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カヤは愛情がわからない。だから愛し方も当然知らなかった。
彼女の生まれは地方都市のとある鍛冶職人の家だ。
カヤの母は彼女が生まれて間もなく亡くなっている。代わりに育てたのは同居していた父方の祖母だが、祖母は母親似で跡継ぎになれない女のカヤを厭い、躾と称し時折暴力を振り邪険に扱った。
父親はカヤが六歳の時に後妻を取り、父も祖母も後妻との間に生まれた弟に夢中になった。それ以前からカヤは居場所がなかったが、更に家に居づらくなった。祖母が死んで尚、最低限生かされていただけマシなのだろうけど。
だから彼女は日中は殆ど教会か図書館で過ごすようになった。教会は礼儀作法と勉強を教えてくれた。図書館はありとあらゆる知識を授けてくれた。なにより自分がいることを許してくれるのが、ひとりぼっちのカヤにはありがたくて。
そのうち教会が紹介してくれた小さな魔道具屋で働かせてもらえることになり、そこでカヤは魔術に関する才能を見出され、学園に通うため資格を得た。
女に学は必要ない考えていた父は最初カヤが学園に通うことに良い顔をしなかったが、元よりカヤには無関心だ。
だから特待生制度で一切金がかからず、またカヤの「あのハーパライネンのご子息が同級生との事です、絶好の機会でしょう?」という情報で許可を出した。
あれは女は男に媚びていればいいといった思想の父を納得させる為であって、実際は彼に接触するつもりなんて更々ない。なにせ彼の唯一無二の特徴すら知らなかったくらいだ。……自分が原因とはいえ、気が付いたら結婚してしまっていたけれど。
例え本当に狙っていたとしても、愛し方を知らないカヤには嘘でも男の気を引くような真似はできないのだから。
カヤにとってラッセは初めて得た大事な友人だった。もし彼と自分の命なら迷わず彼を選ぶぐらいには大切に思ってる。
ラッセが全力で好意を向けてくれるからこそ、その手を取ることはできない。
だって自分はラッセに何も返せない。どんなに注いでもらってもラッセの愛に応えられない。ラッセのことが大切だからこそ、彼を心から愛し、彼を大切にしてくれる人がラッセと歩むべきだと思っていた。
だが当のラッセが「あ~~♡ 大好きな女の子がお嫁さんにきてくれるなんて、俺ってば世界一の幸せ者だなあ♡♡♡」とオールウェイズハッピー!!といった調子である。ラッセはカヤが一緒にいるだけで幸せになれる才能の持ち主だった。無敵かこいつ。
とそんな感じではカヤにゾッコンなラッセだけども、彼は決してカヤからの愛は求めていなかった。
それが発覚したのは結婚初夜でのことだ。
色こそ清楚な白だが、そういうことをする為に作られたであろう扇情的な衣装を纏い、ベッドで待っていたカヤに「あー今日は疲れたね!! 寝よっか!!!!!」とラッセは強引におやすみに持ち込もうとしたのである。
興味がそそられなかったわけではないと思う。見ちゃダメ見ちゃダメって感じの表情をしながら、頑張って目を逸らそうとはしてたけど、チラチラ自分の痴態を何度もガン見してたから。
「……しなくていいの?」
「え゛っ、していいの?!?!? するするしますしたいしたいです!!!」
「圧が強い。とりあえずその鼻血は止めよう」
カヤの指摘にラッセは鼻を摘まんで上を向く。数分経って無事に止まったが、なんとなくこのムードでなだれこむのは憚られ「おいで」とカヤは足を叩く。
よく考えたらベッドなのだから普通の枕の方が良かったかな……とカヤは思ったが、その訂正を出す前に、シュバッと機敏な動きでラッセは彼女の足に頭を置く形で横たわった。
いつも饒舌な彼にしては珍しく静かで。そんなラッセの蜂蜜色の髪をカヤは撫でる。まつげ長いなあと感想を抱きながら見つめていれば、ゆっくり彼の瞼が開いた。
「子供は諦めてほしいって言ってたから、許してもらえると思わなかった」
外堀を固めきられる前にカヤはラッセに条件を出した。そのあまりにもあり得ない条件にもラッセはやっぱり一つ返事で了承して。
