02.今は亡き国
王宮から帰る最中、刺繍糸が切れていたのを思い出して街へと立ち寄る。
私のお気に入りのお店に向かっていると、飲み屋から男の人の話し声が聞こえてきた。
「お前聞いたか、リンベルンの生き残りが見つかったらしいぞ」
思わず足を止めてしまう。
飲み屋は外にも席を用意していて、その話し声は外に置かれている席から聞こえてきた。
昼間から酒を飲んでいるのか、陽気な大声だ。
「本当かよ。いいなぁ。俺ももっと稼ぎがあったら買うのになぁ」
「やめとけやめとけ。精霊だ、魔法だ、なんて胡散臭い連中だぞ」
「でも便利だろ魔法でなんでもやってくれるんだからな」
胸がぎゅぅっと苦しくなり、動けなくなって地面を見つめる。
いきなり立ち止まった私にぶつかった人が訝し気に見てくるけど、何も言えなかった。
「白髪と赤目だったよな。野良でいるの見つかんねぇかなぁ」
同じ人であるはずなのに、その男はまるで家畜や愛玩動物かのように言うことにゾッとした。
カタカタと指先が震える。
――怖い。悲しい。誰。イヤだ。
ぐるぐると胸の中で渦巻く感情に飲まれそうになる。
今は黒髪に茶色の瞳だから大丈夫。
怖いことなんてないと自分に言い聞かせるも、捕まったとされる生き残りの人を思うと、締め付けられるような悲しみに捕らわれる。
「……うっ。--ひっ!」
吐きそうなくらいに目の前がぐにゃりとしたとき、肩を叩かれた。
見つかったのかと体を震わせて振り返ると、そこにいたのはナタリエ様だった。
「どうしましたの?テイル様。お顔が真っ青でしてよ?」
「あ……。ナタ、リエ様」
「フィニアス様にまたひどいことを言われましたの?男性は女性の気持ちがわからなくて困りますわね」
ぷん、と頬に息を溜めてナタリエ様が肩をすくめる。
私は頑張って笑顔を作ろうとしたけど、うまく笑えなくて、きっとへんてこな顔をしていることだろう。
私を落ち着かせようと、ナタリエ様が腕を擦ってくれる。
ナタリエ様の優しさに、荒れ狂っていた胸の内が落ち着いてきた。
フィニアス様の言葉に私が傷ついたようになってしまったが、弁明をする余力も言い訳も思いつかなかった。
「ナタリエ様は、どうしてこちらに?」
「刺繍糸が切れましたので、買い足しに来ましたのよ」
「私と一緒ですのね。良ければ一緒に行きませんこと?」
今1人になるのは心細くて、ナタリエ様を誘ってみる。
ナタリエ様は穏やかに笑って「えぇ、喜んで」と言ってくれた。
リンベルンはこの国フランシスの隣国にあった小国だ。
精霊信仰のリンベルンは閉鎖的で、来るものを拒む性質を持っていた。
精霊と寄り添い、魔法を扱う独自の文化で生きていたリンベルンは、小国ながら貴重な鉱山を有していた。
鉱山で採れる鉱石は、精霊がもたらしたものと考え、国外へ出すことを禁じていた。
長く続いていたリンベルンも、フランシスの王が変わったと同時に崩れ落ちる。
鉱石の取引を求めるフランシスを頑なに拒んでいたリンベルンは、ついに攻め込まれることとなった。
リンベルンは小国で、フランシスは大国だ。
一週間とかからずにリンベルンはフランシスに滅ぼされ、生き残った者は殺されるか、奴隷にされてしまった。
私はリンベルンの生き残りだ。
騎士が押し入ってくる中、私をクローゼットへと隠して実の両親は騎士へと立ち向かい、命を落としてしまった。
そして私はお義母様とお義父様に養子に迎えてもらった。
子供の頃から髪と瞳の色を変えてフランシスとの国境近くを遊んでいたことが功を奏し、リンベルンの頃の名前を捨てて、黒髪茶目の孤児の『テイル』が生まれたのだ。
「お母様……お父様……」
ベッドの中でぬいぐるみを抱きしめる。
大好きだった。
私を撫でる手も、名前を呼ぶ声も、抱きしめてくれた時の香りも。
今はもうなくなってしまったけれど。
「お母様のスープ。食べたいですわ……」
魚をいれたスープは、いつだって冷えた体を暖めてくれた。
寂しさに冷える体の今、無性に食べたくて仕方がなかった。
ベッドから出て、身支度を整えてダイニングへと行く。
今日はお義母様、お義父様、お義兄様、とオールスターだ。
中々揃うことがなくて、私は嬉しくなって席へとついた。
「おはようございます。お義母様、お義父様、お義兄様」
「おはよう、テイル」
「あらあら、お寝坊さんがようやく起きてきたわね」
「少し太ったんじゃないか?」
お義母様とお義父様は旅行中、落石にあってリンベルン近くで遭難してしまったそうだ。
その時に、お母様とお父様が救ってくれたのだという。
周囲に黙ってこっそりと家に匿い、怪我を見てくれたあと、国境近くまで帰してくれたらしく、お義母様とお義父様は恩義を感じている。
お陰で私のことを探し出して引き取ってくれた。
そして私を本当の家族のように扱ってくれる。
リンベルンの生き残りはこの国では奴隷とされているのに。
「もう、お義兄様。レディにそんなことを言ってはいけませんのよ」
「ねぇ、テイル?せっかくエディが帰ってきているのだから、一緒にお茶をしましょう」
皆の耳にも、リンベルンの生き残りが捕まったことが入っているのだろう。
用心に越したことはないため、家で大人しくいなさいと暗に言われている。
お義兄様は普段領地にいるのに、帰ってきてるのはおそらくそういうことだろう。
私は皆に愛されているのだと実感した。
「はい!」
リンベルンの騎士が怖くないのか、と問われれば怖いに決まっている。
それが仕事とはいえ、彼らは私の故郷を滅ぼしたのだから。
今だって私の脳裏には焼けたリンベルンの光景は焼き付いている。
でも、あの日フィニアス様は私を救ってくれた。助けてくれたのだ。