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傷あとを辿れば

作者: life yell

 シュウサクはマンションを見上げるとため息をついた。今日も一日疲れた……退社間際になってクライアントとの間でトラブルが発生し、対策に追われていたらこんな時間になってしまった。

 もう日付が変わるというのに部屋の明かりはついていた。どうやら妻は起きているらしい。そういえば、遅くなると連絡したときに何やら話があるといっていた。

 面倒臭いことではないようにと願いながらシュウサクはポストを開けた。妻はよく郵便物の確認をし忘れるが、やはり今日も溜まっていた。ダイレクトメールや年金、水道料金などの束を取り出し、つまらないものばかりだとシュウサクは呟いた。

 一応確認していると、一枚だけ変わったものが紛れていた。同窓会の通知である。地元で小学校の集まりがあるのだという。

 最後に出席したのはいつだったか……シュウサクは考え込んだ。二十代の前半になんどか行ったきりで、三十代をまわるとシュウサクも家庭を持ち、この手の集まりから足が遠のいていた。今の生活が必死で、過去を懐かしんでいる余裕が無かったのだ。

 シュウサクは何人かクラスメートの顔を思い出そうとしてみた。しかし考えれば考えるほどクラスメートの顔には暗い靄がかかり、シュウサクにはそれが数十年という時間の証のように感じられた。

 シュウサクは思い出すのを諦め、エレベーターに乗ると再度ため息をついた。

 妻は台所のテーブルに座っていた。シュウサクが入って来るとおかえりといって顔をあげた。声に張りが無く、随分と参っているようだった。目の前のコーヒーはすっかり冷めていた。

「遅くなってごめんな、話ってなんだい?」

「それは後にしましょう。あなたも疲れているだろうし、先にお風呂入ってきちゃって。その間に夕飯を温めなおすから」

 シュウサクは嫌な臭いを放つシャツを洗濯機に放り込み、さっとシャワーを浴びた。髪を拭きながら出てくると夕飯の準備は出来ていた。

「それじゃあ、さっきの続きだ」

 シュウサクは妻の手料理をつつきながらいった。

 妻はシュウサクの前に頬杖をついて座っていたが、ため息をつくといった。

「イジメよ、あの子が」

 そいういって息子の部屋をさした。

「相手は誰なんだ!」

「ちょっと、大きな声を出さないでよ……こんな時間なんだから」

「すまない……」

「それに違うのよ。あの子がイジメてたの。今日担任の先生から連絡が」

「イジメてたって、あいつがか」

「そうよ。連絡があって、私、驚いちゃって。あの子が中心となって一人の子をイジメてたんですって。もうどうしたらいいか……」

「あいつは部屋に居るのか?」

「私が怒ったから、ふてくされて寝てるわ」

 シュウサクは夕飯を食べ終えると息子の部屋へいった。ノックをしても反応が無いので、勝手に入ることにした。

 電気はついていなかった。ベッドが膨らんでいるので息子がいるのは分かった。寝息が聞こえないので起きてはいるのだろう。先ほどのやり取りだって聞いていたのかもしれない。

 シュウサクは学習机の椅子に座るとベッドの膨らみを見つめた。何か言おうとしたが、言葉が出てこなかった。それはいきなりの事に混乱しているせいでもあるが、もっと別なことが原因だとシュウサク自身も気づいていた。それはシュウサクの胸をチクリ、チクリと責め立てていた。