もしかして結婚式で号泣するほど喜んでいたわりに誓いのキスが頬だったのはそういうことだったのかな、と今更ながらカヤは気付く。
そういえば書類上だけとはいえ妻だったのに、彼から触れてきたことはあれだけだったなとも。狂気の沙汰だ。だって彼の中では抱くどころか指一本触れられない女を娶ったことになる。
愛情がよくわからないカヤでも、たぶんそれはさすがに自分の事が好き過ぎるのではないかなと思う。
過去にカヤはラッセに何故、自分の事を好きになったのか尋ねたことがあった。
初めての宣言通り、嘘偽りなく一目惚れだった。ラッセ曰く、カヤを見た瞬間、ビビビッと電流が走ったというかアレはドーン!と雷直撃だったとのこと。
それからは一緒に過ごすうちに更に好きだなーって思う所を見付けまくって、今はぜーんぶ好きだよ♡とのことだった。
でも己の目に全幅の信頼を置いてる彼らしい答えだなとカヤはなんとなく納得している。
見る目には自信しかないよ!と主張だけあって、ラッセは事実、素晴らしい鑑定眼の持ち主だった。
ガラクタ市に行けば毎回必ず貴重な魔石や魔道具を掘り出すし、美術館で贋作を指摘したのは一度や二度ではなく、加えて彼の見込んだ芸術家は必ず大成した。
とにかく彼の目は価値を見極めることに特化していて、おかげで鑑定の魔眼持ちの教師が「なんで初級魔法すら使えない一般人が古代の隠蔽魔法看破してんだよ!!」と怯えていたのは記憶に新しい。
それなのに何故、ラッセは私などを見出したのか。カヤには不思議でしょうがなかった。
「以前キミにも話したし、たぶんキミのことだから個人的にも調べてると思うんだけど。私の家庭環境はあの通りだから」
「うん」
「……産んだとしても愛してあげられるか、わからない。キミの子供に酷い事したくない。だから、ごめん」
それにキミのことだって、キミの好意を利用するだけしておいて返せてない。その事実を改めて思い返し、罪悪感に胸が重くなる。
私の一方的な押しつけに笑い所なんてなかった。なのにラッセは緩やかに微笑む。
「大丈夫だよ、カヤ。跡継ぎに養子もらうのなんてよくある話だから。それにうちの場合、規模が規模だし、いざという時の準備は元から整えてる。俺も親父も、祖父とは血が繋がってないしね」
彼の虹色と視線が交わる。普段ずっと賑やかに輝く瞳は今は嘘のように凪いていた。
こんなに穏やかなラッセを見るのは初めてだから、なんだか落ち着かない。
慣れない空気にそわそわしていたカヤへ、一転してラッセはいつものニコーっと人好きする笑顔を見せる。
「いや~、それにしてもうちの侍女がごめんね! 諦めてた俺の結婚で張り切ってたのは知ってたけど、そんな衣装まで用意してたなんて……俺の好み、ドンピシャすぎるけど誰が選んだんだろ」
「……あの、違うんだ」
「ん? 何が?」
「その、私が、お義母様に相談して選んだから。少しでもキミに喜んで、ほしくて」
カヤが白状し終えると同時にスンッとラッセが真顔になる。
今まで数える程度しか見てないが、彼がこの顔をするのは決まって、それ意味がわかると怖い話では……?的なことを言う時だ。余計な気を回してしまっただろうか。
カヤは知らなかった。ラッセは喜びに関しては感極まると涙が止まらなくなるが、それ以外は愛情にしろトキメキにしろ欲情にしろ、感情がキャパを越えると一周回って真顔になってしまう性質だと。なので今の彼は言わずもがなである。
むくりと無言で起き上がったラッセに、カヤは押し倒される。見上げる形になった彼の感情をカヤはまだ読めずにいた。
「カヤ、先に謝っておくね。ごめん」
何をとは聞けなかった。ラッセが浮かべた獰猛な獣の笑みに言葉を失う。ギラついた虹彩に映る哀れな獲物はどうしたって自分で。
状況を理解しきれていないカヤの唇をラッセはかぶりつく。ファーストキスとするには可愛くも優しくもないそれにカヤの混乱は更に深まった。
そうしてそのままカヤはもうそれはそれは放送禁止用語でしか表現できないような目に合わされたし、ラッセはもう終始言うこと全てに♡付けまくりでかつてないほどクソうるさい上、途中で笑いながら泣き出すとかめちゃくちゃ忙しない状態で、二人の初めての夜は過ぎていったのだった。