マリオネット
1
世の中にあるカガミには豹な魅力がある。
人はカガミの前では美しく見える。普段とは違うようなイケメンに見えたり、美人に見えたりする。カガミの前では美しいのにカガミ外ではとても見苦しいのだ、トイレに行っては手を洗いカガミを見るそして髪を直したり、メイクを直す。カガミの前ではいつもより綺麗に見えていることも知らずに。今日の俺私、イケてると偽りの自分に呟きながら…人間は醜い。
そんなことを考えながら行きつけのカフェに来たのだが、最近面白味がない面白味が無いが故にこんな変なことまで考えてしまっている。簡単に物事は進まないと分かりながらも行動に移さない、他人の悪口を吐いてはそんな自分に嫌気がさして落ち込む、それの繰り返しで暇を潰している。明日からは仕事で五連勤、そして土日休みでまた五連勤これの繰り返しそろそろ飽きたし違う仕事でも就こうかなと思うようになってきたが、今から転職をしてもまた同じよう日々が続くだけで憂鬱な日々を送っていくだけで、仕事が変わっても精神面は変わらない結局変化がない。それが俺にとっての転職の見解だ。上司が怖いから嫌いですとかセクハラパワハラが多いですという理由で転職するのであれば話は別だ、俺の場合はただ仕事そのものが飽きて嫌になっている。この状況での転職は無意味であり、無価値である。
人間って何だろうね、そんなこと考えだしたらもう終わり、夜も眠れなくなる。
俺の職業は某有名会社の営業部で暑い日も寒い日も外を練り歩いてノルマの本数仕事を取りに行く、朝から夕方まで外で営業に行き一本も仕事が取れずに帰ってくることはざらにある。最後に行う報告書には0本でしたなんて書いたら上司に怒られる。この場合は嘘の報告書を書くこともあるがすぐにばれてしまう、その場合うまく嘘を付く必要がある。ノルマと報告書は週末の金曜日にまとめて出す。何故そんなことができるのか、うちの部署の上司は金曜日にまとめてみている、そのため金曜日にまとめて出すことが可能なのだ。長年勤めてやっとのことで見出したコツだと言いたいところだけど、これぐらいのことは入社して一年もたたないうちにわかることだというのに俺の成果はこれだけ、ほかのみんなは上司と仲良くなって媚びを売ったり、同期とランチに行ったり。俺はというと誘われたことは一度あるが断っている、そういうのは苦手だ。友達を作ったり仲睦まじく仕事をするのが妙に苦手でどうしても奥手になってしまう、というかそういうのは興味が無いし友達なんていらない。結局人間と人間が仲良くできているのはどちらか一方か両方が気を使うことでしか成り立っていない。人が本当の意味での素が出るのは一人の時だけだ。そんなようなことが変な本に書いてあった気がするがおそらく違う、俺がそう思っているだけに過ぎない。こういう社交的でもない性格だからまわりからは嫌われているし避けられている。
これで仕事が減るかと思えば真逆、増えている。うざいからあいつきもいから仕事押し付けようぜってそんな具合で年々ノルマが増えている、そんなこんなんで今日も仕事に行く。
朝から夕方まで営業で色んな企業に訪問して一本も仕事をとれずに帰ってくる。そして怒られるそれの繰り返しそれが嫌ではないむしろ嬉しい。嫌われれば嫌われるほど孤独になり、一人の時間が増える。そうすることで自分の素が出てくる。自分の素を出せることはいいことだし健康にも良いだろう。
いつも通り俺は営業に出かけるのだがいつも使用する道とは違う道で行く事にした。
