SPRINT 13:回収任務の完遂を見届ける
マリトは、他の社員が休暇を取っている中で、朝から東京まで義手回収のお使いに行かされて、帰ってくるなり、絶対に関わりたくないタイプの会議に出席することになっていた。
場所は元は社長室だった応接室だ。
社長がデスクごと社員のスペースに引っ越してきたので、やけに広い応接室になっている。
社長に加えて護衛付きの軍人がいて、マリト本人もよく知らない事情で関係者扱いされているが、場違い感マックスだ。
護衛の兵士は物騒な武器を装備しているし、危険だから絶対近づくなと注意された、セキュアスーツケースらしきものまである。
MD粒子波とか演算被害とかいった説明を受けたが、まったくピンとこない。
『MD粒子波の再励起現象の発見者』という説明には、コンサルタントの性で訳知り顔でうなずいたものの、身に覚えは一切ない。
思念の伝達ができるといった、計り知れない可能性を秘めたMD粒子は、そのこと自体は発見直後からわかっていたことであり、もともと機密性は高かった。
しかし、その機密レベルが跳ね上がる事情はさっぱり理解できない。
そうした技術的な小難しい話は抜きにしても、マリトにどうしても理解できないことがある。
大学から持ち帰ったのは右腕の義手だったが、今、回収しようとしているのは左腕の義手だ。
話のつじつまが合っていない。
未回収なのは義手一本という話をしているが、本当は二本あることに気づいていないのか?
自分の持ち帰った義手は、大学のストレージから取り出した後は、それほど厳重に扱われていないので、そのギャップが馬鹿馬鹿しくさえ思える。
カーニクス中佐とコリーンが窓側のキャビネットから義手を持ち帰ってテーブルの上に置いて、テストするのを白々しさを感じながら眺めた。
思念だけで義手が動く様子は不思議ではあるが、大学の研究室では見慣れた光景で、懐かしさこそあれ、目新しくはなかった。
しかし、動作確認の後、コリーンが窓に向けて立ち「全員、伏せて!」と叫んだ瞬間から空気が一変した。
窓ガラスが割れ、コリーンが血を流して倒れる、そして、続けて、護衛が次々と倒れていく。
まるで映画で見るようなシーンで、自分がその中にいることを、現実として頭の中で受け入れられなかった。
目の前の出来事と自分とは遊離している感覚を覚える一方で、生死に関わる事態の進行に恐怖がじわりと湧き上がってくる。
「伏せて」の声に反応しようにも、とっさにはどうすればよいかわからない。
うつ伏せになるということなのか、低い姿勢になることなのか。
隣で社長が中腰になり、ソファーの反対側まで移動するのを見て、マリトもそれにならった。
ソファーの陰から、撃たれて血を流して倒れる護衛の兵士の姿が目に入る。
現実感を伴う恐怖が膨れ上がり、今にもパニックに陥りそうになる。
隣の友田社長が落ち着いているのを見ているうちに、マリトも徐々に落ち着きを取り戻してきた。
廊下側から機関銃の音が響き、銃撃が絶え間なく行われる中、コリーンとカーニクス中佐が協力して遠隔狙撃に対抗しているようだ。
カーニクス中佐が時折、呪文を唱えるように口元をもごもごと動かしている。
機関銃の発射音が鳴り続ける中、パトカーのサイレンも大きくなってきた。もうすぐ助けが来る――そう思えるようになってきた。
遠くで爆発音が聞こえた後、満身創痍のカーニクス中佐がついに義手をストレージに格納するのを見た。
赤いボタンが点灯する。
これでミッションは完遂だ。
マリトはそう確信して安堵したが、まったく予想外の事態が起きた。
隣で様子をうかがっていた友田社長が静かに立ち上がったのだ。
気付いたコリーンが「止めて!」と叫んだ。
友田社長は、カーニクス中佐の頭に向けて、拳銃を向けている。
中佐が振り返るのと同時に、至近距離で引き金を引いた。
「ソラアーッ!」というコリーンの悲痛な叫びが響く。
◇
ソラの拍動が停止し、血液による脳への酸素の供給は絶たれたが、意識が完全に失われるまでには、わずかに時間が残されていた。
それは夢なのかもしれない。
いわゆる臨死体験なのだろうか。
ソラは自分が公園のパーティ会場にいるのに気付いた。
芝生の上に白いテーブルとチェアが並んでいる。
服装からみて、だれかの結婚のお披露目のパーティのようだ。
「ぎりぎり間に合ったみたいね」ソラは、そうつぶやいた。
すぐ近くのテーブルで、フレッドがうつ伏せに寝ているのが見える。
「その腕時計、結婚前に私が贈ったプレゼントよね」
「私も一緒に、って意味なのね。わかるわよ。うれしい。けど、酔っ払って寝てちゃダメじゃない」
「もう、いつもいつも、詰めが甘いんだから」
「ちょっと太ったかしら?でも元気そうで、良かった」
