イレギュラー3
──重い、深層の咆哮。
バリア越しでも鼓膜が震える。
八階層の空気が、まるで水の中みたいにねっとりと重くなる。
「篤……気を付けて」
真白の細い声。
「赤木、前だけ見ろ。俺たちが左右は押さえる」
迅の低い声。
二人の存在が背中に熱をくれる。
(そうだ……ひとりじゃない)
俺は《展開型バリア》を前方だけに集中させ、
形を“盾”のように固めて歩き出した。
敵の影は、まだ姿を明確に見せない。
けれど──確かに“俺だけ”を見ている。
(この感じ……前にも……)
訓練中に数度だけ感じた“引かれる”感覚。
でも今はそんなものじゃない。
意識の奥底で、
誰かが小さく、やわらかく──
コツン、とノックをしてくる。
直接脳の内側を叩かれるような、得体の知れない音。
「篤? どうしたの、止まって──」
「……ノック、された」
「え?」
真白が目を瞬かせる。
「敵の……気配が、直接入ってくるみたいに……
“扉を叩かれた”感じがした」
「赤木。後退するか?」
迅が即座に判断を促す。
「いや……行く。
退いたら、この“繋がり”がもっと強くなる……気がする」
自分でも説明になっていない。
でも、確信だけはあった。
──逃げれば、追ってくる。
──立ち向かえば、押し返せる。
(たぶんこれは……俺じゃなきゃ受け取れない“感触”だ)
バリアが脈打つ。
影の中で、敵がゆっくりと形を変化させた。
人型のような。
獣のような。
建物みたいに大きくも見える。
「……来るぞ」
迅の声が鋭くなる。
次の瞬間。
“ぶれた”。
影が瞬間的に距離を詰め──
俺の目の前に巨大な“手”のようなものが迫る。
「篤!!!」
「赤木!!」
二人の叫び。
でも俺は、冷静だった。
「──《展開型バリア》・厚層固定!」
空気がひしゃげたような音と共に、
前方のバリアが極限まで密度を上げる。
ドンッ!!!!
衝撃が走り、床の石が割れ、壁が吹き飛ぶ。
だが──
俺たちは無傷だった。
迅が呆然と呟く。
「……赤木……今の、訓練じゃ見せてない……いや、できなかったはずだ」
「すご……! 篤、どうしたの……?」
「わからない。
でも……たぶん“あいつ”の引っ張りを押し返した反動で……
バリアが逆に強くなってる」
押されれば押し返す。
引かれれば、弾き返す。
まるで──
スキルが“相手の圧”を栄養にしているみたいに。
(これ……後で絶対因幡教官に怒られるやつだ……)
そんな冗談めいた思考が浮かび、
少しだけ冷静になれた。
「篤、次の攻撃──来る!」
真白の声に振り向くより早く、
敵の影が形を変えて襲いかかる。
流れるような“矛”の形。
深層魔物特有の“形状変質”。
それが俺のバリアに触れた瞬間──
また“音”がした。
コツン。
今度ははっきりと、脳内に響くほどに。
(……やっぱり……叩いてる……)
「篤!! 今のなに!? バリアが揺れた!」
「赤木、意識を持っていかれるな!」
俺は二人の声を聞きながら、
敵の影を見据えた。
(お前……何がしたい?)
問いを投げた瞬間、
影がふいに“止まった”。
そして──
“コツン、コツン、コツン”。
明確な三回。
規則的に。
まるでノックのように。
(……返事になってる……?)
敵が……答えている?
そんな馬鹿な、と思う。
でも、そうとしか思えなかった。
影の中心に、ぽつりと“穴”のような空白が生まれる。
そこから、なにかがこちらを覗いている。
視線ではなく──
対象を探して触れようとする、意志の手。
(……俺を“知ろう”としてる?)
その仮説が浮かんだ瞬間、
全身の血が凍る。
影が、微かに揺れた。
そして。
──“赤木”と呼ぶような感覚が走った。
声ではない。
単語でもない。
でも。
確かに“名前を呼ばれたような感触”があった。
「ッ……!」
胸を掴まれたように息が詰まり、膝が折れかける。
「篤!!?」
真白が支えに来る。
「赤木、離れろ! 意識を引かれてる!!」
迅の焦り混じりの声。
俺はふらつきながらも、影から目を逸らさなかった。
(……俺を……呼んだ……?
なんで……?)
その時だった。
敵の影が一瞬だけ“輪郭を整えた”。
──人型。
だが不完全。
崩れた粘土を無理やり形にしたような、曖昧な形。
胸のあたりが、わずかに光った。
(あれ……)
まるで。
俺の《展開型バリア》の核の位置と同じだ。
理解が追いつかないまま、影がわずかに腕を伸ばす。
その動きは──攻撃ではなかった。
“触れたがって”いる。
「……なんで……」
俺は息をのみ、
その“意図”がわかった瞬間。
影が──
呼吸のように、ゆっくりと収縮を始めた。
迅が叫ぶ。
「赤木!! まずい!! あれは──!」
真白も叫んだ。
「篤!! 逃げて!!」
俺の脳裏に、
“扉の向こう側の気配”が指を伸ばしてくる感覚が走る。
(繋がる……!
このままじゃ……!)
全身が、何かに飲まれそうになる。
影が、俺に手を伸ばし──
その“指先”がバリアの表面に触れた瞬間。
──世界が弾け飛んだ。
視界が白く埋まる。
音が消える。
意識がゆらいで傾く。
(……やば……)
だが、最後の瞬間だけ。
俺は確かに“音”を聞いた。
──コツン。
まるで合図みたいな、優しい音。
それを聞いた瞬間、
俺の意識は深い闇に呑まれていった。




