ドーナツを作る
パンを食べていると、ふとハト・ポウを思い出す。
そういえば、イルゼ以外の手から食べなかったような。
途端に、パンを食べる手が止まってしまった。
リアンはハト・ポウにパンを与えてくれているのか。
ハト・ポウはリアンが与えたパンを食べられるのか。
ふたりを思うと、胸が苦しくなった。瞼も、熱くなる。
「イルゼ嬢、食事がお口に合わなかったかな?」
「いいえ。大切な人達を、思いだしてしまって」
「おお、なんという……! ねえデュランダルちゃん、このお嬢さん、本当に無理矢理拐かしてきたんじゃないよね!?」
「くどいな。そうではないと言っているだろうが」
「えー、本当に?」
「本当の本当だ」
「怪しい~」
心優しいジルコニア大公は、大切な人達も招いていいと言ってくれた。イルゼは深く感謝する。
胸がいっぱいになり、朝食はこれ以上食べられなかった。
朝食後は、ドーナツ作りを開始する。案内されたのは、普段デュランダルが使っている地下工房だ。
「ここで、ドーナツを作るの?」
「そうだな!」
工房は魔石灯で照らされているものの、若干薄暗い。棚には魔法に使う瓶入りの素材がずらりと並べられていた。謎の液体に浸かった目玉や舌もあるので、気味が悪い。
窯には大きな鍋が置かれ、緑色の何かがぐつぐつ煮立っていた。
とても、ドーナツを作るような環境とは思えない。
「さあ、イルゼ! 新たなドーナツを作るとしようぞ! 材料は、揃っている!」
デュランダルは調合机に手を添える。すると、魔法陣が浮かび上がった。淡く光る円陣はデュランダルの手を呑み込む。
一瞬ぎょっとしたものの、デュランダルの手はすぐに引き抜かれた。手には、大きな紫色の卵が握られていた。
どうやら、ただの収納魔法だったようだ。
ホッとしたのもつかの間のこと。デュランダルは次々と不気味な食材を並べていく。
「ロック鳥の新鮮な卵に、ワームの尻から分泌される蜜、ゴブリンが洞窟で作った小麦粉に、クラーケンから削った塩――なんでもあるぞ!」
「待って。食材は普通でいいの」
「普通?」
「人間が食べている、普通の食材」
「ドーナツはあんなにおいしいのに、その辺の食材を使っているというのか?」
「ええ」
すべて屋敷にある食材で作れるだろう。デュランダルとふたりで、台所まで貰いに行った。
料理人は笑顔でデュランダルに本日のドーナツを差し出す。続けて、いくつかの食材が欲しいと訴えると、快く分けてくれた。
地下工房に戻り、調合机に材料を並べていった。
デュランダルは腰に手を当てて、材料を睨みつける。
「むう! この平々凡々な食材で、ドーナツが作れるとは思えぬのだが」
「作れるんだってば」
ドレスの上にフリフリのエプロンをかけ、調理を開始する。
「まず、バターと牛乳をよく混ぜて、人肌くらいまで温めるの」
水を火にかけて湯煎の準備をしていたら、デュランダルが鍋に手を添える。魔法陣が浮かび上がり、一瞬にしてバターが溶けた。
「これでよいか?」
「ええ、まあ」
魔法だと一瞬で済むようだ。イルゼは羨ましくなる。
「次はどうする?」
「小麦粉、砂糖、酵母を入れて混ぜ、そこに先ほど溶かしたバターと牛乳を加えて練る」
「我がやってみようぞ」
デュランダルは枝のような杖を手に取り、指揮者のように振り始めた。すると、ボウルや泡立て器がひとりでに動く。魔法の力で、調理を行うようだ。
生地を練り込む作業まで終えたら、一次発酵である。
「ここで一時間くらい、発酵させる」
「ドーナツの生地を発酵させるのか。人間は面白いことを考える。ドーナツを、エルフが思いつかないわけだ」
発酵もデュランダルが魔法で済ませてしまう。本当に、羨ましい技術だとイルゼは思った。
「発酵させた生地は、切り分けたあと空気を抜く」
生地をカットし、拳でしっかり空気を抜くのだ。
「そのあと、型抜き――あ!」
「どうした?」
「ドーナツの型抜きがないと思って」
クッキーならば、グラスの縁を使ってくり抜ける。けれども、ドーナツはそういうわけにはいかないだろう。
「型抜きは任せろ!」
そう言って、収納魔法でドーナツ型を取り出す。それは、ごくごく普通の型抜きにしか見えなかった。
だが、これまでのおかしな行動の数々を考えて、普通の型抜きとは思えない。イルゼは恐る恐る質問を投げかける。
「その型抜き、どうしたの?」
「これは、サラマンダーが生息する火山で採れるマグマから作った、とっておきの型抜きだ」
「……」
やはり、普通ではなかったようだ。
魔物の成分は製造の途中で除外しているという言葉を信じ、イルゼは生地を型抜きしていった。
「今度は、魔法を使わずに発酵させるから」
「どうしてだ?」
「発酵させている間に、グレーズを作るから」
「なんだ、それは?」
「揚がったドーナツの表面に塗る、柔らかい飴みたいなもの」
「ほう!」
グレーズに使うのは、粉砂糖に蜂蜜、牛乳に柑橘汁。これらを混ぜて、鍋で煮込む。とろみが出てきたらグレーズの完成だ。
「イルゼ、そろそろ発酵されたのではないか?」
「ええ、そろそろね」
鍋に油を満たし、温める。温まった油に、ドーナツの生地を落とした。
生地の周囲が、しゅわしゅわと泡立つ。両面がキツネ色になるまで揚げるのだ。
「おいしそう! おいしそうだ!」
「はいはい」
デュランダルは興奮するあまり「食べていいか!?」と言って油の中に手を突っ込みそうになったので、イルゼは「待て待て」と慌てて引き留めた。
油から上げたドーナツはしばし熱を取る。ほどほどに冷えたのを見計らって、先ほど作ったグレーズにドーナツの表面を潜らせた。
グレーズが固まったら、発酵ドーナツの完成だ。
デュランダルは我慢できそうになかったため、できたてを差し出す。
「どうぞ」
「あ、ああ。ありがとう」
初めてのドーナツを前に、デュランダルは緊張の面持ちでいた。
そして、発酵ドーナツをパクリと食べた。
「う……」
「う?」
「うまいぞ!!」
地下に、デュランダルの大声が響き渡った。
デュランダルは涙を流す。
イルゼも朝、白いパンを食べたときに泣きそうになったので、気持ちは理解できる。
「おい、イルゼも食べてみよ。天にも上るような味わいだぞ」
「ありがとう」
イルゼも久しぶりに発酵ドーナツを食べた。
ふんわりと口溶けが軽く、優しい甘さがある。おいしいドーナツだった。