聖女を殺せ!
贈り物の中に、無記名の箱があったらしい。そこに、毒サソリが仕込まれていたのだろう。その事件以降、イルゼへの贈り物は禁じられた。
誰かがイルゼの命を狙っている。それは明らかであった。
毒味係も増え、ちょっとした茶の時間ですら物々しい雰囲気になる。
「リアン、早く帰ってきて」
そう呟くイルゼに、侍女やメイド達はいたたまれない視線を送っていた。
リアンから手紙は届かない。王都を発ってから、七日も経った。ベヒーモスは彼の敵ではないだろう。単に見つけられないだけなのかもしれない。
眠るときも、女性の騎士がすぐ傍に侍っていた。天蓋つきの寝台で、四方はカーテンのように布で覆われている。眠っている姿を見られることはなかったが、ぐっすり眠れるほど能天気ではなかった。
リアンがいなくなってから、八日目の晩に事件が起こる。
イルゼの寝室に忍び込む、黒い影があった。
ギシ、と寝台の軋む音が聞こえた。眠りが浅かったイルゼはハッと目を覚ます。
人の気配があった。
ゆっくり、ゆっくりと接近し、そして――。
「死ね!!」
振り上げたナイフが、暗闇でキラリと光った。
ナイフの切っ先はヒュンと音を立てて、銀色の弧を描く。
しかしながら、刃はイルゼの胸に届かなかった。
ナイフは弾かれ、どこかへ飛んでいく。
「なっ……!」
暗闇の中に、ぬっと黒い鎧姿の騎士が現れる。
「お、お前は、誰だ!?」
「それはこっちの台詞――と言いたいところですが、エルメルライヒ子爵ですね?」
「……」
沈黙は肯定しているようなものであった。
「お義父様、はじめまして。私は、リアン・アイスコレッタと申します」
「だ、誰がお義父様だ!!」
「まさか、こんなところで挨拶を交わすこととなるとは」
「う、うるさい!!」
寝室の扉が開かれ、バタバタと人がなだれ込んでくる。それは、アイスコレッタ公爵家直属の魔法使いであった。
「あなたは今、包囲されています。大人しくしてください」
「く、くそ……!」
イルゼの寝室に忍び込み、暗殺を目論んだのは父親であるエルメルライヒ子爵であった。
すぐに捕らえられ、王宮の地下牢へと連行される。
「はあ……」
もはや、ため息しかでてこない。
誰かが直接殺しにくるだろうというのは、想定済みだった。
けれどもすでに悪事に手を染めた父親だったとなると、呆れた以外の言葉がでてこない。
「イルゼ、大丈夫ですか?」
「もう、無理」
本音がポロリと零れる。そんなイルゼを、リアンは優しく抱きしめた。
◇◇◇
リアンにベヒーモスの討伐命令が下される前、ふたりは防音魔法を用いた空間で話し合いをしていた。
この先、リアンが護衛として傍にいることとなったが、絶対に誰かが引き離すだろう。
そのさいの対策を、考えていたのだ。
「もしも、私に何か命令が下ったら、戦闘狂の姉に身代わりを頼むことにします」
「待って。戦闘狂の姉って何?」
「話していませんでしたっけ? 二年前の武闘大会で忖度せずにレオンドル殿下に大怪我を負わせて優勝し、非難が集まった結果騎士の位を剥奪された姉の話を」
「待って、情報が多すぎる」
気になる話だったものの、ひとまず置いておく。
なんでも、リアンに匹敵するほどの実力を持つ姉がいるらしい。
リアンの鎧に似たものを装備させたら、本人に偽装できる。
「もとより、私は口数が少なかったものですから、誰も怪しまないでしょう」
そんなわけで、ベヒーモスの討伐にでかけた板金鎧姿の騎士は、リアンの姉だったわけである。
リアンは王都に残り、ハト・ポウが展開させた姿消しの魔法でイルゼの傍にいたのだ。
イルゼがリアンを思って寂しがったり、不安がったりというのはすべて演技である。
リアンはずっと、イルゼの傍にいたというわけだ。
すべては、敵を炙り出すための作戦だったわけである。
何はともあれ、エルメルライヒ子爵は拘束された。
後日、リアンが王宮の地下牢に忍び込み、王女の誘拐について情報を聞き出す予定だった。
それなのに、不測の事態となる。
エルメルライヒ子爵が何者かに殺されてしまったのだ。
大きな衝撃が、王宮内で走り抜けた。
それから一か月も経たないうちに、イルゼに災難が襲いかかってくる。
「そこの女を捕らえろ! 聖女を騙る罪人だ!」
セレディンティア大国の騎士達に拘束され、連行されてしまった。




