ジルコニア大公家の朝
ハイエルフであり、大賢者でもあるデュランダルの唯一無二の友イルゼは、聖女代理をしていた頃よりも丁重な対応を受けていた。
専属の侍女は四名、メイドは十五名。豪奢な私室やドレスが用意される。
代理聖女をしていたとき以上の好待遇であった。イルゼは居心地の悪さを覚える。
リアンやハト・ポウを思うと、胸がジクリと痛んだ。
契約で結ばれたハト・ポウと、連絡が取り合えるかもしれない。それに気づいて、ハト・ポウの名を呼んで語りかけてみた。
しかしながら、反応はまるでなし。
魔法の知識でもあれば、契約を有効活用できるのかもしれない。
イルゼはその辺の知識はからっきしである。
魔法のブローチの中に入れてあった水晶通信は、使い物にならなかった。おそらくだが、通信妨害の魔法がジルコニア大公家の周囲にかけられているのだろう。
どうか、一刻も早くリアンとハト・ポウが見つけてくれますように。
今は祈りを捧げるほかなかった。
翌朝――イルゼは大声でたたき起こされる。
「おい、イルゼ! 朝だぞ!」
「ううん……」
「起きてドーナツを作ろうぞ!」
重たい。そしてうるさい。そう思ったのと同時に、イルゼは目が覚める。
イルゼの上に、デュランダルがのしかかっている状態であった。重たいし、うるさいわけである。
これが小型犬や猫であれば可愛いが、イルゼよりも図体が大きい成人女性だとまったく可愛くなかった。
デュランダルが指先を弾いてカーテンを開く。外は真っ暗。まだ、日の出前だった。
……朝とは?
疑問を覚えるばかりである。
しぶしぶ起き上がり、デュランダルが魔法で用意した湯で顔を洗う。
タオルで水分を拭ったあと、デュランダルは魔法で小粒の水滴を出現させ、イルゼの手のひらに載せた。
「これは?」
「化粧水だ。肌に水分を与える効果がある。まんべんなく、塗り込むのだぞ」
「はあ」
化粧水を塗ったら、さらに異なる水滴を出してきた。
「美容液だな。肌に栄養を与える」
これで終わりと思いきや、乳液を塗るように指示される。
「終わり?」
「ああ、そうだな。肌は乾燥が大敵だ。洗顔してすぐに、したほうがよいのだ」
続けて歯磨きを終わらせたところで、侍女達がやってきた。
「遅くなりました。申し訳ありません」
「よいよい、気にするな」
そうだ、そうだとイルゼも頷く。デュランダルが早いだけで、侍女らは決して遅くはなかった。
侍女に続いてやってきた数名のメイドの手には、ドレスがあった。
「本日の朝は、どちらのドレスにいたしましょうか?」
イルゼが似合わない桃薔薇色のドレス以外ならどれでもいいと思っている間に、デュランダルが決める。
「桃薔薇色のドレスが似合うだろう」
あろうことか、似合うとは思えないドレスをチョイスされてしまう。
拒否よりも、侍女とメイドが動くほうが早かった。
侍女の指示のもと、メイドがドレスを着せてくれる。
どうでしょうか、と姿見で確認するよう促される。
思っていたほど、似合っていないわけでもなかった。
続いて、髪結い専属の侍女がやってきて、髪を優雅に結い上げてくれた。三つ編みをクラウンのように巻いた、ジルコニア公国で流行っている髪型らしい。
化粧も手早く施される。職人の仕事だと、しみじみ思った。
身なりを整えたのは、一時間半くらいか。これでも、かなり早いほうだ。かつて取り巻いていたユーリアは、短くても二時間半はかかっていたように思える。
侍女やメイドが出ていったあと、寝台の上にあぐらをかいて見学していたデュランダルが大きな欠伸をした。
「我が魔法でしてやってもよかったのだが、侍女やメイドに仕事を奪うなと怒られるものでな」
「そうだったの」
「ああ。それに、我の化粧や髪結いは、百五十年前に流行っていたものだからな。下手に手を出さないほうがよいと思って」
イルゼは鏡を覗き込む。たしかに、昨日デュランダルが施してくれた化粧と感じが変わっていた。
「今の流行は、薄化粧に見える化粧らしい。透明感の演出に、貴婦人は命をかけているようだ」
あくまでも薄化粧に見えるもので、実際は白粉をこれでもかと叩き込んでいる。
昔と違って、今は素顔が美しい女性が本物の美人だともてはやされる時代だという。
身なりが調ったら、朝食の時間である。
デュランダルは毎朝、ジルコニア大公と共に食べているらしい。
食堂には、ジルコニア大公しかいなかった。
「いやはや、おはよう! デュランダルちゃん以外と朝食を食べるのは、何年ぶりかな」
「大公よ、ついこの間、奥方と食べていただろうが」
「この間って、五年くらい前だと思うよ」
「ふむ。ついこの間だな」
ジルコニア大公は苦笑しつつ、読んでいた新聞を侍従に差し出した。
「イルゼ嬢、昨晩はよく眠れたかな?」
「はい」
旅疲れしていたのだろう。イルゼは横になった途端、ぐっすり寝入ってしまった。
余所の家で眠れないという繊細さは、持ち合わせていなかったようだ。
朝食が運ばれてくる。昨晩、侍女にたくさん食べられないので少量でいいと言っておいたのだ。スープはほどよい量が注がれてある。ホッと胸をなで下ろした。
「こちら、焼きたてのパンでございます」
そう言って、ふかふかの白いパンがカゴごと差し出された。
イルゼは驚く。まさか、憧れの白いパンが、ここで食べられるとは夢にも思っていなかった。
ありがたく、いただく。
手でちぎると、中から湯気が漂った。小麦のいい匂いが、鼻先をかすめる。
口に含んだパンは、とてつもなく柔らかで、おいしかった。
贅沢な朝に、心から感謝したのは言うまでもない。