リアン・アイスコレッタのこれまでについて 前編
セレディンティア大国の王家に続く名家として広く世間に知れ渡るアイスコレッタ家――子どもが生まれる度に竜から卵を贈られるたぐいまれなる一族でもある。
現当主であるアイスコレッタ公爵は、最強とも言われる純白の聖竜を従えていた。彼は長年の聖女不在というセレディンティア大国の守護者とも呼ばれている。
快活な性格で、愛情深い男であった。
ただ、英雄色を好むという言葉の通り、女癖が非常に悪かったのだ。
各地で愛人を作り、養育費を支払う子どもの数は二桁をゆうに超える。
本人は博愛主義と主張しているものの、正妻の心は長年落ち着かない。
愛人は獣人、人魚、ダークエルフと、人間以外の種族も少なくはない。もっとも珍しいのは、精霊だろう。
アイスコレッタ公爵は、精霊までをも魅了してしまったのだ。
ただ、精霊側はアイスコレッタ公爵に妻子がいることなど知らなかった。自分が唯一の愛する存在だと思っていたのだ。
傍に置いておくことはできないと言われ、激昂。アイスコレッタ公爵は全治半年の怪我を負い、生死をさまよっていたらしい。
ただ、英雄に療養する暇などなかった。国一番の回復師の魔法によって強制的に全快となり、再度戦地へ送られる。
明らかにげっそり痩せ細ったアイスコレッタ公爵を見た正妻は、いい気味だと高笑いしていた。
精霊はアイスコレッタ公爵の子どもを宿した状態で、精霊界へと戻った。
生まれた子どもは、母親の愛情を受けながらすくすく育つ。
けれども、六年経ったある日、子どもに異変が起きた。突然、血を吐いたのだ。
原因は、精霊界に漂う濃い魔力だった。
半分人間の血が通う子どもは、成長するにつれて精霊界に適応できなくなっていた。
子どもを死なせたくない精霊は、泣く泣く父親であるアイスコレッタ公爵に託す。
名前がなかった精霊の子は、リアンと名付けられた。
人間界にやってきたリアンだったが、息も切れ切れ。起き上がることすら叶わなかった。
精霊界に比べて人間界は魔力濃度が薄い。魔力の質も精霊界とは大きく異なっていたので、体が受け付けなかったのだろう。
そんな瀕死の息子を見たアイスコレッタ公爵は、剣を振ればたちまち元気になると助言した。正妻を始めとする、女性陣に言葉の猛攻撃を受けたのは言うまでもない。
どうにか元気にならないか。正妻はリアンのために、あれやこれやと手を尽くす。
彼女が産んだ子ではなかったものの、引き取った以上は自分の息子。そう決めつけ、よき育ての母となろうと思っていたという。
アイスコレッタ家の人脈を使い、魔技巧品作りを得意とするドワーフを呼び寄せ、人間界に適応する装備を作るように依頼した。
製作は困難だと言われていたものの、魔力を取りやすいよう変換し、体に吸収させる板金鎧を作りだした。
全身に鎧を纏うことにより、リアンは人間界でまともな生活を送れるようになったわけである。
その後、リアンはアイスコレッタ公爵家の次男として引き取られた。愛人の子がこのような扱いを受けるのは、前代未聞である。リアンは母親がおらず、後見を名乗り出る者もいなかった。そのため正妻の強い希望で、次男として迎え入れたわけである。
そんなリアンには、竜から漆黒の卵が贈られた。黒竜だろうと周囲の者達は予想していたが、生まれたのは邪竜だった。
リアンは邪竜に、マルコゲと名付ける。甘えん坊な竜だった。
誰よりも心優しいマルコゲだったが、人々は邪竜というだけで恐れおののく。
常に全身を覆う鎧をまとい、邪竜を従えていることから、リアンの評判はみるみる下り坂となった。
いくらリアンが戦場に出て魔物と戦い、父親と負けず劣らずの実力者だと認められても、評判は覆らなかったのである。
近づいただけで呪われる。そんな謂われない噂話も出回っていた。
年若い女性は、リアンを見ただけで恐怖し、化け物のような扱いをする。
