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まだ終わっていない

 空気が変わった。


 冗談でも気のせいでもなく──

 “部屋そのものが、生き物みたいに息を飲んだ”ような圧があった。


 真白が小さく肩を震わせ、迅は反射的に俺の前へ半歩出る。


「……今の、また篤に……?」

真白の声は細い。


 俺は答えられなかった。

 喉が動かなかった。

 あの“ノック”が、頭蓋の内側から響く感覚がまだ残っていた。


 因幡教官だけが、微動だにせず言った。


「赤木。目を閉じるな。

 ──私の声だけを聞け」


「は、はい……」


「いいか。外からの干渉は“入口”が必要だ。

 いま、お前の意識がその入口になっている」


(入口……俺が……?)


「赤木、深呼吸しろ。ゆっくりだ」


 教官の指示通りに呼吸すると、胸の奥でざわついていた何かが少し引いた。


 だが──


 その瞬間、


 コツン。


 まただ。


 今度は、はっきり“扉を叩く音”だった。


(……やめろ……)


「教官、篤が……!」

真白が慌てて立ち上がる。


 因幡教官は片手で真白を制し、

 もう片方の手で俺の額を押さえた。


 触れるか触れないか、ぎりぎりの距離。


「赤木。聞こえるか」


「……はい……」


「それは“従来の魔物”ではない。

 お前に干渉できるほどの個体は、浅層には存在しない」


(俺も……そう思う……)


「つまり、八階層で遭遇したアレは──

 **深層の性質を持つ存在が、上まで“出た”か、

 何者かが“引き上げた”**んだ」


 迅が息を呑む。


「じゃあ……地上にまで……?」


「そこまでは上がれない。

 だが、上がろうと“試す”程度なら、できる可能性がある」


(試す……)


 冷気が背を走った。


(俺を……?)


「赤木。お前はまだ繋がれている。

 だが繋がりは『細い』。

 切れる。今なら確実に」


 因幡教官はそう断言した。


「意識を引け。

 こちら側を“自分の場所”だと再確認しろ」


 現実感が少し遠のいていたのが、教官の声で引き戻される。


 真白と迅の姿。

 白い天井。

 機械音。


(ここが……俺のいる場所だ)


 深く、意識の底に杭を打つように思う。


 その瞬間──


 ノックは止んだ。


 完全に。


 静寂だけが残った。


「……赤木。今の感覚は?」


「……切れました。さっきの……繋がりが」


 自分の声が震えていた。


 因幡教官はようやく手を離し、小さく息をついた。


「よくやった。赤木。

 ──今のは“呼ばれた”んじゃない。

 確かめられたんだ」


「確かめ……?」


「お前の反応を見ていた。

 次に来るときは、もっと強くなる」


 真白が唇を噛む。


「そんな……じゃあ篤は……」


「守る。私が。

 ──そして二人もだ」


 迅が頷く。真白も涙目で頷く。


 因幡教官は俺に向き直った。


「赤木。

 もう“新人”では済まされない。

 お前は今日から、私の直轄訓練班だ」


「直轄……?」


「そうだ。

 本来なら初任務後は一週間の回復期間を取る。

 だがこの件は特殊だ。

 お前の制御訓練を、明日から開始する」


 真白と迅が同時に驚く。


「け、教官、それは……!」


「二人も参加だ。

 赤木だけを強化しても意味がない。

 あのイレギュラーは“班”を狙う。

 三人の連携力を上げる」


(……班を狙う……)


 あの影の“視線”が蘇る。


「赤木」


「はい……!」


「お前は鍵だ。

 それは厄介でもあり──強みでもある」


 因幡教官ははっきりと言った。


「恐れるな。

 恐れたら、向こうの“思うまま”だ。

 お前はまだ勝っている。

 倒れたが、戻ってきた。

 向こうは繋ぎきれなかった」


 その言葉に、胸が少しだけ熱くなる。


「だから──立て。赤木。

 次は制御だ」


 教官の言葉が、静かに落ちる。


 その時、

 俺の中ではじめて“覚悟”が形になった。


 逃げようがないなら。

 なら──


(……やるしかない……)


「……はい。お願いします。教官」


 因幡教官は小さく頷いた。


「よし。

 じゃあ赤木。まずは──」


 教官が言いかけたその時。


 医療区画の照明が再び明滅した。


 だが今度は“ノック”はない。


 ただ──

 システムが微かにざわつく音だけがした。


(……これは、違う……)


 因幡教官も眉をひそめる。


「……上の層で何か起きたか?」


 迅が言う。


「違う。これは“局内の揺らぎ”だ」


「局内……?」


 俺と真白は思わず声を揃える。


 因幡教官はすぐにモニターを確認し、険しい顔になった。


「赤木。

 お前の“干渉痕”が、まだ完全に消えていない」


「え……?」


「そして、その残滓に“外”が反応している」


 背中が凍る。


(外……?)


「赤木。

 このままでは──“帰ってくる”。」


 因幡教官の声は、かすかに震えていた。

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