第三百七十四話 ヤヌス神 Ⅱ
私の気配に気がついたのか、『ドア男』はゆらりと立ち上がります。
手には、大振りなナイフが握られています。
その身長は男性のものとしては平均的、というよりはむしろ低い。
顔はおろか、その姿さえも暗さのせいで判然としません。
娼婦は、その隙に逃げ出してしまいます。
私と『ドア男』が対峙する。
「.........貴方が『ドア男』で間違いございませんか?」
『ドア男』は何も言いません。
「..............」
「沈黙は肯定と見做しますが、よろしいでしょうか?」
しかし、彼は依然として沈黙を貫いています。
「.............」
「では、失礼して」
そうして、私は『ドア男』へ向けて、飛び蹴りを放ちます。
しかし、それは彼の肉体を捉えません。
ギフト....ではありませんね、あまりの暗闇で彼が移動したことに気が付かなかったのです。
嗅覚も、聴覚も次第に勢いを増していく豪雨の中では意味をなさない。
その礼だとばかりに、私の体が刃物で切り裂かれてしまいます。
その不平等な攻防を幾度となく繰り返します。
今の私は五感の全てを削ぎ落とされ、荒野に放置された獣.....彼は差し詰め狩人といったところでしょうか....
しかし、妙ですね......私の眼窩に映るのは常人であれば、歩行することもままならないような暗闇。
ただ、『ドア男』は一切の迷いもなく正確に私の体を抉ります。
先日、ホワイト殿が推理された通り、なにか暗闇の中で周囲の情報を得る手段を持っているということでしょうか....それが魔術かマジックアイテムか、それともギフトか.....そのように思案しつつも攻防を繰り広げている私は、強風によって街を覆っていた分厚い雨雲が、姿を変形させます。
そうして、一瞬出現した雲間に、赤い月の姿を認めます。
....なるほど、これもまた試練なのでしょうか。
私は改めて、武術の構えを取り、目を閉じ、『ドア男』の気配を探ります。
彼の獣の如き息遣いが、そして微かに香る油のような匂いが、その全てが私の脳内に彼の肖像を描きます。
彼の動きを完璧ではないにしろ、読み取ることができます。
「そこです!!」
私の裏拳が、私の右後ろから首を掻き切ろうとした彼の顔面を掠めます。
無機物の感触....おそらく、仮面でしょうか...それが地面に落ちる音は雨音にかき消されて私の耳には届きませんが....一瞬、暗闇に差した丹色の月光がその顔を照らし出します。
「........なるほど、『ドア男』......という呼び名は....いえ、このように名付けた方を責めるわけにはまいりませんか.......」
『ドア男』は、彼ではなく彼女だったのですから.....
ブクマ感謝!!!