…あれ?道に迷った気がするいつもと違う道で行ったから迷ってしまった、とにかくまっすぐ進むことにした。もう一時間が経過しただろうかまだ涼しかった4、5月から7月の中旬。真夏で日差しが強く30度は超えているだろうかその中で俺は驀地に道を行く。もう限界が来たようだ。日陰を探していた俺はたまたま見つけた大きなマンションの路地裏に向かった。額に汗が噴き出ていたのでポケットからハンカチを出し、汗を拭いた。水筒の水はその気温とは真逆の温度で、のどを川のように流れていく感覚に涼しさと安心感を覚えた。ふと周りを見渡した時、妙なものを見つけた。太陽の光で反射していてよく見えなかったが確かにカガミのような光沢がある。俺が今いる位置からそこまで離れていないところにそれはあったため近くに寄ってみた。予想通りカガミではあったが頭だけ少し飛び出す形でこちらをのぞいている。俺は無性に全体像が見たくなり頭の部分を引っ張ろうとしたがうまく抜けない。ズズズと土とカガミの擦れる音が響いた。かなり姿が現れたがまだ3分の1ほどだろうかこれを見る限りかなり大きなカガミだ。
「変わった形。それにしても妙だなぁ、こんなところにこんな大きなカガミが埋まっているなんて。」すこし疲れた俺は左手に着けている腕時計を見た。あっヤバイもうこんな時間だ。予定の時間より大幅に遅れている、これはまた怒られるどころかクビになるかもな…。
俺の会社は営業で仕事を取りその会社にうちの商品を売買する。そのため営業の仕事は一番大切でここの会社での肝となる。電話で訪問先の会社にアポを取り会社に訪問する。それぞれの部署には仕事があるが営業部で仕事を取らないと年商は上がらない。開発部でソフトウェアなどは作っているがこちらから訪問して商品を売り出さなければ到底結びつかない、それだけ大切だと身に占めていたのに約束の時間を大幅に超えてしまう失態をしてしまった。
これでうちの会社の信頼度は下がり、今でも大変な営業がもっと大変になってしまう。でもそんなことはどうでも良い、信頼度が減ろうが仕事が減ろうが俺には関係ない上司には怒られるが怒られる方が俺にとっては好都合であり、上司からの信頼も落ちてクビになれば俺のお望み通り。となる所が全く違った、何も言われなかった。
俺の部署の上司の山田は「次から気を付けてね。」と気の抜けた声で言った。山田上司は最近話題のパワハラを意識して避けるために無関心であることを心がけているらしく、何も言わなくなり、喜怒哀楽が薄れていき今では無感情になっている。俺は他人が嫌いだがここまで無感情にはなっていない、まだまだ鍛錬が足らない。
こういうことを考えるうちに時間が過ぎて、次の訪問先の時間が迫ってきている。
俺は休日だというのにこんなところに来てしまった。例のカガミのある路地裏の所だ。前に図体の3分の1を引っ張りだしたが、時間が無く全体像を見ることができなかった。今日は休日なので時間がある今日こそ全体像を見る、そのために準備をしてきた、まず軍手、これは必需品だ。前にカガミの飛び出ているところ持った時すこし滑ってしまったこともあり、今回から軍手を準備する。もう一つはスコップ。これも欠かせない品物だが今回持ってきたスコップは鉄製でなくプラスチック製のスコップを準備した。万が一カガミに傷がついたら大変なことになる。
俺は左腕に着けている時計を見た、朝の10時を回っていた。いつもより早く起きて8時半には家を出ようとしたが、平日の疲れから寝坊してしまい、9時に家を出て今に至る。
俺は両手に軍手をはめてスコップを手に持ち、カガミが刺さっている付近の土を掘りだした。
ここの路地裏に面している両端の道は大通りで、平日の午前中はスーツを着た会社員がかなり多く歩いている。今日は休日なのであまり人は多くないが昼過ぎには人通りが多くなる。それまでには終わらせなければならいが、ここの路地裏はかなり暗いので通り過ぎただけではよく見えないだろうと思いあまり早く起きなった。これはただの言い訳。
時間の経過を感じなくなるほど集中していた。やっとカガミの半分が現れた、かなり歪な形でカガミ自体の形はよく見る長方形の全身鏡で周りの淵はぐにゃぐにゃした歪な形だが素材は木でかなり丈夫にできている。
