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 あれから一週間、テティは俺と口をきいてくれない。

 誠意を見せるために嬢ちゃんに謝ったときの反省を生かしてなるべく軽いととられるような行動はしないようにしてるんだけどな。背後から抱きしめるとか、頭をぽんぽんとするとか、無駄にへらへらしてるとかそういう行動をしないように。いや、まあ、すでにぎゅうと抱きしめるとかそういうことはしちゃってるのだがそれはそれとして。

 まあ、本当の気持ちをテティに伝えるだけであんなに緊張しちまって我ながら情けないって落ち込んだりはしたけど、とにかく信じてもらうには言葉や行動で示さないといけないわけだ。だから落ち込んじゃいられない、とにかく、テティになんとか信じてもらうために、まあ気長にだな、行動をしてはいるんだが、なあ。

 肝心のテティが口をきいてくれないんじゃどうにも前途多難だよなあ。そういや嬢ちゃんを怒らせたときも、最初口きいてくんなかったっけ。あー、嬢ちゃんどうしてるだろう、一度顔見て謝らないとダメだよなー、そろそろマーリンとちゃんといい仲になったかな。


 船室で一人そんなことを考えていると、ふと、なにか聞こえてきた。

 透き通るような、まるで、南の海のようなそれはすうと俺の耳に入ってきて、たしかに頭の中を揺らして出ていく。これは、いや、でも、どうして。

 考える前に俺は、立ち上がっていた。それからその歌を追うように、歩き出していたのだった。




 船内を歩く間にも、透き通った声は歌う。

 それは俺たちの知っている言葉じゃなくて、古い言葉。でも俺は、それを、聞いたことがある。古い言葉で歌われているのは、海の偉大さ、怖さ、そして、美しさ。

 歌を追ってついに甲板に出たのは、ちょうど、歌が終わった瞬間だった。

 日の光を浴びて銀色の髪をキラキラと輝かせた、歌の正体が、ゆっくりと振り返る。



「…テティ」



 たまらず、俺の口からはテティの名前が飛び出した。テティが、口をぎゅっと結んだのが見える。その表情は笑ってはいなくて、でも、悲しそうには見えない。けれどそれがどんな感情を表しているのかと聞かれてしまうと俺は、正直、わからなかった。

 だから何を言えばいいのかもわからなくて黙っていると、テティの方が先に口を開く。



「あなたが、歌いたいときに歌えばいいと言ったから、わたしは歌ったの」



 俺の心臓が、どくん、と音を立てたのがわかった。これは、たぶん。




「わたしには、鼓動を鳴らす心臓はないけれど、人が鼓動を激しく鳴らすときがどんなときなのかということは知ってるわ」



 あの、海を閉じ込めた青い目に見つめられて、もしかすると。



「興奮しているとき、それから、緊張しているとき」



 また、緊張しているのか。




「あのとき、あなたの激しく鳴る鼓動が伝わってきた」



 風がふいて、テティの銀色をした髪をさわさわとそよがせた。



「緊張、しているんだと思った」



 その髪を耳にかけるテティの仕草はやっぱりキレイで、また、どくんと音が鳴ったのがわかる。



「あなたの言葉を聞いたなら興奮していると感じてもおかしくないのに、なぜだか、緊張しているんだと、そう思ったの」



 ああ、そうか、こういうのは、初めてだから。



「それからどうして、と思った」



 一人の女に、こんなにも夢中になったことも、その美しさにひきこまれたことも。



「わからなくて、考えて、ううん、きっとわかっていたの、信じられなかっただけ、信じたくなかっただけ、でも、やっと、少しだけ受け入れることができた」



 こんなに、そばに居てほしいと願ったことも。



「あんなに必死だったのは、あんなに鼓動を鳴らしていたのは、あなたの言葉が、本当の気持ちだから」




 こんなにも、相手の、幸せを願ったことも初めてだから。




「だからわたしは、少しだけ、あなたの言うことを、信じてみようと、思ったの」



 だから、こんなに嬉しいと思う言葉も、初めてで。

 あまりの衝撃に声も出せずにいるとテティから「なんとか言いなさいよ」との言葉をくらってしまった。ああ、なんだ、テティはさっきからずっと、照れくさそうな顔をしていたんじゃないか。そう気づいてようやく、自然に笑うことが出来た。



「…ありがとう、テティ」



 そう言葉を返してもテティはまだ、笑わないけれど。まあ、いいさ。その分俺が心から笑えばいい。それにきっとテティが笑う日は、そう、遠くないのだろうと思うから。

 今はまだ、笑わなくても。

 な、テティと言ってから調子に乗ってテティの頬を優しくなでたら手の甲を思い切りつねられた、痛い、痛いって、ごめんって。










 たしかに遠くないのだろうと思うとは言ったが、”その日”は案外早くやってきた。


 今日は馴染みのママに頼まれて、港での荷積みに駆り出される日だ。ママ、というのはこの港を牛耳る女主人の通り名で、俺がマーリンに拾われて最初に紹介されたのがママだった。明るく朗らかで、細かいことは気にしない、もっと言ってしまえば豪快が服着て歩いてるような人だ、間違っても本人の前では言えねえけど。



