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第二百四十五話 神が棄てたとしても

私の名はクリス・ハート。今年で二十八歳になる聖職者だ。私は、とある国の貴族の次男として生を受けた。私の家族は先祖代々、熱心な使徒教徒であった。ただ、私は違った。神なんてものはこの世に存在するはずがない、でなければこの世に不幸な人間がいるという事実に矛盾してしまう。

この世界において、不幸はありふれている。貧困、暴力、陰謀そんなもので満ちている世界で、不幸にならないほうが難しいというものだ。

とはいっても、私は裕福な家庭で育った。父は厳格であったが、私が女神様に忠実な使徒教徒である限り私を可愛がった。自惚れではなく、私は自慢の息子であったのだろう。優れた剣の才能に、聖属性魔術の才覚、そして表向きは熱心な信仰心。私は、故郷では「ハートの獅子」などと呼ばれた。悪い気はしなかったが、窮屈だった。

私の故郷では使徒教徒の教えに反していないか、互いが互いを監視していた。....これは比喩ではない、現に私の親戚の家では隠れて肉食をした庶子が鞭打ちの罰を受けたと聞いた。誰も本当の私を見ていない。興味があるのは、神に忠実な名士。


だから、私は隠れて娼婦を買い、肉を食い、酒を飲み、女神に唾を吐いた。

だから、バチが当たってしまったのだろう.......神など、誓って信じてはいないが。


七年前、実家の熱心な信仰心や、使徒教への不満が溜まっていた私はアルトーレの美術館に飾ってあるという、ピグマリオとかいう使徒教徒の芸術家の作品を鑑賞すると言う名目で帝国を訪れた。

この地では、白昼堂々、肉を食らい、酒を飲み、女を抱くことができた。


しばらくして、それに飽きた私は、獣狩りの真似事をすることにした。

ただ、少々傲慢が過ぎたようで、獣の群れに囲まれてしまった私は、生きるか死ぬかの重傷を負った。


そうして、命からがらたどり着いたのがこのカクタスタウンだ。

この街の酒場の娘であるメリーという少女が私を看病してくれた。

金髪、そばかす、コロコロと変わる情緒豊かな表情、特別美しいわけではなかったが、世界の誰よりも魅力的だった。

この時、私は恋をした。初めて彼女を見た時、私の下半身ではなく、心が彼女と恋人になりたいと叫んだのだ。

私は、傷が癒えた後も理由をつけてこの街にとどまった。

彼女は純朴で心優しい性格であった。故郷にいた、薄汚い貴族女どもとは違う。

彼女こそが「女神」であった。

獣が多いこの地域で、私のような腕利きの戦士は重宝された。

獣狩りとして、この地に根付くうちにメリーとはやがて恋仲になった。

彼女の父が経営する酒場の片隅で、酒の力を借りて行った告白だったが、彼女は泣いて喜んでくれた。私も泣いた。

彼女の父親も街の人々も私たちの関係を歓迎していた。

父や故郷の人間が当時の私を見たらなんと思うだろうか、禁酒を掲げる使徒教を信仰する一族の者が、酒場の娘....しかも使徒教徒ではない平民と恋仲になっているだなんて。


ここでの私の生活は幸せそのものだった。私は街の守護者として、獣を狩り、それを大きな街に売りに行く。

たまの休日には、二人で馬に乗りアルトーレまで赴き観光する。

かつてのような豪奢な生活ではなかったものの心の底から満たされていた。

ここでは、誰も私を「ハートの獅子」という名で呼ばない。「クリス」か「メリーの旦那」だ。

ここの人間は神ではなく隣人を信じるのだ。


当時の私は、この生活が永遠に続くものだと信じて疑っていなかった。


五年前、私が素材を近くの街に売りに行ってる最中。奴は現れた。私が「蝿の王」と呼んでいるそいつは、一夜にして町中の住人を、動く死体にした。かろうじて生き残った者から聞いた話だ。....彼らもすでに奴らの一部になっているが。

当時の私は、無我夢中で彼女を探した。



そうして、見つけてしまった。人の死肉を貪る獣となってしまった彼女を。


私が告白した時、大粒の涙を流した大きな瞳は白濁し、私と口づけを交わしたその口はだらしなく開き、唾液が垂れている。私への愛も、おそらく私自身さえも認識することもできなくなってしまった。


衝動的に私は彼女を拘束すると、かつて彼女と暮らしたこの酒場へ立てこもった。


幸い、私はここの死体に遅れをとることはなかった。


それからは、二、三週間に一度、近所の街へ買い出しへ行き彼女を着飾る化粧品や私たちの食料を調達する。

ここでの生活は歪ながらも安定していた。


ただ、なぜ、こんな街に自分を縛り付けているのかもはやわからなくなってしまった。



もしかしたら、私がここにいる限り、私が諦めない限り、この街はかつての姿を取り戻すかもしれない....そんな空虚な妄想に縋っているのかもしれない。




神がこの街を棄てたならば、私が拾い上げ、守り続ける。


いつの日か、本物の救世主が現れるまで





「...........うたた寝をしてしまったようですね、懐かしい夢をみました.....そうです、あなたと暮らしていた頃の夢ですよ、メリー」

彼女の頭を撫で、語りかけるも、かつてのように答えてはくれない。


にわかに外が騒がしい


「.............外が騒がしいですね、旅の方でしょうか?」


そうして、私はその騒音の正体を探るべく外へ出る。



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