あと半分だとは言ったものの実際にのこり半分か分からない。かなり大きいカガミのためどこまで深いところまで埋まっているのかさっぱり分からない。半分まで来たとそう思いたくて勝手に言っているだけに過ぎないのかもしれない。
2
徹夜明けで頭がボーとしている中後ろの方から声が聞こえてきた。声と同時にビックっとした大樹は後ろを振り返った。相棒である達也だった「大樹、例の件どうなった?」例の件というは窃盗事件のことだ。
「いや、まだなにも。」
「そうか、進展なしか。どこかに転がってないかな、路地裏とかにさ」達也は呆れた声で言った。
「あんなでかい物そこらへんに捨ててあるなんて考えられないな。」
「そもそも誰が盗んだか分からないのに、先に物を探すより犯人を捜した方が手っ取り早いのになあ、そう思うだろ?」
「まあそうだろうけど。そう簡単にはいかないもんだよ、世界遺産に登録されるんじゃねえのかっていうぐらいの品物だぜ。それは先に物を探すよ。」
「けどよ、らちが明かねよ。」
ちょうど1か月前歴史博物館で最古の鏡と言われている大きな鏡が盗まれた。体長3メートル横幅は70センチのカガミ。その物を探すため我々は動き出している。
「そもそもこの最古ってのが怪しいよな。こんなでかいのが最古とは考えにくいな。」
達也は頭を傾げながら言った。
「でもデザインは今風ではない、レトロな感じはあるけどな。」僕も全く否定しようとは思わなかったが完全否定をしたいとも思わなかった。
「そうそこなんだよ。レトロって俺らからしたら昭和とかそこら辺の物を言うだろ?鏡なんて卑弥呼の時代からあったていうじゃないか。確か卑弥呼って弥生時代の人だろ。」達也の意見はごもっともだと思った。
「でもこれは現存する最古の鏡って書いてあるぜ。ほら」僕はスマホで鏡の名前である
横槌歪神鏡と打ち達也に見せた。
「こんなもんなんとでも言えるよ。弥生時代から昭和時代まで現存する鏡が無かったなんてありえねよ、弥生から昭和まで約2000年間あったんだぜ、その間一つも残ってないなんて考えにくいな!」達也は声を荒げて言った。
「それよりこの名前変だと思わないか、よこづちゆがみきょう?なんだよこの名前、適当にもほどがある!」達也にそう言われて僕はスマホに書いてある名前を見つめていた。
「んー、確かに変な名前だけど何か由来がありそうだよ。ほらこの記事みてよ。」
― 体長3m 現存する最古の鏡?発見者「今尾元太」に話を聞く― 2018年5月22日
記者は最古の鏡を発見したという今尾元太さんの自宅を訪問した。
記者A:この最古の鏡はどこで発見されたのですか?
今尾さん:たまたま家の断捨離をしていたら押入れの奥の方に祖父の写真
がありまして。その写真の裏に妙なものが書いてあったんです。
それがこの鏡の名前「横槌歪神鏡」だったのです。
記者A:それは家に置いてあったということですか?
今尾さん:はい、そうなんです。最初何のことかわかりませんでしたが。名前に鏡とついていたので鏡だということはわかりました。それから部屋の断捨離をしていたのですがリビングの床に隠し扉のようなものがあったのです。そこを開けたらかなり広い地下室があったんです。今までこんな地下室があるなんて知らなかったものですから。とてもテンションが上がりました。それから地下室入ると布に包まれていた大きな何かが横一面に鎮座していたのです。私はその布をめくって中身を確認しました。そしたら鏡だったのです。大きさはみんなが知っている通り3mありました。その鏡の淵は木で出来ており下の方に「横槌歪神鏡」と書いてありました。
記者A:なるほど。そこで写真の名前と一致したのですね。それからそれを何故歴史博物
に持って行ったのですか?
