SPRINT 10:危機を事前に察知し回避する
コリーンは一番窓際のキャビネットに向かって歩き始めた。
ソラは静かに後に続いた。
キャビネットの一番下のドロワーを開けると、大学にあったのと同じ型のセキュアストレージが現れる。
このストレージは、少なくとも1名の認可を受けた士官を含む、二名での認証が必須となる仕様だ。
ソラは、両腕が義手のため、掌紋認証ではなく、代わりに耳の後ろに埋め込まれているバイオチップと咬合シーケンスによる認証を行う。
バイオチップの非接触通信でストレージが認証モードに移行し、咬合シーケンス――つまり、歯をカチカチと特定のパターンで鳴らすことで、パスコード入力モードに切り替わる。
上部パネルに白い光でコード入力のガイドが表示される。
同時に、赤い「05:00」の数値が浮かび上がり、カウントダウンを始める。
コリーンが掌紋認証を行い、素早くコードを入力する。
すると、円形の開口部が開いて、オブジェクトを格納した透明容器がせり出してきた。
ソラは、透明の円筒容器ごとオブジェクトを取り出し、身体に密着させるようにしっかりと保持した。
……さて、無事に入手までできた。
次は、動作検証を行い、その後に携帯ストレージに格納する。
ソラはそう内心で手順を確認した。
ドロワーを閉じ、コリーンと共にソファーへ戻る。
ソファーに戻ると、容器ごとオブジェクトをテーブルに置き、コリーンに依頼する。
「データ消去用の噴霧器を外してください」
この装置は、決められた条件を満たせなくなったときに、MDリフレクターの構成を化学的に変成させることで、不可逆的に破壊するものだ。
エレガントな解決策だ……噴霧器を見ながら、ソラは思った。
機密保持のためにはこの程度で十分なはずなのだ。
それに比べて物理破壊によって、機密保持する携帯用ケースを使うとは――軍というのはまったく乱暴極まりない。
コリーンは下部にある黒いパーツの電源を切ってから、ひねって取り外した。
友田社長が興味深そうに噴霧器を手に取ったのを、ソラは目の端で捉えたが、気にせず動作確認に進める。
円筒形の透明容器から、ゆっくりと左腕の義手を抜き出す。
コリーンはソファーの席に戻らず、ソラの傍らに立ったまま作業を見守っている。
次は、動作の検証だ。
コリーンが横から補足する。
「操作コマンドは中佐の腕と共通なので、起動後、同期させて動作確認が可能です」
ソラはうなずくと、まず、疎通シーケンスを実行する。
MD粒子と干渉現象が可能にするのは、訓練で身につけた思考コマンドを使った非接触の遠隔操作である。
ソラは少し眉間にしわを寄せ、疎通確認のコマンドを念じることで指示を送る。
すると、腕の上部にあるプレートに付いているLEDが虹色に光った――波長の長い赤色から始まり、オレンジ、黄色、緑、青、紫へと色が瞬間的に変化し、最後に白く点灯する。
義手の上部のプレートには、疎通確認の完了と動作モードに移行したことを示す表示が浮かび上がった。
ソラは自分の左腕を閉じて開く。
テーブルの上に置かれた義手も、まったく同じタイミングで動作する。
ソラは小さく頷き、動作確認を終えた。
……さて、これで後は、ケースに格納するだけだ。
そう内心で呟く。
立ち上がって、ソファーの脇に置いてあるスーツケースの上部を開ける。
内部は、中央に格納用のスロットがあり、その両側に小型の操作パネルが配置されている。
スロットに義手を収めて、機密保持状態に移行させれば、この任務は無事完了だ。
テーブルの義手に向き合おうとしたその瞬間、友田社長が手を滑らせたのか、黒い噴霧器がテーブルをコリーンのほうへ転がり、足元に落下した。
「すまない、それを……」と、社長が声をかけた。
コリーンは手を伸ばしかけて止まった。
何かに気づいた表情を見せると、つぶやいた。
「そういう……ことか」
そして、決然と叫んだ。
「やらせへん。私が、守る!」
そう言い放つと、彼女は腕を拡げて、ブラインドで閉ざされた窓に向かって振り向き、鋭く続けた。
「Get down! 全員、伏せて!」
その声と同時に、ガラスが砕け散る鋭い音が室内に響いた――
窓から冷たい風と、吹き込んだ雪がブラインドを揺らす。
同時に、コリーンが弾むように動いたかと思うと、ぐらりと膝から崩れ落ちる。
ソラは即座に反応し身を伏せる。
その瞬間、さきほどまで彼女の頭があった空間を、何かが切り裂き、かすかな風がこめかみをなでる。
と同時に背後の壁に弾丸が激突する音を聞いた。
そして――
わずかに反応が遅れた背後の護衛、マウント一等軍曹の頭が跳ね飛んだ。
彼の巨体が、重々しい音を立てて床に倒れる。
即座に、ソラの耳の後ろに埋め込まれたバイオチップが告げる。
「マウント一等軍曹――状態異常を検知。―― 拍動停止を確認」
#STATUS: SPRINT FAILED. RISK ESCALATED TO CRISIS.
外から見えないはずのブラインド越しに精密狙撃されるというシチュエーション、驚いてくれた方はいますでしょうか。おおっと、思ってくださった方は、「いいね」をください。




