ハイエルフのコイバナ
これからジルコニアの大公と会うらしい。
デュランダルはイルゼの頭巾を剥ぐ。顔を隠していたが、彼女の前で露わとなった。
ハーフアップにして纏めていた髪が、さらりと胸のほうへと落ちる。
「おお、これは見事な赤狐色だ」
デュランダルはイルゼの髪に手を伸ばし、一房手に取る。
「ふむ。手触りも赤狐に似ている」
「飼っていたの?」
「いいや、赤狐は獲物だ。よい毛皮が取れる」
「……」
デュランダルは森の奥地で狩猟生活をしていたときの記憶が甦ったのか。目つきが鋭くなる。突然寒気を覚え、外套の合わせ部分を両手で握った。
聞かなければよかったと、イルゼは後悔する。
「下はドレスか?」
「いいえ。聖教会の聖装だけれど」
「ならば、着替えたほうがいいな」
デュランダルがパチンと指を鳴らすと、足下に大きな魔法陣が浮かび上がった。一瞬、光に包まれる。眩しくって、目を閉じた。
光が収まったので瞼を開くと、ふんわりと広がったボリュームたっぷりのスカートにぎょっとする。
「――え!?」
イルゼが纏うのは、聖教会の白い聖装ではない。美しい藤色のドレスであった。
髪も丁寧に編み込まれ、後ろの髪はお団子状に纏められている。
自分がどのような状態なのか、全体図を見ていないのでよくわからない。と、そんなふうに考えていたら、壁に立て掛けてあった姿見が移動してくる。
鏡の向こう側に映るイルゼはきちんと化粧まで施されている。まるで別人のようだった。
「どうだ?」
「きれい……あ、私自身ではなくて、ドレスとお化粧が」
「よいよい。お主はきれいだ。認めよ」
イルゼは驚く。服に興味がなさそうなデュランダルが、魔法で着飾らせてくれるなど意外であった。
「なぜ我が、このように着飾る術を知っているのか、という顔をしているな」
「それは、まあ……」
現に、デュランダルの現在の服装は男物と思わしき外套を纏うばかりである。その下は、おそらくシャツとズボンだろう。
「ついこの間――百五十年ほど前だろうか。ドレスを纏うのにハマってな」
百五十年前はつい最近ではない。やはり、ハイエルフと人間の時間の感覚は大きくかけ離れているようだ。
「髪を編んで、化粧をして、ドレスで着飾り、恋の駆け引きを楽しんだ」
「あなたが、恋を?」
「意外か?」
「ええ、とても」
「正直だな。よい!」
百五十年前、デュランダルはジルコニア公国社交界の艶花として君臨していたらしい。
けれども、ある日飽きてしまったのだとか。
「飽きたというか、なんというか。まあ、ようは男共に振られたのだ」
貴族の男達はこぞってデュランダルに恋した。楽しいひとときを過ごしたものの、ある一定の期間を過ぎると交際を辞退していったという。
「皆、結婚するから、我と共に在ることは難しいと」
当時のデュランダルは振られても、気にせず次の相手を探していた。
社交界には大勢の男がいる。ひとりの男に溺れ、執着することはなかったのだ。
「恋という戯れに飽きたのは、昔付き合っていた男の孫に言い寄られた時だったな。驚くほどそっくりで、昔恋した男が死んだことを知った」
人は長くは生きない。そんな相手に、一時期でも気を許していたのだ。亡くなったと耳にしたら、いくら神経が図太いデュランダルでも落ち込んでしまう。
「それから、恋をすることはなくなった。振り返ってみると、楽しかったように思える。けれども、二度と恋なんぞしたくはないな!」
恋とはどういうものなのか。イルゼは首を傾げる。
「どうした?」
「いえ、恋するというのは、どんなものかと思って」
「それはな、胸が甘くざわついて、ふわふわと落ち着かない気持ちになって、それなのに一緒にいると酷く心が穏やかになる。そんな摩訶不思議な感情である」