今尾さん:いえ、最初は博物館ではなく買取センターに出したんです。そしたら値は付きませんでした。ですがその買取センターの従業員の方が「これとても古い鏡ですね。歴史博物館に飾ってありそうですね。」と言ったのでそれをきっかけに地元の歴史博物館に出したのです。
記者A:そしたら買取センターより値が良かった。しかも最古の鏡だったというわけですね。
今尾さん:そうなんです。とても驚きました。
「この記事結構前の記事じゃねえか。その後に何かあっただろ、確か関係者からの批判殺到
みたいな記事無かったか?」大樹はスマホに<横槌歪神鏡 批判>と打った。ページの上に
―横槌歪神鏡は偽物。関係者激怒―という記事があった。
「あーそれだ。その記事には各地域の博物館関係者や歴史物鑑定士などが、偽物だって批判
してる。」ここまで記事が出ているのなら物を探す前に今尾さんの所に話を聞いた方が早い
という達也の意見もわかる。
「この騒動があって鏡は展示されなかった。だから今回の事件の犯人は関係者の
誰かなのは明確だ。もし今尾が犯人なら批判の件とは違うほかの理由があったのだろう」
大樹は付かさず質問した。「なぜそう思うんだい?」達也はあきれた顔で答えた。「考えれば
分かることだ、今尾は断捨離のために鏡を手放した。」大樹は頷いた。
「お金をもらっているのにわざわざ批判ごときで窃盗をして持ち帰るとは思えない。今尾
ではないのなら、他の博物関係者の誰かになる。どっちにしろ今は今尾に話を聞きに行くの
が最優先だ。」
3
やっと全体像が見えた。俺はカガミにかかった土を手で払いのけた。外はすっかり暗くなり
スマホのライトで辺りを照らした。俺はカガミにライトを当て、目前のカガミを覗き込んだ。
「うああああ!」俺は驚きのあまり尻もちをついた。カガミには普通自分が映るはずなのに映ったのは自分ではない知らない誰かが映っていた。俺はもう一度カガミの前に立つため立ち上がった。その瞬間俺は驚きと同時にカガミを押しのけていた。カガミの割れる音、カガミに映っていたのは自分ではなく知らない誰か。疲れているのかと思ったが二度もカガミに違う人が映るということは疲れではない。
俺は横に倒れたひび割れのカガミを背にしてその場を後にした。
いつも通り朝7時半に目を覚まして会社に行く支度している。昨日の疲れから全身が筋肉痛で動くのが億劫になる。
会社に入るとまず社員証で出勤処理をする。その後点呼が行われる。「安藤努」名前を呼ばれたので僕は返事をした。「はい。」
「努、お前顔変わった?」朝から上司の田中は変な事言っている。
「何もいじってませんが。」
「おい、お前は誰だよ!社員証見せろよ!」職場はざわめき始めた。僕は社員証を渡した。
「お前、社員証の顔写真とちがうじゃあねえか、おい取り押さえろ。スパイかもしれん警察呼べ。」僕は何が起こっているのか分からず周りの社員さんに取り押さえられた。そして気づいたら警察署に居た。「あなたの名前と出身地をお答えください。」
「あ、安藤努です。出身地は新潟です。」刑事は手元の身分証と僕の顔を見比べていた。
「あの本当のこと言ってくれませんか?」嘘はついていない。警官は机の引き出しから鏡をだした。「今の自分の顔分かってる?」僕はカガミを見た。その瞬間僕は固まってしまった。以前路地裏で発見したカガミに映っていた顔だったからだ。自分とは違う顔に「これ誰ですか?」僕は混乱しながら言った。
「誰ってお前だよ。生まれてから今まで自分の顔見たことないわけではないよな、」
「でも僕は安藤努です。そこに映ってる顔が僕ですよ。この顔は知りません。」
「ちょっといいですか?」警官と警官が小声で何かを話している。
「おい、お前何者だ?」
4
「達也!聞いたか?盗まれた鏡の目撃者いるって。」大樹は興奮しながら言った。
「あー聞いたよ。でも妙なことが起きてんだろ?顔が変化するとかなんとか」
「やはり先に今尾さんの方に聞き込みをするべきだよな」
「そう最初から言ってるだろう。」呆れた声で達也は言った。
「やっぱ、独断で行こうぜ。気になって他のことが集中できない。責任は俺が取るから。」
大樹は言い切った。
「いや、責任は俺もとるよ、もし怒られるときは一緒だ。」行くぞと手で合図を出した達也の後ろを大樹が付いて行った。
ピーポン。「はーい。」50代ぐらい男性の声が玄関の奥の方で聞こえた。
「●●警察の久世達也です。同じく佐藤です。」