手を出してこないからと、汚いものを見るような目で睨まれることも少なくはなかった。
リアン自身、いくら精霊の血が混ざっているとはいえ、悪口や失礼な態度に対して何も思わないわけではなかった。
〝邪悪なる騎士〟と呼ばれるのも、地味に傷ついていた。
感情を表に出したら、家族が心配するだろう。そんな思いがあったので、リアン自身は淡々としているように見えるのだ。
ただ、幸いといえばいいのか。リアンは家族に深く愛されていた。
正妻改め義母は自分の子よりもリアンを可愛がり、兄も大切にしてくれた。
女好きの父親も、罪悪感からか剣技のすべてを託す。
腹違いの兄妹達も、皆リアンが大好きである。
家族に愛されていても、心のどこかでリアンは渇望していた。誰かの、たったひとりの特別になりたい、と。
家族はリアンに無償の愛を注いでくれるが、リアンが一番というわけではなかった。
リアンの母は一度、アイスコレッタ公爵を半殺しにしたという。その理由は、正妻と後継者たる子どもがいたからだ。
精霊は一途なのである。多くの者を愛するというのは、絶対に赦さない。
これは精霊の性なのだろうか。よくわからない。
とにかくリアンは孤独を感じ、愛に飢えていたのだ。
けれども、リアンは父親のように博愛ではなかった。他人に対して合理的に割り切り、情を見せることはない。
リアンの誰かを深く愛したいという心と、他人を拒絶したいという心は、いつだって強く反発し合っていた。
誰かに愛されるためには、同じ分だけの愛情を与えないといけない。
それを、リアンはわかっているのにできなかった。
一方的に愛だけ強く望むというのは、卑しいだけだろう。
そんなリアンを取り巻く環境が大きく変わった。
人間界にやってきてから十六年目――セレディンティア大国全土を苦しめていた魔物の集団暴走や局地的な天変地異が、突然終息を見せつつあった。
聖女が生まれたのだと、人々は歓喜していた。
慌てふためくのは聖女を管理する聖務省である。聖女は確認できていない。それなのに、祝福を受けているような状態であると。
聖女捜しを名乗り出たのは、第二王子であるレオンドルであった。
彼はもともと双子で生まれたのだが、片割れの妹は誘拐されてしまったのだ。
その妹こそ、聖女だったというわけである。
もしかしたら、誘拐された妹がセレディンティア大国に戻ってきたのかもしれない。レオンドルは最低限の護衛と従者を引き連れ、旅だった。
平和となった中で、リアンは想定外の話を義母から持ちかけられる。夜会で、生涯の伴侶を見つけてきたらどうかと。
正直、社交場は苦手である。けれども、義母の顔を立てるためにしぶしぶ参加した。
結果、猛烈に怖がられ、後日、夜会で本当にあった怖い話として広まってしまう。
もう、毎日のように魔物と戦わなくていい。そうなれば貴族の家に生まれた者の一員として、人付き合いをしなければならないのだろう。
晩餐会にも誘われたが、板金鎧をまとったままのリアンがいたら不気味でしかない。食べる様子だって、人とは大きく異なる。家族に迷惑をかけてしまうだろう。そう思って、断った。
優しい義母は、リアンが周囲と上手く付き合えるように手を尽くしてくれる。
しかしながら、そのような状況にリアンは耐えきれなくなった。
意を決し、リアンは両親に告げる。自分探しの旅に出かけてくる、と。
義母は反対したものの、アイスコレッタ公爵は笑顔で送り出す。
世界の美女情報を求められたが、丁重に断った。
もしものときに使うようにと、アイスコレッタ公爵の目の前で邪竜の毒針を義母に与えた。
アイスコレッタ公爵は、さすがの自分も邪竜の毒針を刺されたら危ないな! と笑っていた。
義母はすぐに、邪竜の毒針をリアンに返す。
もしものときは、自分の力で手に掛けるからと宣言していた。
義母の頼もしさに安堵しつつ、リアンはセレディンティア大国を旅だったのだった。




