第二百九十三話 THE PRINCESS
劇場内の照明が消え、ステージ上がライトアップされる。
そうして、ド派手なギターサウンドと共に壇上へ現れるのは、この世のものとは思えない美しい女性。
彼女が歌うのはオペラのような荘厳な曲ではなく、アメリカのロックバンドが歌うような荒々しくもどこか凛々しい曲だ。彼女の喉へスピーカーが埋め込まれているのではないかと疑ってしまうほどの美声に、俺含め会場中の男がうっとりとしているのがわかる。頭の中がぐるぐると回っているような奇妙な錯覚を覚える。俺は経験したことはないが、これがトリップというやつなのだろうか....
横にいる怖いお兄さんも恍惚とした表情を浮かべている。
曲の歌詞はよくわからなかったが、ワガママな婦人とそれに振り回される世話役の男の苦労について歌ったもののようだ。
ふと、脳裏にはアンジーの姿が思い浮かぶ。まだ、恋人らしいことを何もできていなかった......わがままを聞くなんてもっての外だった。帰ったらたくさんわがままを聞いてあげよう。そんなことを考えているとほおを水滴が伝う。それに気がつくと同時に、劇場内が明るくなる。一時間は歌うと聞いていたが、まるでそれが一瞬に感じるような至福のひとときであった。そうして、歌手の女性がステージを降りる。そのまま舞台袖に引っ込むのではなく、客席を一周してから戻るようだ。ファンサービスだろうか....彼女は二人の屈強なボディーガードを引き連れて、観客たちの握手に応じたりしている。そうして、俺の横を通る。そんなとき、彼女が俺へと話しかける。
「どう?退屈な沈黙だった?」
俺は一瞬唖然とするも、その歌手の正体が先ほど路地裏で出会ったミアだと気がつく。
「い、いえ..サイコーでした!!」
「ふふ、よかったわ」
なんとか絞り出したその言葉に満足したのかミアは、なにかを俺のシャツの胸ポケットに突っ込むと去っていく。
そうして、ミアが舞台裏へ消えたのと同時にアナウンスが入り、今日の公演は終了したことを告げる。
すると、横にいた例の男が俺に話しかけてくる。
「ミアはいイイ女だろ?あれで歌まで上手いんだから反則だよな」
男はまだ余韻に浸っているのか、その口調はどこかゆったりしている。
「はい!」
「ところで、さっき歌姫と話してたようだが......どうしたんだ?」
俺はさっき路地裏であった出来事を話そうとして一瞬立ち止まる。俺の直感がそれを告げてはダメだと警告している。
「じ、じつは.....公演が始まる前にエントランスであってサインを書いてもらったんです....それを覚えててくれたみたいで」
「なるほどね....サインもらったうえに直接話せるなんてツイてるじゃねえか」
「ええ、サイコーにツイてます」
「じゃあ、坊主....またどっかで会えたらチキンを奢ってやる、じゃあな」
「はい、ありがとうございます」
俺は男を見送ったのち、席を立つ。そして、劇場の売店でお土産のポップコーンを購入し帰路に着く。フレーバーはチーズとソルトにした。
........そういえば、あの人の名前聞いてなかったな。
ベガが劇場を出たところで、それを待っていた彼の部下らしき若い男がベガへと話しかける。
「ベガさん....探しましたよ」
「ポインターか.....相変わらずの白髪頭だな......んで、どうした?」
「ダックマンの奴が一昨日行った売春宿の場所を突き止めました」
そう言うと、部下は懐からメモを取り出す。
それを読んだベガは表情を一切変えず口を開く
「おーけー.....俺一人で行くからお前は帰っていいぞ、ところで育毛サロン...紹介してやろうか?」
「承知しました......機会があれば、ぜひともお願いします」
そう言って部下は人混みへと消える。
それを軽く一瞥したベガはタバコへと火を点けつつ、裏通りへと入る。
「くっそ....俺も早く来ればサインもらえたかもしれねえってのに........ツイてねえな」
PRINCESS:お姫様