聖教会の枢機卿、フィンについて
ユーリアがセレディンティア大国にやってきて早くも一か月となった。
彼女の様子を確認するため、シルヴィーラ国からフィンが直々にやってくる。
フィンはイルゼが滞在するアイスコレッタ家の屋敷の客間に、主人のような顔で堂々と座っていた。
リアンは部屋の端に佇み、板金鎧の置物のように直立不動でいる。
会話に参加する気はさらさらないようだ。
「猊下、お久しぶりです」
「イルゼ・フォン・エルメルライヒも、息災のようだな。と、今は〝殿下〟と呼ばなければならないのか」
「いえ、これまで通り、なんとでも」
フィンを前に、ユーリアは酷く緊張しているようだった。額は汗でびっしょりである。
緊張しているのか、畏怖を感じているのか。
感情はうまく読み取れなかった。
「ユーリア・フォン・クラウゼ、セレディンティア大国はどう?」
「皆、親切で、よくしていただいております」
「そう」
イルゼの兄――レオンドルを前にした時には、ここまで萎縮していなかった。
何が彼女をここまでさせているのか。
本人に聞くのは気の毒なので、フィン本人に尋ねてみた。
「あの、猊下。彼女はなぜ、猊下を恐れているのでしょうか?」
「彼女が、僕を恐れているだって?」
「私には、そう見えました」
ユーリアの身柄は、聖教会が預かっていた。取り調べを行うさい、何か脅したのではないかとイルゼは予測している。
「僕は弱い者いじめなんかするわけないだろうが。取り調べなんて、聖教会の頂点に立つ者の仕事ではない。そもそも、彼女とは今日が初対面だよ」
「そうなのですね」
イルゼの隣に座るユーリアが、突然立ち上がった。
ふらふらとフィンのもとへと近づき、跪く。
ギョッとするのと同時に、ユーリアは床に額をくっつける。
「申し訳ありませんでした!! ハインリヒ殿下は、わたくしが殺したようなものです!!」
「なぜ、僕に謝る」
「ご家族に謝罪したいと、かねてより希望していました」
「でも、取り合ってもらえなかった?」
「……ええ」
家族というのはどういう意味なのか。
疑問符が、雨あられのように降り注ぐ。
いつの間にか背後にいたリアンが、イルゼの耳元で囁いた。
「イルゼ、猊下の本当の名前は、フィリアン・フォン・コルネリウスというのです」
「コルネリウスというのは――王家の!?」
「ええ」
フィンはハインリヒの弟、第三王子であった。
偽聖女事件のあと、誰もが聖教会の枢機卿になるのを拒否したため、彼が務めることとなったのだ。
「わ、わたくしのせいで、猊下の人生まで、か、変えてしまいました」
「別に、お前のせいじゃない。僕が、枢機卿になるって決めたんだ。自惚れないでくれないか?」
「も、申し訳ありません」
彼が持つ資質の正体は、王族として生まれたのと同時に兼ね備えたものだったのだ。
この美少年はいったいどこから連れてきたのかと、長い間疑問だった。
なんでもフィンは、魔法の研究に没頭するあまり、シルヴィーラ国の社交界に出てきたことなど一度もなかったらしい。顔を見て、王族だと気づかないわけである。
「枢機卿の座にいることは、悪いことではない。部下は言うことを聞くし、研究の予算は使い放題。以前よりもずっと、生きやすくなった。かと言って、お前に感謝するつもりなんてさらさらないけれど」
フィンは立ち上がり、跪くユーリアを見下ろす。
「これから、イルゼ・フォン・エルメルライヒによく仕え、真面目に暮らすんだ。悪いことを考えたら、即刻僕が潰しにくるから」
恐ろしい言葉を残し、去って行った。
扉が閉まっても、ユーリアは跪いたまま。イルゼは傍により、手を貸す。
「大丈夫?」
「え、ええ。平気、ですわ」
全身ガタガタと震えていた。可哀想にとイルゼは同情する。
「猊下が王族だったなんて、驚いた。あなたはいつ知ったの?」
「ハインリヒ殿下から、肖像画を見せていただいたことがありまして」
「そう」
今日は休むように命じる。本人は大丈夫だと言っていたものの、顔面蒼白だった。
他の侍女を呼び、ユーリアを下がらせる。
部屋にはリアンだけが残った。
「リアン、あなたはいつ知った?」
「ジルコニア公国でのパーティーで、紹介を受けました」
「国内のパーティーには参加したことがないのに、ジルコニア公国では参加していたと?」
「みたいですね。研究の出資者を探しに、たまにジルコニア公国のパーティーにのみ参加していたようです」
「まあ、国内であの美貌をさらしたら、騒ぎになるから、仕方がない話かもしれないけれど」
結婚もしたくないし、玉座には興味がないので、聖教会の枢機卿の座は彼にとって都合がいいものだったらしい。
国内にフィンを支持する者が多かったらしく、内戦を避ける目的もあったようだ。
「これから猊下に会ったとき、どういうふうに接していいものか」
「いつも通りでいいと思いますよ。逆に、態度を変えたら怒られそうです」
「潰されたら怖いから、そうしておく」
絶世の美少年であるフィンが、政治的な野心がからっきしだったことを、イルゼは心の中でこっそり感謝した。




