SPRINT 01:後輩からの呼び出しに応じる
その日は、旭川にある客先での打ち合わせを終えた後、オフィスに寄らずに直帰した。
途中のセイコーマートで惣菜を買って、札幌にある自分の部屋に戻ったところに、スマートフォンにメッセージが着信した。
コリーンからだ。
「先輩、明日の18時にオフィスに来てもらえますか?」
「お願いしたいことがあります」
「無理かも」
「明日も今日の続きで客先で原因調査があって、終わりの時間が読めない」
マリトはメッセージを返した。
昨年末にリリースしたシステムに原因不明の障害が起きており、その対策のために客先に呼びつけられていたのだった。
翌日も原因調査の作業指揮のために現地に行く必要がある。
コリーンには前職時代に、返しきれないほどの大きな借りがある。
彼女の助けになることなら可能な限り引き受けたいが、顧客対応は最優先なので仕方がない。
「その予定ですが、障害は解決しておきましたので、作業はなくなってます」
急いで未読のメッセージを確認する。
トラブルが解決されたため、明日は午後一での報告だけになったという連絡が来ている。
報告用の資料まで、すでに揃っている。
『うそだろ。つい二時間前まで「原因不明で調査継続」だったはずだ』
『それが「解決済」だと?』
「どういうこと?」マリトは聞いた。
「Phytonの最新のバージョン9の仮想マシンのバグでした。現場ではなかなかわからなかったと思います。」
「そのレイヤのバグが枯れてないのは困る。そのPythonのパクリ言語、バージョン更新頻度が高すぎだろ」
「イノベーションが続いているので仕方ないです」
「あと何度も言ってますが、名前は紛らわしいですがパクリ言語ではないです。うちで独自開発した成長可能なボタニカル指向言語」
怒りのスタンプ付きでメッセージが送られてきた。
「わかった、わかった」
『―― いまいち納得できない説明だが、彼女が解決済みというならそうなんだろう』
「そういうことなら了解。18時にオフィスで」とマリトは返信した。
「一緒に外出するので、私の席近くに来て下さい」
◇
午後の打合せを終えると、マリトはオフィスに向かった。
マリトの務める会社、パーセプモーションは、札幌の中心部である大通に面したビルの九階に入っている。
約束の時間の少し前に到着した。
オフィスはワンフロア構成で、およそ50名ほどの社員が働いている。
間仕切りはなく、端から端まで見渡せる。
入り口から手前側が営業とコンサル部門のエリア、奥側がテクニカル部門のエリアだ。
全体としては、さまざまな作業スタイルに対応した自由な雰囲気のオフィスだ。
窓側には個別に作業ができるデスクが並び、中央部にはソファーと低めのテーブルが置かれている。
手前と奥では、かなり雰囲気が異なる。
手前は基本的にオープンスペースで、スーツを着ている社員が多い。
スーツでなくとも、こぎれいなビジネスカジュアルだ。
共有ディスプレイの画面を見ながら議論をしているチームがいくつかあり、その周辺で十人あまりがノートPCを使って個別作業をしている。
一方、奥側はパーティションで区切られた作業ブースが多く、社員もジーンズとTシャツ姿が混じり、やや雑然とした印象である。
北海道では屋内を暖かくしていることが多く、真冬に屋内でTシャツを着ていることは珍しくない。
ふたつのエリアのちょうど中間、窓側に配置されたやや広めのデスクが社長の席だ。
パーセプモーション・テクノロジー社長の友田真路は、四十代後半の精悍な男性だ。
この会社はコリーンの父親である古楠教授が大学の研究成果をビジネス化するために設立したこの会社で、友田准教授が社長を引き継いだ。
二代目社長になって以降、業績は急拡大した。
友田社長はもともと創業当初からこの会社の経営には関わっており、「知覚できるものは動かせる(You can control what you can percept.)」という会社のミッションステートメントも彼が考案したものだ。
ビジネスカジュアルを着用し、机の上に足を載せた姿勢のまま、何やらブツブツつぶやきながら、両肘をついて指先を動かしている。
実は社長室は別にあるのだが、社員との一体感を持ちたいという理由で、数週間くらい前にこちらに移ってきたのだが、社員はやりにくくて仕方がない。
余計なことを思いつかないで欲しいものだ。
友田社長は、スマートグラスに移し出されている画面を見ながら操作をしているようだ。手首に黒いベルトを巻いている。
この会社は、従来のキーボードに代わるジェスチャーや神経伝達による操作入力技術の研究開発を行うベンチャーで、仕事のスタイル自体が自社製品のデモンストレーションでもある。
マリトと目が合うと、社長は手を軽く上げて軽く合図を送ってきた。
大学時代の指導教官でもあり、前職で挫折したマリトに新しい機会を与えてくれた恩人でもある。
◇
奥のエリアはローパーティションで仕切られ、設置されている機材の量も質も、手前のエリアとはまったく異なる。
仕切りの上にガンプラが何体も並んでいる席もある。
コリーンの席は一番奥にある。
社長と同じくスマートグラスと手首のベルトを装着しているが、彼女のほうは両腕に装着している。
加えてディスプレイが八台並んだ、まるでトレーダールームのような作業環境になっていた。
彼女は、自席のチェアの後ろ側に置かれた丸テーブルの方に身体を向けている。
丸テーブルの反対側には、相談者が3人並んでおり、順番待ちの行列ができている。
今日は大物揃いだ。一人目は当社の主力製品のメインアーキテクト、二人目はAI研究の主幹研究員、三人目は受託開発部門の技術リーダー。いずれも社内でトップクラスの実力者だ。
約束の時間にはまだ少し時間があった。
コリーンはまだマリトの到着に気付いていないようなので、相談の邪魔をするのは避け、テクニカルエリアの入り口にあるテーブルに鞄を置き、PCを拡げて時間まで作業をすることにした。
その一人目、アーキテクトとのやりとりが耳に入ってきた。
「ここで使ってるTransformerベースの系列モデリング、タイムスタンプが揃ってないデータだとアテンションにバイアス出るんですよ。特に位置エンコーディングの扱いが雑すぎる。LSTMとハイブリッドにするか、Temporal Fusion Transformer試してみたらどうですか」
「あと、その前段のETL処理、Apache Airflowで組んでるなら、XComの依存関係を明示的に書いといた方がトラブル避けられますよ」
「このへん、因果推論ベースで一度モデル組み直してみましょか?」
少し関西なまりの混じった、言葉を選ばない指摘が続く。
マリトにはもはや宇宙語でしかないが、技術専門家であるアーキテクトは、うなずきながらメモを取っている。
PCの作業から顔を上げると、次の相談である主幹研究員に移ったのが見えた。
こちらはかなり手厳しく指摘を受けているが、少しうれしそうだ。
そういえば以前、彼は「あのグサグサくる指摘は慣れてくると、結構、快感なんですよ」
そんなことを言っていたのを思い出した。
M男だったか…。マリトは再認識する。
相手にしているのは十歳以上も年上で、しかも実績も折り紙付きの社員ばかりなのだが、彼女の前では格下に見えてしまう。
マリトにとって大学時代から見慣れた光景だ。
しかし、大人気だな。マリトは思った。
ただ、あの頃はこうじゃなかった――。
ふと、教室に響いた彼女の声と、凍りついた空気を思い出した。
#STATUS: SPRINT COMPLETED. PROJECT IN PROGRESS.
前日譚の現代日本編は、冬の札幌から始まります。ITベンチャーの現場感が伝わると良いのですが。後輩女子の有能感が見え隠れしています。