イルゼは恋について考える。すると、なぜかリアンの姿が浮かんだ。
絶対にないと、頭を振って打ち消した。
「先ほど、夫がいると申していたが、政略結婚か?」
「そんな感じかと」
「そうか。そのほうがよいぞ。恋愛結婚は夢から覚めたら相手への愛も冷めてしまう。愛や恋は、己の身を焦がすほど苛烈だからな。一方で政略結婚は、相手が運命共同体という認識のままだ。そちらのほうが、過ごしやすいだろう」
「運命共同体……!」
その言葉は、リアンとイルゼの関係に不思議としっくりくる。単純に、物事の巡り合わせを共に過ごす存在なのだろう。
「引き離してしまって、すまないな」
「ちなみに、夫をここへ呼ぶのは?」
「ダメだ。なんだか嫌な予感がする。イルゼの夫は我を見つけた瞬間、殺しにかかるに違いない」
デュランダルの予感は、ある意味正解だろう。リアンはセレディンティア大国の竜騎士であり、精霊の子だ。いくら五百年と生きる大賢者でも、戦って無傷でいられる相手ではないだろう。
「ひとまず、ドーナツだ!」
「その前に、大公へ紹介してほしいのだけれど」
「おお、そうだったな」
デュランダルはイルゼの両手を握り、転移魔法の呪文を唱える。
景色が一瞬にして、くるりと変わっていった。
執務室のような落ち着いた部屋に下りたつ。
「ど、どわー!」
執務をしていたらしいふくよかな中年男性が、デュランダルとイルゼの突然の登場に跳び上がるほど驚いた。
「ど、どどど、どうしたの、デュランダルちゃん!?」
デュランダルをちゃん付けで呼ぶこの中年男性こそ、ジルコニア公国の大公のようだ。
正直威厳はないが、優しそうではある。
「そ、そこの女の子、どこから連れてきたの? まさか、勝手に拐かしてきたんじゃないよね?」
「彼女は我の友だ。名はイルゼ」
「は、はあ」
「しばしここに滞在するから、頼むぞ」
「待って待って。どこのお嬢さんなの!?」
「さあ。我もよく知らない」
「よく知らないお嬢さんを、家に置いておくわけにはいかないなあ」
大公は見た目ほど、能天気なわけではないようだ。鋭い指摘に、イルゼは生きた心地がしない。
「イルゼはドーナツ同盟なのだ。怪しい者ではない。この我が保証するぞ」
「いやー、デュランダルちゃんにそんなこと言われてしまったら、断れないじゃん」
「だろう?」
デュランダルは大公に仕える身分だと思っていた。しかしながら、発言を聞くと大公はデュランダルに対し敬意を払っているように見える。
いくら大公とはいえ、彼女の望むことは無視できないようだ。
「家名だけでも教えてくれるかな」
どくんと胸が大きく跳ねる。シルヴィーラ国を混乱に陥れたエルメルライヒ子爵の娘だとわかったら、追い出されるかもしれない。
いや、追い出されたほうがいいものか。
ただ、異国の地でリアンと上手い具合に合流できるのか不安になる。
もしも離ればなれになったときは、同時に動かずに片方は同じ場所にいたほうがいいだろう。
リアンを待つならば、ジルコニア大公の家ほど最適な屋敷はないように思えた。
「家名か? 無理だな。我だって、家名を名乗っていない状態で、五百年もこの家にいるではないか。別に、家なんぞ気にすることではない。大事なのは、本人がどうかであるか、だろう」
「うーん、暴論のように聞こえて正論!」
「大公、頼むぞ。我の、生まれて初めての友なのだ」
「仕方がないなあ」
「恩に着るぞ!」
大公からは思いっきり怪しまれたものの、なんとかイルゼの滞在は許可された。
ホッと胸をなで下ろす。
あとは、ドーナツネタを駆使してデュランダルの気を引く努力をしなければならない。
果たして、上手くいくものなのか。
それは、神のみぞ知るというものである。




