放浪
夜が明けてから、俺は逃げ出したことを本気で後悔しかけていた。
城を出てから石畳の道に沿って歩いてきたが、どうもここは日本じゃないらしいことは薄々感じてきたからだ。
沿道の家々は石造りだったりレンガ造りだったりで、どう見ても日本の一般的な住宅ではない。
朝モヤの中、遠くに見える大きい建物は教会のようにも見えるし、本当にここはどこなんだろうか?欧州?
にしても、欧州くんだりまで拉致するか?
だが、ここが外国だとするとマジで困ったことになる。本当にアテがないのだ。
当然、金もない。
唯一、衛兵の目を誤魔化すために投げようと手にした置物だけが手中にあった。
―グーキュルルルルル―
腹が減った・・・。
土地勘のない俺は、空きっ腹を手で押さえながら朝モヤに包まれた街を彷徨い歩く。
小一時間ほど歩いただろうか?やがてモヤが晴れてくる頃になると、人の通りの多い場所にたどり着いていた。
あちらこちらで客を呼び止め引く声。雰囲気からして市場のようだった。
活気に満ちた市場に漂うパンやスープや肉の焼ける匂い。空腹の俺にはたまらない匂いだった。
だが、買う金がない・・・。食い物を買うための金が欲しい・・・それがこの時点での俺の切実なる思いだった。
トボトボ歩く俺に、なにやら視線が集まる。外国人だからだろうか?
訝って早足になる俺に串焼肉を売っている店主らしい男が野太い声で話し掛けてきた。
「おい、あんちゃん!焼肉を買わねぇかい?美味いぜ!」
男の勧める焼き肉を見て一気に口中に唾が溢れ出ることがわかる。腹の虫もグーグー鳴って俺にメシを食えと急かしているようだ。
食いたい・・・。だが、
「すまないが、金を持ってないんだ」
そう言う俺に男は意外そうな顔をした。
「この辺じゃ見かけない顔だが、その服、あんた貴族だろ?それなのに文無しなのか?その服についてる襟章や胸章一つでもいい値段するだろうによ」
貴族の服・・・言われてみれば俺の服装だけ妙に浮いて見える。周りに溶け込んでいないのだ。人目を引いていた理由はそれだったのかと、俺は勝手に納得した。
「その手に持ってる置物だって古物商に売れば100万コインくらいにはなるだろう。俺みたいな庶民にとってはうらやましい金額だな」
虎のようにガハハと笑うガタイの良い男をよそに、俺は掌中の置物をマジマジと見て考える。
売れるのか?これを。俺はまるで天啓を受けたように目の前が明るくなるのを感じていた。
「すまないが、その古物商とやらはどこにあるのか教えてくれないか?」
「それなら、そこの角を曲がった奥にあるが」
「ありがとう、おっちゃん」
俺は藁にもすがる思いで急ぎその古物商に向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
おっちゃんの教えてくれたその店は、寂れた路地裏の奥にあった。薄暗く、饐えた臭気の中、ドブネズミがチョロチョロと這いまわっているような陰気な場所だ。
いかにも怪しげな雰囲気の中、俺は躊躇しながらも意を決して木製のドアを押し開く。
―キィィ―
古めかしいドアを開くと、まるで来客を知らせるかのように蝶番の擦れる甲高い音が店の中に響いた。
「ヘイ!らっしゃい!」
古物商に入ると、店の奥からダミ声で元気よく声を掛けてきた男がいた。
「どういったご用件で?」
出っ歯のメガネ男は、胡散臭い下卑た笑みを浮かべながらそう訊いてきた。俺にはこの男が店の主のように思えた。
「この置物を買い取って欲しいんだが」
そう言って俺は手に持っていた置物を見せた。
「ほう・・・これはこれは・・・」
古物商はメガネのフチを持ち上げる。相当興味のある代物のようだ。
「いくらくらいになる?」
俺は単刀直入に尋ねる。
「20万コインですかね・・・」
「20万?・・・ある人間から100万と言われたんだが?」
「ほう、100万ねぇ・・・。では50万コインでいかがでしょうか?」
「100万は無理なのか?」
「ちょっと事情があって100万は難しいんですわ。嫌なら他をあたっていただいても結構ですが」
「他にも買い取ってくれる店があるのか?」
「さあ?私は存じ上げませんがね・・・どこかにあるんじゃないですか?」
チッ・・・食えないおっさんだぜ・・・。俺は心の中で思わず舌打ちをした。
「わかった、それで手を打とう」
「まいどありー」
ネズミ親父・・・俺が侮蔑の意味を込めて骨董屋の主人に付けたアダ名だが、そのネズミ親父は意気揚々と換金の手続きに入る。
俺は納得いかなかったが、背に腹は代えられず50万コインで置物を手放すことにし、金貨50枚を受け取った。
金貨一枚1万コインか・・・?
