出入国管理局にて
竜車で空を駆けていく。もう、突然ワイバーンなどの飛行系魔物に襲われることはない。
すべては、ハト・ポウのおかげである。
「ハト・ポウ、ありがとう。ハト・ポウの力が、国を守ってくれる」
『ポウ、ポウ、ポーウ』
「え、何?」
『ポウ、ポポウ』
何やら違う、違うと訴えているようだが、何が違うのか。イルゼは考える。
「もしかして、聖女カタリーナがまだ国内にいるとか?」
『ポーーウ!』
これも、違うようだ。
「だったら、リアンが夜中に魔物退治をして、精霊の力で天変地異を抑えていたとか?」
『ポポポポーーーウ!!!!』
「違う、と?」
『ポウ』
ハト・ポウは大きく頷く。
毎回、ハト・ポウとの会話は、なんとなく言っていることがわかるレベルだ。先にイルゼが問いかけ、それに対してハト・ポウが肯定したり否定したりする。
ハト・ポウの言いたいことを、イルゼが気づかない限り話は平行線なのだ。
「何もわからなくて、ごめん」
『ポウ……』
うな垂れるイルゼに、ハト・ポウが身を寄せる。
ハト・ポウが何を言いたかったのか。今はわからない。いつか、わかるようになればいいなと思った。
あっという間に、シルヴィーラ国の国境へとたどり着く。
竜車から降り、聖教会の支部に預ける。邪竜マルコゲは魔法の手綱が外された。
見た目こそ厳ついマルコゲだったが、性格は温厚そのもの。イルゼもすっかり慣れっこである。
鋭く尖った棘が生えているので、リアンからは近づかないように言われていた。
少し離れた場所から、声をかける。
「マルコゲ、ありがとう。またね」
イルゼに話しかけられたマルコゲは嬉しそうに尻尾を振り、また目を細める。
そして、リアンの合図に合わせて空へと飛び上がった。
しばらく、会うことはないだろう。
「イルゼ、ありがとうございます」
「何が?」
「マルコゲに、優しく接してくれて」
「そう? 普通だったと思うけれど」
「普通にしてくれることが、何よりもありがたいんです」
邪竜と黒竜――同じ漆黒の竜だが、種類は異なる。
黒竜に比べて邪竜は魔力が圧倒的に高く、体も大きい。竜騎士の騎乗が難しいほど、体には無数の棘が生えている。魔王の配下として従えていることも多いことから、邪竜と呼ばれるようになった。竜種の中で最強ともいえる聖竜に匹敵する力があるものの、人々から忌み嫌われているのだ。
リアンは暗い声色で、ポツリと零す。
「人だっていい人と悪い人がいるのに、邪竜というだけで悪い存在と判断されるのは、悲しいです」
「ええ」
と、立ち話をしていたら鋭い視線がいくつも突き刺さる。振り返ると、シルヴィーラ国の騎士達がこちらを見つめていた。
それは敵意というよりも、珍妙な生き物を発見したときのそれである。
視線以外で、リアンはあることに気づいたようだ。
「以前よりも、配備された騎士の数が多いです。もしかしたら、セレディンティア大国との戦争についての噂が広がっているのかもしれません」
戦争が始まったら、余所の国に亡命しようとする者は少なくない。しかしながら、ジルコニア公国は国外逃亡をしてきた者の受け入れをしていないのだ。
両国の間で、国民を安易に行き来させないように条約を結んでいるのだろう。
イルゼは頭上に乗せたハト・ポウごと、頭巾を深く被った。
騎士の中には貴族の生まれの者も多い。顔見知りがいる可能性があるので、顔を隠しておく。
シルヴィーラ国とジルコニア公国、両国の審査があるので、意味のないものかもしれないが。
出入国管理局に近づくと、警護にあたっている騎士達に緊張が走ったように見えた。
それも無理はないだろう。全身漆黒の、ただ者ではない騎士がやってきたのだから。
それを知ってか知らずか、リアンは明るい声で話しかける。
「すみませーん。審査局はこちらでよろしいでしょうか?」
「え、ええ。間違いありません」
「ジルコニア公国への入国審査をしたいのですが」
「こちらです」
シルヴィーラ国側の出国審査は、危険生物や武器の持ち込みがないか、犯罪歴がないかなどを調べる。
イルゼは頭巾を外し、頭上で翼を休めていたハト・ポウを審査台にそっと置いた。
「これは、愛玩動物の……鳥、か?」
「ええ。見ての通り」
翼の下に何か隠していないか、嘴の奥に何か含んでいないか、ハト・ポウはもみくちゃにされる。
神聖なる聖鳥であるものの、文句を言うことなく耐えた。
「ふたりの関係は――夫婦か」
「はい、そうなんです!」
リアンは嬉しそうに言葉を返す。周囲に花びらが舞っているような幻覚が見えた。
旅の目的を聞かれ、リアンは「新婚旅行です!」とハキハキ答える。
「今の時季に、ジルコニア公国へ新婚旅行か。のんきなことだな」
「聖女様のおかげで平和になった今こそ、新婚旅行に行くべきではないかと」
「まあ、それもそうだ」
自然な会話を交わし、シルヴィーラ国を出国する。続いて、ジルコニア公国の入国審査が始まった。
ジルコニア公国の入国審査は少々厳しかった。
リアンやハト・ポウと分かれて、女性の審査官の前でいくつか質問された。
本当の夫婦で間違いないかとも、聞かれる。
どきんと胸が跳ねたものの、イルゼはごくごく冷静に答えた。
「夫婦に間違いないのだけれど、どうしてそのような質問を?」
「たまに、夫婦と偽っているケースがあるのよ」
またしても、イルゼの胸は大きく跳ねた。
「うちの国を経由して、西にあるクロンミトン共和国に行って売りさばくみたい」
「人身売買が、行われているってこと?」
「ええ、そうなの」
夫婦と偽って国から国へとわたり、人を売りさばく。なんて恐ろしい犯罪行為が行われているのか。ゾッとしてしまう。
「あなたの旦那さん、以前うちから出国したときも厳重体制が敷かれていたの」
「はあ、それは大変なことで」
板金鎧の騎士は、怪しさしか発していなかったらしい。そんな騎士が再びジルコニア公国に戻るというので、人攫いをしていないか心配になったのだとか。
「旅券を見る限りでは、セレディンティア大国の貴賓に間違いないのだけれど」
「心配しないで。私は自分の意思で、彼の妻になったのだから」
偽装とはいえ、生半可な思いで妻となったわけではない。イルゼは心配そうにする審査官を安心させるために、覚悟を語った。
「そう。疑って悪かったわね。いい旅を」
「ありがとう」
入国審査を先に終えたのは、ハト・ポウだったようだ。逃げないよう、鳥カゴの中に入れられていた。イルゼに気づくと、翼を片方上げる。
ハト・ポウをカゴから出し、イルゼの頭上に乗せる。
それから三十分後に、リアンが戻ってきた。
「すみません。お待たせしました」
「随分長かったけれど?」
「鎧を脱げと言われまして」
「拒絶したの?」
「もちろんです。私にとって、鎧は服と同じ。全裸になれと言われるようなものです」
「そ、そう」
以前出国したときは、そのような検査などなかった。その主張を続け、なんとか逃れることに成功したらしい。
「では、行きましょう」
「ええ」
イルゼとリアン、それからハト・ポウは、ジルコニア公国への一歩を踏み出した。




