竜騎士リアン
竜車の歴史は意外にも長い。
はじめに生まれたのは、セレディンティア大国である。
竜の卵を引き継ぐ一族の娘が馬車の渋滞に耐えきれず、自分の竜に車体を運ばせた。
当然、車内は揺れて悲惨な状況だったらしい。
それを着想とし、強靱な縄で吊った車体を竜が運ぶ竜車というものが誕生する。
数百年もの間、竜車は移動時間は短縮できるものの、乗り心地は最悪なものとして名を馳せる。
それが変わったのは、五十年前。
ある天才が、〝魔装線路〟と呼ばれるものを編み出した。
魔装線路というのは、空に敷かれた線路である。目には見えない線路を、魔法の車輪が装備された竜車で走るのだ。
ただ、魔装線路を展開するには、大量の魔石を必要とする。加えて、竜が引く車体自体も高価だ。
竜と竜騎士の存在も稀少なため、竜車に乗れる者はごく僅かというわけである。
その稀少な存在が、今イルゼの目の前にいる。率直な疑問を、フィンにぶつけた。
「この野良竜騎士、どこから来たわけ?」
イルゼはリアンに対し、胡乱な視線を送る。
リアンはイルゼに見つめられて照れているのか、もじもじしていた。
騎士としての誇りと威厳は、生まれ故郷に置いてきたのかもしれない。
「まさかこの人も、偽聖女事件に関与していたの?」
「いいや、違う。リアンは関係者ではない。昔からの、親友だ」
フィンから親友と言われ、リアンは嬉しそうにしていた。
なぜ、全身を禍々しい漆黒の鎧で包んでいるのに、喜怒哀楽がわかりやすいのか。イルゼは謎に思う。
「まあ、怪しい者ではない」
「怪しさしか感じないのだけれど」
「変わり者だが、仲良くしてやってくれ」
「仲良くって……」
顔は兜に覆われていて見えないのに、リアンからキラキラとした光線が飛んでいるような錯覚を覚える。
心がぞわぞわして落ち着かない。
未知なる野生動物を前にしたときのような緊張感があった。
代理聖女作戦を知る数少ない仲間である。少しくらいは、打ち解けておいたほうがいいだろう。
それに、彼は騎士だ。何かあったときに、守ってくれるかもしれない。
イルゼはそういった打算を下心を胸に、自己紹介する。
「私はイルゼ・フォン・エルメルライヒ。アイスコレッタ卿、その、よろしく」
スカートを摘まんで姿勢を低くする淑女の挨拶をすると、リアンは背筋をピンと張って胸に手を当てて返す。
このとき、イルゼは気づいた。彼は、国内の人間ではないと。
ユーリアの取り巻きだった騎士達は、剣の柄に手を添えて会釈していた。
こういう騎士の挨拶は、国によって異なるのだ。
いったいどこからやってきたものか。
なんだか嫌な予感がするので、追及は止めておいた。
馬車で郊外まで移動し、竜車が置かれている開けた場所にたどり着く。
ここは竜車専用の出発点だという。国重要拠点として、騎士達が常駐している。
「車は王族から借りたの?」
「いいや、車体は聖教会の所持品だ」
先代聖女に仕えていた騎士がいたらしい。その当時購入した竜車があるようだ。
竜車の見た目は、馬車の車体と変わらない。魔法に関しての知識は皆無なので、魔法の車輪を見ても特別な物だと感じなかった。
白い車体に、金細工で縁取られた豪華な車体である。聖教会の象徴である、白い鳥も屋根に鎮座していた。
イルゼの頭の上で休んでいたハト・ポウは白い鳥を翼で指し示し、自分に似ているのではと主張していた。
金細工の白い鳥は見事な鶏冠と長い尾羽を持つ優美な意匠だった。その辺にいる鳥にしか見えないハト・ポウとはほど遠い。
『ポウ、ポーウ!』
「まあ、似ているんじゃない? 同じ鳥類のところとか」
なんて、適当に調子を合わせて言葉を返す。
ハト・ポウは嬉しそうだった。
「では、行こうか」
「ええ」
竜車に乗るさい、踏み台の傍に立ったリアンがイルゼへ手を差し伸べてくれる。
男性から手を貸してもらうなど、生まれて初めてである。
素直ではないイルゼは、リアンの手を取ることはできなかった。
「私は聖女じゃないし、そういうの、しなくてもいいから」
リアンはふるふると、首を横に振る。そして、差し出した手は引っ込めようとしない。
何をしたいのか。その前に、気になっていた件をフィンに問いかける。
「あの、この人、喋ることはできないの?」
「できる」
「異国人だから、言葉の壁があるというわけでは?」
「ない」
リアンを向き直り、イルゼはうんざりしつつ願いを口にした。
「アイスコレッタ卿、気持ちは言葉にして。わからないから」
すると、リアンはびくりと体を震わせ、挙動不審となった。いったいどういう意味なのか。
イルゼは再び、親友であるフィンを振り返った。
「あれ、何?」
「挙動不審な板金鎧男としか言いようがないね」
「いや、解説してほしいのではなく」
『ポーーウ』
ハト・ポウが飛び上がり、あろうことかリアンの頭上に着地した。すると、不思議と大人しくなる。が、それも一瞬のことで、代わりに全身ガタガタと震え始めた。
「まあ、リアンについては、契約竜を見ればわかるかも?」
「契約竜?」
フィンが「竜を呼べ」と尊大に命じると、リアンは震えつつもコクリと頷いた。
空を見上げていると、黒い点が見える。
それは、どんどん大きくなった。
「ん?」
姿が明らかとなる。その図体は、あまりにも大きい。
全身黒い鱗を持ち、背にはトゲトゲとした突起物が突き出していた。手足の爪はナイフのように鋭い。赤い瞳が、地上に立つイルゼを捕らえる。その瞬間、ぞくりと肌が粟立った。
「黒竜――ではない?」
「ああ、そうだ」
フィンは低い声で言う。あれは世にも珍しい〝邪竜〟である、と。