交渉
「まず、そこの聖女を名乗る女について、独自に調べさせてもらった」
突然話を振られたイルゼは、思わず体を震わせる。
そういえば、ジルコニア公国で夕日色の髪を持つ男性が目撃されていた。レオンドルがシルヴィーラ国の聖女について調査して回っていたのかもしれない。
「お前の名は、イルゼ・フォン・エルメルライヒで間違いないな?」
すでに、情報は握っているのだろう。否定しても仕方がないので認める。
「イルゼ・フォン・エルメルライヒは偽聖女ユーリアの取り巻きのひとりで、妻カタリーナを侮辱していた」
「ええ、間違いないかと」
レオンドルはテーブルを拳で叩く。あまりの勢いに、カップが割れてしまった。侍従が駆け寄って、テーブルの上を片付ける。
「妻はお前をそこまで悪い者ではないと話していたが、俺は赦さない!」
返す言葉もない。イルゼが聖女カタリーナに暴言をはいていたのは事実だから。
「挙げ句、お前みたいな人間が聖女を名乗るなんて、図々しいにもほどがある! シルヴィーラ国の守護の力はお前の力なんかではなく、妻から奪ったものではないのか!?」
「レオンドル殿下! 言い過ぎです」
「黙れ!! リアン・アイスコレッタ、人外であるお前に、人の心の機微なんぞわからないだろう!!」
「わかります!! リアンにだって、心はあるんです!!」
言い返したあと、イルゼはハッとなる。
冷静になって交渉しなければならないのに、感情的になってしまった。
レオンドルも言いかえされるとは思っていなかったのだろう。ポカンとした表情で、イルゼを見つめていた。
「イルゼ、話になりません。交渉決裂です。今日のところは帰りましょう」
「ま、待て! 何もしないで帰るつもりなのか?」
「何も、というのは?」
「つ、妻の具合がかんばしくない。数日のうちに、峠を迎えるだろうとも言われている」
「そうしたのは、あなた方でしょう?」
「どうしてそうなる?」
「余所の土地の聖女が力を使うと、明らかに衰弱する。それを知っていて、奇跡の力を使うように言ったのは誰です?」
「そ、それは……!」
リアンは聖女カタリーナを治癒する条件を提示する。
「シルヴィーラ国との戦争を、諦めていただけますか? そうすれば、すぐにでも聖女カタリーナの容態を確認し、聖女様が治癒しますので」
「本当に、その女は聖女なのか?」
「ええ、本物です」
レオンドルはがっくりとうな垂れ、消え入りそうな声で「わかった。戦争はしない」と口にした。リアンは用意していた契約書にサインを求める。
きっちり署名が印されたのを確認すると、聖女カタリーナのもとへ案内するよう求めた。
◇◇◇
王都の郊外にある離宮に、聖女カタリーナはいるようだ。竜車で移動し、辿り着く。
白亜の美しい宮殿は、レオンドルが結婚したさい国王より贈られたものらしい。
レオンドルは足早に、聖女カタリーナの寝所へ案内する。
離宮の中は慌ただしかった。レオンドルは血相を変えて走る侍女を捕まえ、事情を聞く。
「おい、どうした?」
「あ――殿下。妃殿下の容態が急変しまして、今、魔法医が治療しております」
「なんだと!?」
走り出すレオンドルのあとを、イルゼとリアンも続く。
寝室にはたくさんの侍女やメイドが行き来していた。魔法医の指示を飛ばす声も聞こえた。
「魔石を使って魔力を維持させろ! 離宮中の窓を全部開いて、外から魔力を取り込むんだ!!」
レオンドルが寝台に横たわる聖女カタリーナのもとへと駆け寄る。
「カタリーナ!」
「殿下、意識はもうありません」
「わかっている!!」
遅れて、イルゼも寝室に到着した。
美しかった聖女カタリーナは、面影を残していなかった。顔色は青く、酷く痩せこけて目は落ちくぼんでいた。ただでさえ細かった指は、枯れた枝のようである。絹の寝間着に包まれた体も、骨と皮のみあるような状態なのだろう。短い期間で、人はこうも衰弱できるのか。恐ろしくなる。
「イルゼ!」
リアンに名を呼ばれ、ハッとなる。
すぐに、治療が必要だろう。リアンが人払いをしてくれる。必死の形相で聖女カタリーナの手を握っていたレオンドルも引き剥がした。
イルゼは聖女カタリーナの前で一言謝罪する。
「ごめんなさい」
そして奇跡の力を使い、聖女カタリーナの活力を復活させる。
寝室は光に包まれた。そして、聖女カタリーナは元通りになる。
光が収まると、レオンドルはすぐに聖女カタリーナのもとへと駆け寄った。
「カタリーナ! ああ――!」
健康的な体を取り戻した聖女カタリーナを見て、レオンドルは安堵の息をつく。そして、目を覚ますと、涙を流して喜んだ。
「わたくしは、いったい?」
「シルヴィーラ国の聖女がやってきて、治してくれたんだ」
「シルヴィーラ国の、聖女様?」
「ああ」
涙で顔がぐちゃぐちゃになったレオンドルが、イルゼを振り返る。
聖女カタリーナは目を細め、「ありがとうございます」と感謝の気持ちを伝えてきた。
「カタリーナ、彼女はイルゼ・フォン・エルメルライヒだ」
「まあ、そうだったのですね」
「お前がいなくなってから、聖女の力に目覚めたらしい」
「そう、よかったです。心配していたんです。わたくしがいなくなったあとの、祖国を……」
聖女カタリーナは涙を浮かべながら、イルゼに手を伸ばす。
彼女に触れていいものか。迷っていたらリアンが背中を押してくれた。
イルゼは聖女カタリーナの手を握り、謝罪する。
「本当に、ごめんなさい」
「どうして、謝るのです?」
「私は、あなたに酷い言葉をぶつけたから」
「心あらずの言葉だと、わかっておりました。誰かが用意したものだったのでしょう?」
「そうであっても、私が暴言をはいたことに変わりはないから」
「やはり、あなたは真面目なお方だったのですね」
聖女カタリーナはイルゼを責めなかった。それどころか、大変だっただろうと励ましてくれた。
「大丈夫です。イルゼさんは悪くありません。それでも悪いと己を責めるのならば、今、わたくしが許しましょう。今後二度と、気にすることはないように」
彼女の言葉で、イルゼの中にこびりついていた罪の意識は浄化された。