「お前にも、理由はあるんだと思う。今は何も言わないから、自分から言いたくなったらいってくれ」

 卑怯者だな、とシュウサクは思った。シュウサクは息子の部屋を後にし、責任から逃げ出した。

「どうだった?」

 妻が言った。

「あいつも混乱しているようだ。今はそっとしておいてやろう」

「……それもそうね」

「今日はお前も寝なさい。疲れたろ」

「そうするわ」

「謝りに行くときは俺も一緒に行くよ」

「でも仕事が」

「有休を取ればいいさ。これは俺達の問題だ」

 真夜中に目を覚ましたシュウサクはそのまま眼が冴えてしまった。隣では妻が寝息を立てている。

 シュウサクはそっとベッドを抜け出すと居間へいった。テーブルに置かれた手紙の束から同窓会の連絡をみつけると、窓から差し込む月明りに照らしてしばらく眺めていた。

 後ろで物音がした。どうやら息子がトイレに起きてきたらしいが、シュウサクの姿に気づいてすぐに部屋へ引き返していった。

 シュウサクは出席に〇をつけるとベッドに戻った。


 同総会当日は早めに家を出た。東京から実家まで電車を乗り継いでたっぷり三時間はかかる。不測の事態に備え、早めの行動がシュウサクの習慣になっていた。学生時代はあれだけだらしない性格をしていたのに、社会に出てから矯正された事の一つである。

 そのせいで思いのほか早くついてしまい、これといってやる事の無かったシュウサクは実家に立ち寄ることにした。すでに定年を迎えた親はいつでも実家で暇している。突然やって来たシュウサクにも動じることはなく、妻や息子を一緒につれてこなかったことをなじった。

「今度は家族そろってくるから許してくれよ。それより小学校の卒業文集はどこにあるんだ」

「なんだい、クラスメートの顔を忘れちゃったのかい」

 母親はそういって笑うと腰を上げた。父親と雑談しているとほどなくして母親は戻ってきた。

「これでいいかい」

「ありがとう。俺の部屋はまだあるんだろ? 少し借りるよ」

「掃除をしていないんで埃まみれだぞ。換気しなさい」

 今ではシュウサクの部屋は物置に使われているらしく、はじには段ボールが積んであった。窓を開けて椅子の埃を手で払うと座った。

 卒業文集をめくり、集合写真を開く。色あせた写真の中で笑っている生徒の顔と名前を一人ずつ確認していく。田舎の学校だったので一学年には一クラスしかなかった。十分もあれば終わるだろうとふんでいたシュウサクだったが、その作業はなかなか捗らなかった。当時仲の良かった子ならすぐに思い出せたのだが、それ以外となるとまるで駄目になる。必死にどんな子だったのかと考えるのだが、何も浮かんでこないのだ。

 一時間ほどねばってみたが進展はなかった。仕方がないと卒業文集を閉じて諦めることにした。何より、求めていた子の顔が無かった。思い返してみれば、あの子は四年生の途中で引っ越していってしまい、卒業文集に載っているはずがないのだ。

「俺はそんなことすら忘れていたのか……」

 シュウサクは呟いた。

 同総会の会場は近所の居酒屋だった。すでに数人が集まっていて、座敷ではグループを作り喋っていた。シュウサクが入っていくと小太りの男がやってきた。シュウサクが名前をいうと、男は顔をほころばせた。