一群の男性陣にもみくちゃにされていた青年が、ひとりの女性の手を引きながら、抜け出してくるのが見えた。
「見つけた。ジェイミー」
ソラはひとりつぶやいた。
ブロンドを短く整え、秀でた額にメガネをかけた青年は、立ち止まると、何かに気付いたようにこちらに目を向ける。
優しいまなざしが印象的だ。
「素敵な青年に育ったのね。ありがとう、フレッド。寝てたこと、許してあげる」
手を引かれているのは、青年と同じく20歳くらいの年齢で、同じくらいの背丈のある長身で細身の女性だ。
彼の様子を見て、不思議そうに、こちらに目を向ける。
「そう。あなた、その娘を選んだのね」
細面の優しい顔立ちの女性だが、薄い唇に意志の強さを感じる。
「あら、いやだ。ちょっと雰囲気が私に似てるじゃない」
「大切に、するのよ」
青年は空中に何かを探すような仕草を続けている。
「私に気付いてないみたいね」
ソラは近づいて、ジェイミーの赤い唇を人差し指で軽く、二回タップした。
なぜか、そうするのが良いような気がしたのだ。
ジェイミーは気付いてくれたようだ。
こちらをまっすぐに見て、にこりと笑った。
そして軽く手を振りながら、話しかけてきた。
「来てくれて。ありがとう」――声は聞こえなかったが、その言葉はソラに確かに伝わった。
ソラも手を振って応えた。
「最後に、みんなと会えて、よかった」
「これでお別れだけど……私はいなくなってしまうけど……みんなのことを、みんなのしあわせを、祈っています。ずっと……」
そしてソラの自我を形作る思念の束は、ゆっくりと宙にほどけて消えていった。
◇
友田社長は、中佐に続き、ドアを守っている女性の護衛兵士に対して銃撃を加え、近くまで歩いて行って、もう一度銃弾を撃ち込んだ。
ドアを開けて襲撃者の兵士を入れると、社長は怒鳴りつけた。
「城代、貴様!何が精鋭部隊だ。この評判倒れの役立たずが!」
「これだけ準備してなんで失敗できるんだ?」
「私に手を下させてどうするんだ!」
「貴様らには社会的な評価の重要性というのがわからんのか。これまでの私の苦労が台無しじゃないか!」
そして、コリーンの方を向いて言った。
「古楠、君は私が噴霧器を落とした瞬間に、すべてを理解したんだな?」
「とんでもない洞察力だ」
コリーンは社長を見ようともしない。
「予想外のことの裏には必ず君がいるな」と、社長は苦々しくつぶやいた。
「余計なことをしなければ、軍人以外は誰も傷一つ負わないはずだったのに」
「天才ってやつは予測不能で本当に厄介だ」
そして城代と呼ばれた男に言った。
「彼女にまで怪我をさせやがって」
「まずいぞ。かなりの出血だ」
「死なせずに連れ帰るぞ」
「おまえたちの何万人の命でも釣り合わん」
「彼女にはまだやってもらわないといけないことが残っている」
再び、思い出したように、コリーンに向かって話しかけた。
「ひとつ言っておくが、彼を巻き込んだのは君だからな」
「どうして、巻き込んだんだ?」
「君にとって大切な男じゃなかったのか?」
「他の社員と一緒に休んでいればよかったものを」
「どうなっても、私を逆恨みするんじゃないぞ」
そう言いながら、マリトの方を向いた。
何か言いかけたが、マリトが目を見開いて何かを凝視しているのに気付いて、やめた。
そして、その視線の先を追った。
マリトはセキュアスーツケースに収納されかけている義手を見ていた。
◇
カーニクス中佐が最後の力を振り絞って行った格納作業は、完了寸前で阻止されてしまった。
そのため、スロットへの格納直前で、手の部分が突き出されたままの状態になっていた。
その手が動きはじめている――
誰の指示も受けていないにも関わらず。
まるで自らの意志があるかのように――
まっすぐに指を伸ばして開いていた手の形は、人差し指を伸ばした形にゆっくりと変形した。
そして、赤く点灯するボタンをゆっくりと、しかし確かに、二回続けてタップした。
次に、義手は両手をまっすぐに開いた状態へと戻る。
そして、まるで別れを告げるように、手を振るように揺れながら、静かにスロットの奥に沈み、蓋が閉ざされロックされた。
それは、カーニクス中佐の任務への執念の結果だったのか、あるいは偶然の産物であったのか、――
いずれにしても、ミッションは義手みずからが引き継ぎ、完遂された。
息絶えた中佐の顔には、満足そうなほほえみが浮かんでいるように見えた。
#STATUS: SPRINT COMPLETED. ANOTHER CRISIS EMERGING.
マリト視点に戻ってきました。ミッション失敗に見えた作戦は、義手自らが動いて完遂されました。不思議な現象ではありますが、この理由も説明される予定です。