「すいません。お帰りください。」
「いや、待ってください。僕たちまだ何もしてませんよ。」
「何も話すことはないので…」
「鏡の目撃者が出たんです。なんでも構いませんので鏡のこと聞かせてください。」
今尾は顔を青ざめてしばらくの間黙っていた。その後今尾は渋々承諾した。
「…わかりました、どうぞお入りください。」
「まず伺いたいのは、今尾さんの持っていた鏡についてなんですが、窃盗があったのはご存じですよね?」
「はい、知ってます。」
「その鏡が都内の路地裏にあったのです。しかも地に埋まっていた。捨ててある感じでした本来なら窃盗したものはどこかに売りに行くのが、犯行者の目論見だと思うのですがそれをしなかった何故だと思いますか?」
「さあ、なんともわかりませんが。」
「隠すためです。何があったか分かりませんがその鏡にはなにかある。それを隠すために誰も目につかないであろう路地裏に捨てた。しかし誰かが見つけてしまったそうですよね
今尾さん」
「ふん、なんだ。もうばれてますか…そうですカガミを捨てたのは私です。」
5
警察からの許可があり一週間だけ外に出ることができた。仕事場に戻って良いし、家でゴロゴロするのもありだが仕事が残っているので仕事場に向かうことにした。
今の私は安藤努だが、以前とは顔が変わっている。色々調べたところ顔が変わったのはあのカガミを土から出した時だということが分かった。今仕事場に行ったところで誰なのか認知できないと思うが警察から仕事場には話が通っているとのことなので、そのまま向かうことにした。
「おはようございます。安藤努です。」
「おー、前はすまなかった。」
「いえ、無理もないです。」
職場の方々は顔が違う僕を避けるわけではなく普通に接してくれる。
「努さんこの資料確認お願いします。」彼女は僕と同じ部署の神崎香さん。
「はい、確認しておきますのでそこらへんに置いといてください。」
「努さん、顔も変わりましたけど人格も変わりましたか?前より明るくて言葉使いも丁寧ですね。」
「そうですか?変わろうと意識しているわけではありませんが…」
「ほら、そういう所です。前まではそんなに丁寧語なんて使いませんでしたよ。
なんかいい男って感じです。」
「え?…」
「あの、ランチどうです?一緒に。」
香は立ち上がり少し恥ずかしそうに言った。その表情に釣られて努も顔を赤くしていた。
「は、はい。是非ご一緒したいです。場所は?」
「私の行きつけの店があるので、そこ行きましょう。中華嫌いですか?」
「いえ、好きです。」
「良かったです。ではまたランチで。」
どういう事?前まではあんなフランクに話してくれなかった気がするのだけれど、顔だけじゃなく人格まで変わっているとは。
「努さん電話なってますよ。」香は寝ぼけながら横で寝ている努を起こした。
「ん?…電話?」努は香から渡された携帯電話を見た。警察からだった。
「もしもし、安藤努さんですか?」努は警察から電話が来たことで時の経過を実感した。
「はいそうです。もう一週間経ちましたか」
「そうですね。明日警察署に来れますか?色々分かったので」
「明日、多分大丈夫です。」努は香の顔を見て答えた。
6
「今尾さん。もういいでしょう。ここまでばれたんですから鏡の秘密教えて下さい。」
大樹は興奮しながら言った。
「…わかりました。あのカガミには変わった力があります。それを知ったのは博物館に提出した後でした。私が博物館にカガミを出してから何故かあのカガミに引き込まれるようになったのです。それから毎日博物館に向かいカガミを眺めていた。そういう生活を一週間ほど。そしたら変わったことが起こったんです。カガミに映る顔が自分と違う顔になっていた。それからそのカガミが怖くなって博物館から持ち出して路地裏に捨てました。それからカガミの前には行きたくなることはなくなりました。ですが何故か胸の奥がざわざわするのです。そしたらカガミが見つかったって。
それから私は前の顔とは違うままで生活してました、カガミの前には行きたくなくなったので顔が戻るのではないかと希望を抱いていましたが、一向に変わりません。」
今尾は瞳に涙を浮かべながら話した。
「今尾さん、その顔を元に戻す方法はありますきっと。何か知りませんかおじいさんのことなど。」大樹は前のめりになりながら言った。
「祖父のことですか?祖父は私が生まれる前に亡くなってますから…
