SPRINT 09:回収任務の重要性を説明する
「それでは、関係者の皆様には簡単に状況を説明しておきます」
ソラはそう言って、説明を始めた。
「皆様には、問題の解決にも知恵を借りることができる可能性があると判断し、お話しします。ただし、極めて機密性の高い内容だということはご理解ください。」
中佐はバッグからタブレット端末を取り出すと、世界地図を含む図を表示したアプリを開いた。
タイトルには「MD Infection Status」と表示され、世界各地を覆うように赤い染みが表示されている。
アメリカでは、西海岸と東海岸に、アジアでは中国の深圳、上海、北京を中心に赤いエリアが広がっている。
ヨーロッパでは中央部が真っ赤に染まっている。
日本は東京を中心に関東圏に複数の染みが見られるが、地方都市では目立った染みは見られない。
他の主要国に比べると、日本での進行は緩やか見える。
ソラは口を開く。
「表示に『Infection Status』とあるので、ウィルスか何かの感染症の拡がりのように見えるかもしれませんが――これはまったくの別物です」
「これは、MD粒子波による『演算障害』が確認できたエリアを示しているものです」
「MD粒子は、皆さんの研究によって発見され、その性質から『Maxwell's Devil』にちなんで名付けられた素粒子です」
「この障害は、最新のAI等に見られる特有の情報の流れを、量子レベルでの演算構造として感知し、それを阻害するものです」
「つまり、最先端のエッジAIを駆使してサービスを展開している地域ほど、被害が大きいのです」
「日本での被害が比較的少ないのは、新技術の採用に対して慎重な国民性が功を奏したと言えます」
ソラは、正面に座っている、サワと紹介された男性が、やれやれと言いたげな表情を浮かべたのに気付いた。
この男、優秀そうではあるが、考えが顔に出やすいタイプだな――そう内心でつぶやいた。
「これが三ヶ月前、そしてこれが最新の状況です」
ソラはタブレットを操作し、画面を切り替えた。
「ご覧の通り、状況は急速に悪化しています」
「赤いエリアの中では、高性能の情報機器の動作が不安定になります」
「今の時点では、この赤く染まっていない、たとえばここ、札幌ではまだ、高度なAIの利用ができますが、すでに東京の中心部では実用に耐えない状況です」
「全世界がこの赤いシミに覆われててしまうのは時間の問題です」
「つまり――近い将来、世界のどこにいても高度な情報機器を正常に稼働させることができなくなると予想されます」
ソラが話すのを聞いて、少し落ち着いた様子のコリーンが言葉を挟んだ。
「なるほど……。ひょっとすると私がプロトタイプを試作した、演算阻害プログラムのようなものを、地球規模に影響を与えられるMD粒子波の発生装置で展開してしまっているということでしょうか?」
「はい。ですが、もともとの意図ではなく、MD粒子波を応用して、特定の演算を監視するためのネットワークを構築していた過程での事故だと聞いています」
「その結果、展開されてしまったプログラムは通称『AIジャマー』と呼ばれています」
「そして、最大の問題は、それを停止する手段がなくなってしまっていることです」
「MD粒子波を発生させるためには、粒子を含んだナノチューブ状の炭素繊維を、特定のパターンで織り込んだ構造が必要です」
「この織り込みパターンは、ミス古楠がスーパーコンピュータを用いて算出したものです」
「現在、その計算を再現して実行していますが、結果が出るより先に、演算阻害の影響でその処理が正常に動作しなくなると予想されています」
「たとえるなら――車の中に鍵を置いたままドアをロックしてしまった状態です」
「一方、AIジャマーですが、単に演算を阻害するだけでなく、やはり皆様の研究で開発された『再励起現象』を活用した素子を動力なしで機能させることができます」
「この素子を我々は『MDリフレクター』と呼んでいます」
「このMDリフレクターの開発も、同じ理由で再現できないため、現存するMDリフレクターを、我々と敵対勢力が競って入手しようとしている状況です」
それを聞いてコリーンが確認した。
「なるほど……、私たちの研究で作られた初期モデルも、その回収対象になっているというわけですね?」
