立ったわけです」

 アルバイターの矛先を変えるためにあずきを指差すとじろりと睨まれる。いいだろう、もうお前は坦々麺食べ終わってるんだし、オレにもマーボー丼食べさせてくれ。

「ほっほー、偉いわよお嬢さん。じゃあ猫好きの集まりかなにか?」

「……そうなんですよ~。猫に囲まれて暮らしたいなぁってみんな思ってて~」

 実に適当な返答をするあずき。その横で桜はふるふると首を横に振っている。

「猫ねー、おねーさんが好きなのは招き猫ぐらいかなー。あぁ、でもこうして四人もお客さん連れてきてくれたし、その猫たちも役に立つじゃないさ。まぁアタシのバイト代が増えるわけでもないけど、ヒマなのはいかんともし難いからね! お客も猫も大切にしなきゃー」

 あっはっはと笑いながらテーブルを拭き始めたおねーさんは、しかし猫たちを追い出しにくくなるようなコトをさらりと言ってくれた。



 再び工場に戻ると大福あずき生徒会長は『自由行動』を宣言、各自でいろいろやってみるようにとのたまった。遠足じゃあるまいしというこちらの意見に耳を貸そうともせず、あずきはふらりとどっかへ消えてしまったのだった。

「自由行動ねぇ……」

 さっき開けそこなったキャットウォーク沿いの窓をすべて開け放ちながら、こっそりとため息を一つ。一日で一番気温が上がる時間帯。こうも暑いと人間も猫も行動意欲など沸いてくるはずもなく、工場内にはだれきった空気が流れていた。

 工場のシャッターは開けたままになっており、そのおかげで外より涼しくなった工場内ではほとんどの猫が昼寝をしている。オレたちは猫にとってますます快適な環境を作ってしまったらしいが、しかしまぁ、人間にとっても中が涼しいことに越したことはないだろう。

 すべての窓を開け、さて次はなにをしようかと考えながら下へと戻る。

 そこら中で目を瞑っている猫たちはどいつもこいつもモコモコした毛をまとっており、今はちょっと触りたくない。こいつらのせいで工場内の温度が2、3度上がっているような気がするし、どうだろうか水でも撒くというのは。打ち水効果で気温は下がるし、水嫌いな猫たちは逃げて行ってくれるだろう。まぁ、ほとぼりが冷めればすぐに戻ってきてしまうだろうが。

「……焼け石に水か」

「はっはっは、何をぼやいているのだ」

 後ろから声を掛けられて振り返ると、和三が腕まくりをしているところだった。暑いのに白衣を脱がないのはポリシーなのか、ごわごわするのも気にも留めずに白衣ごとまくっている。

「これ、どうしたもんかとな」

「まぁ通常では考えられない事態なうえにこの暑さだ。頭が上手く働かないのもわかる。僕の超ハイスペック温度計によれば、三十六・八二度! はっはっは、平熱と言ったところか!」

「なんでそんなにテンション高いんだ……」

 ごく普通の温度計を楽しそうに眺めるマッドサイエンティストを前に、暑苦しいなという言葉をぎりぎりで飲み込んだ。

「そうそう、さっき発見したのだが、この工場にはきちんとエアコンが設置されている。見たところ壊れている様子もなかったし、おそらくまともに動いてくれると思うぞ?」

「ほんとか!? じゃあ……って、あ、……いや、止めておくか」

「そのほうがいいだろう。長いこと使われていなかったエアコンなどしばらくはただの粉塵発生装置に過ぎん。それに電気代がどこに請求されるのかも分からないのだから、使用しないほうに八十六%の理がある」

 無断で侵入している時点でいろいろ咎められておかしくないのだ。そのうえエアコンまで勝手に使ってしまうのはいくらなんでも気が引ける。残念ながらこの暑さを甘んじて受け入れるほかに選択肢はないようだ。

「それで……、どうだ、最中クンはなにかいいアイディアでも浮かんでいるのかね」

 くい、と中指でメガネを直しながら猫たちの様子を眺める和三。まだ出会って数時間だというのに様々な失態を見せてくれたが、こうしているとちょっと知的に見えるからメガネとは不思議なアイテムだ。

