セレディンティア大国の聖女
それから一週間、イルゼはデュランダルのためにドーナツを作り続けた。
どのドーナツも、デュランダルは涙を流しながら食べる。そして、くり抜いた穴の部分を揚げたものまできれいに平らげるのだ。見事としか言えない食べっぷりである。
おいしい、おいしいと言って笑顔で食べてくれたら、作りがいがあるというもの。
そんな中で思い出す。イルゼの作ったクッキーを、おいしいと言って食べてくれたリアンの存在を。
今、何をしているのだろうか。戦争を止めるために、イルゼを置いてセレディンティア大国へ向かったならばそれでよい。どうか、元気でいますようにと願うばかりだ。
ハト・ポウも、お腹を空かせていないか心配になった。
胸がぎゅっと苦しくなる。
侍女からもっと食べたほうがいいと言われるも、食欲は湧かなかった。
顔色が悪かったようで、デュランダルが魔法薬を煎じてくれた。それを呑んだあとは、少しだけ具合がよくなる。
弱い自分に、嫌気が差していた。
そんな状況の中、朗報が届けられる。
ジルコニア大公の弟が、屋敷にやってくるというのだ。
戦争については元老院の議会にも挙がっていたようで、話し合いが重ねられているらしい。詳しい話を聞けるようだ。
イルゼには、ジルコニア大公の侍女として部屋にいればいいと言ってくれた。
面会当日――イルゼは朝からデュランダルに焼きドーナツを作り、身なりを整える。
侍女からドレスを借りて、茶色の髪のカツラを被った。
念のため、眼鏡もかけておく。
赤狐色の髪は目立つので、セレディンティア大国の宰相の印象に残らないよう対策をしたのである。
客間で待機していたら、先にジルコニア大公がやってきた。
「イルゼ嬢、今日は頑張るからね!」
「はい。よろしくお願いいたします」
ジルコニア大公の健闘を祈る。
それから五分と経たずに、ジルコニア大公の弟がやってきた。
「おお、アランよ! 久しいな」
「兄上も、元気そうで」
ふくよかなジルコニア大公に対し、アランと呼ばれた宰相は細身であった。
アラン・ジュール――彼はジルコニア公国の出身でありながら、セレディンティア大国の宰相にまで上り詰めた男である。
ジュール宰相は口元に威厳ある髭を蓄えており、目は野心でギラついているように見えた。似ても似つかぬ兄弟である。
しばし近況報告を交わしたあと、ジュール宰相は人払いをするように言ってきた。
なんとなく、そうなるのではないかと予想していた。この場はジルコニア大公に任せるしかないだろう。
「ああ、彼女は、残してもいいだろうか?」
出て行こうとしていたのに、ジルコニア大公がイルゼを引き留める。
「なぜです?」
「あの、えっと、彼女は、その、わ、私の愛人で、片時も離れたくないもので……ね。ずっと、視界の隅に入れておきたいんだ」
イルゼはギョッとする。バレバレの嘘である。しかしながら、ジュール宰相は「それならば、仕方がありませんね」と言ってこの場に残ることを許可した。
「兄上、本題へと移りましょうか」
「うん、そうだね」
ジルコニア大公の犠牲は忘れない。イルゼは心の中で深く感謝する。
「率直に申しますと、シルヴィーラ国とセレディンティア大国の戦争を止めるのは非常に困難かと」
「ど、どうしてだい?」
「シルヴィーラ国は、レオンドル殿下の妻カタリーナ妃に酷い仕打ちを行ったようです」
ジュール宰相の話を聞いて、くらりと目眩を覚える。
セレディンティア大国の聖女とは、国外追放されたカタリーナだったのだ。
聖女を探しに行ったレオンドルは、旅の途中でカタリーナを保護。そして彼女が聖女だと知ったらしい。
彼らは旅する中で、愛を育んでいたようだ。
王都に戻ってすぐ、レオンドルはカタリーナを妻にしたいと望んだ。
待望の聖女である。反対するわけがなかった。
「レオンドル殿下は、カタリーナ妃を侮辱したシルヴィーラ国は存在する価値などないとお考えになっているようで」
「そ、そんな……! なんとか、止めることはできないのかい?」
「難しいかと」
いったいどうすればいいのか。
レオンドルはシルヴィーラ国に対し、大きな怒りを覚えているという。
このような状況では、リアンでも戦争を止められなかっただろう。
「兄上、私のほうからも、ひとつ提案させていただきたいのですが」
「な、なんだい?」
「セレディンティア大国の従属国になりませんか?」
「へ!?」
「この地がセレディンティア大国の一部となれば、聖女の祝福も及ぶ。もう、あのとんちんかんなハイエルフに、媚びへつらう必要はない」
ジルコニア大公はサッと顔を伏せる。
従属国となって平和を得るか、独立国としてデュランダルを頼り続けるか。悩んでいるのだろう。
「私は――」
「今すぐ決められるものではないでしょう。今日のところは、これで帰らせていただきます」
ジュール宰相は竜車を使ってきていたらしい。窓の外を覗き込むと、庭の広場に美しい白竜が下り立っていた。
鱗がダイヤモンドのように光り輝いている。
あれは白竜ではない。きっと、聖竜だ。初めて見たものの、どうしてかわかったのだ。
ぱたんと扉が閉ざされたあと、ハッと我に返った。
振り返って、ジルコニア大公のほうを見る。ぐったりと、うな垂れていた。
よくよく見たら、涙を流していた。
「じゅ、従属国は、絶対に嫌だよお……!」
「心中、お察しします」
思いがけない事態となってしまった。
今はただ、落胆するジルコニア大公を励ますばかりである。
「本当に、ふがいないよ」
なんと声をかけていいのかわからなかった。