「ママ、第2ブロックと第3ブロックは終わったよー」



 そう声をかけながら、報告に訪れたママの居城、もといママとその仲間である奥様方が作業中である作業小屋の扉を開けた。すぐに「おう」と威勢のいい返事が返ってくる。やっぱり相変わらず元気だなあ。



「あ…」



 それから、小さく聞こえた可憐な声。



「テティ、どうだ?お姉さま方にいじめられてないかー?」



 テティにそう聞いたのに、返ってきたのは奥様方の「まあ失礼ね!」というお怒りの言葉。冗談だよ、と笑ってみせるのだけど奥様方の機嫌を損ねてしまったらしい。ああごめん、謝るからテティを隠そうとしないでくださいお姉さま。

 この港での仕事の話が来たとき、俺はいいことを思いついてしまったのである。ここの女主人ことママはとても面倒見がいい。もちろんその仲間である奥様方も人の世話を焼くことに関しては右に出る者はいないだろう。つまりママたちの手伝いをさせることはテティにとってもいいことだろうと、俺が思いついたいいことってのはそういうことだ。それに俺たちが仕事してる間、船にひとり置いておくってのもなんだしな。

 まあ、今ママたちに混ざって一緒に握り飯を作ってるテティを見たところ俺の考えは間違ってはいなかったのだろうと思う。あまりの奥様方の押しの強さにちょっと戸惑っている様子だけど、怖がってはいないみたいだ。うん、よかった。



「で、どうママ、テティの腕前は」

「どうもこうもカイルあんた、いったいどこのお嬢さんをさらってきたんだい」



 ママにこっそりそう聞くと、思いがけず呆れたような反応が返ってくる。曰く、「握り飯がなんのことだかもわからなかったんだよ」とのこと。うわあ、それは、まあ、びっくりだけど、考えてみりゃモノは食わないって言ってたもんなあ、知らなくても無理ないか。パパの食生活がどんなだったのかも知らねえし。

 とりあえず笑ってごまかしたら、ママは呆れたようにため息をつきながらもそれ以上の追及はしないでくれるようだった。



「ま、腕前が知りたきゃ自分の目で確かめるんだね」



 そう言ってママが立てた親指でくい、とテティを指した。ほうほう、ママがそう言うならじゃあ、お言葉に甘えて。椅子に座ったままなにやら不思議そうな顔をしてこっちを見ているテティのもとへ行ってみるとするかね。

 テティの座る後ろに回り込み、その手元をひょいとのぞいてみる。



「どうだテティ、初めての握り飯作りは」

「ど、どうって…ええと、その」



 するとテティはなぜだか言葉をにごしてさっと手元を隠そうとするのだった。わかる、今ならわかるぞテティの表情が何を意味しているのか。眉間にしわをよせてすうと視線を横へとそらす、それはずばり、恥じらいだ。テティは恥ずかしがって、なにかを隠すのだ。それが何かって、この状況ならひとつしかねえだろ。



「テティ」



 周りの奥様連中も、今だけは俺の味方でいてくれるらしい。テティに対して「恥ずかしがんないでいいのよ」とか「上手にできてんだから大丈夫よ」だの声をかけてくれている。そうそうテティ、お姉さま方の言うとおりだから、な。

 そういう説得についに観念したのか、テティはゆっくりと隠していた手元をあらわにする。

 現れたのは、お世辞にもキレイな形とは言えない、全面がのりで覆われた真っ黒な握り飯。ところどころに見える白い点は、潰れた飯粒らしい。



「…言いたいことがあるなら、言いなさいよ」



 テティはやはり眉間にしわをよせて、視線をそらしたままそう言った。ふむ、言いたいことねえ。俺はとりあえず、その真っ黒な握り飯に手を伸ばすことにした。ひょいと掴んだそれをテティの目の前で、ぱくりと食べる。はは、でかすぎて一口じゃ具までたどりつかねえや、その小さい手でどうやって作ったんだか。しかしつまみ食いしたそれは、とても。



「うん、うまい、テティの愛情がこもってる」




 笑って、そう言ってやるとテティは、少しだけその目を丸くして、そしてようやく俺を見た。

 それからたしかに、口角を上げて、目を細めて、テティは。

 とてもやわらかく、笑った。


 まったくもって予想していなかったそれに驚いてあわや手にしていた握り飯を落とすところだったがなんとか持ち直し、改めてテティの顔を見てみるとちょっと驚いた顔に変わってしまっていた。ああ、俺の態度に驚いたのか、急に慌ててなにしてんだって。いや、うん、今のは自分でも情けない姿だと思う。

 不安そうに「やっぱり美味しくなかった…?」と上目づかいに聞いてくるテティはきっと今、自分が笑ったことに気づいてないのだろう。なんだよそれ、ちくしょう、くっそかわいいじゃねえか。うますぎて驚いたんだよ、と笑ってやるとテティは「なにそれ」と呆れたような顔をする。

 あ、またちょっと、笑ってる。










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