「いや、水でも撒いてやろうかと思ったんだけどな。あんまり効果なさそうだったから止めた。それにエアコンと一緒で水道代ってのもあるしな」

「なるほどな。いやしかし最中クン、それはなかなかイイ線を行っていると思うのだよ」

「イイ線? じゃあお前はどうするつもりなんだ?」

 すると和三はピシッと人差し指を立てて不敵に笑う。

「いいかね、猫の体重を五キロとすると、最中クンの体重が六十キロならそれは十二倍。猫にとっての人間とは、人間にとって体重七百二十キログラム重の存在だ。その重量の人間がいるとすれば十二の三乗根倍、つまり我々の二倍強の身長をもつ大男ということになる。すぐそばに四メートル近い巨人がいたらどうかね最中クン?」

「……そりゃ、ビビるだろう」

「その通りだ! つまり、猫は我々人間をそれくらいの存在として認知しているはずで、元来、人間とは猫が恐れてしかるべき存在なのだよ!」

 などとわけの分からないことを言いつつ、和三はベルトコンベアのほうへゆっくりと歩き始める。その付近にはまったりとくつろぐ十匹ほどの猫。

「お前、まさか……」

「いいかね最中クン、単純なことなのだよ。動物ならば怖いものには近づかない。それが本能だ」

「ちょ、やめとけって……!」

「案ずるな、必ず上手くいく!」

 きらりと笑みを浮かべたかと思うと、和三は信じられない愚挙にでる。

「わーーーーっ!!」

 とか叫びながら両手を挙げて猫たちに突っ込んでいったのだ。一体どこの小学生か。

「にゃ!?」

「ふぅーっ!!」

 いきなり突っ込んできた人間に猫たちは慌てて飛び起きる。和三の思惑通り何匹かは逃げ出したが、しかし五匹ほどは全身の毛を逆立てて威嚇。

「ふしゃーっ!」

「む、しぶといな! わーーーーっ!!!」

 尻尾を通常の二倍以上に膨らませて威嚇する五匹の猫たち。止めておけばいいものを、和三はそれでも五匹の猫へと挑みかかった。

「わーーーーって、わぁ!?」

「ぎにゃーーっ!」

「しゃぉーーっ!」

 足を噛み付かれて地面に倒れ込むマッドサイエンティスト。飛び掛る猫たち。そして見るも無残な集団リンチが始まったのだった……。



「ぐ、ぐぅ……」

 ぼろきれのように打ち捨てられた和三。どうやら生きているらしい。

「……だからやめとけって言ったのに」

「ば、馬鹿な……。なぜ体長四メートルの存在に、立ち向かうことが出来るのだ……」

「一対五だったからだろ」

「……う、うう……」

「……泣くなよ。消毒液と絆創膏持ってきてやるから」

「たの……、む」

 歯形だらけの手がぱたりと地面に落ち、それきり動かなくなる。自業自得だが、猫の傷はほっとくと炎症を起こしたりして大変らしいし、まぁ手当てぐらいはしてやったほうがいいだろう。

「ここからだと……、一番近いコンビニでも二十分くらいか……って、うおっ」

 やれやれとため息交じりにシャッターをくぐると、突然何かに躓いてバランスを崩す。

「なんだ……?」

「大丈夫?」

 心配そうに駆け寄ってきたのは桜。猫だらけの工場内には入れずにずっと外にいたようだ。

「なんでもない、転んだだけだ」

「そう? ならよかった。でもさっき、わーっていう声が聞こえてたけど、和三君?」

「あー……、あいつは大丈夫じゃないかもな。人間にとって猫が怖い存在だと思い知っただろうから」

「……?」

「いや気にするな。それより桜はなにをしてたんだ?」

「あ、えへへ、いいこと思いついちゃってー」

 じゃーん、と両手で差し出す何か。それは水がたっぷりと入った二リットルサイズのペットボトルだ。夏の日差しを乱反射させてきらきら輝くペットボトルは、よく見れば敷地内のそこら中にばら撒かれていた。どうやらオレが躓いたのもこれだったらしい。

