SPRINT 07:狙撃者は向いの建物に待機する
マリトが東京湾岸の母校の研究室を離れ、空港に向かっているちょうどその頃、大通に面した高層マンションの前に、千歳方向から来た黒いバンが停車し、中から一人の男が降り立った。
細身ながら、がっしりした体躯の長身。黒い帽子を深くかぶり、グレーのダウンジャケットを着ている。
大きなシルバーのスーツケースを車から降ろすと、雪が舞う中を無言でマンションのエントランスへと向かう。
スマートフォン状の端末をかざすと、エントランスの自動ドアが静かに開いた。
そのまま中に入り、奥にあるエレベーターで九階まで上がる。
廊下を進み、一室の前で立ち止まる。
再びスマートフォン状の端末をかざしてドアのロックを解除して、男は部屋の中に足を踏み入れた。
男は靴を履いたまま屋内に上がり、まっすぐベランダに面した窓まで進む。
カーテンをわずかに開き、外を眺める。
正面に、雪にけぶるように、白くぼやけたビルが見える。
ちょうどパーセプモーション・テクノロジーが入っているフロアだ。
男は無線機を取り出して、短く報告を入れる。
「目的地に到着。これから準備を開始する」
「了解」無線機から応答が返る。
「現地の配備は計画通り。住人は明後日まで戻らない」
「繰り返すが、民間人は決して傷付けないように」
「この任務全体の目的は、義手の入手と民間人女性の確保だ」
「君の役割はそのための陽動と敵戦力の可能な限りの排除だ。深追いは必要ない」
「了解」男は再び短く答えた。
計画に変更なし。
上々の滑り出しだ。
住人が戻ってきたら、この部屋は立ち入り禁止になっているはずだ。気の毒に。
そう考えながら、男は感情のこもらない笑みを浮かべた。
男はあらためてベランダに出て、眼下を見下ろした。
雪をまとった木々の続く大通公園が左右に広がる。
目に入るだけでも二十台以上の車が行き交っていた。
子供連れの歩行者、観光客らしき人々が、雪を残す公園内を思い思いに歩いている。
ベランダの柵は細い作りになっており、窓を開ければ屋内からの狙撃が可能――
男はそう結論づけると、スーツケースを床に置き、大小様々なものを取り出し始めた。
ライフル、三脚、照準システム――
それらを無言で組み上げ、一通りの動作確認をすると、静かに目を閉じ、所定の時刻を待った。
16時30分。アラームの振動で男は目を開ける。
「さて、状況開始だ」
そうつぶやいた。
窓際には三脚に据えられた、銃身の長いライフル。
その前方の床には、ノートPCが画面をこちら側に向けて置かれている。
ケーブルが照準ユニット下のポートに接続されている。
PCの画面には、六つの映像が分割表示されていた。
二つの画面には、大通りを挟んだ向かい側――照準器から見た、窓の外からのパーセプモーションテクノロジーの応接室が移っている。
残る画面には、三カ所の異なる角度から応接室内部を映している映像。
残る一つには、それらから合成された映像が映っている。
男は静かに画面をなぞり、順番にそれぞれの映像に触れていく。
すると各画面に、赤い十字型のマーカーが表示される。
それぞれのマーカーはいずれも、応接室の壁に掛けられているアニメ映画のポスターに描かれている主人公の額の上に浮かんでいる。
次いで、画面上にポップアップしてきたダイアログの『OK』をタップ。
窓を20センチほど開ける。
冷たい空気が室内に流れ込んでくる。
カーテンが揺れないよう、端をテープでしっかりと留める。
ライフルのそばに戻ると、タブレットで作戦内容を再確認する。
自分の任務は、部屋に突入する別働隊のための陽動および援護。
重要なのはタイミングだ。
義手が現在保管されているセキュアストレージから取り出され、動作確認の後、移動用ストレージに移されるのを阻止する。
それが最優先の目的だ。
ターゲットの写真を確認する。
主ターゲットである、ターゲットアルファは米軍の女性士官だ。
あと護衛の兵士二名。
ガード1とガード2が、男女ひとりずつだ。
全員が武装しているが、彼らの装備ではこちらに反撃は届かない。
強固な遮蔽物もない。イージーターゲットだ。
可能な限り、彼らを短時間で無力化する。
注意すべきは、民間人の二名。
プロテクト1とプロテクト2は、20代前半の女性と、40代後半の男性だ。
写真にはそれぞれの顔がはっきり写っていた。
彼らは作戦上の最重要人物であり、絶対に傷付けてはならない――そう明記されていた。
男はヘッドセットを装着し、状況の報告を指示する。
屋外上空でホバリングしているドローンから、リアルタイムでデータが送られてくる。
外気温、摂氏5度。南東の風。風速5メートル。
ターゲットまでの距離、148.5メートル。
次々に情報が伝えられてくる。
狙撃支援AIがドローンのセンサーとカメラの映像を統合し、かつては人間のスポッターが担っていた役割を果たしている。
「この調子だと、じきに狙撃手までいらなくなるな…」
男はつぶやいた。
片膝を立て、左肘をその上に添える。
右腕でライフルを構え、スコープを覗き込む。
OK。これで準備完了だ。
現地警察が通報を受け、こちらを発見、到着するまでおよそ五分間。
初弾発射から撤収完了まで、最大でも三分間で収める必要がある。
男は静かに、指示を待った。
#STATUS: RISK GROWING. UNNOTICED.
危機は気付かれないまま静かに進行をはじめました。




