誓いの指輪
「契約してくださいというのは、冗談です」
本当なのか。怪しいところである。
「その代わりに、これを」
差し出されたのは、アメシストの魔石が填め込まれた指輪だった。
「リアン、それは何?」
「イルゼがどこにいてもわかる指輪です。これを、受け取ってくれますか?」
深く考えずに、イルゼはこくんと頷いた。
リアンはイルゼの手を恭しく手に取り、指輪を左手の薬指に填め込む。
そこは、既婚者が指輪をする指だ。
意見しようとしたら、リアンが深く安堵した声で「よかった」と呟いた。
何も言えなくなる。
リアンはイルゼの指輪をした手を握ったまま、口元へと持って行った。
その手が、彼の唇に触れることはない。冷たい兜に当たるだけだ。
たったそれだけなのに、イルゼはドキドキと胸が高鳴る。
血が散った部屋で、再会した男女は熱い眼差しを交わしていた。
その日の夜――想定外の事態となった。
夫婦だからと言われ、寝室を一緒にされてしまった。
シルヴィーラ国では、夫婦であっても寝室は別である。ジルコニア公国では、そうではないらしい。
イルゼが頭を抱えていたら、リアンが嬉しそうに言った。
「セレディンティア大国でも、夫婦は一緒に眠るものなんです」
「でもリアン。私達、本当の夫婦ではないから」
「わかっています。でもここは、夫婦の振りをしないといけないので」
自然と、声が弾んでいた。あまりにも嬉しそうなので、それ以上は何も言えなくなってしまう。
リアンはイルゼの言うことは聞く。だから、嫌がるような行為は働かないだろう。
上機嫌のリアンは、風呂に入ると言っていなくなった。
ハト・ポウを頭上に載せたイルゼはハッとなる。
もしかしたら、リアンの素顔をついに見ることができるのではないかと。
出会ってからどれだけ経ったか。
一度も、素顔を見せないのだ。
リアンにとって、板金鎧は生命維持器である。日常の中で脱ぐわけにはいかない。わかっていたので、何も言わなかった。
ずっと、イルゼはリアンの素顔に興味がないわけではなかったのだ。
一時間後、リアンが戻ってくる。
「お風呂、気持ちよかったです」
「そう」
リアンはスッキリとした空気を纏いつつ、鎧の肩にタオルをかけた状態で戻ってきた。
風呂上がりでも、リアンは素顔を晒さないらしい。
だったら、眠るときは鎧を脱ぐだろう。
そう思っていたが――。
「あの、私は何もしませんので、ご安心ください」
もじもじしながらそう言って、鎧のまま寝台に横たわったのだ。
イルゼは胸を押さえ、はーーーと長いため息をつく。
もう、諦めよう。
イルゼの判断は速かった。
リアンはこういう生き物なのだと、思うことにする。素顔を見られると期待するのは止めた。
イルゼも横になる。頬の辺りに、ハト・ポウが身を寄せた。
ふわふわの羽毛に触れ、気持ちが穏やかになっていく。
大変な一日だった。けれども、リアンやハト・ポウがきてくれた。
本当によかった。そう思いながら、イルゼは眠りに就いた。
◇◇◇
その翌日に、ジルコニア大公家の竜車で迎えられたフィンがやってくる。
深紅の聖装姿は久しぶりだ。
出迎えたイルゼとリアンに、一言物申す。
「ふたりとも、大変だったな」
問題を解決できなかったので、怒られると思っていた。けれども、フィンは労ってくれた。表情は険しかったが。
「ジルコニア大公と話し合いをする。ふたりとも、同席するように」
「御意」
「仰せの通りに」
国の命運を賭けた話し合いが、今、始まる。
開口一番、フィンが意見する。
「僕は聖女カタリーナと会うべきだと思う。彼女は争いを好まない、温厚な性格だと聞いている。もしも、自分のせいで故郷が戦場となることを知ったら、反対するだろう。セレディンティア大国側も、聖女の意見は無視できまい」
フィンの意見に、ジルコニア大公は大きく頷いた。
「だったら、交渉は我が行こうか!」
デュランダルが挙手したが、フィンによって即座に却下された。
「交渉にいくのは、イルゼ。そしてリアン、ハト・ポウだ」
「え?」
「なっ!」
『ポッ!?』
思いがけない抜擢に、一同は驚く。
中でも、イルゼは震えに襲われるほど驚いた。
「猊下、私は聖女カタリーナを誹謗中傷していた者のひとりです。そんな私が行ったら、不興を買ってしまうのでは?」
「ちょうどいいではないか。聖女カタリーナに会って、謝ってこい。その機会すら、与えられなかったのだろう?」
「ええ。でも、私のせいで交渉が失敗したら、どうなるのか……」
「イルゼ・フォン・エルメルライヒ。人は完全でないから、失敗するものだ。大切なのは、失敗したあと、どれほど誠意を見せられるかだと思う」
わかっている。わかっているけれど、また失敗したらと恐れる気持ちのほうが大きい。
膝の上で震える手を、隣に座ったリアンが優しく握ってくれる。ひとりではないと、心に寄り添ってくれるようだった。
そうだ。イルゼはこれまでと違って、ひとりではない。
もし失敗しても、リアンが、ハト・ポウが助けてくれる。
怖がってばかりでは、前に進めない。
「わかりました。その任務、お受けします」
イルゼの言葉のあと、リアンとハト・ポウも頷いた。
ひとりではないことが、どれほどありがたいか。イルゼはひしひしと実感した。
こうして、一行はセレディンティア大国を目指すこととなった。
出発を明日に控えた晩――イルゼはリアンに話しかける。
「リアン、あなた、偽装結婚のままで国に帰って、本当にいいの?」
「問題はまったくありませんが」
リアンが結婚したと、他人だけでなく親族にまで嘘をついているのはどうなのかと疑問に思っていたのだ。
「嘘は、よくない」
「だったら、本当にすればいいのでは?」
「どういうこと?」
「イルゼが、私の本当の妻になればいいのです」
「それはダメ」
「どうしてですか?」
「あなたが後悔するから」
「絶対に、後悔なんてしません」
「するの」
イルゼはそうだった。ずっとずっと選ばれない側の人間だったのだ。
静かに、語り始める。




