戦え。己の尊厳を守るために
「ほ、本当に、ど、どうすればいいものか……!」
ジルコニア大公はべそべそ泣きながら、弱音を吐く。
大人の、父親ほどの年齢の男性がここまで弱みを見せるので、イルゼは困惑してしまう。
小娘に見せていい姿ではない。
否、イルゼがよく知りもしない小娘だからこそ、気にせずに嘆いているのだろう。
ジルコニア大公の名誉のため、この記憶は墓場まで持って行こうと思った。
泣きたい気持ちは理解できる。大切に守っていたものが、奪われようとしているから。
けれども、ここで嘆いていても状況は変わらない。
判断するならば、早いほうがいいだろう。
考えろ。何か、いい案があるはずだ。
そう思った瞬間に、頭がずきんと痛んだ。額を揉むように押さえるのと同時に、窓から外の様子を見る。サラサラと、静かな雨が降っていた。
雨の日はいつも目の奥がじんわり痛む。幼少期から続く片頭痛だ。久しぶりの雨だった。
「イルゼ嬢、その、大丈夫? 頭、痛むの?」
涙でぐしゃぐしゃになった顔のジルコニア大公は、心配そうに問いかけてくる。
明らかに、大変な状況なのは彼のほうだ。それなのに、イルゼを案じてくれた。
安心させるため、すぐに言葉を返す。
「平気です」
「そっか。今日は温かくして、ゆっくり休むといいよ」
「大公閣下……」
残念ながら、のんきに休んでいる場合ではなかった。
一刻も速い判断が必要となるだろう。
「あ、結婚前のお嬢さんが、私みたいなおじさんとふたりきりになるなんてよくないよね。待って、侍女を呼ぶから――」
「その前に、お話があります」
「何かな?」
「大公閣下は、今後をどのようにお考えですか?」
「え、いや、なんというか、デュランダルちゃんの野望を聞いてしまった以上、このままではいけないと思っているけれど……。でも、セレディンティア大国の従属国になるのは嫌だ」
その理由を、ジルコニア大公は語って聞かせてくれた。
「その昔、多くの資産でセレディンティア大国の発展を支えてきたジルコニア家は、大公の爵位と広大な土地を与えられた――」
当時、ジルコニア公国は山や森が大半を占める状態で、何代も何代もかけて開墾してきたのだという。
「長年、田舎領主だとバカにされてきたのだけれど、ある日金銀財宝が採れる鉱山を発見した。そこから、周囲の目の色が変わったようなんだ」
財産を守るために戦っていたようだが、ついにはセレディンティア大国の干渉も受ける。
「一度与えた領地を、返せと言いだしたのだ」
独立前のこの土地は、完全に国から譲渡されたものだったらしい。価値があるとわかった途端、返せという。
「五百年ほど前、まだ大国と呼ばれる前のセレディンティア国と、我が先祖は勇敢に戦った――」
勝利へと導いたのは、ハイエルフであるデュランダルだった。以降、彼女はジルコニア大公家を守護する大賢者として滞在し続ける。
「そうだ……! 誰かに大切なものを脅かされそうになったときは、戦わないといけない。従属国になんてなったら、ご先祖様に会わせる顔なんてなくなるよ」
ジルコニア大公はぐっと拳を握り、涙で濡れた目元を拭った。
別人かと思うくらい、キリッとした表情で立ち上がる。
「イルゼ嬢、ありがとう。君がいなかったら、いつまで経ってもべそべそ泣いていたような気がする」
「いえ、私は何もしていないのですが」
「またまた、ご謙遜を」
まずは、デュランダルに相談するらしい。五百年前のように戦いをふっかけられた場合、彼女ひとりで応戦するのは難しいだろう。
それでも、今後について話し合わないといけない。
戦うと決めたから。
そんなわけで、ジルコニア大公の行動は早かった。厨房の料理人に大量のドーナツ作りを命じ、デュランダルを呼び寄せる。
「――というわけで、従属国になれって言われちゃったんだよ」
「なるほどな!」
ちなみに、イルゼとジルコニア大公がこそこそ打ち合わせしているのはバレていたらしい。そもそも、デュランダルはわざとイルゼをジルコニア大公の部屋に残し、去って行ったようだ。
「何か、大公に話をしたいような空気を感じていたからな。我もイルゼを勝手に召喚した手前、罪悪感もあった」
「そうだったの」
おかげで、イルゼはジルコニア大公と話ができた。心配りに感謝する。
「して、大公。何か策はあるのか?」
「いや、デュランダルちゃんはどう思うか、聞こうかなと思って」
「戦うと勇ましく言った割には、他人任せなのか」
「うっ、ごめん」
ここでイルゼが挙手する。
「イルゼ嬢、何か考えがあるのかな?」
「はい。剣を握って振るうだけが、戦いではないと思いまして」
「それは、どういうことかな?」
「話し合いです」
まずシルヴィーラ国の聖教会、枢機卿であるフィンに事態を報告したい。彼ならばジルコニア公国と協力することによって、何か対策を思いつくかもしれないから。
「もうひとつは、夫を呼び寄せたいのですが」
「えー、イルゼ嬢人妻じゃん! パートナーに黙って人妻を拐かすなんて、悪魔としか言いようがないよ、デュランダルちゃん!」
「知らなかったのだ」
「もう、デュランダルちゃん、ボコボコにされるの確定だよ」
「それはまあ、覚悟はしている」
話が逸れてしまった。イルゼは言葉を続ける。
「夫はアイスコレッタ家の者で、交渉のお役に立てると思うのです」
「えっ、アイスコレッタ家の人!? また、やばい人と縁が……いやいや、なんでもない」
竜を従え、たぐいまれなる身体能力を持つアイスコレッタ家の者達は、周囲から一目置かれているという。
王家からの信頼も厚く、関係を結びたいと思う者ばかりらしい。
「いや、デュランダルちゃん、ボコボコどころではなくて、殺されるかも」
「アイスコレッタ家の者など、我の敵ではない! おい、イルゼよ。お主の夫の名は、なんという? 我の知っているアイスコレッタ家の者は、そこまで多くないぞ」
次なるイルゼの一言によって、デュランダルの顔色は変わった。
「夫の名は、リアン。リアン・アイスコレッタ」
「リアン・アイスコレッタだと!? 我が会いたくないアイスコレッタ家の者ランキング、ぶっちぎりの一位ではないか!」
どうやら、リアンとデュランダルの間には、何かしらの因縁があるようだ。
ちなみに二位は、アイスコレッタ公爵らしい。ハイエルフの子が欲しいと、口説いてきたからだとか。




