004.冬の手習い
改稿後になります。
前世の記憶を思い出してから、半年が経過しようとしている。
冬が来た。
あれからも私は誰かから命を狙われ続けているけれど、ヴィントにより守られている。自覚のあるもの、無自覚なもの含めても、両手では数え切れない回数、命を狙われた。
絶対に大丈夫だと言う確信はあるものの、狙われると言う状況は、私の精神状況を酷く不安定にさせたし、家族もピリピリしていた。それと同時に、この状況に慣れてきている事に、我ながら驚く。
少しずつ分かった事は、私の命を狙う者は、自分の意思でそうしているのではない、と言う事。
脅迫されて仕方なく、ではなく、誰もが明確な殺意を私に抱くにも関わらず、時が経つと正気を取り戻し、命を差し出さんばかりに謝罪するのだ。
子狼だと思っていたヴィントの身体はあっという間に大きくなった。犬であれば大体一年程で成体並みの身体になる。私の元に来た時の月齢は分からないけど。風狼は元々野生の生き物なんだから、成長も早いのではないだろうか?
大きさで言うなら、ジャーマンシェパードぐらいまで大きくなった。私は年齢の割に小柄なので、乗れそうだ。乗せてはくれないと思うけど。犬は跨がられるのが嫌いだから。
力の弱い女性なら簡単に押し潰せるだけの身体にヴィントは成長している。以前の、追いかけ回すのが精一杯から、突撃して腹部を強打して倒してからの、乗っかっての動き封じ込めまでのスピードが上がっている。
今回私に殺意を抱いたのは、いつもなら私に優しく微笑みかける侍女だった。
ヴィントに押し潰された後も、私に憎悪の言葉をかけ続けている。押し倒した瞬間に遠吠えをヴィントがした為、あっという間に家人が集まった。
侍女が縄で縛られると、ヴィントはのっそりと立ち上がって私を後ろから包むように立って、侍女をじっと見る。
「憎い……! 憎い憎い憎い……!」
髪を振り乱し、私を睨み付け、呪詛する。
抵抗する侍女を無視して、怪我をさせないように部屋から連れ出されていくのを、見送る。
彼女はこの後、見張られながら過ごし、不意に意識を失うのだろう。そして目覚めてから、自分の置かれた状況、自分のしようとした事を聞かされて、謝罪する事になる。
両親も私も、そんなに謝らなくて良い、と言っても聞いてはもらえない。
明らかに何かに取り憑かれているとしか思えない彼女、彼らを罰する気はない。そのあたり、両親が善良でありがたいな、とも思うけど、解雇して人の入れ替わりが激しくなるのもまた、危険だな、とも思ってしまう。
姉にぎゅっと抱きしめられる。ツェツィーリアの震えが伝わってきて、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。
私がいけないのか、ソフィアなのか、それとも別の理由なのか、分からない。
でも、毎回狙われるのは、私だけ。
不思議なのは、家族は取り憑かれない。
こちらの世界は基本的に屋敷が石作りの為、暖炉が大活躍する。木造家屋と違って熱が石に伝わるから効果的。
屋敷の外は雪に埋もれてしまっている為、日課の散歩が出来ない。これではせっかくついてきた体力がまた落ちてしまう。どうしたものか……。
そんな事を考えながら、暖炉の遠赤で焼いてもらった石焼き芋を、食べやすいように目の前で切ってもらったものを、フォークで口に運ぶ。勿論、ヴィントの毒味チェック後である。そのまま食べるのは案の定貴族として許されなかった……。焼き芋の醍醐味であるかぶりつきがー!