 それにしても、水入りペットボトルか……。

「ほら、給湯室に空のペットボトルが一杯あったから水を入れてみたの」

「ずっとこれを作ってたのか……」

 ざっと見ただけで二十本以上あるが、この暑さの中で給湯室から運ぶのは手間だったことだろう。

「猫避けに水が入ったペットボトルを置いてある家ってよく見るでしょ? あれをやってみようと思ったの」

「……そう、か」

 とてもいい顔で笑う桜さん。どうしよう、言おうか言うまいか。いやでも、言わなかったらこの不毛な作業をずっと続けるだろうし……。

「……あー、桜? ちょっと言いにくいんだけどな……?」

「なに?」

「その水入りペットボトルを猫が怖がるってのは、……迷信だぞ?」

「え?」

「犬とか猫が入ってこないように壁を作るのに使ってた、とか、光を反射するからカラス避けとして使われてた、とか、そういうのを誰かが勘違いして『猫は水入りペットボトルを怖がる』って言ったんだ」

「えっと、それって……?」

「いや、だから、はっきり言うけど、それは効果無いと思うんだ」

「あ、あはは……、そんなわけないでしょやだなぁもう」

 最中君ったらー、と引きつった笑いを浮かべる桜にトドメを刺すように、水入りペットボトルが乱立する地雷原を一匹の猫が悠々と歩いてゆく。そしてこちらを見て一言。

「うにゃあ」

 そしてペットボトルを邪魔そうに避けながら猫は工場内へと去っていった。

「………………」

「……なんだって?」

「暑いなー、って……」

 がっくりと肩を落とす桜。しかも今の猫の影響なのか鼻水まで垂れてくる始末だ。

「ずず……、ううー、重かったのに……。ずず……」

「そ、そんなに気を落とすなよ……」

「……で、でも! あたし猫アレルギーで鼻水いっぱい出るし、夏は汗もかくから、水分補給は常に気をつけておかないとダメだよね……!」

「いやこの水を飲むのは止めといたほうが……」

 ずーんと肩を落とす桜。もうなんて声をかけたらいいのやら……。

「う、うう。ぐす……、ずるずる……」

「……泣くなよ。お茶かなんか買ってきてやるから」

 本当に心から、あずきの人選には疑問を覚える暑い夏の日だ。



 柏制作工場へと続く細い砂利道を、真っ白なレジ袋を片手にのんびり歩く。

 最寄の……といってもけっこうな距離があるコンビニまで歩いて飲み物や救急セット、他にも目に付いたものをいくつか買ってきた。裏目に出まくっているものの、桜と和三だって自分なりに頑張っているのだ。オレだって何もしないわけにはいかないし、少しくらいねぎらってやらないと可哀想というものだろう。

 青々とした雑草が左右を彩る小道の先に見えたボロ工場。丸伍のお姉さんの話ではこの一帯は柏さんの土地らしいが、するとこの道や工場の隣にある空き地なんかも同じ所有者なのだろうか。決して地価の高い場所ではないがそれでもかなりの広さだし、きっと昔からの地主さんなのだろう。

 ふと向こうに民家があったことを思い出し、工場の門をひとまずスルーして隣のお宅を除いてみる。

 生垣に囲まれた風情ある平屋建て。さっき窓を開けるときに上から見たが、この家かなりの敷地面積である。このご時勢に平屋なんていう贅沢な土地の使い方はなかなか見られないが……。

「ビンゴか」

 年季の入った表札には案の定『柏』の文字が刻まれていた。ということは工場を所有している家のすぐ隣でわいわいと騒いでいたわけだが、よく怒鳴り込まれなかったもんだ。おじいさんが亡くなって今はおばあさんだけだという話だが、もしや耳が遠かったりするのだろうか?