「はい。そのとおりです」
「現存するMDリフレクターは1024枚ですが、それらはすでに我々によって回収済です」
「すべて回収済みと思われたのですが、最近になって皆さんの研究室で作成された義手に使われていたということが判明したのです」
「本日の目的は、それを回収することです」
パーセプモーションの友田社長が口を挟んだ。
「皆さんは、平時とは思えないほどの武装をされているようですが……、回収には危険を伴うということでしょうか?」
――もっともな質問だ、とソラは内心で頷く。
「はい。これは不測の事態に備えた警戒措置です」
「我々と敵対する勢力もMDリフレクターに強い関心を持っています」
「残されているのが、こちらで管理されている一本だけである以上、その奪取のために強硬手段に出る可能性は否定できません」
ソラの言葉に反応して、マリトが目を剥いた。
「ご存じのように、MDリフレクターの開発は、研究が進むにつれて、軍事利用の観点からの重要性が高まってきた技術です」
「同時に機密性も高くなったために、パーセプモーション前社長の古楠先生には、我々が提供しているセキュアストレージでの管理をお願いしていました」
「ところが、最近になってMD粒子に新たな性質が発見され、その重要度が国家戦略レベルにまで高まりました」
「現在こちらに管理されているオブジェクトを、安全を確保しながら回収するというというのが今回の我々の任務です」
「その重要な性質とはどんなものか教えてもらうことはできますか?」友田社長が尋ねた。
「極秘事項で、我々も知らされていません」ソラは答えた。
「それほど重大な回収任務を、この少人数で、しかも、この場で行うことには違和感があります」
クレームの意図を含んだ社長からの問いにソラはうなずいた。
「ご心配はもっともです」
「ですが、何があっても、皆様とオブジェクトを守り抜けるよう、万全の体制を敷いていますのでご安心ください」
「こちらの義手にMDリフレクターが使われていることが確認されたのは、ほんの一週間前のことです」
「現在、この情報を知り得るのは、ごく少数の信頼できる関係者に限られています」
「回収が一日遅れるごとに、他の勢力が察知して動くリスクが高まります」
「そのため、こうして少人数で迅速に動いているのです」
「ご覧のように、部下二名はフル装備で任務に当たっていますし、それ以外にも、見えない形でこの任務のために各種の対策がとられています」
ソラが続けると、社長は疑問を口にした。
「というと、たとえばどのような対策なのでしょうか?」
「すべてをお教えすることはできませんが――」とソラは答えた。
「たとえば、こちらのスーツケース型のストレージは、極めて堅牢に設計されており、万一、奪われた場合でも、適切な処理を経なければ自動的にオブジェクトを無効化し、機密を保持できる仕様になっています」
それを聞いて、マリトの目がスーツケースに釘付けになった。
コリーンに目を向けると、彼女は小さくうなずいた。
――参ったな、といわんばかりの表情だ。
この男、このケースの危険性を知っているのだな……ソラはそう受け取った。
「こちらでオブジェクトを管理しているストレージの管理者は、現在、ミス古楠に引き継がれていますが、我々の立ち会いのもとでしか操作は許可されません」
「本日、私がこちらに伺っているのは、そのためです」
「では、ミス古楠、こちらで管理されているオブジェクトの準備をお願いします」
そう言って立ち上がった。
「……わかりました――、では、こちらへ」
そう答えて、コリーンも立ち上がり、一番窓際のキャビネットの方へ身体を向ける。
ソラは、先ほどからマリトが怪訝な顔をしてコリーンを見ているのに気付いていた。
こちらに来てからのコリーンとマリトの挙動には違和感を覚える。
何が気になるというのだろうか?
さて、ここからが最重要局面だ。心してかかろう、ソラは改めて気を引き締めた。
#STATUS: SPRINT COMPLETED. PROJECT IN PROGRESS.
小難しい話になってしまいました。すみません。異世界側のお話のために伏線となる話を入れているのですが、ここでは回収対象の義手が重要ということさえわかれば問題なしです。




