第三百六十一話 擬態
私は今日の仕事を終え、自宅への帰路に着く。普段も鍛錬に、町の治安維持にと激務だが、ここ数日は余計に体が重い。.........【主人公】さんがこの街に来てからだ。
彼は、タイタニック号において乗客、そしてセレス様の命を救ってくださった大恩人だ。それに、船上での戦い....あの姿はまさに「無双」であった。
そのお姿にセレス様が一目惚れをしてしまわれた、私はその話を初めて聞いた時、自分の心が粉々に砕け散るような心地がした。
......無理もないのかもしれない、片や自分を四六時中、揶揄う田舎騎士。片や、自身の命を救った英雄。....セレス様に限らず、大半の女性が後者へと傾くだろう。
しかし、私はショックだった.....セレス様とは少なからず心を通わせたつもりでいた。彼女とはただの従者と主を超えた絆を育んだつもりだ。私は政務に追われる彼女の肉親に代わり、彼女と多くの時間を過ごした。彼女に乗馬を教え、礼儀作法を叩き込み、彼女とさまざまな話をした。
......いや、負け犬の遠吠えか。敗者である私が、セレス様の幸福を邪魔するなどあってはならない。
最初こそ、なんとか阻止しようと躍起になっていたが、【主人公】さんが婚姻に乗り気だと知ってからは......彼らの婚姻を見届けたのちは職を辞し、ソラリスへ渡り獣狩りでもしようかと考えを改めた。
そんなときに事件はおきた....あの男はあろうことか....未成年であるセレス様に酒を飲ませたのだ。彼ら庶民の未成年飲酒と貴族のそれではわけが違う。帝国に発覚したら、最悪、セレス様は修道院送りになってしまうかもしれないのだ。そんなことになってしまったら、セレス様は結婚どころか、この貴族の身分さえも脅かされてしまう。
.........結局は私の勘違いだったのだが、いや、あれも体のいい言い訳にすぎない可能性もある。そもそも、酒の入った菓子如きであそこまで泥酔するだろうか。
....あの男、底がしれない。仲間と旅をしていると聞いていたが、それを放ってまで出会って数日の女性との人生を選ぶのだろうか......聞いたところによれば、この渡航に際しても、「あの」ウォレス辺境伯とモメたそうだ。そうまでして続けた旅を、こうも簡単に手放すことができるのだろうか.....、仮に彼が本心から旅と仲間を捨て、セレス様と結ばれようとしているのならば、そのような男がセレス様を生涯にわたって愛せるとは到底思えない。セレス様は捨て置かれ、愛人を作られるのが関の山だ......などと考えていると商人エリアに差し掛かる。
道の端には『占い なんでもあてます』なんていう怪しい看板を立てかけた見窄らしい男が座っている。....顔はフードをかぶっていてよくわからないが.....口髭、は付け髭であるし....目を覆うサングラスも安物だ。.......気狂いか、物乞いか.....いずれにしても関わり合いたくはない...などと考えていると彼方から声をかけてくる。
「そこの騎士殿.....お待ちを」
私は苛立ちを隠せず少しぶっきらぼうに言い返す。
「.....今は生憎、そのような子供騙しに付き合う時間もございませんので、あなたもこの町の夜は危険だ。今日はこれで温かいものでも買って.......」
そう言って、懐から取り出した銀貨を押しつけ立ち去ろうとする。しかし、その占い師は私の腕を掴むと妙なことを言い出す。
「.......アレス・ヤードマン、二十一歳....牡牛座の月の生まれ.....最近の悩み事は主人と流れ者の関係.....どうですか?」
男は私の名前に年齢、生まれた月....それにここ数日の悩みさえもぴたりと当ててみせる。
「.....あなたは、いったい?」
「私はしがない占い師.....どうです?この銀貨のお礼にあなたの相談に乗らせていただけないでしょうか?」
「........お願いしても?」
思えば、この時の私はどうにかしていたのかもしれない。.....いや、それほどにセレス様への気持ちが膨らんでいたのか.....
