012.日々是精進
第一王妃ナツィッサ様とのお茶会の後、ツェツィーリアはリヒト王太子殿下の婚約者になることに、更に拒否反応を示すようになっていた。
王妃と殿下、それから私の話している内容が全く分からなかったからだそうだ。
だから自分には無理だの何だのと騒いだ挙句、ソフィアが王太子殿下の婚約者になればいいなどと言い出したので、ちょっと苛立ってしまって、ある程度は政治に興味を持たなければ、レオンハルト様にも相手にしただけませんよ?と言ってしまった。
ツェツィーリアはまだ、レオンハルト様と恋人同士にもなれていないらしいのだから、まずお眼鏡にかなわなくてはいけない。今は王太子の婚約者候補に上がっているのだから、恋人対象として見てもらうのすら難しい。
何だかんだ言ってレオンハルト様は公爵家の人間なのだ。騎士団長の息子であり、ご本人も騎士を目指しているレオンハルト様は、戦争があれば命をかける。
騎士はカッコいいだけでは済まない。
と言うことは、国内や周辺諸国に対しても感度高くアンテナを張らなくてはいけないのは、王妃だけでなく、宰相の妻もそうだし、騎士の妻だとしても、必要だろう。
それが嫌なのであれば、もっと下の爵位の家に嫁ぐしかない。
私に正論を言われて、ツェツィーリアはわっと泣き出してしまった。
自分に出来ることがなく愚痴愚痴言うのはいいけれども、やれることがあるのに何もせず夢見て愚痴愚痴言う奴は嫌いだ。やれることやってもいないのに、愚痴だけ一人前に垂れるなと思う。
私にぴしゃりと叱られたことで、淑女の嗜みだけではレオンハルト公子の妻は務まらないということが咀嚼出来たようで、しばらくしてツェツィーリアは謝罪してきた。
「ごめんなさい、ソフィア。私が間違っておりました。レオンハルト様の妻になることを望むなら、そういったことにも関心を持たなくてはいけないのですね」
好きな男の為なら、嫌なことでも頑張れる、と姉は言っている。
まぁ、本人にその気が出たのなら、いいことだと思う。
結果として王妃に選ばれてしまっても、苦労は少ないだろうし……。
そう思ったことは、さすがにツェツィーリアには秘密だけれど。
「昨日のお話は、単純に政治だけの問題ではなかったように思うの。私は一体何処から勉強していけばいいと思う?」
まず私に聞くのはどうかと思うけれど、両親よりは私の方が聞きやすいのだろう。
「うーん……まずは、小さい所から理解していく方が理解しやすいと思いますよ?」
「小さい所?」
幸いにも、私たちの父は領地を治める領主でもある。父が納める領地にも、それこそ色んな問題がある筈だ。その問題も、角度を変えて見ていけば、色んなことに繋がっていく。
物事には色んな側面があることを学んでいき、分かってきたら別の領地に目を向けていき、土地が違えば抱える問題も異なることを認識していく。
歴史、文化、宗教、そういったものを少しずつ認識していけば、予想がつくようになっていく。
そうやって勉強していけばいいと思いますよ、と説明すると、ツェツィーリアは納得したようだった。
頭の良い人なのだから、学び方さえ分かればそんなに問題ないと思う。
私のようなカンニング状態ではなく理解出来るのだから、優秀だと思う。
機織りによるストールの生地作りは順調に進んでいる。
工房から染め上がって納品された私の初めての糸は、私が望んだ通りの発色で、その色を見ているだけで嬉しくて仕方がない。
さすがプロだな、色むらがなく、均一に染まっている。色の深みも理想的だ。
染色も興味はあるけれど、藍染は素人が手を出せるものではない。
藍は生き物で、その発酵状態によって色が異なる。そんな難しいものに、おいそれとは手が出せない。
染色の経験を積んで積んで積んだ人が藍染に手を出すものだと認識している。
ヴィントは私が機織りをしている間に、じっと足元で寝ているが、私がちょうど疲れてくる頃に起き上がり、散歩を催促してくれるので、凝り固まった身体をほぐすのと気分転換に屋敷の周辺をヴィントと散歩し、お茶を飲む。
お茶会へのお誘いはひっきりなしに来ているようだけれど、母のイレーネが同席出来ないものには参加していない。
参加しても私ははい、いいえ、とんでもございません、ぐらいで返せる会話にしか参加しないようにしており、大体は母に任せながら、社交での空気感を学ばせてもらっている。
さすがに公爵家とお付き合いのある方たちだから、おかしな人は少ないけれど、やはり嫌味のようなものが出ることもある。
そう言った言葉を吐かれた時にどんな反応を示すのかを試されることはままある。仲が良い家でも、だ。
継続して良好な関係を持ち続けるに相応しいだけの人間なのかを試されるのだ。
そしてそういう時は、母もよっぽどではない限り守ってはくれず、淑女として、貴族として、打ち返さなくてはいけない。