「シユウちゃんか! 俺だよ俺、分かる?」

 シュウサクは言葉に詰まった。先ほど確認したクラスメートの顔と照らし合わせてみるのだが一致しない。

「いいよ、無理しなくて。オッサンになったあげくにこんなブクブク太っちゃ誰か分かるはずなよな。マサミだよ」

「マー坊か!」

「そう!」

 当時小柄なクラス委員長だったマー坊は、今では恰幅の良い男になっていた。今回の幹事をやっているとかで、シュウサクは席に案内された。

 隣の男と会話を合わせて喋っていると時間が来た。結局集まったのはクラスの半分といったところだろうか。誰もかれもがオジサンオバサンになっていた。

 会が進みお酒がまわると周りも陽気になっていった。シュウサクも皆に合わせて校歌を歌った(憶えていた自分に驚いた)りした。

 シュウサクはタイミングを見て席を立つと、瓶ビールを片手にマサミのもとへいった。駆けつけ一杯とふざけて注ぐと、マサミは機嫌よく飲み干した。

「今日は来てくれて有難う。お陰で楽しい会だよ」

「それにしても集まるもんだね。毎回こんな感じなの?」

「まあね。開くとなると居残り組が集まってくれるんだ」

「俺もずっと参加したいとは思ってたんだけど、仕事が忙しくて……」

「あっ、そういう意味で言ったんじゃないよ」

 マサミは慌てていった。

「そりゃあ、みんな都合があるんだから来れないのは仕方がないさ。だから今日来てくれて嬉しかったよ。みんなも喜んでるし」

「お世辞でもそういってくれると嬉しいよ」

「お世辞じゃないよお?」

「本当かい?」

「本当さ。ほら、あそこのキョウカちゃん。さっきからシユウちゃんのことばかり見てる」

 マサミは声をひそめた。

「実は小学校の頃シユウちゃんのこと好きだったんだぜ? 知ってた?」

「いや、初耳だよ」

 マサミが面白がって呼ぼうとするので、シュウサクは照れたふりをして止めた。

「それよりちょっと聞きたいことがあるんだ」

「なんだい」

「ほら、四年のころに転校していっちゃった子がいただろ。あの子」

「ああ、ジョウジか」

「今何しているのかなって」

「知らなかったのか」

「何が?」

「あいつ、捕まったんだよ。人を殺して。新聞にものったんだぞ」

 シュウサクは居酒屋を後にするとコンビニによってビールを買った。今日は飲まないつもりだったが、マサミの発言を聞いて考えが変わった。その足で母校まで歩き、変わりゆく地元の姿に衝撃を受けた。記憶にある家がいくつも無くなっており、かわりにソーラーパネルが設置されていた。

 夜中の学校はひっそりと佇んでいた。表門から入り、右回りで校庭へ回った。

 シュウサクは真っ暗な校庭をぶらぶらと歩いた。うんていが撤去され、鉄棒の位置が変わっていた。老朽化のせいかブランコの椅子は取り外されており、今やその名残をとどめるのみである。

 あれだけ広いと思った校庭は、こうして大人になって歩いてみると驚くほど狭かった。シュウサクは半分土の下に埋まったタイヤに座り、ビールを開けた。先月の健康診断ではあまり数値がよろしくなく、アルコール類は控えていた。久しぶりに飲むビールはなんだか変な味がした。

「あんまり美味くないや」

 ツマミとして一緒に買ってきたサラミを齧りながら、シュウサクは先ほどの言葉を繰り返した。

「あいつ、捕まったんだよ。人を殺して」

 いつからジョウジへのイジメが始まったのか、シュウサクにも思い出せない。きっと原因だって些細な事だったのであろう。機転が利かずどんくさい子ではあった。

 無視から始まったイジメはだんだんとエスカレートしていった。その中心人物にいたのがシュウサクだった。

 シュウサクは彼をイジメてイジメてイジメ抜いた。根回しも上手かったので、四年生にあがるころにはイジメはクラスの総意となっていた。大人たちにバレることはなかった。クラスという箱庭の中で、シュウサクは安心してジョウジをイジメた。

 そんなシュウサクだったが、彼が転校していってしまうとつきものが落ちたように大人しくなった。それ以降のシュウサクは誰かをイジメるようなことはなかった。あの時のイジメも、遠い過去のこととして記憶の隅に隠してしまっていた。

 それがめぐりめぐってシュウサクのもとへ帰って来たのだ。あろうことか、息子が誰かをイジメるという形で……

 息子と共に謝りへ行ったが、相手の親御さんは怒ることは無かった。ただシュウサクたちを悲しそうな目で見つめていた。シュウサクはそれを一目見た瞬間、この目だ、と思った。ジョウジもよくこんな目をしていたのだ。

 やった方は忘れるが、やられた方は忘れない。イジメに対してよくそう言われるが、まさにその通りだった。息子がこんなことをやらかすまで、シュウサクはジョウジのことを忘れていたのだ。

