穏やかな休日を
リアンは涙を流しながら、ステーキを食べきった。
一口でも食べないかと聞かれても、イルゼは丁重に断る。あの日の胃痛を、今もなお忘れていないから。
「イルゼの胃を治す方法を、調べておきます」
「大丈夫だから」
聖教会の料理は、メイド時代の賄いよりおいしい。くたくたになるまで煮込んだ野菜のスープも、胃に優しかった。
唯一、硬すぎる黒パンだけは不満であるものの、修道女という立場で柔らかい白パンを食べたいと願うのは贅沢な話である。
それに拘束されたユーリアを想うと、食欲は途端に失せてしまうのだ。
聖女カタリーナを追い込んだのは、イルゼも同じ。いくらエルメルライヒ子爵に指示されていたとしても、実行したのはイルゼ自身だ。
自分だけ罪を逃れているということに、罪悪感を覚えていた。
ただそのおかげで、今イルゼは国のために救済を行う手伝いをしている。
贖罪の日々を粛々と過ごしていた。
「そういえば、イルゼは明日何をするのですか?」
久しぶりの休日である。フィンがゆっくり休むようにと命じてきたのだ。
イルゼは休日などなくとも平気だったが、竜車を操縦するリアンには必要だろう。
「私は、養育院に持って行くお菓子を作ろうと思って」
「お菓子! イルゼはお菓子が作れるのですね! おいしいですよね、お菓子」
「リアンは、お菓子が好きなの?」
「はい」
聖教会での質素な生活に、甘いものなど一切なかった。リアンは修道士ではないのに、節制に付き合わせてしまい、申し訳ない気持ちがこみ上げる。
「だったら、あなたの分も作るから」
「本当ですか? 嬉しいです」
リアンは「お手伝いします!」と言ってきた。
特に必要はなかったものの、やる気を無下にするわけにはいかない。イルゼは「だったらよろしく」と言葉を返したのだった。
◇◇◇
本日作るのは、バニラクッキー。保存性を高めるため、バターは不使用である。
台所に立つリアンは、板金鎧の上にエプロンを纏っていた。
汚れは鎧が弾きそうだが、突っ込んだら負けだとイルゼは思う。
「イルゼ、今日は何を作るのですか?」
「バニラクッキー」
「初めて聞きます」
心なしか、リアンの声は弾んでいる。本当に、甘い物が好きなのだろう。
「あなた、実家でいいお菓子ばかり食べていたのではないの?」
「いいえ。実家では特に」
「だったら、どういうお菓子を食べていたの?」
「戦場で支給されていた乾パンです」
「いや、乾パンはお菓子ではないから」
「そうなのですか!?」
乾パンというのは、二度焼きした硬いビスケットのような食べ物だ。リアンはその堅パンに付属してあった水飴を付けて、食べていたという。
「なんか甘くておいしかったな、って思っていました」
好んで食べていたものの、自分から甘い物を買おうとは思わなかったらしい。
「もともと、食に関して興味が薄いんです。きっと、精霊の血が混ざっているからなのだろうな、と」
「ふうん」
ただ、イルゼの作る菓子は興味があるという。
「それに、その、イルゼの傍にいるほうが気分がいいという、下心がありました。せっかくの休日なのに、付きまとってしまい、申し訳ありません」
「別に、付きまとわれているとは思っていないから」
「ありがとうございます」
「いいから、クッキーを作りましょう」
「はい!」
まず、材料の分量を量る。リアンは菓子作りが初めてにもかかわらず、てきぱきと動く。
「まず、粉物をすべてボウルに入れて、軽く混ぜる」
指示通り、リアンは動く。ボウルに入れるのは、小麦粉とナッツ粉、砂糖に塩、ふくらし粉など。
それに牛乳と油、バニラ油を加える。
「ある程度生地がまとまってきたら、カードを使って切るように混ぜて」
「了解です」
生地がなめらかになったらカードの表面を使い、生地を練る。伸ばした生地を半分に切って重ねたあと、再度練るように生地をこねるのだ。これを数回繰り返す。
こうして完成した生地は、特に休ませることなくそのまま型抜きする。
聖教会にクッキー型なんてない。口の狭いグラスに小麦粉を振って生地に押しつけると、きれいな円形にくりぬけるのだ。
これを、油を薄く塗った鉄板に並べていく。二十分ほど焼いたら、バニラクッキーの完成である。
粗熱を取る間に、レモンカードを作る。
寄付の中にほんの少しだけあったバターとレモンを使ったスプレッドだ。
作り方はシンプル。
卵に顆粒砂糖を加えて混ぜ、すったレモンの皮とレモン汁、溶かしバターを加える。これを湯煎にかけ、もったりしてきたら火を止める。
網で漉して皮を取り除いたら完成だ。
氷の魔石で冷やしたレモンカードを、クッキーに挟む。レモンカードクッキーの完成だ。
「これはリアン、あなたに」
「私に?」
「ええ。お世話になっているから」
「――ッ! イルゼ、ありがとうございます。とっても嬉しいです」
レモンカードクッキーはリアンにあげたものだったが、イルゼと一緒に食べたいという。
最近、フィンから支給された紅茶と共にいただくことにした。
昼寝していたハト・ポウを呼び、皆で菓子と茶を囲む。
リアンはソワソワした様子で、レモンカードクッキーを口元へと持っていった。
食べた瞬間、彼の周囲に花が舞ったように思える。もちろん、幻であるが。
「イルゼ、このクッキーは世界一おいしいです!」
「それはよかった」
ハト・ポウには、細かく砕いて与える。おいしかったのか、翼をパタパタとはためかせていた。
最後にイルゼも、レモンカードクッキーを食べる。
サクサクと口当たりが軽くて、酸味の利いたレモンカードとの相性は抜群であった。
たしかに、世界一おいしいかもしれないとイルゼは思う。
穏やかな昼下がりを、リアンやハト・ポウと共に過ごしたのだった。
そんな中で、フィンからの連絡が水晶通信を通して届けられる。
珍しくフィンの顔色が悪い。よくない知らせだろう。
「どうかしたの?」
イルゼの問いかけに、フィンは低い声で答えた。
『隣国セレディンティアと、戦争になるかもしれない』