このやりとりを繰り返している内に分かってきたのは、アンハルト家に好意的な家への受け答えは私に回ってくるけれど、そうではない家の場合は母が返していることだ。
確かに敵対している家に私が余計なことを言うのも、日和見なことを言うのも良くないのだろう。敵視され過ぎてもいけないが、舐められてもいけない。
貴族とは、水面下の白鳥のようなものだ。
こういうの、不得手ではないけれど、好きではない。
お茶会の後はやはり疲れる。
こんなことをずっとやり続けているのだ、母は本当に凄い。
貴族の務めとは言え、大変なことに変わりはない。
私もいずれ、そういった世界にどっぷり浸かることになるんだろうなぁ。誰に嫁いだとしても。
公爵家の立場は最初から有利なのだから、有り難く思わなくてはいけないな。
立場が立場で、あることないこと言われてしまう家なんかもあるのだろうし。
「あちらの世界で、ソフィア様はご自身でお料理をなさっていたのですか?」
マリエルが紅茶のおかわりをカップに注いでくれる。彼女は私の好みもそうだし、微妙な体調の変化や気分も察してくれる、大変素晴らしい人で、彼女の入れてくれた紅茶で、そうか、自分は思った以上に疲れていたのだと気付くこともある程だった。
「えぇ、そうよ。自分で何でもやらないと、誰もやってはくれないわ。けれど、それはそれで楽しかったのよ。お菓子作りや料理が私には向いていたみたいで、精神的に疲れた時に、良い気分転換になったわ」
今もやってみたい気持ちはあるのだが、実際に厨房を見せてもらって、あ、これは無理だ、と思った。
だって、電化製品はないし、道具やら水回りやら、私が慣れ親しんだものとは違い過ぎる。
火を起こすなんて出来ないし、素材を洗うにしても蛇口を捻れば水が出る訳ではない。
まず、井戸から水を汲んでこなくてはいけない。
己でやることにこだわるよりは、レシピを料理人に伝えて作ってもらったほうがいい。その方が素材が無駄にならない。
その結果、我が家の食事事情は凄まじく向上した訳である。これを私が一人でやっていたとしたら、こんな短期間に変わらなかっただろうと思う。
前世から、私は色んなことに興味を持つ人間ではあったが、何でもやってみたいという思いはあったが、自分でなくても良かった。
つまり、どんなものなのかを見れればいいぐらいの知的探求心なのだ。浅い知的探究心だと我ながら思う。
かつては自分がやらなければ誰もやってくれないから自分でやっていたけれども、こちらでは代わりにやってくれる人もいるのだから、そこは臨機応変にという奴で、どうしても自分でなければ、というもの以外は、任せるのもありだと思っている。
こちらの夏は、前世のそれ程酷くない。
湿度が絶対的に違うのだろうと思う。
暑いことは暑いが、死者が出る程の猛暑にはなりえない。
父に聞いてみたところ、ベルグント王国は夏でも風が吹くので比較的過ごしやすいとのことで、諸外国では猛暑で人が死ぬようなこともあるらしい。
ただ、父が子供の頃に比べるとこの国の風も弱まっているようで、暑さが増しているし、冬の積雪量も増えているのだそうだ。
環境破壊でもなければ、そんな数十年で変化があるとは思えないのだけれども……。
「今の国王陛下になられてから、開発が進められているということですか?」
「いや、陛下は自然を大切になさってらっしゃる。植樹活動なんかも徹底させている程だ」
大気は世界を回る。諸外国の環境破壊が大気を通して我が国に巡り巡って影響を及ぼしているのかも知れない。
先日の第一王妃とのお茶会でも、隣国で森林伐採により、大雨が降って源流の山で雪崩が発生し、川が氾濫して平野が水没したというようなことを言っていたし……。
ということは、我が国は、大陸の中でも偏西風などの影響を受ける東側に位置するということだろうか?
こちらの世界でも赤道とかあるのだろうか?
知らないことばかりだ。
当たり前に分かっていたことが分からないと、なんというか、心許ない。
父が博識で私の疑問点に答えてくれるのはありがたいけれど、それでも私の頭に次々浮かんでくる疑問などに全て答えてもらう時間はないし、多分全ての答えは持っていないだろうと思う。
「ここ数年、気候の変化も問題にはなっているが、我が国で問題になっているのが、病院不足だ」
病院不足。
「医者や看護師が不足しているという物理的な問題ですか?」
「いや、そうではない。毎年国の政策として病院は増やしているし、医薬品の質も向上していると聞いている。気候の変動の影響としても、罹患者数の増加は予想を上回るものなんだよ」
かと言って流行病などがある訳ではないらしい。
対策という対策はしているように思える。それなのに、だ。
なんだか、嫌な予感がした。
何というか、胃の一番奥にずっしりと重石が居座ってしまったような、そんな不快感だった。