 シュウサクは空を見上げた。小さなころ変わらない星空が、シュウサクを見下ろしていた。


 シュウサクはジョウジの行方を探した。どこへ収監されているのかネットの記事を漁った。すぐに彼の居場所は見つかった。

 休日、シュウサクは用事があると家族に言い残し電車に揺られてT県までやってきた。目的の刑務所は駅から遠く、県道の外れ、大きな川のすぐ隣にあった。

 シュウサクは汗を拭きつつひたすら歩いた。歩きながら自分は何をしているんだろうと自問自答を繰り返した。こんな事をして何になるんだと、なんども心の中で呟いた。

 そして、この壁の向こうにはジョウジがいるはずだった。

 武骨な建物だった。門は固く閉ざされ、関係者以外立ち入り禁止の看板がはってあった。シュウサクはぐるっとまわって、またもとの位置へ戻ってきた。服が汚れるのもかまわずに道路の手すりに寄りかかった。

 あの時、自分がジョウジをイジメなければこんなことにはならなかったのだろうか……

 いや、とシュウサクは思った。それはあまりにも人間一人の人生を愚行した考え方だった。人生とは、積み重ねの連続なのだ。一つの積み木が、全体を決定することになるとは限らない。だが……それが違った積み方なら、違った形なら、別の結果になる可能性だってあるのだ。

 シュウサクにはどこからどこまでが自分の罪なのか分からなくなった。ただ、この建物から、ジョウジが息をひそめるこの場所から、立ち去りがたかった。

「失礼ですが、何か御用ですか?」

 いつの間にやって来たのか、シュウサクは職員に声をかけられた。

「いえ、ちょっと、その……なんていうか……」

 職員は建物に振り返ると、何度か頷いた。

「あなたのような方は、よく見られますよ。犯罪は、誰かの人生に影響を与えますからね。気持ちは分かりますが、もうそろそろお引き取り願います。ここはそういう所ではないですから」

 シュウサクは職員に頭を下げると駅へ向かって歩き出した。心のわだかまりが一層深くなっただけだった。


 シュウサクは息子の部屋のドアをノックした。ドアの向こうで物音がしたと思うと、息子が顔を出した。

「少しいいか」

「……うん」

 息子は勉強中だった。机の上に広げられた参考書には、赤線が何本もひいてあった。

「勉強は上手くいってるか」

「うん」

「分らなかったら父さんに聞け。俺だって中学生くらいの問題なら解けるだろうからな」

「うん」

 二人はそれっきり黙ってしまった。親子の会話は続かなかった。シュウサクはベッドに腰を下ろすと、改めていった。

「あれから、学校生活の方はどうだ」

「別に」

「別にって?」

「変わらないって意味だよ」

「そうか。あのさ……」

 シュウサクは首を振った。上手い言い回しが見つからないのだ。だから素直に言う事にした。

「なんでイジメちゃいけないか分ったかい?」

 息子は何も言わなかった。

「イジメってのは、相手を傷つけるだけじゃない、同時に自分も傷つけるんだ。その傷は確かなものとなって、その後の人生に尾を引くんだ。そんなことは無いとお前は思うかもしれない。ところがどうした、完全に忘れたと思ってもな、ひょんなことから飛び出してきて、ずきずきと痛むんだ」

「父さん……」

 息子がいきなり顔色を変えたので、どうしたのかと思ったら、シュウサクは泣いている自分に気が付いた。慌てて目元を拭い、立ち上がった。

「すまん、取り乱した。そういう訳で、憶えておいてくれ。その傷は痛いんだと」

 シュウサクは息子の部屋をあとにした。ドアを閉め、壁にもたれてしばらくそのままでいた。すると息子の部屋からすすり泣く声が聞こえだした。

 シュウサクも腕を組み、いつまでも息子と一緒に泣いていた。

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