 ちょっとした好奇心で生垣から中を覗き込んでみる。

「……庭か」

 生垣の向こうは子供がボール遊びするのに最適な広さの庭。芝生は綺麗に刈り込まれており、庭木もまるでお手本のように手入れがなされている。そのうえ奥には立派な池まで設えられており、おそらく極彩色の鯉が泳いでいるとみた。

 その庭を臨むようにこれまた古風な縁側があり、……そこになんだか見覚えのあるヤツの姿もあった。

「ぶっ……」

 お団子を乗っけたようなあの髪、力の抜け切ったあの風体、どう見ても大福あずきだ。縁側で足をぶらぶらさせながらお茶なんぞすすっているうえに、なんか満たされたような表情まで浮かべているのが異様に腹立たしい。

 ぴーんぽーん。

『はい、どちらさまですか?』

「あのー、そちらでお世話になっている大福頭を引き取りに来たのですが」


「お前なにやってんだこら」

「あら、誰かと思えば~。いらっしゃい~」

 なぜか縁側へと通されてしまったオレを、なぜか我が物顔で出迎えるあずき。どうしてそんなに馴染んでいるのか不思議でしょうがない。

「……自由行動とか言っときながら自分はなにまったりとお茶なんか飲んでんだ」

「いやね~、情報収集よ情報収集~。もう情報なくしては渡っていけない世の中なのよ~?」

「桜と和三が勇敢に散っていった姿を見てオレも頑張らなければ、とか思ってたが、お前の姿を見たらそんな気も吹っ飛んだ」

 と、そこに家の主である柏さんがお茶を持って来てくれた。七十歳前後だろうか、人のよさそうなおばあさんで、少し腰が悪いらしく縁側に置かれたイスへによっこいしょ、と腰を下して一息ついていた。

「まぁまぁ、お兄さんもどうぞ座ってくださいな。はい、お茶」

「あ、どうも」

 促されるままあずきの隣へと腰掛ける。やはり縁側から見る庭はなかなか風情あるもので、池には思ったとおり鯉が泳いでいた。

「お兄さんはこっちのお姉さんのお友達?」

「お友達っていうか、……なんなんでしょうね」

「戦友、といったところかしら~」

 お前もオレもまだ戦っていないけどな。

「あの、すみません、お邪魔したうえにお茶までご馳走になっちゃって」

「いいんですよぉ、どうせ滅多にお客さんなんて来ないですしねぇ。ちょっと話し相手が欲しいくらいで。それで、お二人はどうしてこんなところに?」

「え、コイツから話を聞いていないんですか?」

「さぁ? お姉さんはずっとこのお庭を褒めてくれていたのよ。昔からの庭師さんに頼んでいる自慢の庭ですから、嬉しくてねぇ……」

「……はあ」

 ほっこりと笑う柏さんと、オレから露骨に目を背けるあずき。情報収集はどうした。

「えっと、おばあさん。この家の隣って……」

「ああ、主人がやっていた工場なんですよ。まぁ、やっていたことは日曜大工と変わりませんでしたけどねぇ。けど主人が体を壊してからはもう続けられなくなって、今じゃあもうあの有様で、残ったのはすごい数の猫だけです」

「実はオレ達、あの猫たちをどうにかしようと思って来たんです。そいつが言い出したことなんですけど、あれだけの猫が一箇所に集まっていると衛生的にも良くないし色々問題があるだろうって」

「……あぁ」

 すると柏さんは少し寂しそうな表情を浮かべてから、一瞬だけ部屋の奥へと視線を向けた。その先あるのは大きなスイカが丸ごと供えられた仏壇だ。

「そう、ですか……。なるほどそうかもしれませんね。主人が亡くなったから猫たちもいなくなるだろうと思っていましたが、未だに減る様子はありませんしねぇ」

「え、御主人が亡くなる前からあの状態だったんですか?」

「主人が工場をたたむ前からですねぇ」

 驚いた。てっきり廃墟と化した工場に猫たちが勝手に住み着いたのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。柏さんの旦那さんがまだ健在だったころから集まり出したということは、つまりそのおじいさんが猫を集めたということか。

「主人はもともと工場の敷地で一匹の猫を飼ってましてねぇ、ほとんど野良猫だったんですが、トラって名前までつけてよくエサをあげていたんですよ。それはもう可愛がっていたみたいで、仕事終わりにアジの干物なんかを七輪で焼いて、その残りをトラに食べさせていました。その習慣は工場をたたんでも続きまして、結局死ぬ直前まで止めようとしなかったんですよ。猫馬鹿だったんですねぇ」