「では、ズバリ当てて見せましょう....あなたはそのご主人様に恋をしていると!!!」
私の体はその言葉に落雷のような、衝撃を受ける。....そうだ、私はセレス様をどうしようもなくお慕いしているの
だ。
「ええ、おっしゃるとおりです.....私はお慕いしている主が、出会って数日のお方に心惹かれつつあることに嫉妬しているのです」
そう言葉にすると、体がどんどん軽くなっていくと同時に従者として許されざる感情であると改めて自覚する。
すると、占い師はわざとらしく水晶玉を擦り始める。
「......なるほど、ふむ.....しかし、それだけでは情報のピースが足りませんね....何か他に....そうだ!....あなたのお腹の傷と部屋に飾られている包帯についてうかがっても?」
このようなことまで知られているなんて.....私は驚きに混じって恐怖すらも感じる。
「あなたはどこまで....」
「さあ、お聞かせください」
しかし、これで、この状況が打開できるのならば....セレス様が幸せな結婚をできるのであれば恐れるわけにはいかない。
「少々昔の話になります.......」
私は当時、主君から拝命を受けたばかりの新米騎士でした。私は、それと同時にセレス様....主の護衛騎士となりました。セレス様は当時から純真なお方で、私も己の身分を忘れて彼女に惹かれてしまいました。それから、数ヶ月がたったある日...私は、かねてからこの街を荒らしていた『家具職人』という殺人鬼の捜査へと加えられます。....父やベルボーイ殿の手伝いしかさせてもらえませんでしたが....それから数日が経って、ある夜...私はついに『家具職人』の殺人現場を目撃しました。そこからのことはあまり覚えてはいませんが、腹に傷を負いながらも奴を逃さぬようにとにかく必死でした。
そうして、私は屋敷で主君と仕事をしていた父に『家具職人』の身柄を預けるべく、屋敷へと向かいました。
そこで、当時九歳だったセレス様に鉢合わせてしまったのです。
彼女は
『あれす!!!どうしたのすごいけがじゃない!!!まってて、いまてあてしてあげるから!!!!!』
そう言ってご自身のシャツを躊躇いなく破き、包帯のように傷口へ巻いてくださったのです.....あなたがおっしゃる包帯というのはその時のシャツのことでしょう。
..........私はそれ以来、あらゆる意味でセレス様を愛しております。もちろん、それがきっかけというだけですが....それ以来、彼女の持つ優しさという面に目を向ける機会が多くなりました。
わたしは彼女の純粋な優しさをを守りたい。
できれば夫として。
しかし、想いを伝えるわけにはいきません.......私は一介の騎士。貴族法では騎士の人間と貴族との婚姻は推奨されていますが、私という人間とセレス様は釣り合いません。セレス様は純粋で、お優しくて、聡明で、お美しい。私はといえば、少し腕が立つだけ。
故に私はこの気持ちに蓋をしよう...と考えていたのですが...
「.....ということです。.....占い師殿、このようなことをお聞きするのはお門違いかもしれませんが....お教えください.....【主人公】という若者はセレス様を幸せにできるのでしょうか?」
占い師は少し考え込むようなそぶりを見せ、答える。
「.........難しいでしょうな」
このような得体の知れない人間の言うことを鵜呑みにするわけではないが...ここまで他人に話して確信した。
すくなくとも、あの男ではセレス様を幸せにはできない。
「では、やはり....!!」
しかし私のそんな言葉に被せるように占い師は口を挟む。
「ですが、代案ののない否定は不幸を呼び寄せます」
私はその言葉の意味を測りかねる。
「.....代案?」
「ええ、代わりの候補を示さずにただ、その【主人公】という方を貶めるだけでは、聞き入れられないでしょう.....あなたが最もセレスという方を幸せにできると確信を持てる人物を一人、挙げることが必須です」
.....そんな人間いるのだろうか、...........いや、いるかもしれない...少なくとも彼女を世界一愛している男ならば、ここにいる。
「....それは...ほんとうに、それをしなければならないのでしょうか?」
「ええ、私を信じて」
「..........」
「ご安心を私は『恋愛マスター』ですので」
恋愛マスター.....その響きを思わず信頼できると感じてしまった私は末期なのかも知れない.....恋という病の