ヴィントには切られる前の焼き芋を半分あげた。猫舌と言うか、野生の動物は熱を持ったものを食べることが殆どないからだろう、食べるのに最初は手こずっていたが、冷めてきてからは、両前足で器用に挟んで焼き芋を気持ち良いくらいばくばくと食べていた。ぺろりと食べて、舌舐めずりして私の持つ焼き芋を見るから、二、三個食べて、ヴィントに渡す。
最近は毒が入ってるものを臭いで判別するようになったものの、何度も私の代わりに毒を口にして、痛みに耐えて丸まっている姿を見た。
焼き芋が気に入ったなら、私の分も好きなだけ食べさせてあげたいと思ってしまう。
「おいしい? ヴィント」
パタパタ、と大きなヴィントのしっぽが揺れる。
前世でも犬は芋を好んで食べた。調味料の入ったものが食べられない犬にとって、自然な甘さのある焼き芋はとても美味しかったのだと思う。そして、おならをする。犬も。そして臭い。
囲炉裏があったらいぶりがっこも出来たのにと思うが、そもそも沢庵ってどうやって作るんだろうか。当たり前に身近にあったものがどうやって出来ていたのかを、まったく別の世界に転生してから考えることになるとは、想像もつかなかった。
転生するにしても同じ世界だろうと思っていた私の想像力は、まだまだ足りなかった……。
「この、焼いた芋というのは、甘さが増してとても美味しいね」
父の言葉にぎくりとした。
何気なく、暖炉を見て焼き芋を作ってしまったのだが、作り方を侍女に説明している内に気が付いた。こちらの世界に焼き芋は存在しない。スイートポテトもない。
本で読んだのです、との言い訳は通用しない。何故ならこの家にある本を父は全部制覇していたし、私はまだ満足に本が読めないのだ。
どう答えたものか、と内心冷や汗をかきながら、聞こえないふりをして焼き芋を口に運んでいたところ、マリエルが知ってか知らずか助けてくれた。
「栗を焼いたものをソフィア様は大変お気に召してらっしゃいましたから、芋も同じように焼こうと思われたのだと思います」
マリエルの説明に、父はなるほど、と頷いた。ありがとうマリエル! どうやらこれ以上の追求の手は逃れたようだ。
こちらでは、焼き芋はないのに焼き栗はあるのだ。不思議なことに。あー、でもイタリアだと焼き栗とか、あったような?
焼き芋は美味しいが、おならを伴う為、母と姉はひと口程しか食べない。確かにおならは出るが、食物繊維がたっぷりで腸内環境にいいんですよ? と教えてあげたいが、これもまた教えられない。
知っているのに、その知識を有効活用出来ないと言うことは、思った以上にストレスになった。
五歳児らしく振る舞うことも、知らないふりをすることも、とても神経を使う。
せめて、この世界に無いものが何なのかぐらい認識していないと、生きづらい。
「おとうさま、ソフィアも、文字をおぼえたいです。おねえさまと一緒にししゅうもしてみたいです」
七歳からじゃないといけないという規則がないなら、是非とも教えていただきたい。
冬の間、屋敷内で何をして過ごせばいいのか皆目見当もつかない。以前のように屋敷内の散歩はするとしても、だ。
ふむ、と父は呟くと、母を見た。母はにっこり微笑んで頷いた。
「いいと思いますわ。冬の間はソフィアの大好きなお散歩も出来ませんし、ツェツィーリアもアドニスも相手をしてあげられるでしょうし」
雪が深い為、家庭教師は冬籠りのシーズンは家族と過ごす為、いない。自習ということになる。
「そうだね。それはいい考えだ」
父はツェツィーリアとアドニスの方を見てちょっと意地悪そうな笑みを浮かべた。
「二人とも、妹に良い所を見せられるかな?」
兄と姉はうんうんと頷いた。
「お任せ下さいませ。私、お母様に刺繍の腕を褒められておりますのよ」
得意げにツェツィーリアは微笑んだ。
「僕は文字を教えます!」
あれから大分勉強が進んだらしいアドニスは、簡単な絵本であれば私に読み聞かせを出来るようになっていた。妹に格好良い所を見せたい効果は絶大だ。
