接触の余波
──目覚めた場所は白い天井だった。
重い。
まぶたが鉛みたいで、なかなか開かない。
鼻にツンとくる消毒液の匂い。
遠くで機械が一定のリズムで点滅する電子音。
(……ここは……医療区画か)
意識がようやく戻ると同時に、
頭の奥がズキリと痛んだ。
「……っつ……」
「目、覚めた?」
聞き慣れた声。
ゆっくり視線を動かすと──
真白が、俺の枕元に座っていた。
泣いた直後みたいに目が赤い。
「よかった……ほんとに……」
「お、おう……そんな心配するほどか……?」
「するに決まってるでしょ。
だって、倒れた時、息……すごく浅くて……
迅なんて、あたしより青ざめてたんだから」
「いや、青ざめたのは真白だろ」
ベッドの向こうから声がした。
迅が腕を組んで立っていた。
眉間の皺はそのままだが、口元だけ少し緩んでいる。
「赤木。無事でよかった。
……あのまま戻らなかったら、因幡教官に俺が殺されるところだった」
「……教官、相当キレてる?」
「キレてはいない」
迅は言いながら目を逸らす。
「ただ──“全員連帯で再訓練”と言われただけだ」
「それキレてるやつじゃん……!」
俺がそう返した瞬間、
部屋のドアが、控えめにノックされた。
コン、コン。
その音が一瞬だけ、
八階層で聞いた“あれ”と重なる。
(……コツン、コツン……)
反射的に背筋が強張った。
「入る」
迅が声をかけると、
医療スタッフが顔を出した。
白衣の若い男性──名前は名乗らなかった。
モブ職員だが、必要最低限だけ話す。
「赤木さん、少し動いても平気ですか?
意識の混濁はありませんね」
「あ、はい。大丈夫……だと思います」
「では診断を終えたところなので、状態の説明だけ。
命に別状はありません。脳の負荷による短時間の失神です。
精神干渉の可能性もありましたが、強い痕跡はありません」
(精神……干渉……)
心臓が、どくりと脈打つ。
「赤木さんのスキル《展開型バリア》と、
相手の“圧”が衝突していたような兆候はあります。
ただ──これは正確な判定ではありませんので」
「……わかりました」
医療スタッフは軽く会釈して出ていった。
名前は最後まで言わなかった。
(……助かった、モブで済んだ……)
そんな場違いな安心を覚えたところで──
「起きたか、赤木」
鋭い声が室内の空気を締めた。
因幡教官だ。
白衣ではなく、訓練服のまま。
髪は耳の後ろでまとめ、表情は無表情……に見せかけて、
その奥に、はっきり“怒りと心配”がある。
「教官……」
「まずは、生きて戻ったことを評価する。
次──勝手に倒れるな」
「いや、それ俺の意思じゃ……」
「知ってる。だが倒れたのは事実だろうが」
ぐうの音も出ない。
因幡教官はため息をつき、
ベッド脇に椅子を引いて座った。
「赤木。
“何が見えた?”」
真正面から、逃げられない目。
俺は喉がひりつくのを感じながら、
ありのままを話した。
影に“叩かれた”こと。
名前を呼ばれたような感覚がしたこと。
バリア越しに何かが入り込んできたこと。
全部、嘘なく話した。
話し終えると、
因幡教官は険しい顔のまましばらく黙り込んだ。
「……赤木」
「はい」
「おそらく、あれは“深層イレギュラー”だ。
そして──通常の魔物とは異なる“意図”を持つ」
「意図……?」
「魔物は人間の“名前”を認識しない。
認識できない。
だが、赤木──お前は呼ばれたと言ったな?」
「……はい」
「ならば、あれは……“お前を知った”。」
(……知った……?)
「ただの敵意でも、ただの暴走でもない。
相手は“選んで”繋ごうとしてきた。
その対象が、お前だった」
「…………」
真白は顔をこわばらせ、
迅は視線を落として拳を握る。
因幡教官は続けた。
「赤木。
お前のスキルはバリア系としては珍しく、
“精神干渉耐性”が初期から強い。
だが逆に──」
教官は俺の胸元を指先で軽く示した。
「“繋がれやすい”側面もある」
(……繋がれやすい……)
あの“ノック音”が脳裏に蘇る。
コツン──。
あれは、呼ぶ音だった。
「でも教官、それって……」
真白が震える声で言う。
「篤を……狙われる理由になるってこと、ですよね……?」
「十分にあり得る」
因幡教官は迷いなく言った。
「だが同時に──赤木は“鍵”にもなり得る」
(鍵……?)
胸がざわりと波立つ。
「赤木。
あれは間違いなく異常個体だ。
そして……もっと大きな“何か”に繋がっている」
教官の瞳は数秒だけ、
ほんの少しだけだが、深い影を宿した。
「赤木。
お前は選ばれたんじゃない。
“見つかった”んだ」
その言葉に、喉がひりつくほど乾いた。
「……これからどうすれば……」
「まずは、徹底的に“制御”することだ。
バリアも、お前自身の感応も。
今回のような干渉が再び起きた場合──
今度は戻れない可能性がある」
真白が息を呑む。
迅が奥歯を噛む音がした。
(戻れない……)
そんな言葉を軽く使う人ではない。
因幡教官が言うなら、本当に危険なんだ。
「赤木」
「……はい」
「お前はまだ初任務の途中だ。
だが、この件は“任務格上げ”として扱われる。
次の行動は──私と一緒に、だ」
「教官と……?」
「そうだ。
あのイレギュラーを放置すれば、確実に上へ広がる。
その前に、私たちで抑える。
──特に、お前はな」
因幡教官の声が、静かに鋭くなる。
「赤木。
“お前はあれに触れられた”。
つまり、お前はこの件の中心に立ってしまった。
……覚悟はあるか?」
重い問いだった。
でも、逃げる気はなかった。
怖かった。
でも──
「……あります」
その答えを聞いて、
因幡教官はほんの少しだけ目を細めた。
それは怒りでも苛立ちでもない。
ごくわずかだが、
教官としての“認めた”色だった。
「よし。
では、次の行動に移る」
その瞬間、
部屋の照明がふっと揺れる。
電子音が、一瞬だけ乱れた。
(……また……?)
脳の奥で、
微かな“ノック音”が鳴る。
コツン。
さっきより小さい。
でも確かにあった。
(……まだ繋がってる……)
背筋が冷たくなる。
因幡教官も、何かを察した顔をした。
「赤木──そのまま動くな」
その声は、明確な警告の色を帯びていた。




