知らないという事(第一話)
パラレル・ワールド...
それは、もう一つの世界...
もしも、あの時こうしてれば...
違うことをしていたら...
今は違う風になっていたかもしれない...
~これは、「Project Billion ―運命を書き換えるカード―」の本来なるはずだった世界線、
ザ・ロストワールド(崩壊した世界)で戦った少年少女たちの話~
白い世界だった。
どこまでも続く、何もない場所。
「……ここ、どこ?」
制服姿の少女が、きょろきょろと辺りを見回す。
小瀬栞。
まだ戦いを知らない、
まだ“未来”を背負っていない栞。
「夢、かな……」
そう呟いた瞬間、
背後から足音が聞こえた。
――かつん。
振り返る。
そこに立っていたのは、
同じ顔をした少女だった。
けれど、どこか違う。
髪は少し伸び、
目は静かで、
笑顔は、どこか痛々しいほど優しい。
「……あなた、誰?」
問いかける声は、少しだけ震えていた。
相手の少女は、すぐには答えない。
ただ、ゆっくりと近づいてきて、言った。
「懐かしいね。その顔」
「え……?」
「その声も。
その、何も知らない目も」
制服の栞は、思わず一歩下がる。
「ねえ、あなた……私のこと、知ってる?」
少女は小さく笑った。
「うん。誰よりも」
沈黙が落ちる。
やがて、制服の栞が口を開いた。
「……ねえ。
私、最近、変な夢を見るの」
「知らない場所で、
知らない人たちが傷ついてて……
でも、その中に――」
一瞬、言葉が詰まる。
「……玉木くんが、いるの」
その名前を聞いた瞬間、
もう一人の栞の指が、わずかに震えた。
「……そう」
「ねえ、教えて。
あの人、無事だよね?」
必死な声だった。
理由は分からない。
でも、胸の奥がざわついて仕方ない。
もう一人の栞は、しばらく黙っていた。
そして、静かに言う。
「あなたは、まだ知らなくていい」
「え?」
「知らないまま、笑ってて」
制服の栞は、むっとする。
「ずるい。
知ってるなら、教えてよ」
その言葉に、未来の栞は少しだけ目を伏せた。
「……もし、あなたが知ったら」
顔を上げる。
「あなたは、同じ選択をするから」
「同じ……選択?」
未来の栞は、そっと制服の栞の肩に手を置いた。
その手は、驚くほど温かかった。
「一つだけ、覚えておいて」
「なに?」
「あなたが誰かを想う気持ちは、
間違いじゃない」
「それは――」
「でも、幸せになるための選択が、
世界を壊すこともある」
制服の栞は、意味が分からず首を傾げる。
「よく分かんないよ」
「うん。それでいい」
未来の栞は、優しく微笑んだ。
「だからこれは、夢」
白い世界が、ゆっくりと揺らぎ始める。
「最後に一つだけ」
未来の栞は、はっきりと言った。
「玉木隼人の名前を、
呼ぶときは……少し、覚悟して」
「え?」
問い返す前に、視界が白に溶ける。
――――
「……っ」
栞は、ベッドの上で目を覚ました。
胸が、ひどく苦しい。
「今の……夢?」
カーテンの隙間から、朝の光が差し込む。
理由は分からない。
でも、なぜか確信だけが残っていた。
――私は、
――何かを忘れてはいけない。
そして、
自分の名前を、心の中で繰り返す。
「……小瀬、栞」
その名を呼んだ瞬間、
胸の奥で、
ほんの一瞬だけ、痛みが走った。
私の名前は小瀬栞、普通の高校3年生。
3年前に蔓延し始めた「覚醒病」という病気で、世界人口の七割が感染、死亡してしまった。
覚醒病にかかると、人間じゃなくなり、怪物と化す...
私は1年前から、Cicadaとか言う防衛機関で覚醒病撲滅委員会に勤務している。
「おはよう、小瀬さん。」
「おはよう、玉木君。」
彼は玉木隼人。中学生からの付き合いで、Cicadaの覚醒病撲滅委員会の会長だ。
玉木君は、相変わらず少し無愛想だった。
でも、それは冷たいからじゃない。
むしろ逆で、誰よりも人のことを考えてしまうから、余計なことを言わないだけだ。
「今日の巡回、俺が前に出る」
そう言って、いつも危険な役を引き受ける。
「……また?」
思わず、少しだけ強い口調になってしまった。
玉木君は振り返って、困ったように笑う。
「栞は後ろ。頼む」
その一言で、胸がきゅっと締め付けられる。
“信頼”だって分かってる。
でも同時に、それは「守られる側」でい続けるということでもあった。
私は、彼の背中を見る。
覚醒病で荒れ果てた街を、
迷いなく歩くその背中を。
――どうして、この人はこんなにも強いんだろう。
怪物と戦う力だけじゃない。
絶望しかない世界で、それでも前に進める心。
それを知るたび、
胸の奥で、どうしようもない感情が膨らんでいく。
好き、なんて言葉じゃ足りない。
でも、それ以上の言葉も見つからない。
「……玉木君」
名前を呼ぶと、彼は少しだけ足を止めた。
「なに?」
「生きて、帰ってきてね」
一瞬、空気が止まった気がした。
こんな世界で、あまりにも当たり前で、
それでいて、あまりにも重い言葉。
玉木君は、私をまっすぐ見て、静かに頷いた。
「ああ。約束する」
――嘘だ。
そんな約束、この世界じゃ守れないことを、
私たちはもう、何度も知っている。
それでも。
その言葉だけで、私は今日も戦える。
巡回が終わったあと、
崩れたビルの影で、二人並んで座る。
非常食を分け合いながら、
他愛もない話をする。
「昔さ」
玉木君が、ぽつりと言った。
「中学生の頃、こんな未来になるなんて思ってたか?」
私は首を振る。
「思ってない。
でも……」
言葉に詰まる。
“それでも、あなたと一緒なら”
そんなこと、言えるはずがない。
「でも?」
「……今より、もっと普通の世界だったらよかったなって」
本音だった。
制服を着て、
放課後に寄り道して、
くだらないことで笑い合う。
そんな“普通”が、
この世界では、もう夢みたいな話だ。
玉木君は、少しだけ目を伏せて言った。
「……もし、やり直せるなら」
その言葉に、心臓が跳ねた。
「俺は、栞を――」
そこで言葉が途切れる。
遠くで、警報が鳴った。
覚醒病反応。
アダバイスに近い、高レベル反応。
立ち上がる玉木君。
戦場へ向かう背中。
私は、その背中に、声をかける。
「……好きだよ、玉木君」
届かなくてもいい。
答えがなくてもいい。
ただ、伝えたかった。
玉木君は、一瞬だけ立ち止まり、
振り返らずに言った。
「……それ、ずるい」
その声は、ほんの少しだけ震えていた。
私は微笑む。
――この想いが、
未来を壊す引き金になるなんて、
この時の私は、まだ知らなかった。