父はにっこりと微笑み、よろしく頼んだよ、と満足そうに頷いた。
前世で学習と言うものを経験していた私は、あっさりとアドニスに追いついた。
日本語で言うところのあいうえお、つまり五十音のようなものの概念はこちらにもあった。それをあいうえおに当てはめて覚えていくことは造作もないことだった。
ただちょっと、あまりに覚えが良すぎてアドニスが自信を喪失して、両親がソフィアは天才かも知れないと言い出したのにはちょっと焦りを感じた。
「早く、自分でヴィントの本を読めるようになりたいのです。ヴィントは、私の子なのです」
私が一生懸命覚えようとする熱意を、周囲はヴィントの為だと認識したようだ。ナイスです、ヴィント。
あなたのお陰で私は要らぬ認識を跳ね返すことが出来ました。……多分。
いじけてるアドニスの顔を覗き込む。アドニスは視線をそらす。気づかないふりをして刺繍をしているツェツィーリアだが、こっちを意識しているのが分かる。
「ソフィアが文字を覚えられたのも、兄様が分かりづらいところを分かりやすく教えてくれたからです。兄様がいたからですよ?」
アドニスの耳が赤い。こっちを向かないけれども、「……そうかな……」と言う言葉に、もうひと押しだと思った私は、続けて私が絶対に出来ないことで自信をつけてもらうことにした。
「それに、兄様は、ネージュに乗るのがとても上手です。乗馬の先生が才能があるとおっしゃってました。真っ白いネージュに乗る兄様は、とても凄いです」
ネージュとは、アドニスに与えられた白馬だ。白馬ということはサラブレッドではない。あちらの世界では。でもこちらでは競馬のような、秒単位を競うような世界ではないから、白馬でも十分に早い。
まだこちらをアドニスは見ない。まだダメか。
「兄様は文字も読めるし、書くことも出来ますし、乗馬も出来ます。ソフィアはまだ読むことしか出来ません。あんまり兄様が色々出来ると、ソフィア、追いつけるものがないです」
ここでようやくアドニスは機嫌を直し、こちらに向き直った。これでダメなら逆ギレしてみようと思ってたから良かった。
「うん。ありがとうソフィア。でも僕は、ソフィアに素敵な兄様と思われたいから、頑張るよ!」
兄様、それは心の中で決意して下さいませ! と思ったが、今の私は五歳児だから、そんなツッコミはしてはいけない。褒めなくては、兄を!
「兄様は凄いです!」
そんな私のやりとりを、姉のツェツィーリアがにこにこしながら見守っていた。
……子供も楽じゃないです……。
ツェツィーリアと母に、刺繍の基本を教えてもらった。ただ、前世ではあった、刺繍時に使う布に張りを出させる木の枠がないからとてもやりづらい。けれど慣れなのだろう。二人は器用に刺繍をしていく。
二人に教えてもらった刺繍は、つる草のようなものを布の端にするのと、名前を入れるのと、小さな薔薇を刺繍するぐらいだった。だからすぐにマスターしてしまった。小学校の時に手芸部に入っていた私を舐めてもらっては困る。こんなのはおちゃのこさいさいである。いえ、本当のところは、針を指に刺しすぎてちょっと痛いです。
ツェツィーリアも母も、もっと微細な刺繍が出来る為、アドニスのように凹むこともなく、お母様に似たのね、という大変平和的な受け止め方をしてくれた。うんうん、遺伝という奴ですよ。
基本的なことをマスターしたので、好きなものを刺繍していいと許可を得た。私は早速、庭の木によく止まっていたメジロを刺繍することにした。
記憶だけでは細部まで分からない為、父から鳥の姿を模した図鑑を借りた。うぐいす色の頭に、背中からおなかにかけて若菜色になり、おなかは真っ白。名前の通り目の周りは白く縁取ったような鳥だ。
本当は青い鳥が良かったが、身近にいないからいきなりそれを刺繍するのは違和感があるので、順を追っていくことにした。鳥の図鑑に青い鳥が載っていたから、いずれは刺繍したい。いきなり目的に到達する前に、事前準備が必要だ、何事も。