交渉
「イルゼよ。私は感動しておる!」
「はあ」
「このようなすばらしいドーナツを作れるお主が友とは、誇らしいぞ」
「発酵ドーナツを考えたのは私ではないけれど」
ただ作るだけならば、誰にだってできるだろう。褒めすぎだと言うと、そうではないと言う。
「人間は寿命が短く、儚い生き物だ。そんな人間が、我のために時間を割いて特別なドーナツを作ってくれた。それが何よりも嬉しいのだ」
「そう」
ドーナツ作りは保身のためであるが、デュランダルにおいしく食べてほしいという気持ちは一応あった。
彼女はきっと、そんなイルゼのささいな気持ちを誇らしく思ってくれたのだろう。
「この発酵ドーナツがあれば、天下が取れるぞ! 世界平和も、夢ではない」
「大げさな」
「そんなことはないぞ」
デュランダルはドーナツをひとつ手に取り、空いている手を握って転移魔法を展開させる。
「え!? ちょっ――」
文句を言う前に、地下から目的地へとたどり着いた。そこは、ジルコニア大公の執務室である。
「どわーー!!」
二日連続で、ジルコニア大公を驚かせてしまった。デュランダルのしたこととはいえ、申し訳なくなる。
「大公よ! このドーナツを食べてみよ」
「え、デュランダルちゃん、こ、このドーナツ、どうしたの!?」
「我が友イルゼが作ってくれたのだ!」
ハッとなってイルゼを見たジルコニア大公の顔色が、途端に真っ青に染まっていった。それも無理はないのだろう。ジルコニア公国はドーナツと引き換えに、デュランダルの守護を得ている。
五百年もの間、ドーナツはジルコニア大公家でしか作れないと嘘をついていたのだ。
「大公、どうしたのだ? 早く食べよ」
「え、あ、うん」
ジルコニア大公はしょんぼりしながら、ドーナツを口にした。その瞬間、瞳がパッと輝く。
「うぇ、何これ、とんでもなくおいしいドーナツ!!」
「そうだろう、そうだろう」
デュランダルは腰に手を当てて、自分の手柄のようにコクコクと頷いている。
「イルゼはこれ以外にも、いくつかのドーナツを作れるのだ」
「へぇええ~、そうなんだあ。すご~……い」
大公のドーナツを食べて輝いていた瞳から、光がサッと消えた。
なんだか気の毒になってくる。
「我は残りのドーナツを食してこよう」
そう言い残して、デュランダルは転移魔法を用いて消えていった。
イルゼはジルコニア大公の部屋に取り残されてしまう。なぜ、一緒に連れていってくれなかったのか。腹立たしい気持ちになった。
「あ、あの~、イルゼ嬢?」
「なんでしょうか?」
「我々とデュランダルちゃんの間に結んだ契約について、知っているのかな?」
「はい」
頷くイルゼを見た途端、ジルコニア大公はつーと涙を流した。
「君は、ジルコニア公国を破滅に導く破壊神なの?」
「いいえ、違います。私は――」
どうしようか。イルゼは迷う。
けれども、ここで交渉を持ちかけることもできるだろう。
ジルコニア大公は悪人ではない。きっと、イルゼを窮地から救ってくれるだろう。
即座に腹を括る。まっすぐ前を見て、ジルコニア大公に交渉を持ちかけた。
「聖女だと勘違いされて、デュランダルに召喚された者です」
「えーーーー!! やっぱりデュランダルちゃん、誘拐しているじゃん! もーーーーー!!」
ジルコニア大公は涙をポロポロと流しながら、何度も「ごめんねえ」と謝る。
その反応を前に、イルゼはホッと胸をなで下ろした。ジルコニア大公はイルゼの思っていた通りの、善人であるようだ。
「私は、ある目的を持ってシルヴィーラ国からジルコニア公国を経由して、セレディンティア大国へ渡る予定でした」
「でも、志半ばでデュランダルちゃんに召喚されてしまったと」
「ええ」
「デュランダルちゃんはどうして、聖女を欲していたの?」
「聖女をジルコニア公国に置き、自らは出て行こうと思っていたそうです」
「やっぱり、そっちかー」
聖女でないのに、ジルコニア公国に置いて行かれたら非常に困る。
その思いは、ジルコニア大公も同じだろう。
「お願いがあるのです」
「なんでも聞く!」
「大公閣下、用件を聞く前に、安請け合いしないほうがよいのでは?」
「国の平和と天秤にかけたら、なんでも聞いてみせるよ!」
なんとも頼もしい。しかしながら、イルゼが抱える件はジルコニア大公に解決できるものか。心配しつつ、話を持ちかける。
「風の噂で、シルヴィーラ国とセレディンティア大国の間で戦争が起こると聞きました。戦争が起こらないよう、止めていただきたいな、と」
「わーお。思っていた以上に、シビアな願いだった」
イルゼはジルコニア大公に、深々と頭を下げて訴える。
「デュランダルはドーナツを使って、この地にどうにか引き留めます。だから、どうかお願いします」
「うーん」
ジルコニア大公の耳にも、シルヴィーラ国とセレディンティア大国の戦争の噂は届いていたらしい。けれども、実現はしないだろうと考えていたようだ。
「セレディンティア大国がシルヴィーラ国に勝利しても、利得は見込めないからねえ」
「ええ」
ジルコニア公国のように鉱山があるわけでもなく、農作物が豊富に採れるわけでもない。たとえ地領に加えたとしても、維持に費用がかかるだけだろう。
「私の上司は、遺恨を晴らすためではないかと、想定しているようです」
「遺恨?」
「はい」
王女であり聖女でもある者を誘拐したのは、シルヴィーラ国の者ではないのか。そんな憶測を第二王子であるレオンドルは長年主張していたという。
聖女である妹が発見されたとしたら――?
シルヴィーラ国へ報復するだろう。
「ってことは、シルヴィーラ国に今までいた聖女が、セレディンティア大国の王女様だったってこと?」
「可能性のひとつとして、考えられます」
「うーーん。そうか」
どくんどくんと、胸が高鳴る。どうかお願いと、神に祈りながらジルコニア大公の返答を待った。
「わかった。セレディンティア大国に弟がいるから、話を聞いてみよう」
「ありがとうございます!」
なんでも、ジルコニア大公の弟はセレディンティア大国にて宰相の座にまで上り詰めた優秀な人物らしい。
すぐにでも信書をセレディンティア大国まで届けさせ、面会の席を作ることを約束してくれた。
「私も、シルヴィーラ国とセレディンティア大国が戦争になったら困る。何がなんでも、反対しよう」
「はい!」
イルゼの歩む真っ暗闇の道筋に、一筋の光が差し込んだ。