「もしかして、その干物を焼く匂いで他の猫たちも……?」

「たぶん、そうだと思います。主人は動物が大好きな人でしたし、トラにあげて他の猫にあげないわけにはいかなかったんでしょうね。日に日に数が増えて、気がついたら近所中の猫を集めてしまっていたんですよ。でも、エサをあげる主人はもういないのにどうして猫たちはいなくならないんでしょう……」

「工場の中に、エサをあげられる機械が置いてありましたから、……って、あ」

 慌てて口を押さえるがもう遅い。勝手に工場の中に入ったことを自分からバラしてしまった。あずきから『このばか』という視線が刺さる。

「す、すみません、実はオレたち勝手に工場の中に入ってしまいまして……」

 深く頭を下げるオレとあずきに、しかし柏さんは仏のような笑みを浮かべて首を振った。

「いいんですよ、イタズラしようとしたわけじゃないんだし、猫たちを放っておいた私たちの代わりにどうにかしてくれようって言うんですから、むしろ感謝しなきゃいけないくらい」

「い、いえ……、その、どうも……」

「すみませんでした~」

「べつにもう大したものなんて残ってないですし、好きようにしてくれていいですから」

 あずきと共にほっと胸をなでおろす。これで一番の心配事は解決されたのだから今後は心置きなく出入りできるというものだ。

「それにしても、エサをあげる機械だなんて……、あの人も馬鹿なものを作ったものだわ。でも、主人が亡くなってまだ二ヶ月程度だからいいんでしょうけど、そのうちエサも無くなってしまいますね。その時は、どうするつもりだったんでしょう……?」

「………………」

 そのことは、きっとおじいさんもよく分かっていたはずだ。猫を追い返せずにエサをあげ、いつのまにか百匹以上にまで増えてそれでもエサをあげ続けたおじいさんなのだ。そのうち底を尽きてしまうと分かっていても、あんな機械を作らずにはいられなかったのだろう。自分が死んでからも猫たちを、放っておけなかったのだろう。そんな優しいおじいさんだったからこそ、猫たちも人間を恐れずにのんびりと暮らしてこれた。オレ達が敷地内に入ってきても怯えずにいたのはそのためだったのだろう。

 しかしだからこそ、誰かがおじいさんの意思を継いでこの状況を何とかしなければならない。食べ物が底を尽きる前に、病気が広がったりする前に、あの猫たちをなんとかして工場から解き放ってやらなければならない。



 柏さんからだいたいの話を聞き、オレとあずきは工場へ戻ろうと立ち上がった。

 と、表のほうからエンジン音とタイヤが砂利を踏み潰す音が聞こえてくる。ここらには工場とこの家しかないが、もしや道に迷った車が入り込んできたのだろうか。

 そして車の音は工場付近で停車し、ばたんとドアが開く音が響く。すると柏さんは慌てたように壁のカレンダーを確認し、またこちらへと顔を向けた。

「……ねぇ今日って何日かしら?」

「三十日ですけど」

「なんてこと、もう明後日じゃないの……!」

「明後日になにかあるんですか?」

「……実は、主人が死んで私もこんなだから、土地をね、手放すことにしたんですよ。それで、工場の土地はもう買って下さる方が現れてて……」

「……あ。もしかして、八月一日から所有者が変わるんですか?」

 柏さんは申し訳なさそうに頷き、それを見たあずきが小さな声で「やっぱり……」と漏すのが聞こえてきた。

「ごめんなさいね、もう少し日にちがあると思っていたんですけど……。あなた方に工場へ入ってもいいと言えるのは、明日までだわ……」

「じゃあ、今来た車は新しい所有者の人ですか?」

「たぶん、そう。工場の様子を見ようとしているんじゃないかしら」

 事態は思った以上に切迫していたようだった。


 柏さんにお礼を言って表に出ると、工場の前には黒い軽自動車が止まっていた。

 その車は業務用の黒いナンバープレートを掲げており、車体には『九鬼建設株式会社』と印刷されている。車内には誰もおらず、代わりに工場内から話し声が聞こえてくる。

 門の中を覗いてみると、開かれたシャッターの前には桜と和三、そして見たことのないスーツ姿の男が立っていた。その男がおそらく新しい地権者なのだろう、後姿でよくは分からないが三十歳前後のように見える。