あっ!そういえば祖父は科学者でして熱心にカガミの研究してたと、祖母が言ってましたもしかすると何か関係があるかもしれません。」
「成程。科学と鏡の関係ですか。達也何か知らないか?」大樹は外の庭にいる達也に呼びかけた。
「科学は専門外だな。小学生か中学で習う状態変化ぐらいしか知らないな。」
「え!それだけかよ。確かに基礎の基礎で大事だけど」
「でも祖父はそういうことをやってたと思います。前に祖父の論文を読んだことがあるんですけどそこには究極の状態変化って書いてありました。確か、ここにあった気がします。」
今尾は立ち上がり奥の押入れに向かった。
「ありました。これです。」それは古びた紙で『究極の状態変化』とかいてある冊子だった。
「これお借りして良いですか?」大樹は立ち上がりながら言った。
「はいどうぞ。」
「大樹、今尾からもらった冊子ちょっと見せてくれない?」大樹は不安そうな顔をしていた。
「いいけど、お前専門外だろ。」
「だからだよ。わかんない奴が読むことで違った視点が生まれて。斬新な解釈ができる。
お前だって科学は詳しくないだろ。」
「お前よりは詳しいよ」
「そうかい、じゃあ尚更俺が読むよ。」そう言って達也は古びた冊子を読み始めた。
7
「一週間様子を見ましたがどうです?」若い警察官は努の方に体を向けて言った。
「調子はいいですが周りの人から人格が変わったって言われます。」
「人格が変化することもあるんですかね、あの鏡にはそんな力があるんですかね?」
若い警察官は頭を傾げながら言った。
「それで前の顔と人格に戻りたいのですが、何か知りませんか?あのカガミについてもちろんお調べになっているとは思いますが良ければ教えて頂きたいです。」
「なぜ戻りたいのですか?」
「嘘をついてるみたいで嫌なんです。本来の自分ではないのに人間関係がうまくいっていることに罪悪感を覚えて…。」
「良い人なんですね努さんは。私ならそんなこと思いませんよ。」
「あのカガミに会ってから以前の自分がどんな感じだったのか覚えてないのです。」
「顔が変わり人格が変わる。それは至って普通のことではないでしょうかね、よく見た目を変えておしゃれに気を遣うことで人柄が変わって人間関係がうまくいく。そのようなことはよくある話ですよ。」
「それとは少し違うような気がします。僕の場合は良い性格に変化しましたがこれは偶然で悪い性格に変化する可能性だってあったはずです。二重人格のようなそんな感覚だと思います。」
「確か、あの鏡の発見者の今尾さんも顔と人格が変化したと聞いています。今尾さんはどんな人格になっているのか分かりませんが悪い性格に変わっている可能性がゼロではないと」
「そうです。」
8
例の事件が起こり約半年が経った。季節も夏から冬になろうとしている最中大樹は達也の見解を聞きに行くため、達也の自宅に向かった。
「達也。そろそろ冊子の見解を聞かせてくれないか?」大樹は上がり框にしゃがみ込み靴を脱いでいた。
「あー分かったよ。」大樹は家に上がり達也の居るリビングに向かった。
「まずこの冊子だが、一部抜けている部分がある。」
「そうなのか、内容には影響ないだろ?」
「あー。あまり影響はなかったが一つ大事な所が抜けていた。一旦この冊子の概要を軽く説明する。」達也は簡単に冊子の説明を始めた。
「~という感じだな。」
「成程。研究内容が書いてはあるが殆ど日記みたいなもんだな。」
「そうなんだよ。ここに出てくる物質の状態変化は一般的なものではなく、究極の状態変化。
つまりここに書いてあるには、『究極の状態変化は自然力や人力を加えなくても状態変化が起こることである。』と書いてある。これが可能なのがあの鏡なのだと思う。」
「そうゆう事かあの鏡は研究材料ってことだな。でもなんで今尾の祖父は究極の状態変化を求めてたんだ。」
「おそらく今の自分が嫌だったんだろう。」
「どういう意味だい?」
「今尾の祖父は自分の体に究極の状態変化を取り入れようとしていた。この冊子を読む限り日記のように一日の出来事が書いてあるが、人と交流していたようなことは書いていない。つまり人付き合いが下手だったんだろう。それが嫌で自分を変えようとしてこの研究を始めたのだろう。」
「でも鏡を自分の体に取り入れるなんてどうやってやるんだい?」
「多分だが、状態変化を活用するのだと思う。」
「状態変化?人間にはそんな能力は無いけど。」
「本来なら存在しない能力でも、あの鏡を使えば人間にも状態変化の能力が備えられる。
