第三百七十六話 雨下の暗殺者 Ⅰ
口に含んだ針は、完璧な軌道を描き、彼女の目へと進みますが、その直前で間に挟まれた腕によって弾かれ落とされます。....仕込み甲冑でしょうか
そうして、もう一つ、先ほどと同じ着弾点を目指し針を袖下から投擲します。
しかし、彼女はその存在そのものを察知できず、それは彼女の右目に着弾します。
「.....くっ!!!」
「....ははは、神の代行者などと申しましても所詮は人の子ですな....痛みには抗えず、能力の限界もある」
「我が腕は全てを断罪する断頭台」
「........ええ、どちらかが果てるまでお付き合いいたします」
.....なるほど、目を潰されてもなお向かってきますか。
それも当然の帰結ですね、私に顔を見られた以上逃げ出すわけにはいかない。
しかし、これで彼女の能力に見当がつきました。
彼女の能力は、おそらく、物体や空間の温度を可視化する「サーモグラフィー」でしょう。
私の体温が移り、温度をもった針を回避できたのにも関わらず、袖下に仕込んだ針が回避できなかったことがその証左とも言えます。
ここで、能力を断定するのは危険ですが.....ここは私の直感を信じましょう。
とは申しましても、彼女が私に一方的に攻撃できると言う状況に変わりはありません。
私はどうしたものかと思考を巡らせます。
その間にも、私の体は切り裂かれる。
そこでふと記憶の底から浮かび上がるのは、少年時代の記憶です。
私の故郷の冬は厳しいものでした。そんな我が故郷では冬至の祭が執り行われておりました。
農作業の仕事納めの後、
村の共有財産である、巨大な鉄鍋で冬眠前の母熊を捕え、その肉や味噌、ニンニク、大根などを煮詰め鍋を作るのです。それを村の住人皆で食らい、厳しい冬へ耐えられるだけの体力をつけるのです。
重要なのはその鍋の行方です。巨体の熊を丸々一頭収めることができる巨大な鉄鍋を保管しておける建物は貧しい私の村にはありませんでした。ゆえに、村の外れに立てかけておいておく。
そうして、寒空に置かれた鍋はみるみるうちに熱を失い、氷と大差ないほどに冷えてしまうのです。
置いてから、数分もすればそれまでに蓄えていた熱気は雪の下へと消えてしまうのです。
どうやら、鉄を含む金属は熱し易く冷め易いという特性を持つそうです、この現象を「熱伝導性」という名で呼ぶとホワイト殿は仰っておりましたが.....
そうして私は、己の中の獣性へと手をかけます、しかし、ほんの少しの恐れもありません。
我が友が開け放ってくださったこの扉は、もう私の力の一部に過ぎないのですから
そうして全身を鋼へと変えます。自身の体から急激に熱が逃げていく未知の感覚をどのように表現しようかと頭を悩ませながらも、私は彼女を見据えます。
「........獣人、どこへ消えた、まさか逃げるのか?」
ここで初めてニンゲンらしい言葉遣いになります。
「申し上げたでしょう?......どちらかが果てるまでお付き合いいたします、と」
「正義の名の下に、神の代行者が成敗する」
「貴女のお言葉を借りるならば、私は我が理想の名の下に、貴女を成敗いたします」