「一体なんの権利があってこの敷地内に入った。いいかこれはれっきとした不法侵入だぞ」

「す、すみません……」

「いいやしかし、僕たちには大義があるのだ。このまま猫たちを放っておくことはできない」

「なにが大義だ、くだらないことを言うな」

 どうやら桜と和三は運悪く説教をくらっているようだ。オレ達はどうしたって興味本位の物見遊山にしか見えないから、しょうがないといえばしょうがない。とは言えこのまま放っておくのは二人があまりに不憫だ。

 両者の間に割って入ろうと足を踏み出したところで、それよりも早くあずきが口を開いた。

「あの~、ちょっといいですか~?」

 すると男はこちらを振り返る。前髪を上げたその顔はいかにも仕事人間といった風貌で、灰色のスーツが恐ろしく似合っている。

「なにかな。……君たちもこいつらの仲間か。誰に断ってこの場所に入ったんだね」

「いえいえ~、きちんとおばあさんには許可をもらっていますよ~」

「……柏さんの?」

「今日はまだ七月ですから~、まだこの場所は柏のおばあさんの土地なんですよね~?」

「……そうだが」

 あずきの言葉で男は言葉につまり、ネクタイを締め直してからごほんと咳払いをする。

「柏さんの許可を得ているなら、確かに私が口出しすることは何もない」

「ですよね~」

「だがあまり荒らさないでもらおうか」

「わかってますとも~」

「……く。ならいい」

 男は桜と和三をじろりと一瞥し、それからすたすたと車のほうへと向かう。そして最後にただし、と付け加えて車のドアを開いた。

「ただし八月からここは我が社の土地だ。明後日になってもここでうろちょろするようなら、その時はしかるべき対応をとらせてもらう」

「………………」

 ばたんと乱暴にドアが閉じられて車はバックで砂利道を戻っていき、その姿がアスファルトの道路へと消えていくのを見届けてから二人へと声を掛ける。

「災難だったな。大丈夫か?」

「う、うん、すぐに最中君たちが来てくれたし……」

「そうか。あ、ほらお茶。もう冷たくはないけど水分補給に」

「うん、ありがとう」

 手渡したペットボトルのお茶を嬉しそうに受けとる桜に、レジ袋から取り出したもう一つのお土産も渡しておく。

「ほら箱ティシュー。しかもしっとりやわらかな高級ローションティシューだ。ティッシュじゃないぞ、ティシューだ。高級そうだろ」

「わあ! うれしいよぉー。さすが最中君、気が利くね!」

 お茶の数倍も喜んでくれるならはるばるコンビニまで歩いた甲斐があったというものだ。

 そして和三には応急セットと傷の手当用のミネラルウォーター、それとやはりペットボトルのお茶を渡す。

「おお、すまないな最中」クン! 放っておいたら感染症になる確率が少なからずあったのだよ!」

「若い猫のツメと老いた猫のキバには気をつけろって言うしな。ほら二人とも、お菓子もいくつか買ってきてあるからどっか木陰で休憩にしよう」

「二人とも、って最中君。私には~?」

「……お前はずっと隣でお茶飲んでただろうが」

「ええ~? それは最中君だって同じじゃないの~」

「オレよりずっと前からお邪魔してたくせに、結局お前はなにも聞きだしてなかっただろうが」

「ちっちっち、分かってないわね~。最中君があんなにスムーズに話を聞けたのは、それまでに私が築き上げたなごみムードがあったからよ~? 私が先んじて打ち解けていたからこそのあの会話。おわかり~?」

「あー、そうかい。ならこれからはもっとがんばってくれ」

「もちろん~」

 あずきはそう言うとレジ袋ごとオレの手から奪い取り、さっさと他二人を連れて行ってしまった。

「……ったく、なんでこういう時だけ素早いんだ」

 愚痴をこぼしながら砂利道を歩くと、道の左右についた轍へと目がいく。

「………………」

 九鬼建設株式会社、そう車には書かれていた。『我が社』などと口にするくらいだ、あのスーツの男はきっと社長か何かだろう。明後日からこの工場の所有権はあの男へと渡る。それ自体はごく当然の流れで他人が口出しすることではないが、そうなるといろいろ面倒なことになりそうだ。




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