しかしそれには膨大な年月が必要だと今尾の祖父は分かっていた。分かっていたにも関わらず鏡の状態変化を待っていた。」
「そもそも鏡の状態変化とはなんだい?」
「おそらくだが氷と同じだと思う。氷は個体、それが蒸発することで液体つまり水になる。またそれが蒸発すれば気体になる。このように氷は個体→液体→気体と状態変化を繰り返す。これと同じ原理であの鏡も状態変化を行う。しかし氷とは違い熱によって変化はしないだから膨大な年月が必要になる。」
「成程。ならいずれ鏡は液体になり気体にも変化するということだな。」
「その通りだ。だがあの鏡にはもう一つの能力がある。」
「それが“人格変化”」達也と大樹の声が被った。
「でも、何故努や今尾は鏡の事態を体に取り入れたわけではないのに顔や人格が変化したんだ?」
達也は考えていた。
「それが分からない。だが一つ目星は付いている。」達也は自信なさげに言った。
「聞かせてくれよ。その見解を。」
「何故鏡の前に立っただけなのに人格変化が起こっているのか。それは鏡だからだと思う。鏡の前に立てば自分が写し出される。しかし視点を変えれば鏡の中に自分が入っているという考え方もできるはず。もしこの考えで人格変化が起こっているのであれば今尾の祖父も人格変化を起こしていることになる。今尾の祖父は自分を変えたくてあの鏡を研究して人格変化を手に入れている、なのに鏡の状態変化を待っていた。」
「その目的は何なのか分からないが、もし達也の見解が正しければあの鏡は今現在も状態変化をしているはずだ。しかも今尾の祖父の時代からは長い年月が経っているあの鏡を放っておくわけにはいかない、確かあの鏡は今粉々になっているとか…。」
「粉々?まずいあの鏡は氷と原理は一緒だ。氷も粉々の方が溶けやすい。あの鏡も同じことが言える。」
9
「今尾さん、なんですか?急に呼び出して。」
「あなたは私と同じ状態になっている。以前元の姿に戻りたいと言っていたそうですね。
一つだけ方法があります。」
「何ですか?是非知りたいです。」
「しかしこの方法は一時的なもので完全に元の姿に戻ることはできません。何度も繰り返し、また今の人格と顔に戻るときが来ます。その覚悟があるのなら教えできますが。」
「はい。覚悟は出来ています。」
「あなたはすごいですね。私にはその覚悟と運が無かった。」
「運?それはどういう意味ですか?」
「今のあのカガミの状態は粉々になっています。とても運が良いですね。」
「あのカガミは氷のような状態変化を起こします。今は個体ですがいずれ液体になり気体になります。現在のカガミは粉々。つまり氷でいうと細かくなった状態。その状態の方が氷は液体(水)になりやすい。あのカガミも一緒です今液体になりやすくなっている。」
「だからなんでしょう?」
「そのカガミの液体を飲むことであなたの体も状態変化を起こします。そうすることであなたは元の姿になる。そして同じ人生を送ることになる。その覚悟はありますか?」
「それを飲めば一時的であっても元の姿に戻れるのですね?」
「はい戻れます。もうお気づきだとは思いますがこれは“永遠の命”です。あなたにとって善かどうかは分かりませんが…。」
「とにかくカガミの液体を飲めば僕は元の姿に戻れるのですね。元の姿に戻れるのなら何でもします、覚悟も出来ています。」
「そうですか。」
10
「今尾さん、開けてください、今尾さん。努さんはどこにいるんですか?今尾さん、
ご存じでしょう…今尾!」
「…もうここにはいませんよ。」
「おい、お前が仕向けたんだろ。最初から…。」達也はその場で泣き崩れた。
もう行くぞ、達也。例の路地裏に」
今尾さんが言っていた通りカガミは液体に近い状態まで来ている。これを飲めば僕は元の姿に戻れる。けど同じ人生が繰り返される“永遠の命”。響きは良いけど全く成長も退化もしない体、つまらないかもしれないけど元の僕に戻るにはこれしかない他の選択肢はない。
段々溶け始めた鏡を眺めながら努は涙を流した「本当に良いんだよな、これで。」
努は溶けてきたカガミを手に取り口を開けてカガミを口の上に持ってきた。滴る液体を上目に努は笑いかけた「これで全て元通り。」
「努!」達也は走りながら叫んだ。
「もう手遅れですよ。僕は“永遠の命”を手に入れました。」努は溶け始めた自分の体を眺めながら達也たちに言った。
努の体は完全に液体化した状態から蒸発を始め、努の体は煙になり上空へと飛んで行った。