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「おっちゃん、焼肉をくれ。とりあえず5本、いくらだ?」
金を手にした俺は肉屋のおっちゃんのところに行って焼肉を注文した。
「おー、あんちゃん、さっきの置物は売れたのか?」
「ああ、おかげさまで無事買い取ってもらえたよ」
「そうか、そりゃよかった。一本300コインだから5本で1500コインだな」
「そっか、じゃあこれで足りるか?」
そう言いながら俺は皮袋の財布から金貨一枚を取り出しておっちゃんに渡す。
「毎度あり。こいつは釣銭だ」
おっちゃんは釣銭として銀貨八枚と銅貨5枚をくれた。銀貨は一枚1000コイン、銅貨は一枚100コインらしい・・・。
「なぁ、おっちゃん」
「なんだ?」
「この国の通貨って銅貨、銀貨、金貨の3種類なのか?」
「え?あんちゃん金のことをあまり知らないのか?その3種の他に青銅貨、白金貨、ミスリル銀貨がある。青銅貨10コイン、銅貨100コイン、銀貨1000コイン、金貨1万コイン、白金貨10万コイン、ミスリル銀貨100万コインだ。尤も、白金貨とミスリル銀貨は決済用で一般には出回らない貨幣だがな」
おっちゃんはガハハと大笑しながら適当に焼き肉を見繕うと俺に手渡してくれた。
俺は手にした焼肉にかぶりついた。串に刺さった肉の一切れを口に含んで噛み締めるとジュワっと口中に肉汁が溢れ出る。微妙な塩加減と肉汁が相まって口の中にできる濃厚なスープと共に飲み込んだ。
「うんめー!」
あまりの旨さに串焼き肉5本をを一気食いする。
「オイオイ、スゲー勢いだな。そんな腹減ってたのか」
肉屋のおっちゃんは呆れ顔で俺を見ている。
スープやパンや果物なんかを売っているおばちゃん連中も面白そうに俺に食べ物を勧めてきた。
「お兄ちゃん、このスープも飲んでご覧よ」
「こっちのパンも焼きたてだよ」
「ふぁい、ほれへんぶほらいはふ(はい、それ全部もらいます)」
俺は周りから勧められるままにメシを頬張っていたが、ふと遠くから俺を見ている視線に気がつく。
汚い恰好をした子供が三人。いかにも物欲しそうな目をしている。
「おっちゃん、あそこにいるガキンチョはなんなんだ?」
「ん?あれか、あれはここいらを根城にしている浮浪児どもだな。あまり関わらん方がいいと思うが」
「なんでだ?」
「なんでって、そりゃあいつらはスリとか窃盗の常習犯だからな」
「そうなのか・・・」
俺は食い終わった串を口に咥えたまま三人のガキどもを見ていた。3人とも髪はボサボサで着ている服もボロボロだ。
「なあ、おっちゃん。浮浪児ってことは帰る家や親はいないってことだよな?」
「まあ、親がいたら浮浪児にはならんわな」
俺もこいつらと同じで頼れるものが無いんだよな・・・。
その三人を見ていて、身寄りもなく頼れるものもない今の自分の境遇を重ねてしまった。
「なあ、おっちゃん、あのガキどもにメシを奢ってやりたいんだが?」
「え、マジかい。よしたほうがいいぜ」
おっちゃんは驚いて止めたが、構わずに俺は三人を手招きした。アブク銭を手にした気まぐれもあった。